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メア・アイランドを訪れた『スター』たち〜海軍工廠病院と看護師部隊

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メア・アイランド海軍工廠は1海軍がここヴァレーホにある
メア島(正確には根元で繋がっているので島ではありませんが)
を購入し、西海岸に初めて作った海軍造船所です。

1870年年に操業を開始し、1996年に閉鎖されたわけですが、
島全体を買い取った海軍は、ここに海軍病院を作っていました。

海軍病院も閉鎖され、跡地は廃虚のままです。

Abandoned Navy Hospital Mare Island

廃墟となっている病院の建物の前には今でもグーグルマップで行くことができます。

メア・アイランド海軍工廠跡にある博物館には、海軍病院のコーナーがありました。
今日はその展示をご紹介して行くことにします。

海軍病院創成期に病院に関わった医学者たち。
医者ですが同時に海軍軍人となったので「オフィサー」です」。

ジョン・ミルズ・ブラウン大将 (1831−1894)

英語のタイトルは「Suejeon general」軍医総監となっています。
ハーヴァード大学卒業後、軍医としてUSS「ウォーレン」乗組から
キャリアを始めたブラウン博士は、1869年から2年間、
メア・アイランド海軍工廠で勤務していました。

海軍病院は1869年竣工、1870年開業となっていますので、
ブラウン博士は病院の「艤装艦長」的役目を務めたということになります。

その他USS「ウォーレン」USS「ドルフィン」USS「コンステレーション
USS 「キアサージ」USS「ペンサコーラ」などにも乗り組んでいます。

 

ジェームズ・アルバート・ホーク中将(1841ー1910)

ペンシルヴァニア大学で博士号を取ったホーク中将の一族は医者一家で、
息子も二人の娘婿も全員が医師です。

南北戦争では志願して軍医をしていましたが、除隊後海軍に入り直し、以来14年間、
海軍軍医としてずっと太平洋、大西洋を高校する海の上で過ごしました。

ポーツマスで黄熱病の治療に当たった跡、ホーク博士は
USS「インディペンデンス」でメア・アイランドにやってきます。

ここで海軍病院の司令官(つまり院長)として1903年まで勤務し、
この時に中将に昇進しています。

「ファースト・ホスピタル」

として、1869年に建築がスタートしたことを記念するプラーク(銘板)。
さらに、「コーナーストーン」が置かれたのは1869年10月12日、
竣工したのは1870年とあります。

コーナーストーンとは礎石のことで、日本のビルの「定礎」です。

海軍工廠の歴代軍医長。
なぜか1903年から1908年からは「Not Known」不明とあります。

メディカル・オフィサーというのは院長という意味じゃないんでしょうか。
幾ら何でも「誰かわからず」ってことはないと思うのですが・・・・。

ここで気がつくのは、メディカル・オフィサーは全員キャプテン、
大佐のタイトルなのですが、1916年までのオフィサーには
「サージェオン」(外科医)としかタイトルがないことです。

外科医と大佐の過渡期であるニールソンさん一人「コマンダー」Cdr.で、
これが「指揮官」を意味するのか「中佐」なのかはわかりません。

おそらくこの時期に何か改編が行われたのだと思われます。

うっかりして写真が切れていまいましたが、左上は「ウォーレン」と
「インディペンデンス」です。

ブラウン大将もホーク中将も乗り組んでいたという両艦ですが、
実はこの2隻、当時の病院船のような扱いだったということです。

右上は、サンフランシスコ大地震で倒壊したあと新築された病院。
冒頭のグーグルマップの画像と同じもので1900年の竣工です。

外見は全く変わっておりません。
右下は病院勤務のオフィサーたちの官舎です。

左は「マリナーズ・クロス」。

Mariner's cross

Though I take the wings of the morning and fly to
the utter most part of the sea even there thou are with me

これは詩編の139にほぼ同じ文章を見ることができます。

If I take the wings of the morning,
and dwell in the uttermost parts of the sea;

マリナーズクロスは、アンカーの形を十字架と重ね合わせたもので、

海に生きる人々のためのクロスです。

「さりながら私がその朝翼を得て海原の完璧な一部となるために飛んで行くときも
あなたは私とともにおられる」

って感じでしょうか。(聖書の英語には自信がないのですみません)

右側のプレートは今もメア・アイランドにある聖ピーターズ教会。

可愛らしい教会です。
こんな小さな教会ですが、内部のステンドグラス窓のデザインをしたのは

ルイス・カムフォート・ティファニー


あの宝飾ブランドティファニー創業者チャールズ・ティファニーの息子で、
アール・ヌーヴォーのガラス工芸作家です。

ティファニー作ステンドグラス

 

聖ピータース教会は今でも結婚式などで人気の教会だそうです。
もちろん海軍工廠の人々のために1901年に創建されました。

ちなみにメア・アイランドは結構な広い面積をゴルフコースが占めており、
そこは今でもゴルフコースを営業しているのですが、これは
ミシシッピ以西で最古のゴルフ場となります。

病院で使われていた装飾いり義足。
綺麗な花の絵が彩色されていますが、男性用だそうです。
左の膝から下を戦傷で失くした男性のために、靴のサイズを
右足と同じにして義足が作られました。

 

もしかしたら彩色も本人の希望だったかもしれません。

これらの義足はメア・アイランドのbrace shopで作られました。
ブレースというのは歯科矯正のブレース、などと言いますが、
元々は( )の形をしたもの、というのが語源です。

挟み込むもの、という解釈で、義足も「矯正する」=ブレース、
と英語では言っているらしいことがここの説明でわかりました。

写真は1954年のもの。

つまりこの義足を必要としていた人というのは、第二次世界大戦で脚を失った戦士です。

 

これらの義足や、義足をつけた人の写真は、病院に保存されていたものです。
病院が閉鎖されることになった時、この大量の義足や写真をどうするか、

関係者は大変困ったことと思いますが、結局全てワシントンD.Cの
公立図書館が資料として保存することが決まりました。

これはメアアイランド海軍病院コーナーとして展示されている写真です。

歯科で使用していたEMESCO社のベルトドライブ式リューター。
歯医者用のドリルです。

「ミッドウェイ」の歯科シリーズで書きましたが、
ベルト式で歯を削られたらさぞ痛かったことでしょう。

「歯医者は痛いもの」という定説を作ってきた元凶?がこれですね。

第二次世界大戦の時メディックが個人で携帯していた医療器具一式。
左の冊子は

「戦傷に対するファーストエイド/あなたは彼の命が救える」

 

左の茶色い瓶は重炭酸ナトリウム、つまり重曹です。
錠剤になっていますが、胃薬にでも使うんでしょうか。

包帯、ガーゼ、ゴム手袋、液薬を入れてスプレーするアトマイザーなど。

ここには看護師部隊、ナースコーアがありました。
開戦前、海軍のナースは1400名しかいませんでしたが、
真珠湾以降志願者が増え、最終的には11,000人になっています。

昔このブログでも「聖なる20人」という最初の海軍看護士について
書いたことがあるわけですが、最初に海軍のために女性が看護師として
奉仕をしたのは1908年のことでした。

 ナースコーアの制服の一つにマントがあります。

わたしがイラストを気に入っているアメリカ海軍の制服紹介ページの

アメリカ海軍の制服1905-1913

アメリカ海軍の制服1941

いずれにも看護師のマントが登場しています。

1943年に制作されたネイビーナースコーアの求人ポスター。
マデリーン・デイビスという実在のモデルがいるそうです。

 

メア・アイランド海軍病院には大戦中有名人の慰問が相次ぎました。

まず、コメディアン、ボブ・ホープ。
ホープの軍慰問は1939年にヨーロッパ戦線に始まり、第二次世界大戦、
朝鮮戦争、ベトナム戦争、レバノン、イラク、イラン、ペルシャ湾まで
生涯で60回もの戦地訪問を行なっています。

もちろんこのような病院への慰問はそれに数えられません。

最初の慰問で「サンクス・フォー・ザ・メモリー」という自分が映画で
歌った歌の替え歌でウケたので、それをネタにすることが多かったようです。

U.S.O. Bob Hope Troupe entertains U.S. soldiers on Bougainville during World War ..

このフィルムでも、何人かの出演者と一緒に「サンクス」の替え歌で場を沸かせています。

彼はその功績を讃えられ、一般人としては異例なことですが、

車両貨物輸送艦「ボブ・ホープ」 T-AKR-300

にまだ生きている時に名前をつけられています。

西部劇俳優のハリー・ケリーと女優アン・ラザフォード。

ラザフォードは「風と共に去りぬ」でスカーレットの妹、
キャリーン・オハラを演じた人です。
映画では地味に見えましたが、流石に女優、オーラが違う。

慰問されている兵士は、照れているのか・・微妙な表情ですね。

こちらは和気藹々、片足を負傷した兵士を見舞うマール・オベロン。
「嵐が丘」でキャサリンを演じ、有名だった女優さんです。

こうして素の顔を見ると母親がインド人というのがよくわかりますね。

わたしは小さな時からこの人の名前を知っていたのですが、
母が若い時にマール・オベロンに似ていると言われたことがある、
という今にして思えばほんまかいな、な本人談のせいでした。

わたしが思わず「おっ」と声を出してしまったこの写真。
作曲家のアーヴィング・バーリンです。

と言ってもこの名前を知っている方はあまりおられないかもしれませんが、
この人の作曲したこの曲を知らない人はまさかおられますまい。

「ホワイト・クリスマス」

ね?

「ゴッド・ブレス・アメリカ」は第二の国歌のようになっていますが、
彼自身は実はロシア生まれの移民一号です。

God Bless America 

この曲を聴くと、このシーンしか思い出さないわたし。

どこにでも神出鬼没のエレノア・ルーズベルト、やっぱりここにも来ております。

1943年に撮られた海軍病院ナース・コーアの全員写真。
足をクロスさせるのが写真を撮るときの基本だったようです。

ちなみに、わたしは海自のカメラマンに写真を撮られる時に

「脚は少し斜めに流すと綺麗に見えます」

とポーズをつけられたことがあります。

最後にちょっとロマンチックな展示を。

アクリルのカバーが反射してわかりにくいのですが、
マリーンの男性用制服が、海軍のナースコーアの制服を
後ろから抱きしめるように重ねて展示してあります。

これはここ海軍病院に患者としてやって来て看護士と恋に落ち、
その後結婚したロバートとパトリシア・ベニング夫妻の制服なのです。

出会ったばかりのベニング夫妻のお熱いショット。

お節介ながら彼らの座っていたベンチも特定してやりました。
冒頭の病院正面の前庭にいくつかあったらしいベンチの一つを
グーグルマップで見つけてキャプチャーしたものです。

 

放置された海軍病院の建物は、時々わたしのような廃墟好き、肝試しや
ゴーストハンターなどというテレビ番組のクルーが入り込んでくる以外は
森閑として、かつて若い兵士と看護師が恋を語らったベンチは
座るものもなく、ただカリフォルニアの日差しに照らされています。

 

 

続く。

 


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