先日呉で「いせ」の佐世保への転籍を見送った時、隣に「かしま」ら
練習艦隊の船が隣の岸壁に入港していました。
江田島で大講堂での卒業式を終え、新幹部が乗り込んでいった「かしま」、
全く別の場所で予想もせずに出会うと、友達に街で思いがけず遭遇したような
嬉しい気持ちになるものです。
江田島を出航してから国内を、それこそ
「北は吹雪の北海道から南は真夏の沖縄まで」
くまなく航海してきた練習艦隊は、いよいよ5月に入って約半年の遠洋練習航海に向け、
晴海と横須賀で記念行事を行ってきました。
江田島での出航を見送ったこと、艦隊司令とは何かとご縁があることもあって、
艦上レセプションの出席が決まった時には大変嬉しく思ったものです。
雨の合間の爽やかな五月の週末。
「かしま」「はるさめ」が繋留されている横須賀地方総監部に到着です。
海将所在を意味する三つ桜の海将旗が上がっていました。
岸壁には来場者の車が誘導されて列を作っています。
今回は数日前に参加が決まったのですが、車で行けるとは思っていなかったので、
メルキュールホテルに車を停めてタクシーで来ました。
艦上レセプションのとき、「かしま」後甲板は紅白の幕と天井のテントで
全天候型パーティ会場になります。
練習艦隊旗艦として、頻繁にパーティが行われるので、これが「標準仕様」。
こちらのラッタルは二つあるうちの一つで、招待客は前方の、
舷門に続くVIP仕様のラッタル(階段が木製)から乗艦します。
わたしは受付前で雷蔵さん(仮名)とばったり出会い、一緒に入場しました。
本日は自衛隊イベントの師匠であるNさんも参加とのこと。
広くはない甲板に多くの来客が詰め掛けたため、立錐の余地もありません。
料理は、さすが「外交艦」でもある練習艦隊旗艦の貫禄で、舟盛りどーん!
刺身が乗り切れなくて一人分ずつお皿に分けてあったりします。
舟盛りの船には「練習艦隊」ののぼり?が立っていてウケを狙ってます。
「新鮮なお刺身=実習幹部」というのは考えすぎ?
この豪華さをみよ。
甘エビ、ウニはもちろん、なんとサザエのお造りまであります。
ちまき、草餅、最中、ぎゅうひに干し柿、三色団子。
もしかしたら旧海軍の練習艦隊のレセプション料理に倣ったのでは?
と思われるほどの古風というか純和風なスィーツの一角。
海外でのレセプションでも、日本文化の紹介として供されるのでしょうか。
お寿司はやっぱり人気です。(おそらく海外でも)
艦上レセプションでBGMを演奏していた音楽隊の皆さん。
いつも不思議だったのですが、この日は実際にお話を伺って、
練習艦隊に乗組む音楽隊員は全国の音楽隊からの有志で結成されており、
自分で希望を出すのだということが判明しました。
半年留守にするので一つの音楽隊から人は出せないんですね。
儀礼の時、行進の時と本来の演奏以外にも、レセプションの際に
軽快なジャズを聴かせるのも音楽隊の大事な任務です。
会場入り口では、練習艦隊司令官眞鍋海将補夫妻が来場者をお迎えくださいました。
眞鍋将補とは別件でご挨拶しておりますし、江田島での練習艦隊出航の時、
発光信号で詠まれた和歌を解読してくださった雷蔵さん(仮名)とは
「(体型が同じなので)制服を貸し借りしあった仲」
というわけで間接的ながらわたしとも偶然というか、不思議なご縁があります。
写真は、眞鍋将補、雷蔵さん(仮名)が若かりし日に彼らを鍛えた
元「鬼の海曹長」とのツーショット。
一角が騒然?となっているのでふと見たら、小泉進次郎議員が!
気のせいか、群がっているのはほとんどが女子でした。
横須賀は小泉議員の選挙区なので、晴海ではなくこちらに招待したようです。
宴たけなわで、知り合いとも逸れるとしばらく会えない有様。
ちなみに蝶ネクタイでお盆を持っているウェイターは自衛官です。
蝶ネクに白いジャケットも官品でしょうか。
屋台のビーフカレーをいただいてみました。
ご飯の量も注文を聞いてもらえます。
2年前に食べたのとは少し違いましたが、美味でした。
給養のメンバーも毎年のように変わるのかもしれません。
さて、ここは後甲板なので、当然ながら後部に自衛艦旗が掲揚されています。
日の出の時間に揚げ、日中碇泊時に降納するわけですが、本日の降下時間は0630でした。
実習幹部とお話ししていると、Nさんに「自衛艦旗が降ろされますよ」と教えられ、
”旗降ろし小隊”の後を付いていきました。
自衛官が多いせいか、アナウンスがあっても客の目立った移動はありません。
むしろ、2年前の政治家や偉い人の多い晴海でのレセプション時の方が、
降下を見ようと竿の周りに押しかける人が多かったと記憶します。
当直の海曹、海士が旗竿の下で構えたまま静止。
後ろで実習幹部がよそのお客さんに説明をしていたので、
便乗して色々と聞いてしまいました。
左舷側に立っているのは先任伍長で、この反対側、右舷側にも先任伍長がいました。
ご存知のように先任伍長とは海曹長のトップで、自衛艦の舷門には、
艦長、副長、そして先任伍長の3人の写真があります。
各艦に一人ですが、例えば護衛艦隊や地方隊にも先任伍長がいます。
先任伍長というのは海軍から伝わる名称で、陸空にはありません。
ところで、先日「亡国のイージス」の真田みたいな先任伍長は自衛隊におらん!
と中でも言われていた、という話をしましたが、いやいや。
最近では自衛隊にもこちらの方みたいな先任伍長が出現しているんですね。
掲揚の時間となり、当直士官のさらに後ろに控えていた喇叭係が
喇叭譜「君が代」を吹鳴します。
「降下のときには喇叭で『君が代』が演奏されますが、
本当の『君が代』とは似ても似つかないので驚かれると思います」
後ろの実習幹部が来客に説明していました。
実習幹部も参加するんですか、と聞くと、交代に役を務めるそうです。
「といっても掛け声かけるくらいですけど」
この日はあまりたくさんの実習幹部とお話できたわけではありません。
飲み物を持って来ましょうと声をかけてくれた実習幹部、そして、
遠洋航海にも参加するタイ王国の留学生、父上が招待客で家族参加の幹部。
タイの留学生は、日常会話には支障がないようでしたが、少し難しい言い回しをすると
「?」みたいな顔になっていました。
卒業式の時に見かけた時、大抵タイからの留学生は王族だったりする、と聞いたのですが、
高貴な生まれゆえ一候補生としての扱いに耐えられず、帰ってしまう人もいるそうです。
英国王室はノブリスオブリージュの精神から、皇室の男子は入隊することが決まっていて、
多少は危険な任務(ウィリアム王子のヘリパイとか)もさせてしまいます。
ただ、いかに一軍人として、といっても自衛隊みたいに掃除はさせないだろうしなあ・・。
今回のタイ留学生は、自衛隊での一候補生扱いにあえて甘んじるのみならず、
遠洋航海にも同行するくらいですから、おそらくよほどしっかりした人物なのでしょう。
幹部も当直士官で、腕章をつけています。
まっすぐ伸びた肘と手首、やっぱり本職の敬礼は美しいものですね。
幹部の後ろ姿をスマホに動画で撮る人もあり。
焼き鳥を焼いている人たちも、自衛官であることを思い出させるこの瞬間。
焼き鳥は後で一皿いただいてみました。美味しかったです。
降下し終わった自衛艦旗は、曹士二人で両側から畳み、一連の儀式終了。
この後は一列になって艦の中央を引き上げていきました。
ところで、乗艦した後は、クロークとなっている艦内を右舷から左舷に抜けていくのですが、
そのクロークの出口で、見覚えのある方と再会しました。
昨年の秋、米軍横田基地の見学をし、ここでもお話しさせていただきましたが、
その見学をアレンジしてくださった上、米軍の装備についてそれはそれは詳しく
解説をしてくださった防衛事務官のWさんです。
当ブログ主的にはこの方からのお話をかなり参考にさせていただいた上、
また普通ではそうそうできないディープな見学によって見聞が広待ったものです。
あれから今日までの間に、Wさんは防衛局の横須賀担当の一番偉い人、
みたいな立場でここ横須賀勤務になっておられました。
Wさんに紹介していただいた関東広域の防衛局長と、補佐官の一佐。
関東地方の防衛の一端を担う四人の図です。(一人おまけ)
「制服組と背広組がー、などと断絶があるようなことをよくマスコミが言いますが、
実際にはそんなことはなく、こうやって調整しながら仕事をしています」(防衛局長談)
2年前に制服組と背広組が対等の立場で防衛相の補佐を行う、
とした改正防衛省設置法が可決成立したわけですが、
これに対して民主党(当時)ら野党は、今のテロ等準備罪と同じく、
「シビリアンコントロールが弱体化して軍国化がフンダララ!」
などと反発し反対していましたね(遠い目)
この改正によって彼らがいうような軍国化が進んだんでしょうか。
(そもそも軍国化=悪というのが論理的に説明されていたためしもありませんが)
この改正の主眼というのは災害時の派遣に現場の意思決定で部隊を動かすことができる、
というものだったわけです。
テロ等準備罪も、これで物言えぬ社会にフンダララ!などといっておりますが、
「テロを計画しても計画段階では犯罪者ではない」
という屁理屈にはもう呆れかえってこちらこそ物が言えませんわ。
おっと、話がそれました。
雷蔵さん(仮名)やNさんに知人を紹介したりされたりしているうちに、
それこそあっという間にお開きの時間となり、皆は艦隊司令夫妻の前に
また列を作り、一人ずつ挨拶して退艦しました。
この日は在日米軍関係の招待者も多かったということで、海将補は席上、
一言喋るたびにそれを英語に訳す、一人通訳状態で挨拶をされました。
練習艦隊というのは昔から「軍服を着た外交官」とされていたというくらいで、
その司令官にはいつもよほどの方が選ばれるのだろうなと思っていましたが、
雷蔵さん(仮名)によると、眞鍋将補はその「よっぽど」の方だそうです。
震災の時に家にも帰らず事態に当たった自衛官は多かったそうですが、
眞鍋将補もその一人でしたし、わたしはというと、いただいた手紙の
水茎滴るような筆遣いからその片鱗を察しておりました。
わたしの前にいた雷蔵さん(仮名)に司令は手を出して握手を求め、
「おお、さすが同期の桜?には対応が違う!」
と見ていると、二人の握手の間から練習艦隊のメダルがこぼれ落ちました。
他の人にわからないように握手にメダルを隠して渡す、という海軍の慣習を
雷蔵さん(仮名)の思わぬミスによって目の当たりにしたのでした。
「ダメじゃないですかー、落としちゃ」
「いやー、まさかあんなことするとは思ってなくて・・」
参考までにメダルを見せてもらいますと、練習艦隊の文字が刻まれたメダルは
桜の形に切り込まれたものでした。
舷門に向かう途中には「かしま」乗員のお見送りが立っています。
可愛らしい女性隊員の敬礼。
わたしがこの後舷門からラッタルに差し掛かると、途端に
サイドパイプがホーヒーホーと鳴り響きました。
わたしの前、そしてわたしの後ろにホーヒーホー吹鳴該当者がいたことに
階段を下りながら気づきました。
おかげで、生まれて初めてサイドパイプ付きの退艦を体験したばかりか、
ラッタル下には堵列ができていて、シャキーン!と敬礼する海士の間を
偉い人気分を満喫しながら退場することになったのです。
偉い人はその後、黒塗りの車で去っていきます。
設定を変えずに撮ろうとするのでうまくいかない〜と呟いたら、
Nさんがわたしのカメラの設定をちょいちょいと変えて撮ってくれました。
同じカメラなのに撮る人が変わればこの通りですわ。
続く。