前回海兵隊岩国基地に来たときは、誘ってくれた海兵隊パイロット、
ブラッド夫妻が同行していたため、お昼ご飯を食べたのは
今にして思えば士官用のレストランでした。
メニューもアメリカのレストランで目にするものばかりで、
量もそのままメガトン級アメリカンサイズ。
ブラッドは遅れて後から食べ始めたのに、愛想よく喋りながら
あっという間に大きなお皿を平らげてしまい、わたしはそれを見て
若いアメリカ人男性(しかも戦闘機乗り)の旺盛な食欲に驚嘆したものです。
レストランのウェイトレスはフィリピン人でしたし、とにかく
日本にありながらそこは全くのアメリカ。
横須賀でも感じたことですが、アメリカ人が使用していると
建物内の空気までアメリカと同じ匂いになるから不思議です。
そこに暮らす人々が食べるもの、洗剤や特にアメリカ人の使う
乾燥シートの匂い(これが強烈)などが渾然一体となって
「アメリカの空気の匂い」を作り出すのだと感じました。
しかし、今回は同じ岩国基地でも、最初から最後まで自衛隊という
我が同胞の生活圏だけをピンポイントで訪問したため、
今まで来訪する機会があった他の自衛隊基地と同じ雰囲気です。
いん
特にそれを感じたのは、昼食を頂くために訪れた食堂でした。
入るなり、
「自衛隊の食堂の匂い」いや、「海上自衛隊の食堂の匂い」
をわたしの人より若干鋭いと言われる嗅覚は嗅ぎ分けました。
陸空の食堂に行ったことがないので断言はできませんが、
どこも何となく自衛艦の調理場の前を通った時のような匂いがします。
「昼ごはんは隊員食堂で隊員と同じものを召し上がっていただきます」
前もってそう伺っていたので、もしかして皆と同じ食事の列に並び、
よそってもらった食べ物を乗せたお盆を持って、空いた席に、
「すみませんそこ空いてますか?」
とか聞いて座り、皆さんと談笑しつつ食べるのかと思っていたのですが、
そうではなく、食堂を入ってすぐのところにパーティションで区切られた部分があり、
そこに案内されて待っていると、隊員さんがお盆を運んできてくれました。
八戸の第二航空群と同じで、こういう時に昼食会を行うメンバーは
群司令や幕僚長など幹部の皆様数名と決まっているようです。
八戸の時もメニューは隊員の皆さんと同じものでしたが、
ここ岩国基地のこの日のランチメニューは、
鳥の揚げたもの
わかめサラダ
切り干し大根
めかぶ
味噌汁
なぜ「唐揚げ」とせず「鳥の揚げたもの」としているかというと、
チキンカツでもなければ唐揚げでもない、何に近いかというと、
昔うちの母親のレパートリーの一つだった「肉の天ぷら」(通称肉天)に
大変似ている食べ物だったからです。
これを「何風」というのかはわかりませんが、ちょっと変わったメニューでした。
そして、卵が確認できると思いますが、これ何に使うと思います?
何と、この日のメニューは「ダブルカーボハイドレーツ膳」。
つまり「麺類とご飯」のコンボでした。
自衛隊、特に陸自の戦闘食は「おかずを焼きそばにご飯を食べる」
というような炭水化物まみれのメニューが多いと聞き知っていましたが、
海自でもこのパターンが存在することを今回確認しました。
わたしもこれに白飯を付けるかどうかを聞いていただきましたが、
基礎代謝が低い上、皆さんほどカロリー消費していない当方としては
これを丁重にお断りし、うどんだけを主食にして頂くことにしました。
それにしてもお膳の上の卵は何に使うのだろうと考えていると、
「これは温泉卵なので、うどんに割り入れてお召し上がりください」
なんと、結構手間のかかる温泉卵が各自に用意されていたのです。
さすがは三隊一食にこだわりがあるという海自だけのことはあります。
え?普通ですか?
でも温泉卵、結構手間かかるよ?
ちなみに、温泉卵が面倒なのは、時間管理が結構難しく、
30分から40分間、熱湯に入れてそのまま火を加えず、
しかし保温してたまま置いておかなくてはならないからです。
沸騰したり温度が下がると当然ですが温泉卵にならないんですね。
温泉に入れておくのが一番確実なやり方なのでその名も「温泉卵」なのですが、
自衛隊のキッチンには温泉はないので、その状態を作り出す必要があります。
しかも何百人(ですよね)分の温泉卵が必要になるわけで、これはもはや
どういう風に作っているのか、主婦としては気になって仕方ありません。
家庭での確実な温泉卵の作り方は、卵が楽に入る程度の広口の魔法瓶に、
68℃程度のお湯と卵を入れると、失敗が少ない、とwikiには書いてあります。
68℃くらいって、計るのか。こりゃやっぱりめんどくせー。
しかも「ガラス製魔法瓶の場合は卵を瓶に静かに投入しないと、
卵が落下の衝撃で割れることがある」とも書いてありますが、
普通、卵をいきなり魔法瓶にカチ入れんだろうて。
そんな話はどうでもよろしい。
とにかく岩国基地でいただいた昼食は、大変美味でございました。
皆さま、ご馳走様でした。
そのあと、売店とその近くの食堂をちょっと見学してもらいました。
売店には前回、ブラッドの奥さんに連れてきてもらって、確か
岩国基地の特製カレー「れんこんカレー」と、息子のTシャツ
(US-2の絵に『波乗り名人』とロゴ入り)を買って帰ったものです。
食堂の前に来たとき、案内してくれた方が、
「最近はうちより海兵隊の方がよく利用していることもあります」
ちらっと中をのぞいたら、おっしゃる通り、中でご飯を食べていたのは全員アメリカ人でした。
海兵隊の士官用レストランは、実際に食べて美味しいと思いましたが、
下士官兵用のレストランは、もしかしたらそこほど大したことがないのか、
あるいはメスの食事に飽きてしまった海兵隊員の間では、
この民間食堂の方が美味しいものを食べられるという噂が広がっているのかもしれません。
そこでふと、こんなコピペを思い出してしまいました(笑)
大戦末期、後方基地となっていたガダルカナルで
海兵隊員が違う部隊の食堂に「ひそかに潜入」して食事をもらってた。
海兵隊の携帯糧食より暖かくバリエーションが豊富で、デザートにはアイスクリームも出る。
最初は様子見で数人で、やがてバレないとわかると大勢で押しかけるようになった。
ある日、またいつものように大勢で押しかけると
「海兵隊員の諸君歓迎。でも優先順位はうちの隊員にあるから最後に食べてね」
と垂れ幕が・・・
拒否されなかったのはそれまでの海兵隊員の活躍と犠牲に対する
敬意の表れといわれている。
ラーメンにチキンカツ定食、そしてどう見てもあちらの方向けアレンジのヌードル。
このお店は民間の出店だと思うのですが、明らかに海兵隊に来て欲しそうにしています。
そりゃアメリカ人の方がたくさん食べるしな。
アメリカ人好みにアレンジしつつも、野菜をたっぷりにするのは日本風。
アメリカのダイナーなどに行ったことがある方はご存知かもしれませんが、
アメリカ人って、本当に野菜を食べないんですよね。
こんな風に、強制的に野菜の上にメインを盛るやり方はあまり見ません。
そして、ドアに大々的に貼られた焼肉屋さんの「アメリカ人大歓迎」ぶりを見よ。
US All you can eat & drink for 2 hours
なんかちょっと変な英語ですが、とにかくアメリカ人なら2時間飲み放題、
焼肉サラダガーリックブレッド(というのがアメリカ人向け)ライス食べ放題で、
男性4000円、女性3800円ポッキリなどと書かれております。
もうとにかくアメリカ人ってのは肉好きだからね。
空母「ロナルド・レーガン」では1日に牛3頭食べちゃうってくらいですから、
岩国の飲食業、特に肉関係の店って、もう海兵隊様様なんだと思います。
さらに、厚木から海軍が来てアメリカ人が増えてくれたら、
こういうお商売の人は、本当に助かってしまうわけですよ。
こういうのを見るとふと思うのですが、佐世保も、沖縄も、
そしてもちろん横須賀も、米軍相手に商売している人や、米軍がいるから
仕事ができる人や会社が周辺にたくさんあるわけです。
とにかく反対、基地反対、アメリカ軍出て行け!基地は屈辱だ!
とやってる人たちは、そういう日本人のことについて考えたことがあるのかな。
そういえば、このアメリカンウェルカムな食堂と売店のある建物と
向かいの建物の間には、今回昔なかった柵(ライトな鉄条網)が貼られていました。
向かいにあるのは、確か第81航空隊の関連施設。
第81航空隊といえば・・・?
そう、電子戦データ収集機EP-3と画像データ収集機OP-3Cの部隊です。
この日は見ることはありませんでしたが、岩国基地には、
これに電子戦訓練支援機UP-3Cを運用する第91航空隊など、
P-3Cの派生形である電子戦機部隊が所属しているのです。
そのデータ解析なども、おそらく八戸の地下作戦室のようなところで
行われているものと想像するわけですが、いかに基地内で
しかも米軍と共用の敷地といえども、民間人が簡単に入ることのできる
食堂や売店の道を挟んで向かい、というのはセキュリティ的に如何なものか、
ということになり、対策した結果ではないかと想像されます。
さて、わたしたちはまたもやバンに乗り、いよいよ目的の
PS-2の見学をするために滑走路手前の建物までやってきました。
PS-2を運用する第71航空隊がここにあります。
エプロンには、この建物の向こうに直結している格納庫を
通り抜けて行くことになっていました。
レスキューアイボリー(Rescue Ivory )それが第71航空隊の・・・部隊名?
「かが」のことを「ホワイトベース」というようなものでしょうか。
コールサインはもちろん「IVORY」あるいは「RESCUE SEAGULL」。
そういえば部隊章にもちゃんとカモメが描かれていますね。
ちなみに救難飛行隊は固定翼機部隊の第71航空隊、
回転翼機の第72、73航空隊の三隊で構成されており、この体制は
2008年に編成されて以来続いております。
第71航空隊は水上艇部隊という世界でも珍しい救難部隊です。
これまではPS-1とPS-2の二機体制でしたが、PS-1Aが全て引退し、
PS−2だけを運用して行くことになります。
もう一度この資料館のジオラマを見ていただけますでしょうか。
グーグルアースでキャプチャしたこの東側の部分、
ここに水上艇の離発着場があり、ここで着水や離水の訓練を行う
PS-2を、「見ようと思えば」見ることもできるそうです。
ジオラマにも見えていますが、この部分のスロープから水上艇が出入りします。
現在のグーグルアースには、PS-1Aの姿が見えています。
機体の周りに隊員の姿が確認できますね。
なんども言いますが、PS-1Aは2017年12月13日をもって退役しました。
雨にさらされて遠目には読みにくくなっていますが、
隊舎の前には、その救難部隊としての実績に対し与えられた
内閣総理大臣賞が誇らしげに石碑にしつらえられていました。
平成16年、「安全功労者内閣総理大臣賞」が、当時の総理大臣、
小泉純一郎氏から授与された時の防衛庁長官は、(なんと)石破茂でした。
災害派遣要請による患者輸送回数が500回に達した記念に
第1級賞状が授与されました。
例えばこの賞状が出された2004年の救難実績を見ると、
東京都小笠原村父島における急患輸送(左手第二、三指粉砕開放骨折)
東京都小笠原村父島における急患輸送(急性虫垂炎に腹膜炎併発)
など。
水上救難艇が特に威力を発揮するのは、離島から本土への救急搬送です。
史料館の展示でご紹介した天皇陛下ご夫妻の御行幸は、
小笠原詩島へのもので、平成6年2月12〜14日であったことがわかりました。
石碑になっているこの岩は、現地のものなのでしょうか。
わたしたちはこの後、第71航空隊司令のお迎えを受け、
いよいよUS−2と対面することになりました。
続く。