ブルネイ海軍、インドネシア海軍とご紹介したので、次は当然
両国と同じ一つの島ボルネオを分け合うマレーシア海軍だろうと思っていた方、
なぜか広報に最初は名前のなかったオーストラリア海軍の
HMAS「アルンタ」に横滑りしてしまいどうもすみませんでした。
今日こそは、マレーシア海軍と今回の観艦式参加艦艇についてです。
その前に、おなじみKさんがマレーシア艦に乗艦した時の写真をどうぞ。
この日KD「クランタン」は夜レセプションを控えていたそうで、
見学の人を入れるのを打ち切ったのですが、
Kさんはその最後のグループにいてギリギリ乗ることができたとか。
なんでもない写真ですが、明らかに日本やアメリカとは違う仕様がわかります。
例えば転落防止柵の貼り方とかね。
カクテルテーブルの飾り付けがお洒落です。
ここにはレセプションのデザートが乗る予定。
なになに?何が出てくるのかな?
「ピュレ・セランディング」Pulet serunding
餅米をココナッツミルクで練ったものを揚げた団子。
玉ねぎやひき肉も入っているらしい。
「サラワク・ケーキ」Sarawak layer cake
「世界で最も難しいケーキデザイン」と言われる(知らんけど)
レイヤーケーキ、「サラワク」。
なんでも、四角い焼き型におたま一杯ずつ、色を変えてケーキの地を入れ、
3〜5分上火で焼いて次のを入れ・・・を延々と繰り返して層を作ります。
色は単に着色料なので美味しいかどうかはわかりませんが、
とにかく綺麗で手間がかかっていることはわかります。
こんなめんどくさそうなものを軍艦のキッチンで、という気もしますが、
もしかしたらインドネシアやマレーシアでは、
これがないと盛り上がらないくらいポピュラーなお菓子なのかもしれません。
あとはスイスロール、カナッペ、プディング各種と書かれています。
スイスロールってなんだっけ、と思ってダックったら(DuckDuck goユーザ)
普通にクリームやジャムを巻いたロールケーキのことでした。
ちなみに日本で最初にスイスロールを発売したのは山崎製パンで、
1960年代にはスーパーに出回っていたそうです。
■ マレーシア海軍
というわけでひょんなことからマレーシアのお菓子について
その片鱗を知ることになってしまいました。
今回の、観艦式参加国の海軍について調べるという企画が、
これまで知らなかったことや歴史を探究する機会になったことに
心から感謝しつつ、マレーシア海軍についてお話ししたいと思います。
ロイヤル・マレーシア海軍
Tentera Laut Diraja Malaysia TLDM;
Royal Malaysian Navy RMN,
تنترا لاءوت دراج مليسيا
活動領域は、マレーシアの沿岸地域と排他的経済水域(EEZ)をカバーする
603,210平方キロメートル。
マラッカ海峡やシンガポール海峡など、国内の主要な海上交通路(SLOC)。
また、スプラトリー海域など、主張が重複する海域の
国益を監視する責任も担っています。
【海峡植民地王立海軍志願予備軍】
1934年にシンガポールの英国植民地政府が結成した
Straits Settlement Royal Naval Volunteer Reserve
SSRNVR
が、マレーシア海軍の原型です。
シンガポール海域で英国海軍を支援するための組織結成の背景には
当時アジアで自己主張を強めつつあった日本の台頭がありました。
第二次世界大戦の原因を一言で言えば、それは
「南方における資源の取り合い」に尽きます。
ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、資源を確保するために
英国海軍は軍艦を供与するなどしてSSRNVRの戦力を一層増強しました。
これが「マレー海軍」と呼ばれるマレー系住民による海軍の基礎となり、
戦争が始まった1941年には、兵力は1,450人に増えていました。
第二次世界大戦中、マレー海軍は連合軍と共に太平洋の作戦地域に従軍し、
1945年に終戦になると、戦後の経済的制約から海軍は解散させられました。
【第二次世界大戦後 - マレー海軍の結成】
1948年、「マラヤ危機」が勃発しました。
これは、イギリス植民地政府に対する反乱で、
決起したのは共産主義勢力に扇動されたマレー民族解放軍です。
「マラヤ危機」は実質「危機」ではなく内戦だったのですが、
イギリスではこれを内戦としてしまうと、ロンドンを拠点とする保険会社が
保険金を支払わなくなるという事情から、
意地でも「危機」と呼んだという事情でそう呼ばれています。
ちなみにこのとき反乱を扇動した「共産主義者」の親分は
中国系マレー人、通称「陳平」本名王文華という筋金入りの怪しい人でした。
結局マラヤ政府が反乱組に恩赦を与えて収束を図り、
この陳平が大陸に逃げて騒動は終わっています。
しかしこの内戦をきっかけに休止していた海軍は活性化されることになります。
英国海軍の「リバー」級フリゲートを取得したほか、
装備した艦艇の中には旧日本海軍の機雷掃海艇などもありました。
それは・・・
デジャブかな?
シンガポール海軍の歴史にも登場した「若鷹」。
「若鷹」この地域で大人気でした。
シンガポールが1966年に取得する前に、マラヤ海軍によって
HMMS「ラブアン」Laburnum
として1963年まで運用されました。
1952年、女王エリザベス2世は、マラヤ危機における海軍の功績を称え、
「ロイヤル・マラヤ海軍」Royal Malayan Navyの称号を授与しました。
船旗1957-1963
【マレーシア独立】
マレーシアがイギリスから独立したのは1957年8月31日のことです。
マレーシアではこの日を「ハリ・ムルデカ」と呼び、
毎年盛大に独立記念日を祝うイベントを行ないます。
独立から1年後、統治に残されたイギリス海軍の資産が譲渡され、
ロイヤル・マレー海軍に所属するすべての艦船、施設、人員は、
マレー政府に継承されると同時に、王立マラヤ海軍は
名実ともにマラヤの海上防衛を一手に担う責任者となりました。
このときから、ロイヤル・マラヤ海軍の「ロイヤル」は、
英国女王ではなく、マレーシア軍最高司令官と指すとされました。
新生海軍は、英国海軍から移管されたLCT1隻、沿岸掃海艇1隻、「ハム」級掃海艇6隻、「トン」級掃海艇7隻など沿岸艦隊を擁していました。
そして1963年9月16日、 シンガポール、イギリス保護国北ボルネオ、
イギリス領サラワクがマラヤ連邦と統合し、マレーシアが成立。
ロイヤル・マラヤ海軍はこのとき、
Royal Malaysian Navy (RMN)
と名称を変更しました。
船旗1963-1968
それまでの旗と何が違うのかわかりませんでしたが、
よく見ると赤い線が6本から7本に増えています。
マレーシアの新生海軍がアメリカのボスパー有限会社に18隻注文したのは
「ケリス」Keris 級哨戒艇
その後しばらく王立マレーシア海軍の主力となりましたが、
これは時速27ノット、実のところ耐久性も低かったそうです。
そして独立するなりマレーシアとインドネシア両国の対立が始まりました。
これによって両国は互いに海軍力の増備を図っていくわけですが、
RMNはかつての宗主国であったイギリス海軍から、
「ロッホ」級フリゲートHMS 「ロッホ・インシュ」
を取得し、
KD「ハン・トゥア」Hang Tuah
として運用しました。
現在も使われる接頭語のKDはKapal Di-Raja=「陛下の船」という意味です。
「ハン・トゥア」は15世紀の実在の武将の名前から取られました。
同艦はインドネシアとの対立の中、近海警備を担い、
1970年代でスクラップになるまでRMNの旗艦として活躍しました。
その後も、マレーシア海軍は組織の改革などを行ない、
沿岸海軍(ブラウンウォーターフォース)から
外洋海軍(グリーンウォーターネイビー)へと徐々に変貌していきました。
【1970年代以降】
1977年、RMNは退役した「ハン・トゥア」の後継として、
イギリス海軍からフリゲート艦HMS「マーメイド」を獲得し、
2代目 KD「ハン・トゥア」 と命名されました。
今度のは2,300標準トンの軽巡洋艦で、102ミリ砲2門装備です。
その後マレーシア海軍は、エグゾセを搭載したミサイル艇、
元アメリカ海軍の第二次世界大戦時のLST数隻を輸送用に購入し、
掃海艇なども新たに取得していきました。
同時に主にイギリス海軍から譲渡された装備で航空団も組織していきます。
【近代化】
RMNの近代化は1980年代後半に始まりました。
「ニミッツ」と「レキウ」級フリゲート
「ラクサマナ」Laksamana級コルベット(イタリア)
「レキウ」Lekiu級フリゲート(UK)
「カストゥリ」Kasturi級コルベット(ドイツ)
「スコーペン」Scorpène級潜水艦(スペイン&フランス)
「ケダ」Kedah級海洋パトロール船(マレーシア独)
「ケリス」Keris級沿岸任務船(中国)
「マハラジャ・レラ」maharaja-Lela級フリゲート(マレーシア仏共同)
などを次々と装備しています。
【海賊対策】
2011年、ケミカルタンカーに対するハイジャック事件が起こりましたが、
マレーシア海軍は、攻撃ヘリで海賊の母船を突き止め、
海兵隊員のコマンドが乗り込んで戦闘を行い、その結果
船員 23 人が救助され、ソマリアの海賊 7 人が拘束されました。
ソマリア人犯人グループの中には15歳未満が3人いたそうです。
また、2015年に起きたインドネシアの海賊によるハイジャック事件でも
マレーシア海軍はベトナム国境警備隊、ベトナム沿岸警備隊、
オーストラリア空軍、インドネシア海軍で行われた共同作戦に加わりました。
2013年2月11日には、フィリピンから侵入しボルネオのサバ州で
領有権を主張する200名以上の武装勢力に対し、
マレーシア海軍は艦艇を用いて海上封鎖を実施し、
海軍特殊戦部隊を送り込みました。
【マレーシア海軍基地配置図】
マレーシアという国が地図上で判然としない方もこれでOK。
マレーシア海軍特殊部隊 PASKAL
(Pasukan Khas Laut or Naval Special Warfare Forces)
■ KD「クランタン」
「クランタン」入港から内部までが見られるyoutubeをご覧ください。
KD「クランタン」は先ほど説明した、「ケダ」級哨戒艦の5番艦です。
建造はドイツ海軍グループの ブローム+フォス/HDW、
ブーステッド重工業株式会社(旧PSC-Naval Dockyard)。
容積 1,850トン
全長 91.1m
喫水 3.4 m (11 ft)
主推進力
キャタピラー社製3616(5,450kW)ディーゼル
速度 24ノット(44km/h、28mph)
航続距離 6,050海里(11,200km、6,960mi)
耐久日数 21日
定員 78名(98名収容可能)
兵装
76mmオトーメララ
30 mm ブレダ-マウザー
搭載ヘリ:スーパーリンクス300
「ケダ」級洋上パトロール船は、当初は27隻が計画されましたが、
計画の遅れやオーバーランにより、最終的に6隻が建造されました。
艦名は全てマレーシアの州名にちなんでいます。
F171 KD「ケダ」Keda 2006
F172 KD「ペハン」Pehang 2006
F173 KD「ペラク」Perak 2009
F174 KD「テレンガヌー」Terengganu 2009
F175 KD「クランタン」Kulantan 2010
F176 KD「セランゴー」Selangor 2010
KD「クランタン」は 2005 年 7 月に BHIC, Lumut, Perak で起工され、
2008 年 11 月 24 日に進水し、2010年5月8日に就役しました。
こうして見ると艦尾側が黒くて特殊なデザインですね。
この色の塗り分けには何か機能的な意味があるのでしょうか。
「ケダ」級のサイズはコルベット級ですが、マレーシア海軍では
オフショアパトロール船(OPV)と分類されています。
というのは、同級は完成した段階で兵器やセンサー、
電子機器を搭載しておらず、搭載できる設備だけを持つ船だからです。
というわけで、現在、同級の武装は砲のみ。
このサイズの艦艇としてはかなり軽装備で脆弱であるため、
コルベットではなくOPVとして登録されているのです。
当初27隻も注文しておいて6隻で打ち止めになったのは、
引き渡し前の海上試運転に合格せず、進捗が甚だ遅れたためでした。
【特徴】
MEKO 100コルベットをベースにしていており、
レーダーによる被探知能力が低く、静音性があり、低発熱で、
経済的な巡航速度を持つよう設計されています。
高度な制御システムを持ち、推進、電気、ダメージコントロール、
補助機械やシステムを含む監視と制御に使用されています。
船舶の数が6隻と少ないため、運用の効率と生存率を高めるために、
高度な自動化設計が採用されました。
インテリジェントな電子機器とセンサーこれにより、
船内の複数の場所から機械の監視と制御が可能になり、また、
生存率を高めるために冗長化(バックアップ)システムを備えています。
先ほど少し説明しましたが、「ケダ」級は、
地対空ミサイルと対艦ミサイルが搭載可能ですが装備していません。
巡航ミサイルも購入すれば1日で取り付けられるので、
必要になったらそのときに搭載するという状態だそうです。
そんなので乗員はいざというとき武器類をちゃんと運用できるんだろうか。
続く。