基地ツァーの解説は、横須賀市観光協会のボランティアの方々です。
全行程の米軍、そして歴史についての知識もさることながら、
ことカメラを持つと決していつも大人しく言うことを聞くわけでもない(らしい)
時として非常識な見学客相手を率いて、無償で奉仕する方々の熱意には誠に頭が下がります。
しかし、この「無償の行為」については、当ブログにも同じことが言えます。
この、人によっては「呆然とするほどの」長文を、毎日アップし続け、
しかもその代償どころか毎月サイト維持料まで払って何のためにやっているのか。
先日、当ブログを通じてご縁を戴いた方から、わたし、エリス中尉が当ブログ、
「ネイビーブルーに恋をして」を運営している「動機」に関する考察を戴きました。
自分を表現したい、ということだと思うのですが、
自分を表現したい、という熱情だけではここまでには至らないのではないかとも思う
そしてわたしがそういう人間の一人である、というご意見です。
自己表現。
それは全くその通りで、インターネットという言論空間で何かを発する人々の
動機というのは、わたしに限らず誰でも「自己表現」であると思います。
ネットという手段が無い頃は、自分の頭で考えたことと世間の接点は一方通行で、
ただそれをインプットするのみであったのが、今の時代はそれをアウトプットし、
同時にオーバーフローすることをリアルタイムで実感できます。
一言でいうとメディアが「インタラクティブ」に変わったのです。
つまりだれでもインタラクティブ・メディアを通じて自己発現が可能になりました。
たとえばこのgooブログだけで190万人以上が自己のブログを持っており、
毎日数百の単位で増え続けています。
ブログという媒体で何かを訴えようと思う人がここだけでもこんなにいるのです。
しかもその内容には法律的なもの以外の制限は何も無く、
いかに他愛も無い、稚拙な、あるいは低劣な、さらに常識派が目を背ける内容であってもOK。
そしてインターネット空間に「垂れ流された」情報には必ず受け手が表れ、
何らかの反応があります。
昨今ツィッターで始終自分の居場所ややっていることを報告し続けているうち、
それが「世界に発信されている」という自覚のないままにプライバシーや、
あるいは企業秘密の暴露、守秘義務違反などの法を超えてしまい、
文字通り「人生オワタ」になる若い人がいるそうです。
このことからツィッターは「バカ発見器」「バカッター」と言われることもあります。
つまりこれはたとえどんな情報であっても、必ず「どこかで誰かが見ていて」
かつ「それに対するリアルな反応が(良くも悪くも)ある」ということでもあります。
さて。
わたしことエリス中尉は
「なぜ一文にもならない文にこれだけの熱意を注ぐのか」。
わたしと当ブログに対する考察を戴いた方は、
自分が何事かに感じた時に心が躍るのみならず、
他に共鳴者を得た時に、震度が格段に高まる人でおられるのではないか
とおっしゃいました。
自己発現の一手段としてのネットでの発言は、
ツィッターのように内容の如何を問わず、必ずなんらかの手応えがあるわけですが、
わたしは必ずしもその手応えが、「共鳴」とイコールであると思うほど
おめでたい考えは持っておりません。
しかし、一定の閲覧数や、エントリのツィートなどのソーシャルメディアの動きから、
「共鳴者」がいるのを察知することはできます。
わたしは一般人であり、世間的には無名の市井の一個人で、
しかも「エリス中尉」という架空の存在として発言している限り、
「実社会における自分自身をこのように思われたくて表現している」
という三次元的な欲望はそこにまったくありません。
一つのエントリを書くために勉強し、調べ、写真を撮り絵を描いて、
一方では読者の方と会話しつつ、そうやって作成したブログという
「自分の世界」がインターネットに生み出され外の世界と交わる。
そしてそこに「共鳴者の存在」を感じる。
それだけです。
考えようによってはこんな時間の無駄、あるいは単なる自己満足はないと思うのですが、
どうしてこの時間潰しの道楽によって、わたし個人が、
エリス中尉という架空の存在を通して与えられる喜びは、なかなかに得難いものがあります。
つまり金銭的には無償でも、精神は計り知れない充足を得ているというわけです。
ここで歴史ツァーのボランティアの方々の話に戻ります。
この日一日ツァーに参加して、解説員たちの様子を見る限り、この方々も、
わたしがブログで得られるのと同じような充足をこの仕事の糧としておられるのではないか、
そのように感じた次第です。
・・・とここで終わってしまってもいいのですが、ついでに話を続けます。
(この『ついで』が、当ブログの長文の元凶なんですねわかります)
さて、ツァーは朝に始まりお昼を挿んで全行程約6時間(だったかな)。
ツァー参加者への注意事項として、
「決してツァーの列を離れて単独行動しないで下さい」
というのがまず一つ。
基地内にはこの看板のような、「オフリミット」、つまり立ち入り厳禁の場所が
いたるところにあって、うっかり迷い込んだら銃殺されても文句はいえない
というまではいかないまでも、スパイ容疑で拘束されかねないからですね。
それから、
「長距離を歩きますので、くれぐれも歩きやすい運動靴等を履いて下さい」
という注意事項もありました。
わざわざことわるだけのことはあって、この行程の移動距離は大変なものです。
団体でぞろぞろとあっちこっちを歩くので、決して激しい運動ではありませんが、
ボランティアの解説員は予定を時間通りに消化するという目的があるので、
どうしても先導が早足になってしまう傾向にありました。
普段身体を使っていない人なら、午後には脚が痛くて辛い、というレベル。
つまり、歴史を知り在日米軍の現状を垣間見ると同時に、
「身体を鍛えることが出来る」
という得難いイベントであるといえます。
さて、こんな基地の内部を(前を通れないなりに見ながら)午前のおよそ3時間を歩き通したあと
ボランティアが
「皆さんお待ちかねの昼食とさせていただきたいとおもいます」
といったときには、わたしも少しほっとしました。
今年の3月、まだ少し寒いころに「フレンドシップデー」に参加しました。
その頃はちょうど早咲きの桜が満開で、この芝生の地帯にたくさん出店が並び、
その合間をそぞろ歩く人々の頭上には花びらが舞っていました。
ここにある東屋で、今から食事をするフードコートについての説明を受け、
集合時間を言い渡されたのち約45分の自由時間です。
説明を聞きながらふと目に留まったのは・・・。
そう、防衛大学校の学生さんの姿。
誰に見られていると思っているわけでもないのに、姿勢がいいですね。
自衛官は総じて私服のときでも姿勢がいいのでわかる、と、
アニメ「レスキューウィング」で言ってましたっけ。
自衛官の方にこの話をしたところ、基地内に自衛隊の関連部署があって、
そこに用事でいくのだという話です。
さて、フードコートに入ってみました。
雰囲気はまさにアメリカのフードコートそのまま。
このツァーの日は土曜日で、軍服を来た軍人よりも、彼らが家族で訪れ
昼ご飯を食べている姿を多く目にしました。
日本でもおなじみとなった「サブウェイ」などもあります。
わたしがアメリカに行った頃、つまり12年前は、信じられないでしょうが
東京都内でもまだスターバックスがこれから急増していこうという頃で、
禁煙のコーヒーショップというのがまだ珍しかったくらいです。
勿論サブウェイなど当時の日本には影も形もなかったので、アメリカで最初に
サブウェイの注文をしたときには、順番が来るまでドキドキしていたくらいです。
なにしろその頃は、こういう店で最初に聞かれる
「To go?」(テイクアウトですか?)
の一言の意味を知ったばかりで、テーブルのレストランと違い、
カウンター越しにぞんざいな英語で度々質問が飛んでくるこの対面式の飲食店は、
アメリカに行ったばかりの日本人にとってキョーフのひとときでもありました。
そのサブウェイで「野菜は何を入れますか」と聞かれたとき、
あまり何も考えず、
「All vegetables please」
と言ったところ、無神経なアメリカ人にハラペーニョを入れられたことがあります。
今でこそこのハラペーニョも、特に都市部ではメキシコ料理が一般的になり、
これが「殺人的に辛いメキシコ唐辛子」であることをご存知の方も多いと思いますが、
当時は「JALAPENO」という単語もどう読むかわからなかったころで、
ましてやその破壊力など極東の日本にはまだ伝わっておりませんでした。
それはマイアミ旅行中のことです。
運悪くそのときうちの家長は、腰を痛めて移動中の車の中で動けないままでした。
わたし一人でサブウェイに食料を調達にいき、激辛のハラペーニョ入りと知らずに
車に戻り、まずお腹をすかせた息子に一口食べさせたら、彼は
「からい〜!」
と大泣き。
本場物のハラペーニョは、まさに幼児なら火がついたように泣くくらい辛いのです。
勿論わたしもTOも一口食べて「うっ・・・・」。
以降、サブウェイでは
「ハラペーニョだけは入れないで下さい」
と断るのが習慣になりました。
何にしようかと思いましたが、日本でも今や食べられるサブウェイはやめて、
この「中華もどき」にしました。
これもアメリカでは「パンダエクスプレス」などの有名どころに代表される、
「やたら甘い酢豚みたいなものやソテーした野菜、プラスチャーハンかそば」
これらをチョイスするシステム。
金額によって選べる品数が変わります。
ところで、ツァーの説明によると、店員さんは日本語が通じるということになっていました。
この「マンチュー・ウォク」(wokは中華鍋のこと)に並んだ参加者は多く、
わたしの前後の人たちは日本語でオーダーしていましたが、残念ながら
店員さんあまり堪能とは言えない日本語の対応に四苦八苦しており、
わたしが英語で注文したらわりとほっとしていたように見えました。
そして、これも説明によると「日本円は使えます」とうことで、
わたしの前後はやはりお代金を日本円で払っていたのですが、
まずレジにレートを入力して、それからレジを打つので、時間がかかるかかる。
しかも返ってくるおつりはドル。
「おつりはドルで返ってきますのでご了承下さい」
そう言えばこんな注意もあったわね。
そんなこともあろうかとわたしは抜かりなくドルを持ってきているのよ。
「12ドル40セントです」
ふむ。
こんなときには住んでいたものの強みで、ささっと12ドルを札で、そして
クォーター1つ(25セント)に小さな10セントダイム、茶色い1セントを5つ。
瞬時にしてこれだけをトレイに並べたわたしに店員さん、
「Sorry, we don't accept 1-cent coin」
(すみません、ここでは1セント硬貨は扱ってないんです)
なんと日本では1セントは流通していなかったのか。
全てのモノの値段は切り上げか切り捨てなのね。
というわけで代わりに5セント硬貨を出しました。
オレンジチキンと野菜炒め、そしてチャーハンをセレクト。
お味は・・・
やたら甘い酢豚風チキン、妙にパサパサしたチャーハン、全く火を通さないブロッコリ、
まさにアメリカのショッピングモールの中華もどきそのままです。
ある意味ここまであのチープな味を異国で再現できるのはすごい。
シェフは天才ではないだろうか。
わたしがアメリカを懐かしみながら()この中華もどきを味わっていると、
隣のテーブルのツァー参加客が、フードコートの中の「シナボン」で、
冒頭写真のシナモンロールを食べているのに気づき、何となく
「それ、おいしいですか?」
と訊ねてみました。
空港でこの「シナボン」があると、辺り一帯がシナモンの匂いに満たされるのですが、
これまで一度も食べたことがありません。
食べなくても十分想像できる味ですし、日本人としての感性がその味を一度も欲しなかったからです。
ところが、この日、ツァー参加客がこの問いに対し「美味しいですよ」と答えたことで、
ふとこの「シナボン」を食べてみる気になりました。
外側からロールを剥がして、おそるおそる食べてみます。
一番外側からかなりの甘さで、それでもなんとか制覇しましたが、
上からたっぷりと得体の知れないクリームがかかっている中心部分に入ったところで限界。
結局外側を剥がしたところで状況終了です。
この擂鉢山は、日本人の状況制圧を断じて阻む手強いものでした。
結論:二度と食べない
続きます。