ここでお話ししたように2月、幹部候補生学校で行われた部内選抜の卒業式に行きました。
前回の部内選抜の卒業式では、一般幹部の卒業式の式次第と全く同じ、
表門から出港して旅立っていくのも同じらしいことを実際に見たわけですが、
形式は同じでもやはりそこはそれ、部内選抜と一般では色々と違ってくるはず。
今回それを見届けるためにも、第67期一般幹部候補生及び
第69期飛行幹部候補生課程の卒業式が行われる1日前に、わたしは呉入りしました。
今回卒業式参加が決まってからすぐにホテルの確保にかかったのですが、
2ヶ月以上前だったにもかかわらず、駅前の呉阪急ホテルはもちろん、全ての宿泊施設は満室状態。
そこで、カード会社のデスクを通じてようやく呉ステーションホテルを押さえました。
後からわかったのですが、呉阪急ホテルには卒業生の家族、自衛隊関係者だけでなく
卒業式に来賓を賜るかしこきあたりの方がお泊まりになる予定だったため、
随行含めてワンフロア貸切とかになっていたのだと思われます。
夕方に空港バスで駅前まで到着したので、ここでわたしがノルマとしている
海自カレーのシール集めの作業を粛々と行いました。
呉阪急ホテルのレストランで出している「うみぎりカレー」です。
自衛隊のレシピを見るとうみぎりのカレーは野菜のトッピングが特徴、
となっていますが、ここで出しているのは半熟卵のトッピング。
卵がカレーと別添えになっていて、これがカレーの辛さをマイルドなものにしていました。
明けて次の日。
カーテンを開けると、ビル越しに呉駅が見える部屋から
珍しくお天気の心配の全く要らなそうな晴天が広がっているのを確認。
お迎えの車がホテルの前まで来てくださることになっていたので、
自衛隊のことだから約束の5分前には来ているであろうと考えたわたし、
海軍5分前の精神にのっとり、さらにその5分前に下に降りました。
ところが、わたしがロビーにおりた時にはもうすでに5分前には到着していた様子の車が
しっかりとホテル前に停車していたのです。
自衛隊の集まりでは、階級と反比例して5分ずつ到着時間が早くなっていくので、
最先任と一番下では下手すると30分近く来る時間が違う、という噂は
もしかしたら本当なのか?と思った瞬間でした。
本日の参加にあたっては、わたしごときのために、呉地方隊よりぬきの
アテンド係が配置されており、その方が車で迎えに来てくださっていました。
階級は大尉、配置は「呉地方総監部のどこか」です。
江田島に向かうのに、なぜかフェリーではなく陸路で行くということで、
兵学校同期会の時以来音戸大橋を渡ることになりました。
今回に限らず、自衛隊が来客を呉江田島まで送迎するのに、
フェリをー使わず必ず陸路で行くことがどうやら決まっているようです。
音戸大橋、早瀬大橋を渡って江田島に入り、能美島を通り過ぎると江田島湾が見えて来ます。
早速牡蠣の養殖筏の向こうに自衛艦が見えて来ました。
「あっ!自衛艦が見える!」
早速声に出してしまうわたし。
「ふゆづきが来てるんです」
おお、わたしがこの目で竣工引き渡しを見届けた護衛艦と再会。
しかし定係港が舞鶴である「ふゆづき」、なぜここに?
「今日卒業する飛行幹部が乗り込みます」
卒業生は表桟橋から帽ふれで旅立ち、そのまま航海に出発する、というストーリーで
海軍時代から行われて来た卒業式のクライマックスであるので、
航海に出るわけではない飛行幹部といえども艦に乗り込まないわけにはいきません。
かといって、一般幹部と一緒のフネでは降りるタイミングが難しいので、
飛行幹部の44名(くらい)だけを乗り込ませるために「ふゆづき」を使うようです。
それでもなぜ舞鶴からわざわざ「ふゆづき」が来ているのかはわかりませんでしたが。
「ふゆづき」からは内火艇(でいいのかしら)が海面に降ろされています。
これは幹部たちを乗せるためのボートで、今その準備をしているんですね。
後甲板にはSHらしきヘリがいるのも飛行幹部たちを乗せるからに違いありません。
右手には「はるさめ」のお尻らしきものが見えています。
というわけであっという間に江田島に到着。
控室は前回の隣の部屋で、すでに到着していた団体がありましたが、
その一人はご挨拶したことのある元海将補でした。
控室で開式まで時間を潰しても良かったのですが、せっかくなので
少し生徒館の周りをまわってみることにしました。
中央の階段を上っていった正面の部屋が校長室です。
部屋の外側のテーブルは、おそらく帽子置きではないかと思われます。
向こうが副校長室。
いずれも昔はなかった電光掲示板は
在室・校内・校外・出張・衛生・一術高・通庁・会議中・電話中
の該当部分にランプが点く仕組みで、この時には在室中でした。
上の東郷平八郎の額は「機先を制する」という意味の「制機先」。
ドアのない生徒館の吹き抜けにあるせいか、墨が退色しているような・・・・。
ここで写真を撮っていると、来賓らしい男性が一緒にいた大尉に話しかけて来ました。
「ここは海軍兵学校の時のままなの?」
「近年改装されてドアや壁は新しく変わりましたが、床は昔のままですよ」(なぜかわたし)
「いやー、親父が行ってたちゅうから一度見たい思うてたけどやっと来れたわ」
校長室の右隣は応接室、その反対側、階段を上がって左には先任海曹室があります。
階段ホールの脇から階下を覗き込むと、例の「同期の桜」があります。
一般幹部候補生の卒業式の時には咲いているのだろうか?と前に書きましたが、
見たところ蕾はあるものの、まだ少しかたい感じでした。
桜が咲くのはきっと入学式の頃ですね。
一階に降りて中庭を歩いてみることにしました。
これは階段のちょうど裏側出入り口になります。
当然ですが、ここにもドアはありません。
生徒館全体を艦に見立てているというのがその理由なのですが、
ここにまたそのポリシーを表すものを発見しました。
艦艇で時間を知らせるために使われていた時鐘がここにあります。
感覚を候補生に覚えさせるために、時鐘を鳴らすのだということですが、
実際にこれが日常的に鳴らされているのかというと、よくわかりません。
現代の護衛艦にはどこかしらに時鐘が備えてあるのですが、昔と違って
時間を知る方法は他にいくらでもあるので、本来の使われ方はしません。
じゃー、何のためにあるのかっちゅうことなんですが、艦名を刻み、
フネのシンボルとか装飾という面が強いのではないかということです。
例えば艦が退役した時には、これは必ず取り外されますが、
同時に防衛省に返還することが決められているそうです。
時々、自衛隊の資料館で退役艦の時鐘を見ることがありますね。
ここがあの正面玄関の真裏になります。
先ほどの時鐘は白い柱の真後ろに隠れていて全くここからは見えません。
こうしてみると、窓枠の形や、出入り口周りのレンガ積みに
デザインの工夫が感じられます。
この上部辺ですが、これ、どうやってレンガを積んだんでしょうか・・。
「同期の桜」の枝越しに臨む生徒館。
こんなところで過ごす幹部候補生の生活はさぞ過ぎ去ってみれば懐かしく、
幹部自衛官は例えばこの赤煉瓦を見るとノスタルジーにかられるに違いない。
とわたしたちは(特にわたしは)思ったりするのですが、さにあらず。
この日アテンドしてくださっていた大尉殿も、
「わたしもできればここには来たくないくらいです」
お、おう・・。
してその心は。
「あまりにも訓練がきつかったものですから」
この日現地で偶然ばったりお会いしたあの!みね姉さんも、幹部たちは皆
同じようなことを言っている、と証言していたので、
このきつさというのは相当のものなのだとこれからも推察されます。
幹部候補生学校の卒業式というのは、今日からは
「号令をかけられる側からかける側に」なる日であると同時に、
昨日までの過酷な(それこそ、ここに来るだけで気分が重くなるくらい)
訓練の日々に別れを告げることのできる瞬間です。
防大生や候補生が理不尽に見える圧迫やきつい訓練に耐えるのも、
実際に起こりうる任務遂行上のいかなる理不尽にもたじろがないためであり、
過ぎ去ってみれば、それが自衛官として血となり肉となっていることは
何より本人たちが、その後の自衛官人生で実感するものなのでしょうが、
それでもやっぱり特にまだ若いうちは、ここでの日々は
拭いがたいトラウマとなって残るものなのかもしれません。
赤煉瓦のちょうど後ろにこのような校舎があります。
よくある学校の校舎のような佇まいですが、これもまたかなり古い建物となります。
構内の掲示板にも抜かりなく注意。
「一時の誘惑 一生の後悔」という薬物防止ポスター、
「NO!!破廉恥」というセクハラ禁止ポスター、交通マナー啓蒙ポスター。
皆部内で募集したらしい作品です。
こちらはどちらも警務隊の隊員による力作。
ロッカーの中身の貴重品や大切なものを悪の手から守る
君にしかできない方法がある。
それは鍵をかけてしっかりと管理する、ただそれだけである。
んなたいそうな。
ものを盗ろうとしているモンスターが自衛官の制服を着ているのがポイント。
右側は萌え風交通安全ポスター。
左の情報保全キャンペーンポスターは官品らしいです。
先日、自分の艦のマークを強権的に猫入りに変えた猫好きの艦長が、
転勤した今度の艦でも同じこと(すでにあるマークを猫化)をするらしい、
という話がその猫デザインの新しいマークと共に回ってきたのですが、
今回江田島で、その話をすでに皆が知っているらしいことを知りました。
「人に見せないように」の添え書きと共に画が回ってきたとき、
わたしが見た時点で、人に見せるまでもなく、もうかなり広まっているのでは?
と思ったのですが、やはりこのポスターでも啓蒙されているように、
一人に漏れた時点でそれは30人(それってゴキブr)には広まるものなのです。
30人が一人ずつに漏らし、さらにそこから900人に広まり、そして・・・・
右側、「子供の成長は早い」
自衛官は子育てに参加できる機会が少ないと言われます。
例えば航海から帰ってきてしばらくぶりに見たら、子供が別の生き物になっていた、
というのはよくあることで、それもまた宿命というべきお仕事ではありますが、
このポスターはせめて男性職員も育児休業を取得しよう、という呼びかけです。
しかし実際くださいと言って簡単に取れるようなもんなんですかね?
あちこちに黒板がかけてあります。
まるで学校みたい。って学校か。
定期点検、課業更新、観閲行進の整列についての指示が書き込まれるようです。
上は日の出と日没、月齢、下はよくわかりませんが潮の満ち欠けでしょうか。
そういえば、兵学校で潮の引く時間を計算して海岸から無断外出し、
大問題になったのだけど、教員が、
「潮の満ち欠けを計算してことに及んだのは、海軍軍人としてはなかなか」
とか言い出し、あまり怒られなかったという話を聞いたことがあります。
左側に書かれていたこの「JANE'S」とは、ジェーン年鑑のことでしょうか。
「最後の大放出!!練習航海のお供に如何? 予定者学生も大歓迎!」
さりげにセールスしてますがそういうものなのかしら。
こちらは教育参考館を裏から見たところです。
昭和11年に建築されたというのに、このモダンさは・・・・。
どこを調べても増築されたとか改築されたという話が出てこないのですが、
これは基本的に当時のままの建物なんでしょうか。
学生の人数の割に広大で校舎も多いのですが、これは全員がここで寝起きし、
生活もする場であることから当然かと思われます。
グラウンドの向こうの建物はほとんどが学生の生活する部屋です。
前回、わたしたちはここの4階にある食堂での午餐会に参加し、
どうやら今回もここでお弁当をいただくことになるようです。
朝起きたらここで乾布摩擦を行うのでしょうか。
グラウンドの奥には、船のマストと同じものに信号旗が翻っています。
ここで過ごした厳しい1年の生活に本日別れを告げる卒業生たちは、
今や大講堂で幹部に任官される瞬間(とき)を今か今かと待っている状態。
そのあと彼らは表桟橋からここを巣立っていくのです。
さて、それではそろそろ彼らの待つ大講堂に向かうことにしましょう。
続く。