ヴェルニー公園を歩きながら偶然潜水艦の出航に出会い、
一連の作業を写真に撮ってから、横須賀地方隊に到着しました。
「いかづち」帰国行事について聞いたのはわずか前で、
どうします?と聞かれて今から間に合うなら連れてってください、
と返事して、軽い気持ちで参加を決めたのですが、
受付で名前を言うと、なんの手違いか、
(誘ってくれた人に向かって)「名簿にお名前がありませんが」
「そんなはずは・・・」
「と言うことはわたしの名前も当然ないってことですか」(´・ω・`)
しかし幸い、通知しておいたはずの関連団体の名前を告げると、
名簿に新たに名前を書くことで無事に入場させていただけました。
この死ぬほど寒い中、わざわざ横須賀までやってきたと言うのに
門で追い返されるようなことにならなくてよかったです。
構内に入っていくと、グラウンドの前でミニバンが待っていて、
自衛官が
「良かったらお乗りください」
と客引き?をしています。
お天気が良ければ歩いていくのにやぶさかではないのですが、
あまりの寒さに、ありがたくお言葉に甘えました。
「あったか〜い」
「ほっとしますね」
ずっとそのまま乗っていたいくらいでしたが、
後にやってきた一団が乗り込むとすぐに発車し、
練習艦隊がいつも停泊する速見岸壁ではなく、その奥の、
吉倉桟橋の手前で降ろされました。
桟橋には「とわだ」型補給艦の二番艦「ときわ」が係留されています。
補給艦は、湖の名前が命名基準となっており、「ときわ」とは
山口県宇部市にある常盤湖から取られた名前です。
岸壁の先の方に行ってみるとすでに「いかづち」の艦隊が近づいていました。
岸壁には早くから来て歓迎ののぼりを立てて待っていたらしい
自衛隊家族会の人たちや、自衛官などがいます。
曳船が寄り添うようについて来ていますが、
先ほどの潜水艦の支援をしていたのとは別のタイプのようです。
潜水艦と護衛艦など大型艦では支援船が変わるんですね。
押し船に左舷を押されている「いかづち」の向こうには
第7艦隊の艦番号56、
ミサイル駆逐艦「ジョン・S・マケイン」
が甲板全部をおおうようなカバーがかけられて係留されています。
そういえば、「マケイン」、2017年にシンガポールでタンカーと衝突し、
乗組員が10名死亡すると言う大事故を起こしていましたね。
wikiより、事故直後の「JSM」。
この事故の後、アメリカ海軍ではなぜか衝突事故が相次ぎ、
(アンティータムの座礁事故、フィッツジェラルドの衝突事故)
第7艦隊は一時全艦艇の一時運用禁止を決め、艦長と副長は解任、
さらに軍法会議にかけ、司令も交代ということになりました。
事故原因は現場の疲弊と経験不足のためであり、それは
管理・設備のための予算が減らされていたこともある、とされます。
そういえば、昨年8月にジョン・シドニー・マケイン3世が逝去しました。
駆逐艦「ジョン・S・マケイン」は、ジョン・シドニー・マケイン・シニア、
ジョン・シドニー・マケイン・ジュニアの二人の名前を
(同じイニシャルなのをいいことに)負っていましたが、
最後に亡くなった3世も当然同じ名前なので、逝去後、
3世の名前も「統合」されたそうです。
祖父、父、子三代の海軍軍人を意味する一隻の軍艦というのは
いかにアメリカ海軍といえども他に例はないかもしれません。
(あったらごめん)
逆に穿った考えですが、海軍一家が息子に同じ名前を与え続けるのは、
あるいは死後艦名に名を残すことを期待してのことだったりして。
そこでふと思うのですが、海軍軍人のマケイン4世はいるのでしょうか。
いるんですよこれが。
ジョン・シドニー・マケイン・4世は2009年、海軍兵学校を卒業し、
海軍軍人になりましたが、艦艇乗りではなくヘリパイになっています。
アナポリスの成績が1100人中1002番だった、なんてことも、
もうすでにwikiに書かれていて、気の毒としか言いようがありません。
マケイン4世は現在は執筆活動をしており、結婚した相手はなんと、
エアフォースの女性パイロットだったそうです。
(『裏切り者〜!』←マケイン1〜3世)
しかし、まだわかりません。
もしかしたら彼もいずれ政治家への道を進むかもしれませんし、
この「ジョン・S・マケイン」にいつか名前を連ねる可能性もあります。
まあ問題はその時までこの艦が生き残っているかだな。
係留する予定の場所まで移動して来たのですが、
この少し前から横須賀では雨が降り始めました。
この日酔狂にも(失礼)、このわりと近くでヨットに乗っていた人が
今日のクルーズは辛かった、とあとで弱音を吐いていたくらいです。
しかしながら、こんな天気なのに傘を持ってこなかった愚か者もいてだな。
「困ったな・・わたし傘持ってないんですよ」(´・ω・`)
「えー!なんでよりによってこんな日に持ってないんですか」
本気で呆れられながら同行者が差しかけてくれた傘で雨を凌ぎますが、
そんな親しくもない仲なので、身体を密着させるわけにもいかず、
ほぼ半身はノーマークの濡れっぱで大変冷たかったです。
もちろん自衛官はこんな時も絶対傘をさしませんが、その代わり
彼らの多くは黒いレインコート(かっこいい)を着込んでいます。
つば付きの帽子もかぶってるし、これくらい彼らにはなんともなさそう。
上がっている信号旗は、バース信号かなんかでしょうか。
この時傘の中で並んでいた知人が、
「案外艦体が綺麗ですね。ピカピカしている」
と呟きました。
「入港前に手入れする時間なんてあったのかな」
しかし、艦体が近くにつれ・・・
全然ピカピカじゃねーし。
「いや、流石にこれは綺麗ってことはないんじゃないですか」
横須賀を出航したのは2018年の8月5日、それ以来この日まで
約6ヶ月間の海外勤務を行って来たわけですから、綺麗な方がおかしい。
これは海外でついた曳船の押し跡だと思われます。
舷側には「いかづち」乗員たちが整列しています。
海上自衛隊の艦船の出入港を見慣れている目にはいつもの光景ですが、
実はそれが案外「特殊」なものであったことを、わたしはこの日、
実感することになったので、それは後述します。
写真にも雨粒がはっきり映るほどに雨が激しくなって来ました。
スマートな弧を描く艦首に描かれた107の番号にも錆が浮いています。
艦首付近には入港作業で舫を持ち待ち構える乗員たちの姿。
この時、知人がこう言いました。
「あれ?『いかづち』の艦長って女性でしたっけ?」
「いや、そんな話は聞いたことがないですが」
「ほら、あの赤い双眼鏡の」
わたし「ああ、あれは艦隊司令の東一佐ですよ」
知人「半年間同行されてたんですかね」
わたし「同行されてたから乗っておられるんでしょう。
乗ってなかったとすれば日本近海で瀬取りしたとしか」
知人「・・・その言葉は今大変不適切なのでは」
大変失礼な軽口を叩いてしまいましたが、東良子一等海佐は、
2018年8月5日から、ソマリア沖・アデン湾における
派遣海賊対処行動水上部隊(第31次)指揮官として派遣されていました。
日本初女性艦隊司令のこの貫禄のある立ち姿を見よ。
アメリカ海軍ではそう珍しい光景でもないのかもしれませんが、
我が自衛隊で女性司令官が赤いストラップをかけて
艦橋デッキに立っている姿が見られる日が見れるなんて、感無量です。
「いかづち」の艦体が岸壁に近づいて来た時、デッキには
海自とは違う色の制服の一団の姿があることに気がつきました。
「海保の人たちですね。一緒に行ってたんだ」
「海自には法執行をすることができませんから、同乗してるんです」
海賊および会場武装強盗の脅威から海上輸送の安全を確保するために、
海上保安庁では、海自護衛艦への海上保安官が同乗して
ソマリア沖、アデン湾、あるいは東南アジア海域などの
沿岸国海上保安機関に対する法執行能力向上支援を行なっているのです。
昨年8月に第31次派遣海賊対処水上部隊として出航した「いかづち」には
海自部隊とは別に、海上保安庁の保安官8名で構成される
「ソマリア周辺海域派遣捜査隊」
が同乗し、約半年の行動を共にして来ました。
彼らは特別警備隊、通称「トッケイ」で、「いかづち」には
彼らが使用する硬式ゴムボート、特別機動船が2隻搭載されていました。
トッケイのゴムボートといえば、昨年海保の観閲式で見た、
あの半端ない技術で相手を追い込みまくっていたのを思い出します。
ということは、この8名は、あの暴走いや失礼、爆走するボートの
「使い手」ってことですか。
実際の海賊相手にあんなことをするかもしれない(もしかしたらした?)
任務を負って乗り込んでいた海保の皆さん、本当にお疲れ様でした。
8名のトッケイ保安官たちですが、写真に撮ってみて、
ちょっとした海自との文化の違いみたいなものに気がつきました。
入港の時にデッキに整然と並ぶ海自隊員を見慣れているせいか、
保安官たちが整列しながらお話したり、ついニコニコしたり、
そういうくだけた佇まいがやたら目についたのです。
隣には海保のみなさんをお迎えに来た人たちがバナーを持って
満面の笑顔で立っておられました。
おそらく保安官たちの笑顔は、迎えに来た人に向けられたものでしょう。
保安官でも、比較的年配の偉そうな人はまっすぐ前を見ていますが、
そのほかの人たちはこんな感じ。
周りの海自隊員との違いは写真で歴然です。
家族を見つけて思わず微笑んでいるのでしょうか。
自衛官たちは居並ぶお迎えの中に愛する妻子を見つけても
こうして立っているとき、感情を表情に表しません。
海上自衛隊というのは、こういう点教育の段階でかなり厳しく、
姿勢や私語の禁止、頭の位置や表情までを叩き込まれ、それらが
自然に身についているんだろうな、とこれを見て考えました。
そういえば海保の船が出入港するとき、乗員が舷側に立ち、
登舷礼を行うというような慣習は、観閲式以外にないのでは・・。
(これはあくまでも想像なので違っていたら教えてください)
良い悪いではなく、文化が違うんだなと思った、というのはこのことです。
「いかづち」では粛々と繋留作業が行われています。
まず、「サンドレットが投げられますのでご注意ください」
というようなアナウンスがありました。
艦体と舫杭をつなぎとめる舫を岸壁で受け取ることができるように
艦上からはサンドレットという細いロープのついた錘が投げられ、
ロープは舫に繋がっています。
わざわざサンドレットのことがアナウンスされたのを初めて聞きました。
そもそも観客がサンドレットに「ご注意」する状態って何?
サンドレットを投げる瞬間を撮り損ないました。
岸壁でサンドレットを受け取った人たちが、「舫ダッシュ」
(勝手に命名)で舫を持っては走り、離しては取る方法で
杭につなぐ作業を行います。
年季の入り方がハンパない海曹長が号令一下。
「すげー貫禄」
「潮っ気そのものって感じですね」
「松崎しげる並みに日焼けしてる・・・」
艦橋ウィングに立つ乗員も、全員が自分の任務をこなしています。
「ロナルド・レーガン」の動画でナレーションが語っていた
「空母では一人一人のやることはごく簡単なことであるが、
その小さな仕事を空母乗員全員が行うことによって初めて
この大きな艦が機能することができる」
という言葉を思い出します。
手を挙げている二人が甲板の責任者(幹部と海曹)でしょうか。
さて、このように無事に岸壁に「いかづち」は入港を終えました。
しかし、氷雨はいっときみぞれに姿を変えて降り続いています。
「皆が移動する前に帰国行事の行われる中に入りましょうか」
「あ、外でやるんじゃないんですね。よかった」
傘を持っていない上、足の先が冷たさでジンジンしてきたので、
わたしは喜んでそのご提案に従い、横須賀地方総監部の建物に向かいました。
続く。