ディアゴスティーニの「戦争映画」のシリーズになぜか入っていた
唯一の自衛隊ものです。
なぜ戦争映画にカテゴライズされているのか、観る前も観てからも
さっぱり理解できませんでしたが、おかげでこんな黎明期の
自衛隊映画があることを知ることができました。
1960年作品、監督小森白、新東宝作品。
というと、イメージ的にあのスパイフィクション戦争映画、
ここでも散々コケにした(そうだったのか?)天知茂主演の
「謎の戦艦陸奥」
を思い出してしまうのですが、案の定この映画は、その小森監督が
「謎の戦艦」に続き同じ年に制作したものでした。
という段階でわたしの中ではキワモノ路線決定してしまったわけですが、
当時には珍しい自衛隊、しかもレンジャー部隊が舞台ということで、
怖いもの見たさとネタ欲しさで()観てみました。
ちなみに「レンジャー部隊」は俗称で、正式には「レンジャー課程」です。
映画解説には「レインジャー過程」と書かれてますがorz
さて、映画に入る前に、この映画が公開されたころの自衛隊というのが
世間からどう扱われていたかということを考えてみましょう。
それは一言で言うと「継子扱いの白眼視」といったものでした。
日本が憲法によって「戦争を放棄する」=「軍隊を持たない」
となったとき、戦争に物心両面での嫌悪を拗らせていた日本国民は
おそらく手放しで喜んだことであろうと想像します。
当時の国民にとっては
「日本が武力さえ放棄すれば二度と戦争になることはない」
という今なら少し頭がおめでたいとしか言えないこんな理屈も
まるで恒久平和へのありがたい金科玉条と思われたのでしょう。
当時は中国の侵略も北朝鮮のミサイルもまだなかったしね。
さらには、実質日本が何の武力も持たぬ間に、韓国によって竹島は、
漁民殺戮の上不法占拠されてしまったわけですが、当時の日本国民には
そんなことは見えていなかったか、取るに足らないことだったのです。
たぶん戦争にならなければなんでもよかったんじゃないかな。
さて、そんな「軍隊アレルギー」の日本が朝鮮戦争をきっかけに
アメリカに持たされることになった警察予備隊。
まだアメリカの占領下にあった昭和26年(1951年)、なんと
東映が「この旗に誓う」という警察予備隊のPR映画を制作しています。
発売されていないのでどんな映画か見ることもできませんが、
音楽を「ゴジラ」の伊福部昭が手がけているというあたりに
力の入れようが垣間見えます。
「ゴジラ」と言えば最新作「シン・ゴジラ」でも自衛隊の全面協力が
映画に大きく関わっていたように、「ゴジラ」に続く、一連の怪獣ものの
社会的ヒットは「戦争の出来ない軍隊」自衛隊が、敵国ではなく
人類の敵を駆逐するという「口実」を得て、堂々と映画で
戦闘をしてみせることができるようになった画期的な出来事だったのです。
警察予備隊としてアメリカに保持することを要請(強制)された瞬間から、
国民に支持されず、その存在を巡って世論の槍玉に挙げられていた自衛隊。
旧軍人が公職追放を解かれて入隊することはあっても、
一般人の入隊に関しては世間が白眼視する職場ゆえ、長らく自衛隊は
「そこしか行くところがないはぐれものや落ちこぼれの吹き溜まり」
という屈辱的なレッテルに甘んじなければいけない時期があったのです。
そういえば前防大校長の五百旗頭という学者が、講演で
防大の制服で電車に乗ったら唾をかけられた時代もあった、
などとわざわざ言っておりましたですね。
防大の歴史上、全部で何件起こった事件かは知りませんが。
とにかく、この映画が制作された昭和35年当時、
防衛庁としても映画をなんとかイメージアップを図り、
自衛隊への入隊に少しでもつなげたいという思いから
協力をしたのに違いないと窺える作りの映画です。
自衛隊が商業映画に協力したのは1960年以降のことです。
この年松竹の「予科練物語 紺碧の空遠く」で初めて防衛庁が協力し、
自衛隊が映画に登場するということがあったのですが、
その挿入の意図が「自衛隊(軍隊)を否定する」ものであったため、
防衛庁が怒って削除を要請し、それを表現の自由への介入だとして
衆議院で野党が追及する、という事態になりました。
そこで、防衛庁は法整備して、
「防衛庁の広報活動に関する訓令」防衛庁訓令36号
そして、
「部外製作映画に対する防衛庁の協力実施の基準について」
という通知などを出したのです。
つまり、煮え湯を飲まされた格好の防衛庁としては、
民間、ことに左翼主義者の巣窟のようになっていた映画界に対しては
ディフェンシブにならざるを得なくなったのです。防衛だけに。
とにかく法体制が整って初めての自衛隊協力映画だったと言う意味では
本作は「エポックメイキング」というべき一編だったわけですね。
それだけに本作の自衛隊の描写には大変慎重な様子が窺い取れます。
制作側が「気を遣う」のと反比例して、自衛隊側の協力は
消極的なものになった(のでやりにくかった)という話も残っておりますが、
これは映画側の自業自得だったとはいえませんでしょうか。
現在の防衛省の異常なくらいの「世間への配慮」というのも、
遡ればこんな頃から苦渋を舐めてきた太古のDNAのなせるわざだったのか、
とわたしは今更ながらに合点がいった次第です。
さて、それでは映画についてお話ししていきましょう。
実はこのストーリー、冒頭の漫画で説明したまんまです。
簡単に言えばこれ以上でもこれ以下でもありません。
といってしまえばここで終わってしまうわけですが(笑)
タイトルの下の英語の直訳は画面の賑わいのために入れただけで、
別に本作にこの英語題が付いているわけではありません。
それにしてもこの、
「激闘の地平線」
っていう題なんですがね。
もし漫画で説明したようなストーリーであれば全然内容と合ってなくない?
とおそらく皆様は思われるでしょう。
わたしも思いました。
そこで、もしわたしならこの映画のタイトルをこうするだろう、
というのを本日のサブタイトルにしてみた次第です。
「不良(おれ)が自衛隊に入った理由(わけ)」
それでは適当に始めましょう。
バイクで暴走する柄の悪い若者たちの映像がタイトルです。
もうこれからして嫌な予感が避けられませんね。
主人公の徹男(松原緑郎)は当時の不良「ビート族」のボス。
ビート族とは1948年前後に
「NYのアンダーグラウンド社会で生きる非遵法者の若者たち」
を総称する語として生まれた「ビート・ジェネレーション」
「ビートニク」からきており、その思想活動をいいますが、
日本では単に暴走行為、酒とジャズに溺れて奔放な性を享受する、
無軌道な不良の総称でした。
バイクに乗ることから「カミナリ族」という言い方もありました。
(昔モダンジャズが”不良の聴くもの”だったのはこの辺からきている)
主人公土岐徹男。
彼がボスなのは、大企業の社長の息子で金回りがいいからです。
ある日仲間とバイクでタイマン張ってかっ飛ばしていて事故発生。
たまたま通りかかった陸自の車両から降りてきたのは
陸自の看護師(当時は看護婦?)桂木悠子二曹。(三ツ矢歌子)
「あーこれもう死んでますわ」
彼女の着ている婦人自衛官の制服は、昭和45年に改正となる前の、
バスガイド風帽子付きで、お宝映像です。
仲間の死にショックを受けるついでに、徹男、桂木三曹に一目惚れ。
嫌なことなんか酒で忘れちまえ!とまたしても騒ぐ徹男たち。
その晩、徹男は仲間のズベ公リーダーマリ子(一人称は”あたい”)
とそうなろうとするのですがどうしてもそうなれません。(婉曲表現)
「なんだいあンた、あの女自衛官が忘れられないんだね!」
確かにこの女子を三ツ矢歌子と比べたらいろいろときついかもしれん。
(女子力的な意味で)
てやんでえ、とうちに帰るとそこでは父の後妻(若杉嘉津子)が、
父の秘書(大原譲二)とお楽しみ中。
こんな家庭ではそりゃグレますわ。
自室でやおらカンバスに向かう徹男。
そこには瞼の母の肖像画。
いきなり筆をとって彼が母の肖像に書き足したのは
なんと、「婦人自衛官の帽子」であったというのは笑いどころ?
ついでに徹男は一目惚れした桂木二曹の似顔絵を記憶スケッチして、
いきなり朝霞駐屯地に訪ねて行きます。
なんなのこの無駄な行動力と才能の無駄遣い。
「たくさんいますので、これだけでは・・・」
それに彼女の制服や帽子の細部、階級章まで覚えているのに、
一目惚れした女性の名札だけ見てなかったんですかね。
ちょうど都合よくそこに医療部隊の車が桂木二曹が。
仲間と一緒にはしゃぎまくってさらに嫌われる徹男。
ちくしょー!と走り回っていたら警察のご厄介に。
どうでもいいけど、映画の半分くらいが徹男とその仲間の
放埓ぶりばかりで、肝心の自衛隊シーンが少ないのです。
はっきりいってスピード違反で捕まるシーンなんてどうでもよくね?
徹男の父唯一の登場シーン。
富士五湖を望む別宅にこちらも愛人と同居。
「パパー」と愛人が社長を呼べば、ドラ息子も一緒になって
「パパ、いいネタがあるんだ。買ってくれ」
何かと思えば、後妻と秘書の情事をネタに父親をライトに恐喝。
このパパが超貧相なおっさんで、肋骨がはだけた浴衣から丸見えです。
このあとビート様御一行、徹男の提案で青木ヶ原樹海に入り込み
「人穴」探しを始めます。
わたしはこの人穴を知らなくて、いったい何を言っているのかと思ったら、
富士山の噴火でできた溶岩洞穴で、富士山の中心から西に約12kmの位置にあり、
主洞は高さ1.5m、幅3m、奥行き約90m。
人穴と呼ばれる由来は、溶岩が作った洞穴の壁に
肋骨や乳房のような岩の突起があるためである。
最奥からさらに細い穴が伸びており、江ノ島に通じるとの伝説もあり。
wiki
ということでした。
この映画のおかげでひとつ物知りになりました。
すると鬱蒼とした樹々の間からいきなりこんな人が出現。
「ぎょええええ!」
陸自のレンジャー課程訓練が富士山麓で行われていたのです。
道に迷って空腹だった彼らに自衛隊飯をご馳走する教官の清原三尉。
(沼田曜一。『謎の戦艦』では平野艦長、前述の『予科練物語』にも出演)
「規定に従って食事代はもらうぞ。一食35円」
自衛艦の中の食事は現在たしか200いくらかだったような。
しかもこのあと彼らは宿舎に泊めてもらうという好待遇です。
盛り場に帰ってきて意気揚々と冒険の自慢をしあう不良ども。
「だけどよ、自衛隊の隊員も悪くなかったな」
「食えなくなったら自衛隊でも入るかあ!」
「お前には似合いだよ!」
「わはははは」
いやー、この失礼なこと。
しかしある意味これが当時の自衛隊に対する世間一般の見解の
一端であったということなのでしょう。
そこに徹男がフったマリ子が地元のチンピラとつるんでやってきます。
「紹介するわ。あたしのフ・レ・ン・ド」
「お前たちだな?マリにちょっかい出してやがる”ネス齧り”は」
お約束の乱闘となった時に踏み込んでくる刑事。
なぜか交通違反で捕まえて尋問した警官と同一人物です(笑)
理由も言わずに徹男だけを警察の霊安室の前に連れてきて、
驚く徹男に、
「どうした、怖いのか」
いや、怖いだろ普通。
説明も何もなしでいきなり棺に入った父の屍体と対面したらさ。
土岐の父は会社の経営不振を苦にして自殺したのでした。
馬鹿野郎と繰り返しながら描きかけの父の肖像画に
その死を報じる新聞をちぎっては投げちぎっては投げする徹男。
実はお父さんのこと好きだったんですね。
荒れる徹男。
ほくそ笑む二人の部屋に踏み込み証券やら通帳、権利書を取り上げて・・・、
債権者(そろばん持った人もあり)にそれをぶちまけ、ついでに
「俺の体買わねえか?役に立たねえってのか?」
もはや世の中の誰からも必要とされなくなった徹男。
自暴自棄になってバイクで暴走を繰り返します。
そのとき徹男の前にたまたま現れる自衛隊の一団。
威圧されながらその車列を見送った彼は、彼らの後をバイクで追い、
朝霞駐屯地の正門までやってきて何事かを決意するのです。
何事かって、まあご想像の通り自衛隊入隊ですが。
なぜか「駐とん地」となっていますが、これは本物。
今の朝霞の正門前とは思えませんね。
原案では桂木二曹と再会した徹男が、
「ここはあなたのようなひとがくるところじゃありません。
あなたに規律のある生活なんかできないでしょう?」
といわれ、
「できるかできねえか、俺アあんたと勝負する」
と啖呵を切って入隊することになっていましたが、映画では
とりあえず一人で生きていかざるを得なくなった徹男が、
自分の居場所を求めて自衛隊に入った、ということになりました。
本当の理由は彼女に近づくためなんですけどね。
そして次のシーンではもう徹男は自衛官になっております。
んなわけあるかーい!
続く(笑)