Douglas NTA-4J Skyhawk
日本には販売されなかったので、国内で見ることはできませんが、
このスカイホーク、非常に軽量、小型、空力的洗練を実現した高性能な機体で、
その使い勝手の良さから派生型も多く、また安価であることから海外にも多く輸出されました。
どうしてこれが日本に導入されなかったのかどなたかご存知ですか?
いや、性能が良くて安いのなら、買えばいいのにと思っただけなんですが。
もしかしたら、日本ってお金持ちだと思われて足元見られてた、とか?
で、やたら高いF15を「イーグルピース計画」で売りつけられた、とか?
それはともかく、このスカイホークは、アメリカ国内ではその使いやすさと頑丈さから
練習機として使用されることが多かったようです。
トップガン(アメリカ海軍戦闘機兵器学校)でも、ミグ17のシミュレートとして使われ、
映画トップガンでも登場しましたね。
ちなみに現在、トップガンで訓練機として使用されているのはF/A18ホーネットだそうです。
この機体は「レディホーク」と名付けられており、カリフォルニアの「チャイナレイク海軍航空武器基地」
で、武器開発のためのテスト機として使用されていたようです。
ペイントがすべて塗りつぶされたのっぺらぼうになっているのはそのせいなのですね。
こういうのもつけたままペイントが剥げるに任されています。
せっかく異常接近できるのだからと、爆弾を牽引する部分をアップしてみました。
この鍵は一応開けられるようで、紛失しないように博物館がタグを付けていました。
祝祭日にはどの機にも一応コクピット体験ができるということなので、
そういう時には中を見せてくれるのかもしれません。
しかしわたしは行儀のいい日本人観光客なので、立て看板に「No Touch」とあれば
決して触らず、写真を撮るだけにしました。
テスト機になると、アメリカ軍のマークは外されてしまうのでしょうか。
Bede BD-5B
マイクロジェット、で検索すると、このビード始め、小型のジェット機が
いくつか出てきますが、この超軽量ジェット機は4540キログラム以下の機体を言います。
まるで弾丸に羽を付けただけのようなシンプルな機体。
「ホンダやマツダなどの小さなエンジンからパワーを得ている」と説明在り。
そのホンダは、いまホンダジェットというビジネスジェット機を展開しています。
カッコいいですね。
ちなみにこのビードは開発中止になってここに寄贈されたもののようです。
LTV Corsair II
鹿児島の海上自衛隊基地で、野外で雨ざらしになっている機体に対し
「劣化は避けられないので何とかするべきでは」
と苦言を呈してみたのですが、あれに文句を言うならここはどうなる、というレベルで
コルセアが放置されています。
日本の展示は屋外であっても周りを立ち入り禁止にし、さらにはしょっちゅうメンテナンスして
非常に良い状態をそれなりに保っているのが、訪問時にも塗装している様子からわかりましたが、
ここでは、機体の部分がこのように地面に放り出されていて、
博物館というよりは「飛行機の墓場」という雰囲気すら漂います。
コルセアの隣の小さな機体、これもいったいなんでしょうね。
コルセアIIは上記の「スカイホーク」の後継機として開発されました。
退役はもう22年前の1991年で今ではギリシャ軍、タイ海軍しか運用していませんが、
就役中はリビア爆撃、グレナダ侵攻、パナマ侵攻などに投入されています。
こういう事実とか、アメリカにはそこここにある軍兵士の墓地とか、
2年前まではときどき見た、一般家庭の庭先に掛けられた黄色いリボンなどを見ると、
全くアメリカというのには「戦後」と呼べる時期は無いのでは、と思ってしまいます。
それはともかく。
このコルセアIIの特徴と言えば、ノーズの下のエアインテーク。
口を開けながら飛んでいる鳥に見えて、ついつい
宮沢賢二の「よだかの星」を思い出してしまったわたしです。
エアインテークの中を撮影することに今回こだわってみたわけですが、
これ、なんでこんなところにつけたんでしょう。
まあ、どこにあろうがバードストライクは同じ確率で起こるし、
そういう意味で言えば二つあるよりは一つなら確率的には2分の1になるわけですが・・。
実はこの巨大なエアインテークは、鳥よりも問題は蒸気を吸い込んで
コンプレッサーストールを起こしてしまうことにありました。
コンプレッサーストールとは急激な姿勢変更などをするとエンジンに入る気流が乱れ、
異常燃焼や出力低下を起こす現象のことで、圧縮機失速の英語です。
コルセアIIの場合には、カタパルト発進のときにエアインテークが蒸気を吸い込んでしまい、
同じ現象が起こったようで、地上は勿論、艦上でこれはパイロットはさぞ怖かっただろうと。
この問題解決のためには、エンジンを変えるしかなかったようです。
コルセアIIのラストミッションは1973年の5月25日。
第354戦略戦闘機隊のジェレミア・F・コステロ大尉がカンボジアでの任務において
砲撃を受けた機体からベイルアウトすることができず、大尉は戦死。
その遺体は修復後本国に送られて、ワシントンのベトナム戦争犠牲兵士墓地に葬られました。
コステロ大尉は、ベトナム戦争における最後の戦死者です。
ここにある機体は、コステロ大尉をトリビュートする迷彩カラーに塗装されているということです。
このJeremia K Costelloで検索すると、ベトナム戦争犠牲者のページが出てくるのですが、
その中のThe wall of facesというコーナーでは戦死者の写真とプロフィールを見ることができます。
ベトナムの戦地で上半身裸の写真があったり、どう見ても学校の卒業写真だったり、
あるいは写真が無い人もいたり、他に写真が無かったのか、子供の時のスナップだけの人もいます。
ベトナム戦争に対するアメリカ国民の忌避感は大変なもので、学生運動もヒッピームーブメントも
こういうところから広がっています。
ここに見られる死者たちも、自分が無益なことのために死んでいったとは言われたくないでしょう。
しかしこんなに多くの人々が命を失ってまで、果たしてアメリカの正義は担保されるべきものだったのか。
そんなことを他国民の目から見ると、あらためて戦争は人類の行う愚挙の最たるものであり、
国家の対話方法としての戦争をいとも簡単に選択する、このアメリカという国の行先は、
やはりどこかが間違っているのではないかとしか言いようがありません。