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「OからUまで」軍事偵察機の近代史〜スミソニアン航空博物館

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スミソニアン航空博物館の軍事航空偵察の世界、
題して「スカイ・スパイ」の展示から、今日は偵察を行う航空機についてです。
偵察機については、スミソニアンが誇る(たぶん)模型製作部が
航空模型を製作し、それを展示して説明が添えられています。
■ ノースアメリカンNorth American0−47

0-47は、第一次世界大戦で使用された3人乗りの観測機で、
空中観察や写真撮影のために広い視野を確保できるように設計されています。
軍団・師団用の観測機として設計されたのですが、実際、
第二次世界大戦中はほとんど練習機や標的曳航機となっていました。

模型からもなんとなくお分かりのとおり、O-47は、
当時の標準的な単発軽爆撃機をかなりずんぐりした形にしたものです。

密閉されたコックピットに3名の乗員が搭乗し、
胴体の基部には観測者が見やすいようにガラス張りの部分が設けられていました。
産卵直前のグッピー的ななにか
試作機は、850馬力のライト・サイクロン・エンジンを搭載。

この試作機は、後に登場する連絡機よりもはるかに高速だったのですが、
後に登場する通称「パドル・ジャンパー=水たまり飛び」よりも、
多くの支援と優れた飛行場が必要だった、と説明されています。
要するに手間がかかり性能がイマイチだったということになります。
Puddle Jumperは、航空会社のハブ空港である大空港から
適度な距離にある小空港を結ぶフライトによく使われる小型飛行機のことで、
座席数は6~20席程度、大体1時間以内のフライトしかしないので、
乗り心地も、荷物を入れるところも、ほぼないに等しいという感じです。

わたしも乗ったことがある、ラスベガスとグランドキャニオンを往復して
観光客を輸送する飛行機が、まさにその「パドルジャンパー」でした。

そのパドルジャンパーより性能が劣ると言われるO-47。

なぜこんな機体を3人乗りに?と疑問が湧きますが、観測機に必要な人員数について多くの議論がなされた結果、こうなったのだとか。



O-47は第一次世界大戦以降の観測機の中では最も多く調達され、
合計238機が製造されました。

1940年ごろになると、観測連絡機に求められる条件は超低速で飛行し、
小さな平地で離着陸できることでしたが、O-47にその能力はなく、
機動性が向上した現代戦にはその大きな機体はもはや時代遅れでした。

後発のO-49でさえ大型で複雑であることが判明し、
彼女らの代わりに民間の軽飛行機をベースにした、
はるかに小型の航空機が観測の役割を果たすことになります。

(テーラークラフトL-2、アーロンカL-3、パイパーL-4。
これらはいずれも『グラスホッパー』と呼ばれていた)

というわけで、時代遅れとなった巨体のO-47は、
第二次世界大戦中、訓練機や標的曳航機として使用されました。

O-47は第二次世界大戦中、訓練機や標的曳航機として使用され、
1939年の開戦時には、ナショナルガードの航空機のほぼ半数を占めていました。

書き忘れましたが、O-47のOは偵察(observation)のOです。
ちなみに、飛んでいる写真の機体の上部に丸い輪っかが乗っていますが、
これ、サンフランシスコのメア・アイランド海軍工廠博物館にあった
方向探知機(Direction  finder)ですよね。
これです

アメリア・イヤハートの写真に写っていましたが、これ、
本人が失踪したときの飛行機に積んでいたらしいんですね。

使い方が難しく、本人も知識がなくて使うことができなかったのが
失踪のファクターとなったという記述を見つけ、ショックを受けたことがあります。

アメリアー、遊んでる場合じゃないだろ?って。
このアンテナはベンディックス社のラジオ方向探知機のものでした。


■ロッキードF-5ライトニング
 Lockheed F-5 Lightning


「ペロハチ」といわれたP-38の偵察バージョン、F-5です。

ここでもスミソニアンの展示の写真を挙げたことがあるP-38ライトニングは、
独自のツインブームデザインと三輪着陸装置を備えた大型双発戦闘機です。

写真偵察バージョンは、武装を取り除いた機首にカメラを据え、
左右と下方向の写真が撮影できるようになっていました。

ライトニングはスミソニアンによると総合的な能力は零戦より下でしたが、
零戦に勝る部分であった高速・高高度性能が
敵地上空での非武装写真偵察任務に理想的だったとされます。


なんと、この偵察ペロハチ乗りを、あのウィリアム・ホールデンが演じた
30分の教育映画が、陸軍広報部によって製作されていました。

P-38 Reconnaissance Pilot starring William Holden (1944)

「偵察パイロット」というこの短編映画の内容は、

太平洋での任務を終えて帰る飛行機の中でタバコを吸う主人公
恋人・家族との再会
回想〜入隊の誓い、航空訓練(複葉機、レシプロエンジン機)
Fー5に配置されがっかりする主人公
偵察機パイロットとしての特殊訓練
出撃後任務を重ねる
零戦編隊との遭遇 交戦して勝利15:40〜
主人公の偵察によって日本軍基地(ラバウル?)への爆撃成功

しかし偵察隊がその成功を直接評価されることはありません。

爆撃機のパイロットが戦功章を受賞するのを後ろの列で見ている主人公ですが、
その成功が自分の偵察にあることを密かに誇りに思い、
今故郷で自分の肩に頭を乗せている恋人に、戦地でのことを
「悪くなかったよ」

とだけ微笑みながら告げるのでした。(完)まあなんだな、偵察パイロットを志望する人員を増やしたかった、つまり
それだけ皆が応募したがらない職種だったってことなんでしょう。


■ McDonnell RF-101 ブードゥーVoodoo

RF-101 Voodooは超音速の偵察機で、非武装で飛行し、
最大6台のカメラを搭載することができました。
キューバにおけるソ連のミサイル開発の低空偵察や、
北ベトナムでの写真撮影などの任務に活躍しました。

有名なキューバのミサイルサイトの写真。
U-2全盛の時代、ブードゥーによって撮影されました。

ちなみにわたくし、エンパイアステート航空博物館で、
偵察でない方のブードゥーにお目にかかっております。
翼の付け根の三角のインテイクが目印(と覚えておこう)

ナイアガラの帰りに見つけたエリー湖沿いの軍事博物館にもいました。
1959年には8機が台湾に譲渡された関係で、台湾空軍は
中国大陸の偵察を行うためにこれを運用しています。
■ Lockheed SR-71

当ブログでは模型も含め何度も紹介しているSR-71、通称ブラックバード。
ブラックバードはあくまでも愛称であり正式名ではありません。

高高度を飛び、偵察を行っていた偵察機です。


とても・・・・薄いです・・。

着陸の時はドローグを使うとは・・・。

せっかくなので、わたし撮影のSR-71写真を。
機体の85%がチタンでできていると、こんな色になるんですねー。塗料に鉄粉を含むフェライト系ステンレスを使っています。



薄いのは偵察飛行でレーダーに捕らえられないように。
伝説の偵察機SR-71はその現役期間、完璧にノーマークでした。


前にも書きましたが、SRの名付け親?はカーチス・ルメイです。
この機体以前、偵察機は

reconnaissance/strike (偵察爆撃)=RS

だったのですが、それを退け、

strategic reconnaissance(戦略偵察)
にしたといわれています。
偵察機は偵察の任務に特化されるようになったので、
爆撃のSは必要がなくなったということなのか。


一人で着ることはできず、着用には必ず介助を必要する
SR-71のフライトスーツ。
ちなみにこの飛行機、シートベルトすらも自分で付けることはできません。
しかも、着脱の際、急減圧が起こると、体外の空気の減圧により気泡が生じ、
血液の流れが阻害される潜水病と同じ「空気塞栓」が起こる可能性があるので、
搭乗前に充分な時間を掛けて100%の純酸素を呼吸し、
血液中の窒素を追い出してからスーツを着用する必要がありました。
■ Lockheed U-2

SR-71の非公式名「ブラックバード」のように、U-2にも
「ドラゴン・レディ」という愛称が付けられています。
先日、U-2撃墜事件の偵察パイロット、フランシス・パワーズについて
お話ししてみたわけですが、自分の撮ったスミソニアンの写真の中に、
U-2を撃墜したミサイルがあったので、ちょっと驚きました。
忘れていたのか?わたし。

SA-2 ガイドラインミサイル Dvina (ドヴィナー)
SA−2はNATOのコードネームで、SAは”surface-to-air”のことです。
ところで、当ブログではSR-71を設計した
スカンク・ワークスのクラレンス・ケリー・ジョンソンについて、
何度か取り上げているのですが、このU-2を設計したのもジョンソンです。
もう一つついでに、P-38ライトニングもこの人の設計です。

当時「第二の真珠湾攻撃」をソ連から食らわないように、
そして、より高高度からの偵察を目的に、U-Sは1950年代半ばに
ロッキード社を介してジョンソンに設計が依頼されました。
ジョンソンは、プロジェクトを予定よりも早く完成させることで知られていました。
最初に設計したCL−282という機体は武装しておらず、
専用のカートから離陸して胴体着陸する(どんなんだ)という、
まあいわば、ジェットエンジンを積んだグライダーみたいなものでしたが、
ルメイ将軍はこれを見るや、
「車輪も銃もない飛行機に私は興味がない!」

といって、プレゼンテーション会場を出て行ってしまったとか・・。

しかし、結局このプロトタイプは採用されました。
(採用を決める委員会のメンバーに帆船好きがいたり、
インスタント写真を発明したエドウィン・ランドがいたせい、という話もある)
つまり軍ではなくCIAが運用するならいいんでない?
というところに落ち着き、アイゼンハワーもこれを了承しました。
最終的には軍が飛ばすことになるんですけどね。
名前のU-2の「U」は、なぜか偵察と関係のなさそうな
多用途とか有用の「utility」から取られています。
U-2に搭載する大型カメラは高度18,000mから76cmの解像度を持っていました。
カメラの光学関係を開発していたジェームズ・ベイカーが、ジョンソンに
610cmの焦点距離を持つレンズのために、
機体にあと15cmのスペースを確保してほしい、と頼んだところ、彼は
「その15センチのためにわたしはおばあちゃんを売るよ!」
と答え、ベイカーは代わりに133cm×33cmフォーマットの
460cm F/13.85レンズを最終設計に使用ししたという逸話が残されています。

スミソニアンに展示されているU-2のカメラ


前にも一度上げていますが、もう一度。
U-2の積んでいた偵察のためのお道具一覧です。

U-2撃墜事件でソ連のジェット機はともかく、
対空ミサイルにはその性能を発揮できないことが明らかになったあとも、
1962年のキューバにおけるソ連のミサイル増強の偵察、中国の核実験の検証、
ベトナムや中東での偵察、民間の災害調査や環境監視など、
重要な役割を果たしてきました。
航空宇宙博物館の機体は、空軍の特別プロジェクトのために
迷彩色に塗装されたU-2Cです。
U-2の生産は1989年に終了しましたが、今現在も現役で運用中です。
続く。


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