サンディエゴのフライング・レザーネック航空博物館の航空展示、
朝鮮戦争でMiG−15と戦った、あるいは戦うために作られた戦闘機と、
そのMiG−15をご紹介してきました。
時代の流れに則するとなると、次はポスト朝鮮戦争と
冷戦時代ベトナム戦争までの期間になります。
■ ビーチクラフトT-34B メンターMentor
暑い夏のサンディエゴ、カンカン照りの展示場。
しかも平日にこんなところを見て歩く酔狂な人間はわたしだけだろうと思ったら、
ひとりの男性がヤードを歩いているのに遭遇しました。
こんなところに一人で来て、それもちゃんと一つ一つ説明を読みながら
くまなく飛行機を見て歩いている人ってなんなんだろう。
単なる趣味なのか、元関係者か、それとも・・・。
ときっと向こうもわたしを見てそう思っていたに違いありません。
あとは、わたしとその男性ほど長時間ではなく、
一瞬写真を撮るためのようでしたが、
ごらんのようなヒスパニック系の家族がいました。
遠目には赤ん坊はもちろんのこと、この年かさの方の男の子が
飛行機を見て喜んでいるようには見えなかったのですが、
まあ、親というのは、子供の興味を惹きそうなものならなんでも、
とりあえず見せておいてやらねば気が済まない生き物ですのでね。
そんな彼らがバックに撮っているのはその名もメンター。
アメリカのドラマを見ていると、「師匠」「指導者」、あるいは
お手本にしている人という意味でメンターという言葉がよく出てきます。
このメンターは練習機で、パイロットにとっての
「良き指導者」という意味がこめられています。
T-34は、ビーチ・エアクラフトのウォルター・ビーチが考案しました。
練習機として国防予算の対象となっていなかった時代、
ビーチクラフトは「ボナンザ」という民間タイプをすでに運行していました。
当時、米軍は陸海空全軍でノースアメリカンT-6/SNJテキサンを
練習機にしていましたが、安くて使いやすかったテキサンに代わる
経済的な代替機として候補のひとつに上がったのがビーチクラフト・モデル45だったのです。
【軍用練習機として】
ボナンザを参考にしたとはいえ、軍用バージョンは民間用と大きく違います。
ループ、ダイブ、ストールといった軍の訓練に必要なストレスに耐えるよう、
本機は特別に構造設計され、そのための空力特性が考慮されました。
テキサンの代替として候補になった後二つの機種は、
テムコ・エアクラフト テムコ・プリーブ(Temco)Plebe
ノースアメリカン/ライアン・エアロノーティカル/タスコ
ライアン・ナヴィオン(Ryan Navion)
(USS「レイテ」上のナヴィオン 1950年)
ナヴィオンは制式採用にはなりませんでしたが、
それなりに軍に納入する実績を挙げました。
ちなみに、戦争が終わったとき、ナヴィオンの会社は
戦地に行ったパイロットが帰国して、平和な飛行を楽しむために
小型飛行機を買ってくれるからうちの製品も売れるに違いない、
ととらぬ狸の皮算用をしていた節がありますが、
戦後の民間航空ブームは、メーカーが想定していたほどには起こりませんでした。
とはいえナヴィオンは1948年の初飛行に始まり、現在もアクティブです。
2020年になっても生産が続いており、素材や性能をアップデートしながら
新しい機種を生産し続けているのです。
そしてそれは誰にでも簡単に操縦できることで民間に広く流通しているのだとか。
しかし、もう一つの候補機、テムコのプリーブはメンターに負けた時点で
民間での販売も軌道に乗ることはありませんでした。
ここでふと思ったのですが、「プリーブ」の意味って、
兵学校の1年生(最下級生)じゃないですか。
パイロットが最初に乗る練習機だから、と、この名前になったのでしょうね。
しかし正直、練習機を「ひよっこ」ではなく「良き指導者」に見立てた
「メンター」の方が、ネーミングとしてはナイスセンスという気がします。
純粋に機能や使いやすさが選考の決め手になったのだとは思いますが、
もしどちらか迷ったら、名前がキャッチーなこともも選ぶ要素になってきますよね。
(ここ伏線ね)
ちなみにNavionという名前もおそらくナヴィゲーターから来ていて、
「導く者」というイメージだと思われます。
これもどちらかといえば指導者目線です。
【海軍のメンター】
資料によると、ナヴィオンはそれなりに軍に導入されましたが、テキサンの後継として正式に訓練機に制定されたのはメンターでした。
ところで、当時アメリカ合衆国国防総省には(今はどうだか知りませんが)、
別の軍(今回は陸海空全軍)同士で同じ航空機を使用する場合、
研究開発費の分担を義務付ける規則がありました。
同じ機体なんだから、開発は予算を分け合って仲良くやってね、というわけです。
しかしながら、
スカンクワークスの生みの親、ケリー・ジョンソンいうところの、
「忌まわしく、自分たちが何を望んでいるのかすらわからず、
技術者が心臓を壊す前に、彼らを壁に追いつめる」ところの海軍
は、メンターは欲しいが、研究開発費はもっと欲しいと思っていました。
もっとというのは、つまり「独り占めしたい」ということでよろしいか。
(ジョンソン曰く)自分たちが何を望んでいるか分からなくても、
とりあえず欲しいものははっきりしていたようですね。
そこで海軍が取った解決策の1つは、航空機に十分な変更を加えることでした。
こうすると、海軍の開発した新型機として「分類」されます。
そこで海軍、
キャスター付きのノーズホイール
ノーズホイール操舵の代わりにデファレンシャルブレーキ採用
調整可能なラダーペダル(パイロットの身長差に対応)
垂直方向にしか調整できないシート
主翼の上反角(翼の基準面と水平面のなす角)を1度増やした
昇降力を高めるためのスプリングシステム
ラダー基部の小さなフィレットを削除
バッテリーシステムを変更
(そのためバッテリーコンパートメントのドアが膨らんでいる)
など、思いつく限りのありとあらゆる変更を加え、おそらくは
新型機として予算を獲得するのに成功したのだと思われます。
しかしまあ、海軍の気持ちはわからんでもありません。
そもそも海軍は空軍とは同じ飛行機でも運用の仕方が全く違います。
空軍はできあがったものをそのまま運用できますが、
当時の海軍は(いまでもか)そういうわけにはいかないので、
海軍仕様に変更を加えなくてはならないのに、
他軍と予算を分担、ではそりゃ面白くないでしょう。
その結果、ビーチエアクラフトは、空軍用にT-34A、
少し遅れて海軍用にT-34Bを配給しました。
陸軍はというと、海軍が使用したターボ式T-34Cのお古を
少数、訓練機として受領しています。
陸軍は練習機にはあまり拘ってなかったようです。
【海軍仕様T-34Cの運用】
T-34Bは、1954年に423機が生産され、1958年に完成しました。
全国の司令部飛行隊にも配属され、海兵隊や海軍の元パイロットの
年次飛行(熟練した技術を維持するための訓練)にも使用されました。
T-34Bは、1970年代半ばまでは海軍航空訓練司令部の初期初等練習機として、
1990年代初頭までは海軍徴兵司令部の航空機として運用されていましたが、
最後の1機が退役したあとは、海軍航空基地や海兵隊航空基地の
フライトクラブの備品として、米海軍の管理下で運用されているようです。
1975年以降、海軍の学生飛行士のための新しい主要な飛行訓練機として
タービンエンジンを搭載したT-34Cターボメンターが導入されて、
従来のノース・アメリカンT-28トロージャンに置き換えられていきました。
1980年代半ばには、フロリダ州ペンサコーラで
海軍飛行士の基礎訓練機としても使用されるようになりました。
その後T-34Cは、米海軍、米海兵隊、米沿岸警備隊の学生海軍飛行士や、
米海軍の支援の下で訓練を行う様々なNATO/同盟/連合軍の
学生パイロットの主要な訓練機として普及しました。
この同盟軍の中には、我が日本国自衛隊も含まれていることは
おそらく皆さんもよくご存じですね。
陸自のメンターT-34
畑とビニールハウスの田園光景に恐ろしいくらい全く違和感なく馴染んでいます。
空自のメンター
入間基地かな?
日本では最初に1保安庁(現防衛省)が初等練習機を50機導入し、
富士重工業(旧中島飛行機)がライセンス生産を行いました。
陸上自衛隊用に連絡機を、海上自衛隊向けにKM-2が製造されています。
KM-2
Kは「改造=KAIZOU」のK、Mは「メンター」のM。
自衛隊での愛称は「こまどり」だった模様。
絶対冗談で「こまどりじゃなくてひなどり」
とか言われてたんだろうなあ。
この他にも、メリーランド州の海軍航空試験センターや、
バージニア州オセアナ、カリフォルニア州ルモア、そして
ここカリフォルニア州ミラマーのFRS、
ネバダ州ファロンのNSAWC(海軍攻撃航空戦センター)で、
F/A-18艦隊代替飛行隊やストライク・ファイター兵器・戦術学校の
空中偵察機として使用されているT-34Cがあります。
デビューして16年後、T-34Bは、より強力でコスト効率の高い
プラット・アンド・ホイットニー社製ターボプロップエンジン(PT6A-25)
を搭載したT-34Cに置き換えられました。
【FLAMのメンター】
展示されている機体は、22機目のT-34Bです。
1955年8月10日に海軍に受け入れられ、
おもに海軍飛行士の訓練機として名、前通りのメンターな生涯を送りました。
1976年以降はいくつかの基地の飛行クラブで余生を送り、生涯を終えています。
この「飛行クラブ」の実態がいまいち分からないのですが、
例えば海軍の飛行クラブの説明は、
「海軍フライングクラブは、現役の船員やその他の認定された利用者に、
操縦、ナビゲーション、航空機のメカニック、その他、
関連する航空科学を含む航空技術のスキルアップの機会を提供しています。
現在、5つのネイビー・フライング・クラブが米国内の各基地に設置されています」
ということです。
退役後の再就職のために資格を取る施設とかそういうのかしら。
【メンターの後継機】
1990年代初頭、アメリカ空軍とアメリカ海軍は
統合基本航空機訓練システム計画(JPATS計画)
を発表しました。
これは何かというと、訓練機を統一して合理化計画を図ったということです。
わたしは、わずか40年で、海軍と空軍が予算を取り合っていがみ合っていた
(文句言ったのは海軍だけだったという噂もありますが)恩讐を超え、
訓練機を統一する英断に至ったことに感動しました。
仲良きことは美しき哉。
そもそも練習機を統合することで、コストを削減でき、
部品や整備、操縦の互換性を高め、コストを大幅に削減でき、
航空機製造メーカーにとっても無駄がなく、いいことづくめです。
この結果、
レイセオン・ビーチ PC-9 Mk.II T-6 テキサンII
が採用され、現在運用されています。
AT-6C Texan II
この名前、往年を知る元パイロットには胸キュンに違いありません。
たかが訓練機、されど訓練機。
訓練機のネーミングって、大事なんです。
パイロットの最初の「指導者」になる飛行機ですからね。
ただ、このテキサンII、タンデム(縦列)複座配置で
教官のフォローが難しく、性能も高すぎて初心者には難しいので、
米軍、初等練習機としては、より小型のT-53Aなどと併用しているそうです。
ここでさっきの伏線を回収しますが、この訓練機選定の際、
もう少し初等訓練機にふさわしい、扱いやすいのがあったのに、軍の偉い人たちは
「テキサン」というだけでついつい選んでしまった
ってことはなかったのでしょうか。
だとしたら、やっぱり名前って販売戦略上においても大事ってことですね。
続く。