KNOW YOUR BOAT(己の艦を知れ)
前回、戦後初の海上自衛隊の潜水艦「くろしお」に乗り組んだら森永一佐ら
戦後最初のサブマリナーたちが、アメリカのコネチカット、グロトンにある
潜水艦学校で学んだことをお話ししましたが、このモットーももしかしたら
自衛隊初のサブマリナーたちが留学時に得た精神であったかもしれません。
というわけで、己の艦を知るための詳細模型もあります。
操舵席。
「己の艦を知れ」と改めて自分に言い聞かせるのは、潜水艦というものが
艦のあらゆる構造、機能を完璧に理解していないといけないからです。
もちろん水上艦もそれに越したことはありませんが、海中で三次元の動きをするなど、
水上艦にはできない動きをする潜水艦は、各機能や構造が密接に関係しあって
初めてそれらが可能になることの連続なのです。
それだけに艦全体の構造と機能を理解した乗員が人艦一体となって
初めて高い能力を発揮することができる兵器ということができます。
発令所の下の発射管室。
その下には電池室があります。
これが実際の発射管室。
発射管からは魚雷だけでなく、機雷、ミサイルを発射することができます。
魚雷を発射するためには水圧や空気圧で押し出すのが一般的ですが、
中には自力で出て行く健気な魚雷もあります。
魚雷搭載口から魚雷を搭載しているところ。
搭載する時には甲板に組み立てられた搭載用の架台と
艦内の油圧駆動の搭載装置を斜めにつなぎ、その上を
滑らせながら艦内に入れます。
乗員の潜水艦内でのベッドはこのようなものですよというコーナー。
前回来た時にはまともに写真が取れなかったのですが、
今回のわたしには広角レンズという強い味方があるのだった。
ロッカーまで実際と同じように再現されています。
実際に寝てみる人のために注意事項が書かれていますが、
なんども頭や体をぶつけている隊員さんが(´;ω;`)
潜り込んでから体を回転させるのがポイント。
それはそうと、「ベット」って何ですかベットって。
そういえば教育隊のポスターにも「ベット」ってあったけど、
もしかして自衛隊の特別な用語だったりする?
自衛隊潜水艦乗りの故郷「潜訓」、潜水学校の紹介です。
「海面を二次航行するだけの水上艦と比べ、
三次元の海中を航行する潜水艦の操作が難しいのは当然である」
といきなり水上艦の人が聞いたらムッとしそうな口調で説明が始まります。
それはともかく、潜訓というのは、資格を取ったらもう御用済み、
という自動車教習所のようなものではなく、何度もなんどもその門をくぐり、
その都度日進月歩の新しい技術や運用思想を学ぶサブマリナーの原点なのです。
潜訓は現在ここ呉にあります。
呉は自衛隊サブマリナーのふるさとというわけです。
そういえば「呉氏〜GONNA 呉氏〜」という呉市のテーマソングにもありましたよね。
♪潜水艦は今日も潜るよ〜♪
パネルの前で記念写真を撮っているのかと思ったら違いました。
水上水上航行訓練用のナビゲータートレーナーによる訓練中。
わーなんか楽しそう。
しかし、これは楽しいなんて言っていられない真剣な訓練です。
潜水艦に水が入って来た時の防水訓練。
冬は辛いと思われ。
潜訓の施設がグロトンの潜水艦学校をモデルにして作られたのは
何の根拠もありませんがほぼ間違いないことだと思われます。
例えば海底に鎮座した潜水艦から脱出することになったら?
そんな時のために、彼らはプールで脱出訓練を行っています。
潜水艦から脱出するための用具各種。
写真左のオレンジのフードは水深が浅いところで
使用するための「スタンキーフード」という脱出服。
しかし実際、海底の脱出において最も恐ろしいのは水圧が引き起こす
潜水病(減圧症)です。
急に浮上すると血管中気泡ができてそれが血管を閉塞させ、
最悪命の危険もあります。
昔の潜水夫は、深海から少しずつ、ポイントごとに30分はじっとして過ごし、
時間をかけて海面に浮上してきたものでした。
おそらくこちらのスーツは比較的水深の深いところ用で、
耐圧スーツにもなっているのだと思われます。
潜望鏡も実際のものが展示してありました。
潜望鏡は本物ですが、見えるのはカメラ映像のようです。
グロトンの博物館では本当に外を見ることができましたが、
ガラスが劣化してほとんど画像が判明しませんでした。
これはグロトンでも見た、世界の海軍潜水艦隊のバッジシリーズ。
傾向としては実際に潜水艦をあしらったタイプと、潜水艦を意味する
ドルフィンをあしらったものに分かれます。
自衛隊の「魚が向かい合って桜が中央に」というような
凝ったデザインはどちらかというと少数派となります。
こういうシンプルなデザインの軍もありますが、一般的に
海軍の歴史が浅いところにこういうものが多い気がします。
グロトンで見たリビア海軍の潜水艦隊のマークもこれと全く同じものでした。
さて、ここからは潜水艦模型コーナー。
「おやしお」はSS-511。
「くろしお」に次ぐ二番目の自衛隊が保有した潜水艦であり、
同時にこれが戦後初の国産潜水艦となります。
終戦後、GHQに軍艦を作ることを封じられていた時代がようやく終わり、
かつての潜水艦製造関係者はまさしくヒャッハー状態で(たぶん)
呂号潜水艦31、並びに伊号201をたたき台にして
国産第一号となる潜水艦「おやしお」を造ったと言われます。
「おやしお」は川崎重工神戸工場で1957年12月25日に起工し、
1959年5月25日進水、1960年6月30日に竣工した後、呉地方隊に編入されました。
模型ではわかりませんが、上甲板はチークで色は灰色というかつての伝統が残されました。
こちら、「あさしお」。
こうして見ると全くマッコウクジラみたいですね。
「あさしお」型潜水艦の第一号艦で、1968年就役しました。
国産第一号「おやしお」に続き、自衛隊には「はやしお」「なつしお」
という小型の艦が建造され配備されましたが、小型ゆえ
荒天でのシュノーケル航送等に問題があって日本近海では使いにくく、
大型の潜水艦が求められました。
そこで建造されたのが1600トンの「おおしお」で、
これとほぼ同型艦として建造されたのが「あさしお」型でした。
「あさしお」「はるしお」「みちしお」「あらしお」
の4隻の同型艦は、いずれも「日本のグロトン」(潜水艦建造部門)
(わたしが勝手にそういってるだけだけど)神戸川崎、神戸三菱で生まれています。
こちらはPTC(Personnel Transfer Capsule)、人員輸送カプセル。
潜水艦救難艇を見学した方は見たことがあるでしょう。
PTCの使い方例。
潜水艦の近くに沈めて黄色いカプセル部分に収納し、
カプセルごと引き揚げるのだと思われます。
潜水艦の事故の時に人員を救出するための深海救難艇、 DSRV。
Deep Submergence Rescue Vehicle
の略語で、ハッチを開けて脱出できるような浅いところでなく、
水圧の高い深海でことが起こった時に出動する救難艇です。
DSRVは船体下部の開口部(センター・ウェル)から直接海中に投入されます。
海中で遭難艦を捜索し、発見すると艇体下部のスカートと遭難艦の専用ハッチを接合し、
スカート内部を減圧・排水した後に深海救難艇と遭難艦のハッチを開いて通路を形成し、
遭難艦の人員を深海救難艇に移乗させます。
一度に全員を収容できない場合は、深海救難艇が支援艦と遭難艦の間を往復します。
「ギアリング」級の「ジョセフ・P・ケネディ」など、FRAM改装された
駆逐艦に搭載されていた無人対潜ヘリDASH。
ここでも随分話題が盛り上がったものです。
潜水艦作戦の変遷として
第1期 水上部隊のソーナーをかいくぐり魚雷発射点につけることを競った
第2期 キューバ危機の影響で潜水艦対潜水艦の思想が生まれ、静謐性を向上させた
第3期 目標が多様化したので、とりあえず一生懸命あちこちを哨戒している
というようなことが(ちょっといいかげん?)書かれています。
さて、それでは「あきしお」の内部の見学に移りたいと思います。
続く。