さて、艦内に入る前、入ってからもくどくどと冷戦時代に起こった
このソ連海軍の「フォックストロット」型潜水艦B-59が遭遇した
核戦争危機の話をさせていただいたのですが、関係資料を読むほどに、
そのとき世界は戦争に限りなく近づいていたことを知り、今更ながらに
胸を撫で下ろしているわたしです。
1962年10月の13日間、米ソの間に戦争が起こらずに済んだのは
直接的な理由だけでいうと、ソ連が、というかB-59が
「最初の一発」を撃たなかったからです。
翻って、今の日本が直面している状況はなんなんだろう、と
ふと我に返って考えてしまうのですが、ここでその話題に突っ込むと
さらに潜水艦から離れていってしまうので今日は我慢して。
前部魚雷発射室から次の区画に行くには、この丸いハッチを潜ります。
潜水艦の場合、水密性のために区画ごとに密閉できるようになっているので、
ほとんどの潜水艦の区画ハッチは小さいのですが、小さくてもとりあえず
脚を上げて頭を下げれば通れるレベルのがほとんどです。
こんな土管サイズのハッチは初めて見ました。
外にこの円の大きさを穿ったパネルを設置し、
「ここをくぐれない方は入場を諦めてください」
と告知するだけのことはあるなあとまずここで感心させられます。
物理的に穴が体が通っても、この高さでは、足腰のおぼつかない方、
ハンディキャップのある方は、それだけで見学は不可能です。
ハッチの右上に
「サウンド・アンド・ライトショウのあるメインコントロールルームへ」
と書いてあります。
音と光のショー・・・何があるんだろう。
とりあえず最初に出てきたのは洗面所でした。
アメリカの潜水艦も同じですが、前部魚雷発射室に続いているのは
士官の居住区となります。
シンクの下には暑いお湯の出るタンクが備えられており、
司令官クラスしか使用を許されていませんでした。
それにしては・・・と言う気もしますが、潜水艦ですからこんなものです。
不思議なコンソールですが、通信機器であろうと思われます。
ちなみに例の13日間の時、B–59の通信は遮断されており、
モスクワと連絡を取ることができなかったので、アメリカ本土の
ラジオ放送を傍受して情報を得ていたそうです。
アメリカ艦隊に見つかり、威嚇のための爆雷を落とされたのを
戦争が始まったから、と勘違いして核ミサイルが発射されそうになりました。
ソ連海軍ももう少し通信関係をなんとかしておくべきだったのでは・・。
ここはレイディオ・ルームでよろしいんでしょうか。
潜水艦映画だと、エンジン音でもなんでも聞いたらわかってしまう、
ものすごく耳のいいソーナー係がこんなところに座りヘッドフォンをつけて
汗水タラタラ流しながら
「敵は今我々の上で停止しました!」(小声)
とか言ったりするわけです。(たぶん)
おそらく艦長しかもらえない一人部屋。
壁には書記長レオニード・ブレジネフの写真が飾ってありますね。
このBー39、起工が1967年の2月9日、就役がその2ヶ月後の4月15日。
冷戦只中と言うことでめっぽう急いで建造したようですが、
つまりキューバ危機の時に書記長だったフルシチョフのあと、
ブレジネフ時代に計画され、任務に就いていたのです。
ですからこの潜水艦そのものはキューバ危機とは全く関係ないのですが、
同じフォックストロット型と言うことで、ここでの展示も
その紹介に大変力を入れているわけです。
ところで豊田真由子的余談ですが、ソ連で書記長を名乗ったマレンコフから
最後のゴルビーまで、歴代書記長の頭髪の状態をご存知でしょうか。
余計なお世話すぎますが、一覧表にしてみました。
マレンコフ あり
フルシチョフ なし
ブレジネフ あり
アンドロポフ なし
チェルネンコ あり
ゴルバチョフ なし
と、見事に交互になってるんですよ!
ちなみにゴルバチョフの後成立したロシア連邦大統領も
エリツィン あり
プーチン なし
メドベージェフ あり
プーチン なし
と続いているので、現在もその神話は継続中です。
(最初のプーチンを『あり』現在を『なし』とすることについては
異論もあると思いますが、まあ割とそうですよね?)
以上、それがどうした話でした。
ベッドの上には士官の軍服が置いてあります。
共産国の軍隊はどうも帽子が大きすぎてそれはちょっと、と思うけど、
とにかく海軍はどこの国のものでも皆かっこいいや。
ソ連海軍は水兵さんの夏服が特におしゃれでよろしい。
ここは釣り床のある二人部屋なので、上級士官の部屋でしょう。
フォックストロット型潜水艦には士官12名、下士官10名、
水兵が56名、計78名が基本として乗り込んでいました。
士官の居室は個室とベッドが二つの部屋(×2)、そして四つの部屋(×2)
があったのではないかと推察されます。
政治将校や副長、司令官クラスの士官は二人部屋だったのでしょう。
士官がどこに寝るかは階級によって厳密に決められており、もちろん
兵のように「ホットバンク」(交代で一つのベッドを使う)はあり得ません。
どこかで撮ったらしい潜水艦乗組員全員での記念写真です。
B–39の構成が艦内の展示で説明されていたので書いておきますと、
まず上の三役が
艦長 captain 2nd rank (中佐)
第一士官 3rd(少佐)
政治将校 3rd (少佐)
で、その他の上級士官は
ナヴィゲーター captain Lieutenant(中尉)以下同じ
砲術士官
電気関係(通信)士官
メカニカルエンジニア
補給士官
軍医
となります。
軍医も中尉というのが意外な感じです。
政治将校とは共産党から派遣されてきた海軍に属さない軍人です。
ザンポリット(Zampolit )ともいい、主に一党独裁国家において、
政府あるいは党が、軍隊を統制する為に各部隊に派遣した将校です。
政府に従わない軍司令官を罷免する権限を有していることもあり、
通常軍とはまったく異なる指揮系統に属していて、プロパガンダ、
防諜、反党思想の取り締まりを担う軍隊内の政治指導を行います。
最初にこの存在を知った時そうではないかと思ったのですが、やはり
「広義のシビリアンコントロール」
という意味合いをもつ役職だということです。
B–39における少尉クラスと士官候補生、特務士官などの配置は
● ナヴィゲーション
● 魚雷・武器
● ソナー、通信、レーダー
● メカニカル(モーター、浮上装置、メンテナンスも含む)
などで、このうちメカニックがもっとも大きな部署でした。
気になるお給料ですが、下は新兵さんの月20ドルくらいから、
艦長クラスの月250ドルまで色々でした。
どこの海軍でもそうだと思われますが、特殊な環境である潜水艦勤務には
特に厳選され、厳しいトレーニングを受けた者しか勤まりません。
潜水艦は過酷なので若年の間しか勤務できず定年は40歳ですが、
元サブマリナーであればその後海軍の中でもいいポストに就くことができ、
給与も同じ海軍の同ランクの1.5倍もらえたということです。
しかしながら、退職金はそうよくはなかったという話もあります。
映画「Kー19」で、艦長だったハリソン・フォードが、元乗員と一緒に
事故の犠牲者の墓参りに行くため家で身支度をして出かけるシーンがありましたが、
彼の住んでいるらしいアパートがあまりにもみすぼらしいので
見ていてちょっと驚いたことを思い出しました。
ところで潜水艦の外側に「閉所恐怖症を感じることもあります」と
注意書きがありましたが、基本そういう傾向の人は潜水艦など
乗らないのではないかと我々は思うものです。
しかし、恐怖症というものはそんな単純なものではないし、
短時間や訓練で平気でも、実際の長期航海で深層の恐怖症が
芽生えてくるということもあるのでしょう。
ソビエト時代の海軍で艦長を務めたある人物の話によると、
潜水艦の勤務をする者には閉所恐怖症について二つのチョイスがあるそうです。
"Get over it or shut up."
(克服するかさもなければ遮断する)
これはつまり海軍格付け評価と海軍士官として期待される振る舞いを
考慮すると、このどちらかの選択しかないということなんでしょう。
ここにあった説明によると、ここ士官用ワードルームでは、座る位置が
階級によって厳密に決まっていたということです。
もともとその階級ヒエラルキーも大変厳しかったということですが、
その序列を乱すことはほぼ反社会的行為と同等と見なされました。
テーブルに座る順番は階級と「危急を要する」配置が考慮されます。
その序列を入り口に近い順番にあげておきます。
1、メカニカルエンジニア
2、見張り士官(ナビ、魚雷、電気など見張りに立つ士官)
3、砲術士官
4、ナヴィゲーター(必ずエレクトロニクスオフィサーの隣)
5、エレクトロニクスオフィサー
6、補給士官
7、第一士官
8、政治将校
艦長はテーブルの奥
第一士官というのはロシア海軍独特の階級付なのだと思いますが、よくわかりません。
軍医は序列に含まれないようですが、どこに座っていたのか気になります。
どこの潜水艦でもそうですが、このワードルームは緊急時に手術室となり
食卓テーブルで手術が行われることになっていました。
病人が出た時も基本ここに寝かしたそうです(その時食事はどこで・・・)
B-39に乗っていた軍医は、一人で全ての症状を診なくてはなりませんから、
内科、外科はもちろん、想像しうる体の不調にはとりあえずなんでも
対応できるような訓練を受けていました。
なんと、歯科の勉強もしており、虫歯に詰め物をするくらいなら
潜水艦の中でやってしまっていたそうです。
ただし、あまりややこしい症状はお手上げなので、その時は
母港に帰還するまで患者は待たされることになりました。
軍医は時折ブリッジや潜望鏡に呼ばれることもありました。
それは大抵、外国語に長けたインテリの軍医に、外国の船に書かれた
船名を読ませるためでした。
おそらく旧ソ連の街を行進するサブマリナーたち。
右の潜水艦はもちろんフォックストロット型です。
何が書いてあるか全くわからないので想像するしかないのですが、
どうも実際にBー39に乗っていた乗員の顔写真を、適当にコラージュして
貼り付けたようでね。
右下にはドレスから脚を出している女性がいるし、
なんかお猿さんがいると思ったら
その右に
「♪えいこーらーえいこーらーもーひーとーつーえいこーらー」
「♪あいだだあいだ あいだだあいだ」
でおなじみの(おなじみかな)ヴォルガの舟歌みたいに、
みんなで船引いてるシーンがあるし・・。
参考画像
ロシア人ってあまりユーモアとかなさそうに見えるけど、
海軍軍人さんともなるとやっぱりこういう自虐ギャクをやってしまうのね・・。
続く。