「静浜基地航空祭!朝一番から最後まで」
というツァーがお得だったのは、前日の早朝(8時)に出発し、
その日は浜松でこの「浜松基地エアパーク」見学が組み込まれていたことです。
新しくできたばかりの新東名高速の、異常に静かでなめらかな道路の走り心地に
日本の最新土木技術の素晴らしさを実感しながら走ること4時間。
これもできたばかりでピカピカの至れり尽くせりなパーキングエリアで各自お昼ご飯を食べ、
そこからさらに約一時間。
浜松の航空自衛隊基地敷地内にある、エアパークに到着しました。
正式名称は
「航空自衛隊浜松広報館 エアーパーク」
エアパークではありませんので念のため。
この、何とも言えない投げやりな手作り感がほのぼのしますね。
きっと絵心のある隊員、あるいはその子供が描いたに違いありません。
ここで団体バスを降りるとすぐ前でお迎えしてくれるのが、
これだッ!
F−86F「セイバー」
セイバーは英語読みで、「サーベル」の意味です。
F−86Fブルーインパルスは、1956年、第1航空団に
「空中機動研究班」
として発足しました。
東京オリンピックの「五輪マーク」、大阪万国博覧会での「EXPO70」の文字を描き、
数々の飛行展示を実地しています。
その公式展示回数は述べ545回に上り、、1981年入間基地での公式展示を最後に解散しました。
かつて空を自由自在に舞っていたころを彷彿とさせる躍動感のある展示。
1999年オープンしたこのエアーパーク、
広い敷地にゆとりのある展示、格納庫のようなドームに所狭しと並べられた航空機。
サンフランシスコに「アビエーション・ミュージアム」という航空博物館があります。
アメリカらしく広大な敷地を潤沢に利用した展示と、コクピットを再現して
そこに実際坐ることができる、という体験型のエアミュージアムなのですが、
そこと比べてもまったく遜色ないこの規模と充実ぶりに実のところ驚きました。
建物に入ると、展示館のロビーに置かれた、
こちらは現在のブルーインパルス。
5分の1くらい(たぶん)の模型です。
同じくロビーの陶板モザイク作品。
そしてこれ。
皆さん、この搭乗員の彫塑、どこかで見たことありませんか?
そう、靖国神社の遊就館の前の
「特攻隊員の像」ですね。
このモデル、誰だとお思いになります?
海軍兵学校71期卒、戦後は航空幕僚長であった
山田良市元空将の旧海軍航空隊時代の写真をもとに、
彫刻家の北村西塑氏が制作したものなのです。
ここにある「ミニチュア」は、写真の本人である山田氏に対し、
元々彫刻家の「恩人」であったという山田氏の叔母の手を経て
贈呈されたものです。
山田元空幕長は今年、2013年の3月に亡くなられましたが、
寄贈名義は山田氏となっていますので、おそらく生前、
このエアーパークが出来て以降、ここに残すことをご本人が選ばれたのでしょう。
今話題、「空飛ぶ広報室」の宣伝。
このドラマ、人気なんですね。
放映開始以来、当ブログのアクセス数が少しアップしたくらいです。
それはともかく、なぜ「図書館戦争」のポスターがここに?
軍事指導でも行われたのでしょうか。(適当)
ロビーには航空自衛隊の歴史を象徴する写真の数々が
パネル展示されています。
その中から。
佐藤正久議員の「髭の隊長」時代。
イラク復興支援のための派遣で陸自と空自の握手。
皆さん、これ、ご存知でした?
戦闘機パイロットが宇宙飛行士になったというこのニュース。
JAXAの油井亀美也宇宙飛行士のページによると、現在油井飛行士は
現在ロシアで長期宇宙滞在のための訓練を受けているそうです。
同ページに掲載されている当飛行士のブログは
「宙亀(そらかめ)日記」。
1997年に誕生した初めての女性パイロット。
大変楚々とした美人でおられます。
美保と書いてありますが、この方のお名前ではなく美保基地の意です。
どうでもいいが、この隊員さん、当時のはやりメイクで口紅が濃い(笑)
あのベレンコ中尉のミグ亡命事件。
「函館の皆さんさようなら、大変ご迷惑をかけました」
当事者が全くそうは思っていなかったに違いないこんな文句とともに、
ミグ25は百里基地に運ばれ、ここで検査した後ソ連に返還されたということです。
それにしても、ベレンコ中尉の亡命理由って、よくわかってないんですってね。
ウィキには「妻との不和」なんてあったけど、亡命しなきゃならないほど悪妻ってどんだけ。
ロビーには小さい売店があって、ブルーインパルスグッズなどを売っていました。
F-15クッキー(たぶんこんな形をしている?)、
「来るなら来い!」
この何とも言えないベタなセンスあふれるネーミングの中にも
こちらからは決して攻撃することはない!→
向こうが来るならやってやる!→
来るなら来い!という、
我が自衛隊における「専守防衛」の精神が横溢している・・・・るような気がします。
と、少し寄り道をしてしまいましたが、エアーパークの屋外展示機です。
F−104はロッキード社が1953年から開発を行い、翌年初飛行しました。
「最後の有人戦闘機」と呼ばれた全天候型戦闘機です。
・・・全天候型、戦闘機?
エリス中尉、最近雨の日のお出かけのために「全天候型パンプス」というのを買ったばかりですが、
それと同じく、これは晴れでも雨でもOKな戦闘機?
というか、戦闘機ってみな全天候型じゃなかったんですか?
雨が降ったらお休みで、風が吹いたら遅刻して、
そんなカメハメハ大王の世界みたいなものだったんですか?
と、自分でボケて自分で突っ込みますが、これも調べたところ、
高性能なレーダーを備えることによって天候や昼夜を問わずに
運用が可能な戦闘機を「全天候戦闘機」と言うのだそうです。
今は勿論全ての戦闘機は全天候型なんですよね?
渡り廊下から見下ろしたF−104。
航空自衛隊では、1962年から210機を導入、
1986年に用途廃止になるまで活躍しました。
空自ではF-104J、練習機のF-104DJとして採用し、
「栄光」言う愛称で呼んでいたそうです。
ところで「最後の有人飛行機」ってなんかおかしくない?
と思ったら、これはなんと
Ultimate Manned Fighter
の訳だというのですね。
Ultimate を「最後の」と訳してしまうことに誰も疑問は持たなかったのだろうか。
今ならすらっと
「究極の有人戦闘機」
と正しく訳すんでしょうけどね。
C-46輸送機。
1955年、アメリカから36機供給されたものです。
1978年の用途廃止になるまで核輸送航空隊において
人員輸送や飛行点検に活躍しました。
向こうに見える遊具との取り合わせがなかなか似合っているカラリングですね。
この頃の輸送機って、こんな派手な色をしていたんだ・・・。
ナイキミサイルとその発射台がセットで展示されています。
発射台によって発射角度を設定されたナイキJ弾は、
ミサイル追随レーダー(MTR)からの各種指令を受けて目標は撃破します。
指令は高射銃統制トレーラー(BCT)から受けます。
ナイキというのはスポーツシューズのメーカーの名前として有名ですが、
勝利の女神「ニケ」の英語読みです。
ルーブルにある「サモトラケのニケ」ですね。
アメリカ軍はこのナイキ・ファミリーに尽くギリシャ神話の神の名前を
(畏れ多くも)つけていて、
「ナイキ・エイジャックス」(アイアース)
「ナイキ・ハーキュリーズ」(ヘラクレス)
「ナイキ・ズース」(デウス)
などなど。
このころ、かっこいい名前をみんなここに使い切ってしまった感がありますね。
しかし、たかがミサイルに「全知全能の主神」の名を付けるとは・・・。
本当に畏れ多いな。アメリカ空軍。
H-21B 救難ヘリコプター。
うーん・・・・・・・・・・・・。
カッコ悪い(笑)
この安定の悪いシェイプ、普通にしていても床が地面と平行でない不安な形状、
そしてなぜか日の丸の中から生えている脚。
おまけにこの趣味の悪いペインティングはいったい何?
航空自衛隊と言う字もこんなでかでかと書く必要があるのかってくらいだし、
いやこれ、いったい何なんでしょうか。
この妙な形状は、これを作ったバイアセッキ社が、タンデムローターの開発に当たり、
飛行中にプロペラが接触しないように後部を曲げたからなのです。
それなら最初から接触しない長さのローターにすればいいのでは、と言う気もしますが、
この巨体を浮かせるのに、当時の技術ではこれがぎりぎりの大きさだったのでしょうか。
その形状からついたあだ名が
「フライングバナナ」。
うん。
なかなか的を得たあだ名ですね。
空自はこれを救難ヘリとして10機導入しましたが、こんな色にしないで、
今の救難機のように黄色にすればよかったのに。
もっとも、空自と陸自ではこれを「ほうおう」と呼んでいたそうですから、
色までバナナそのものになってしまうのは少し問題だったかもしれません。
ところで、この「航空自衛隊」の表記を見て思ったのですが。
車両に表記される字が、どういうわけか
前部から後部に向かって書くことを厳密に決められた結果、車の左面だけが
「ターャジス」(例)
みたいなことになってしまう、というあの不思議な風習。
これを見る限り、あれは自衛隊に導入されなかったみたいですね。
あれを見るといつも何とも言えないイラッとした気分になるので、この点よかったです。
あ、めいらくグループさんには何の文句もつけてませんからね。
さて、というわけで、屋外に展示されているものをご紹介しましたが、
ここでは外にあるものより、屋内で美しく塗装され大事に保護されている飛行機の方が
よっぽど多いのです。
そこではシミュレーターにのってつかの間パイロット気分を楽しんだり、
ブルーインパルスのコクピットに坐れたり、
時間があったらパイロットスーツをヘルメットまで一式借りて、その姿で
操縦席で写真を撮ったりもできるのです。
飛行機好きにはもう天国のような場所。
このときはツァーだったので時間に制限がありましたが、
ここで一日過ごすためにもう一度来たいと思いました。
本当に、ここ、お勧めです。
航空自衛隊空飛ぶ広報室になりかわり、エリス中尉がアツーく宣伝しておきます。