今滞在しているところはサンフランシスコから1時間弱南に下った、
ロス・アルトス市というところです。
ここはサンフランシスコとは違って夏らしい陽射しが降り注ぎ、
しかし日蔭は涼しく夜になると品やると冷たい空気が心地よい、とても過ごしやすい気候です。
しかし、かつてサンフランシスコに住んで「I left my Heart、(心を置いてきた)」わたしとしては、
快適なロス・アルトスにあっても何度となくサンフランシスコに足を向けてしまいます。
というわけで今日はわたしの「サンフランシスコの休日」をお送りします。
まず、息子をスタンフォードのキャンプに送りとどけてから、車で北に向かいました。
30分くらい走りフリーウェイ(カリフォルニアはブリッジ以外基本無料、つまりフリー)から降りると、
以前住んでいたところが現れます。
アメリカには「タウンハウス」といって、町の一角全部が同じ住宅会社の経営による賃貸住宅があり、
短期赴任の外国人などもこういうところを利用します。
ここは昔ゴルフ場だった一帯で、戦後すぐできた古いタウンハウスです。
ここは隣にサンフランシスコ州立大学があるので、学校関係者も多いようです。
PARKMARCEDとかかれた建物は、リーシングオフィスにあるジム。
登録すれば住人に限り使うことができます。
住んでいる間、毎朝必ずここで運動するのが日課でした。
そして画面手前がMUNIというサンフランシスコのコミューター。
当時TOはダウンタウンで仕事をしていたのですが、毎日これで通勤しました。
MUNIのステーションを撮ったら、なんだか絵になるホームレスが・・・。
若くて元気そうなのに、なぜ仕事がないんだろう。
クルマの中から走りながらシャッターを切ったのですが、気づいたらしくカメラ目線です。
スタンフォードは晴れていたのに、このあたりに来るとこの通り。
霧の多いサンフランシスコの中でも特に朝は深い霧に閉ざされる地域です。
(住居を決めたときは夕方で晴れていて知らなかったので(-"-)
これもサンフランシスコならでは、「ハーモニカ長屋風住宅」。
ボストンから移り住んだとき、このくっつきあって建っている家が実にみすぼらしく見え、
心底がっかりしたものです。
今いるロスアルトスは、こういう家はまずなく、一軒一軒がボストンほどではないにせよ
独立した庭を持っている「アメリカの家らしい家」なのですが、
今日知り合いに聞いたところによると、このシリコンバレー地域は
住宅が高いといわれるサンフランシスコよりずっと家も土地も高価なのだとか。
ちなみにこのような「ハーモニカ住宅」、中に入れば奥にうなぎの寝床のように長く、
地下室があり裏庭もあって、日本の建売住宅なんかよりずっと広い面積があります。
今日はマリーナ方面で降りて歩こうと思ったのですが、
去年からの工事がまだ終わっておらず、開通していません。
ゴールデンゲートブリッジの方からクリッシーフィールドに行くことにしました。
プレシドというヒストリカル・エリア。
ウォルト・ディズニー記念博物館があったりします。
昔はここで日系人のインテリジェンス部隊が訓練を受けていたそうです。
どこかにその痕跡もあると聞いたのですが、まだ調べがついていません。
いつもここに来たらするように、ゴールデンゲートブリッジの下に車を停めました。
もちろんタダです。
サンフランシスコは駐車料金が高いので有名ですが、こういうところや公園などは
ほかのアメリカの地域と同じく料金を取ることはありません。
ここに咲いていたツツジの種類・・・・・・
だと思いますが、見たことのない植物です。
ちょうど観光バスが停まってここでトイレ休憩をしていました。
この女性はタンクトップですが、アメリカ人は寒いのが平気な人が多いので
コートを着込んでいる人とこんな格好の人が並んでいたりします。
わたしはこの日は長袖のパーカを着用していました。
クルマを置いて歩き出し、振り返ったところ。
今日は特に霧が濃く、ブリッジが見えません。
行きかう船の汽笛がしょっちゅう響いていました。
この辺の主、カモメ。
このカモメの写真を撮っていたら・・
ポーズを取ってくれました。
かわいい///
以前にも一度エントリに挙げたことがありますが、これは日本海軍の本土攻撃があった後
作られた防空壕。
防空壕だけど立ったまま入れる、というのがアメリカっぽい。
こんなの、直撃すればひとたまりもないと思いますが・・。
このクリッシーフィールドは昔、飛行機黎明期に滑走路というか、
飛行機を飛ばすためのフィールドがありました。
ハンガーもこのようなものがあり、当時の看板だけが記念に残されているようです。
この看板には「メンテナンス」と書かれています。
かつて飛行機が走っていたフィールドは今ただの芝生に覆われ、
いつもは何もないところですが、今はこのような作品の展示を行っていました。
テリムクドリモドキの雌ではないかとここ数年疑っているのだけど、
いまだに種類がはっきりしない鳥。
カメラ目線。
そのテリムクドリモドキ。
いつも一緒にいるのですが、雌と雄にしては人相が違いすぎるんですよね。
漁を終えて帰ってきた釣り船か漁船。
頭に寝癖がついていますが、おそらくダイサギだと思います。
これはもしかして・・・・・・すずめ?
灰色の頭のすずめとは別の種類ですね。
この地帯ではよく子供のキャンプが行われるので、
それに子供を連れて行くお母さんかもしれません。
子供は張り切ってはしゃぎまくりでしたが、お母さんの表情が暗い(-"-)
丸いドームの建物は原子爆弾を発明したあのオッペンハイマーの基金で作られた「エクスプロラトリウム」。
世界的に有名なサイエンスミュージアムです。
三年前前までは、ITキャンプ以外にここのサマーキャンプにも息子を行かせていました。
エクスプロラトリウム近景。
映画「ザ・ロック」で、追手から逃げたショーンコネリーが娘(だったかな)と会っていた場所です。
このあたりには大量にいる「犬の散歩業者」。
犬を飼ったら自分で散歩させろよ、と思うわけですが、
こういう業者が多量に成り立っているということは、休日にしか自分で散歩させられない
「エグゼクティブ」がいかに多いか、ということでもあります。
犬は友達と一緒で楽しそうですけどね。
このボクサーは日本ではお目にかかれない巨大サイズでした。
ワイルド・グースは群れを作って飛びますが、
必ず飛びながら「アー、アー」と鳴き交わしています。
これを見ると、
Wild geese that fly with the moon on their wings
These are a few of my favorite things
という「マイ・フェイバリット・シングス」の歌詞をいつも思い出します。
写真を撮りながら歩いていると、向こうから来たポインターがなぜか向きを変えて
ずんずんとこちらにキター!(AA省略)
と思ったらそばにたたずんで一瞬匂いを嗅いだ後行ってしまいました。
なんだったんだ、君・・・・。
カリフォルニアの若者は、なぜか皆上半身裸でジョギングします。
スタンフォードの中もこういうスタイルの男性が多数走り回っています。
わたしなどいろんな意味でシャツぐらい着た方がいいのに、と思うのですが、
どうもこれは「ファッション」であるらしいことが最近分かってきました。
おなかの出た人や歳を取った人でこういう格好をしているランナーは皆無ですから、
要するに「俺のイケてるカラダを見てくれ!」みたいなアピールなのかと。
ついでに気のせいか、顔もイケている男性が多いような気がします。
ナルシストが多いとか?
さて、ここからは新しくできているバイパスのトンネルの上に、このような墓地が見えます。
これが、国立墓地。
つまりアメリカの戦死した軍人の墓所です。
帰りにその門のところを通ったので写真を撮りました。
サンフランシスコを出て南に向かう高速沿いにももう一つ国立墓地があり、
そこを通るたびに国旗を見てしまうのですが、かなりの割合で半旗になっており、
それは今日戦死した軍人のお葬式が行われるという印なのです。
イラクの時にはいつみても、という感じでしたが、撤退した今でも、
たとえば今日(8月17日)も半旗になっていましたから、いまだにアメリカ軍人が
何らかの形で戦死をしているということなのです。
しかも彼らの戦死はニュースになることもありません。
広大な芝地に、それこそ隙間もないほど立ち並んだ墓石の一つ一つの下に
かつて「ジョン」とか「スティーブ」という名だったアメリカ青年が眠っていると思うと、
いつも何とも言えない気持ちになります。
クリッシーフィールドを1時間ほど歩いて、ブリッジの見納めをしました。
歩いていたら後ろから来たおじいさんが「おはよう」というので返事をしたら、
「旅行中?」と話しかけてきて、しばらくの間この人と一緒に会話しながら歩きました。
なんでも仙台で仕事をしていたことがあり、東京と神戸にも行ったことがあるとかで、
こちらに全く質問させずに自分のことだけをしゃべりまくるおじいさんでした。
いるよね。自分のことをしゃべりたいだけの人。
まあ、わたしも楽しかったからいいんですけど。
別れるときおじさんは「See you!」と言って去っていきましたが、
二度と会えないことが分かっていてもこう言うのが、アメリカ人でもあります。
さて、一時間歩いたらお昼になりました。
朝ごはんも食べなかったのでおなかがペコペコです。
このプレシドにはわたしの好きな郵便局があって、(客層がいいのでおおむね局員も感じがいい)
いつもそこで日本への小包を出すのですが、帰国に備えて荷物を送る時期にはいったため
この日も大きな箱を持ってきてここで送りました。
そして隣のカフェでお昼ご飯を取ることにしました。
前に来たときは、白いテーブルクロスのかかった、ウェイターのいるカフェだったのに、
カウンターで注文する「普通のカフェ」に変わっていました。
サラダもあまりおいしくなかったし、店員の態度もあまり良くなくかなりがっかりです。
インターネットがタダなのは、アメリカでは当たり前とはいえ、うれしかったですが。
このあたりの建築物はどれも非常に古いものが多いのですが、
こうやって保護してリノベーションして、また普通に使用されます。
昼食の後は、ダウンタウンに向かいました。
昔車のキャディラックのために造られたビル。
おそらく1930年ごろの建築だと思われます。
キャディラックの紋章に身をもたせ掛けるローマの戦士のような男性二人、
各々が、タイヤと、クルマのパーツのようなものを支え持っています。
ここは、今はAMCというシネマ・コンプレックスビルになっているのですが、
アメリカでは古いビルを決して壊さないので、昔の名残もこのように残っているのです。
わたしはここで何回も映画を見ているのですが、今日たまたま前を通りかかって写真を撮り、
こうやって引き伸ばしてみて初めて、これがキャディラックのための装飾だったことを知りました。
キャディラックという車そのものが、今やアメリカでもめったに見られることがありませんが・・・・。
ダウンタウンに向かう途中、夜になると非常に「怖い」地域があります。
昔車で夜通りかかったところ、道端で注射器を持っている人を見たことがあるくらいですが、
昼間通過する分には何の心配もありません。
この怪しい看板の店は、何をするところか全くわかりませんが、
「ワイルドガール」がいるそうです。
そして、目的地、ユニオンスクエアに到着。
この公園の下は、地下3階くらいまでの巨大な駐車場になっています。
このあたりは路上に駐車するのはとても難しいので、
このあたりに用事のある人は皆最初からここに車を入れてしまいます。
わたしの用事というのは、このスクエアの隣にある「DSW」、
デザイナーズ・シューズ・ホールセールで、安くて楽な靴を買うこと。
アメリカから帰ったらすぐに秋田で花火大会に行く予定なのですが、
去年いい加減なサンダルを履いて行って足がズタズタになってしまったため、
「何時間歩いてもいいような靴を探すこと」
とTOから厳命されているのです。
でも、なかなかないんですよね。
「何時間歩いても平気なサンダル」なんて。
あきらめて、非常にぞんざいに置かれているグッチのバッグの写真だけ撮って帰ってきました。
しかし、いかにブランド物といえどもこんなディスプレイでは売れるものも売れない気が・・・。
全くありがたみのない売り方ですよね。
今日は金曜日、夕方には週末のお出かけをしようとするアメリカ人が
仕事もそこそこに帰路に就くので、非常に車が渋滞します。
靴はあきらめてさっさと帰ることにしました。
今日は息子のキャンプも最後で「参観」があります。
パーキングに戻るために信号待ちをしていたらケーブルカーが来ました。
サンフランシスコの中心となる通り、マーケットストリート。
この右側のビルで昔TOは仕事をしていました。
二年前くらいにできた日本のスウィーツ専門店。
いつも行ってみたいと思いながら、通り過ぎるだけです。
スタンフォードに到着。
ここに大量のPCを並べてITキャンプは行われます。
一週間の成果をわが子に説明してもらう父兄の群れ。
驚くことに、お母さんより父親が来る家庭の方が多いのですね。
このあたり、日本のお父さんとは(おそらく仕事の形態も)違うなあと思います。
よくわかりませんでしたが、息子がプログラミングしたゲーム。
だそうです。
「いつも家でやってるのとほとんど同じじゃない」
「だから俺、作るのもものすごくうまくいって、皆に褒められたんだよ」
はい。
スタンフォードのオフィス。
ホールにピアノが置いてあります。
写真は昔のスタンフォードの学長、トレシダー教授。
この日はこのあたりには珍しく少し蒸し暑かったので、
このビルの1階にある「ジャンバ・ジュース」を飲んで帰ることにしました。
行ってみると長蛇の列。
なのに、働いているのはこの人一人だけ。
何人かのレジを打って注文を受けて、自分で黙々と作っています。
いつもレジとジュース作り二人の三人体制なのに、何があったのでしょうか。
しかも、キャンプを終えた学生が涼を求めて並ぶ列は伸びる一方。
20分くらい並んでようやく順番がきました。
しかしみな。空港のハーツレンタカーの列に並ぶ人と違って、
文句ひとつ言わずこうやって順番を待っています。
ああいうところの大人と違って皆すれてないからだわね、きっと。
木陰で冷たいジュースを口に含むと急に風がさわやかに感じられ、
今まで暑かったのが嘘のようでした。
カリフォルニアにいると、「夏を楽しむ(エンジョイ・サマー)」という言葉を
こういうときに実感します。
日本の夏は「楽しむ」というより「耐える」という言葉の方が相応しいですから・・・。
こんな快適な環境にいると、日本に帰るのが嫌になってくるのが困りものです。