知人から横須賀で防衛セミナーが行われることを教えていただきました。
PDFで送っていただいたポスターというのがこれ。
南関東防衛局が主催する防衛セミナーで、明治150年を記念し、
横須賀と海軍、横須賀と近代技術についての講演がメインですが、
人を集めるために東京音楽隊の演奏を後半に行うことにし、
ポスターには大々的に歌手の三宅由佳莉三等海曹の写真を載せてます。
うーん、三宅さんで客を引こうってか。あざとい。主催者あまりにあざとい。
まあもっとも、この二つの講演だけであったら、いかにこのテーマに
興味があるわたしでもわざわざ横須賀まで行く気になったかどうか。
わたしをこのセミナー参加に駆り立てた決めては
♪ 小栗のまなざし- 小栗上野介公に捧ぐ- ♪
という楽曲が演奏されるという情報だったのは確かですから。
この小栗とは咸臨丸シリーズでもお話した幕末の天才、小栗忠順のことです。
小栗は維新後、高崎市の水沼河原で新政府軍の手によって斬首されました。
共に処刑された部下と共にその遺体が葬られている東善寺は
「小栗上野介の寺」と自称しており、この「小栗のまなざし」という曲も
東善寺の委嘱によって作曲されたものなのだそうです。
ちなみに、公演中、小栗の功績についてひとしきり説明した演者が
会場に来ておられた小栗の子孫という方(女性)に声をかけました。
「(小栗上野介については)こんなところでよろしいですか」
「だいたいそんなところです」
「小栗のまなざし」は聴いていただければお分かりのように、
大河ドラマのテーマソングを思わせる壮大でドラマチックな内容です。
(ところでNHK大河ドラマが小栗忠順を取り上げる日は来るでしょうか)
というわけで、今日はこの日、客寄せが目的で後半に催された
東音ミニコンサートの曲目解説を挿入しながらお話ししていくつもりです。
さて、セミナーの行われた横須賀のベイサイド・ポケットに到着すると、
受付に向かう階段で、まさに偶然ばったり、本日の主催である
南関東防衛局事務官である旧知の方とお会いしました。
所属する防衛団体の米軍基地見学をアレンジしてくださって以来のご縁です。
この偉い人がわざわざ案内くださって、前の方に座ることになりました。
ところで今回セミナーの主催者である「南関東防衛局」について、
あまりご存知ないかもしれないので説明します。
これらのセミナーも演奏会も、南関東防衛局の任務の一つであり
広報活動の一環だったのです。
防衛局というのは防衛省の地方支部局で、防衛大臣直轄の組織です。
会社でいうと「支店」ですね。
南関東防衛局はここにも書いてあるように、
神奈川県、山梨県、静岡県が管轄区となっています。
組織のトップは防衛事務官たる南関東防衛局長がつとめており、
現職の堀地透氏はこの日のセミナーで最初に挨拶をされました。
横須賀地方総監部で行われた練習艦隊壮行会にも来ておられたので、
「かしま」艦上で名刺交換させて頂いたことがあります。
防衛局の重大な役割の一つが、地域住民と自衛隊、そして
在日米軍との架け橋となる防衛行政を実施することで、
具体的には米軍基地の一般公開を企画調整したり、あるいは
基地周辺の防音工事の補助金を出すなどして、基地と地元の関係が
円滑に進み理解が得られるように図るのが防衛局の仕事です。
あ、それで米軍基地見学の調整などということをして頂けたのか。
(今頃になって気づいたわたしである)
ところで2017年以降、厚木飛行場のアメリカ軍部隊は順次岩国基地に
移転しているのをご存知だったでしょうか。
これも閣議決定後、防衛局の調整によって具体的に動いている一例です。
また、防衛局は、自衛隊や在日米軍に必要不可欠な防衛施設の工事について、
その計画や発注、監督などを行うこと、つまり地域に存在する
民間の防衛産業と両軍との間に立つという役割も負っています。
ところでここまで書いてきてふと気になったのですが、
米軍と民間の調整役がその任務であるというなら、それを現在進行形で
沖縄で行なっている沖縄防衛局って、全国の防衛局の中でも
最前線というべき大変なことになっているのではないかと
改めてその視点から最近の記事を探してみると・・・・。
辺野古工事、重機に接着剤=器物損壊容疑で県警捜査-沖縄防衛局
防衛局、問題発覚までの7年間説明せず 高さ制限超える建物358件
おお、やられてるやられてる。
まるで親の仇のように沖タイ、あさピーから集中砲火ですわ。
また、実際に左翼の襲撃なども受けているのですが、産經新聞が
辺野古反対派に押し倒され防衛省職員が大けが 被害届提出 嘉手納署が傷害事件で捜査
と報じるニュースを、琉球新報は
当たり前のように「報道しない自由」を行使しております。
警察の操作どころか怪我のことには一言も触れておりません。
南関東防衛局はキャンプ・ハンセンの実弾射撃訓練場所を御殿場に移設するなど、
沖縄基地負担軽減のための協力も行なっていますが、これなども
沖縄二紙と朝日・毎日、共同新聞が報道することはまずないことに違いありません。
セミナーに先立ち、三宅由佳莉三等海曹の国歌独唱が行われました。
わたしにセミナーの情報をくださった元自衛官は、このとき
つい習慣で、三宅さんと一緒に大声で歌い出してしまったそうです><
「自衛隊だと大声(笑)で歌い出すものなのですが、一般の人はそうではないんですね」
そういえば、わたしも以前元自衛官の方と一緒に音楽まつりに行ったとき、
国歌斉唱の声が桁外れに大きいのでびっくりした経験があります。
ところで国歌といえば、この日のコンサートで「小栗の」の他に、
わたしにとって大変勉強になったもう一つの曲がありました。
Hail Columbia (higher quality)
♪ ヘイル・コロンビア、「コロンビア万歳」♪
アメリカ合衆国の初代国歌で、ペリーが浦賀に黒船とともに来日したとき、
軍楽隊が日本の地で行進しつつ演奏したのはこの曲だったといわれています。
因みに現在の国歌「スター・スパングルド・バナー」がフーバー大統領のもとで
正式に制定されたのは1931年とごく最近のことになります。
南関東防衛局長と横須賀市長の挨拶に続き、
本日のメインとなる講演会が行われました。
といっても二人が30分ずつの講演で、一般人には大変聴きやすいものでした。
まず、現役自衛官であり、安全保障分野における研究において
日本防衛学会から「猪木正道賞」を受賞した金澤浩之三等海佐の
「明治150年と日本の近代海軍建設」
この内容をごくごく圧縮していうと、
「日本海軍建設は、経験値と人材養成において近世から近代にかけて明らかに
連続性が見られ、いきなり明治維新によって近代海軍が生まれたのではない」
という(圧縮しすぎかな)ものだったと思います。
中でも興味深かったのは、日清戦争における両軍の首脳部の
「経験値」の違いを並列して比較した表でした。
日本側は海軍軍令部長樺山資紀を始め、連合艦隊司令長官伊東祐亨、
相浦紀道、坪井航三、鮫島員規、東郷平八郎(浪速艦長)に至るまで
ほとんどが薩英戦争、戊辰戦争、阿波沖海戦など実戦経験者なのに対し、
清側は水師提督丁汝昌が太平天国の乱の経験者であるだけで、
全員海軍での実戦経験がなく初陣だった、という話です。
日本の海軍第一世代の軍人たちは、すでに水軍から連なる
連続性の中で海軍形成時には育成が「済んでいた」というわけですね。
♪ 維新マーチ 宮さん宮さん ♪
「宮さん宮さん」の宮さんとは有栖川宮熾仁親王のこと。
以前「皇族軍人」の松平保男海軍少将を紹介した時にアップした動画の
「エルフェンリート」の前に流れるのがこの「維新マーチ」です。
Last Samurai Lords and Japanese Peerage, 1860's- 大名・華族
有栖川宮は親王家なので、英語では「Prince」という称号になります。
金沢三佐の講演では、カレーの話も出ました。
ちなみにこれは、わたしが開演前にメルキュールのカフェで食べた「ゆうぎりカレー」。
柔らかく煮込まれた牛肉と辛さが絶妙でなかなかのお味でした。
このカレーについても、世間一般では
「明治時代海軍が脚気防止のために発明した」
という説も流布されているわけですが、金沢講師によると、
1852年から62年にかけて、つまり江戸末期に長崎にいたオランダ軍の軍医、
ヨハネス・レイディウス・カタリヌス・ポンペ・ファン・メールデルフォールト
は、本人が言うところの「夢のような」日本での生活で、
「魚介類、カレーソースがライスに乗ったもの」
つまりシーフードカレーを食べた、と書き残しているのです。
カレーだっていきなりできたわけではなく、この頃にあったらしい、
ということなんですね。
(ここで会場の調味商事の社長?が紹介されましたが、
海軍カレーを謳っている会社にとってはこの説は微妙かも)
因みに、ポンペが日本で初めて解剖実習を行った折には、
シーボルトの娘、あの楠本イネがそれを見学しています。
金沢講師は、その講演の終わりを松尾芭蕉の言葉、
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」
という言葉で締めくくりました。
続いて、二人目の演者、安池尋幸氏の講演は、これも一言で言うと、
日本海海戦で日本がロシアに勝利したのは情報戦のおかげであり、
造船所、製鉄所に加えて電信所を作り、海底ケーブルを引いたこと、
三六無線を生み出した横須賀は日本の工業力の発信の地である、
と言うようなことでした。
日露戦争時代の無線電信機の写真ですが、左後ろの掛け軸は、
帝国海軍の名参謀秋山真之が日露戦争終結後、三六無線を発明した
木村駿吉に贈った感謝状なんだそうです。
いかにこの無線の存在が勝利に寄与したかを、誰よりも
天才秋山真之が大きく評価していたかがわかりますね。
というわけで、日本海海戦、秋山真之といえば?
そう、「坂の上の雲」ですね。
♪ スタンド・アローン 「坂の上の雲」より ♪
『Stand Alone』 NHK スペシャルドラマ「坂の上の雲」 三宅 由佳莉 海上自衛隊 東京音楽隊
この日もこの曲を三宅三等海曹が熱唱しました。
「坂の上の雲」というドラマについては、色々と問題があり、その
偏向した表現や解釈などについて随分ここでネタにしたものですが、
久石譲作曲のテーマソングはただ名曲です。
そして、あのドラマの中で作り手のバイアスによって史実が
歪められていなかった唯一の登場人物が、廣瀬武夫だったとわたしは思っています。
♪ 廣瀬中佐 ♪
軍神『広瀬中佐』海上自衛隊東京音楽隊 第35回防衛セミナー
参加した方がyoutubeに上げてくださっていました。
川上良司海曹長の「分厚い歌声」、素晴らしすぎ。
ところで、司会の荒木三曹が、万世橋駅前に昔あった
廣瀬中佐と杉野兵曹長の像のことを話していますが、それが
カラーの動画で見ることができるユーチューブを見つけました。
カラー映像で蘇る東京の風景 Tokyo old revives in color
こんなに大きな銅像だったんですね・・・。
よく見ると、銅像の横を野良犬が歩いていたりします。
ドラマ「仁」のテーマソングも最高なので、ぜひ最後まで観てください。
ところで、日本海海戦の話も出たのに、会場におられたという
東郷平八郎の孫、東郷宏重氏はなぜか紹介されませんでした。
主催者側は誰も気づいていなかったのかな。
安池氏の講話で興味深かったのは、
「日本海海戦の時に三笠にはイギリス海軍の駐在武官が乗り込んでいて、
戦闘終了後、本国にこれからの海戦は三笠レベルの軍艦では戦えない、
と報告し、それが英国にあの弩級戦艦『ドレッドノート』保有を決意させた」
という話でした。
そういえば「三笠」はイギリスの造船所バロー・イン・ファネス製でしたね。
『恐れ(ドレッド)』が『ゼロ(ノート)』という名前のこの戦艦は、
誕生前に建造中の世界中の戦艦を全て「旧式化」してしまい、
世界はこの誕生を「ドレッドノートショック」(レボリューションとも)
と呼び、その後大鑑建造競争に舵を切った世界が「海軍休日」を経て
海軍力の均衡を巡って緊張を強めていくのは歴史の知るとおりです。
ところでみなさん、こんなニュースをご存知だったでしょうか。
世界が諦めていた無線変調方式の革新に新方式を提案
神奈川県立横須賀高校の生徒が学会にて発表
携帯電話“速度10倍”実用化狙う
県立横須賀高校の2年生2人が携帯電話など無線通信の新技術を発明し、
東京都足立区で開かれた電子情報通信学会で研究結果を発表した。
現役高校生の同学会での発表は初めての快挙。
新技術が実用化されれば通信速度が飛躍的に向上するといい、
2人を指導してきた横須賀テレコムリサーチパークの太田現一郎・工学博士は
「画期的な発見だ。2人はどんな数式にも動じず逃げなかった」
と新発見に目を細める。
論文タイトルは「第6世代移動通信に向けた変調方式の研究」で、
同校の瀧川マリアさんと原佳祐さんがまとめた。
現在の高速データ通信技術「MIMO方式」は、複数のアンテナから
同じ周波数で送信した電波が障害物で乱反射し、
波形がゆがんだ状態で受信される。
しかし、2人はあらかじめ周波数や振幅を変化させ
「模様」をつけた状態で送信する独自理論を展開。
瀧川さんの名前にちなみ「MARIA方式」と名づけた。
この技術が完成すれば、光回線などよりも早い通信速度で
(ほとんどリアルタイム)情報が送れるようになります。
安池氏は、この快挙が横須賀発であることは決して偶然ではなく、
三六無線など近代工業技術発祥の地横須賀ならではだと語りました。
そんな横須賀での防衛セミナーを締めくくったのは
東京音楽隊の最後の演奏
♪ 行進曲「軍艦」♪
でした。
「海行かば 水漬く屍」からの部分を川上海曹長と三宅三曹が歌います。
記念艦「三笠」のある三笠公園には「行進曲軍艦の碑」があります。
横須賀は日本海軍の軍歌、海上自衛隊の公式行進曲となっている
「軍艦」発祥の地でもあるのです。
わたしが到着して席に座ったとき、開演前の会場では、
ドラマ仕立ての横須賀紹介ビデオが流れていました。
主人公の少女に、ペリー来航以来の横須賀の歩みを説明する役の
芥川龍之介のような風体をした着流しにカンカン帽の男性は、
最後に少女の前から姿を消し、いつの間にか小栗上野介の姿になって
小高い山から横須賀港を眺めているというエンディングでした。
その卓越した知性と慧眼、そして何よりも国を想う心をもって
横須賀、ひいては日本の技術と国力の発展に大いなる道筋をつけ、
この世を駆け抜けていった小栗上野介忠順の「まなざし」は、
現在の横須賀を、そして日本をどう見るでしょうか。