お昼ご飯を食べたり、他の展示を見たりして過ごし、
いよいよU-505艦内ツァーの時間がやってきました。
先ほど退出したU-505艦体横のいエントランスにまた戻ってきました。
ちなみに、予約方法ですが、スマホで空き時間に名前を記入します。
館内での飲食禁止、13歳以下の大人同伴、
博物館閉館1時間前までに退出、と注意書きがあります。
おそらくU-505展示のハイライトがこの艦内ツァーです。
59 人の男性が何ヶ月も生活し、食事をし、働き、その後戦い、攻撃を受け、
死ぬことさえあったそのあまりに狭い空間。
我々は映画や写真でボートの中を何度か見た気になっていますが、
実は写真や映像では実際の艦内のサイズは全く伝わりません。
ここは何としてでもUボート内部に入ってみなければ。
U-505を取得し、展示することになってから、
MSIは係留されていたポーツマスに何度か人を派遣し、
艦体をどのように改修するかの検討を始めました。
結果、左舷側に穴を開けることが決まりましたが、
訪問者がどこから出入りするべきかが問題となりました。
電気モーター室からボートに入り、下士官室から出るべきか、
それとも後部魚雷室から入って前部魚雷室から出るべきか。
MSIのエンジニアは前者の計画を選択しました。
この艦内コンパートメント図でいうと、
11番から入って2番から出ていくというプランです。
というわけで穴あけ中
しかしその頃(1954年)は、まだハッチを残しており、
見学者は(他の博物館の潜水艦はほとんどがそうですが)
狭いハッチを潜り抜けて内部を見学していました。
U-505を屋内展示することになったとき、
あらたな改装として下士官室コンパートメントの床が
博物館のフロアと同じ高さで出入りできるように下げられました。
左がオリジナルの床。右側、人がいるところが低くなっている
多数の訪問者がボートにやってくることを見越して、
制御室に出入りするハッチも切り取られて拡大されたため、
狭いハッチを人々が潜り抜ける時間が要らなくなり、
あまり移動に時間をかけることなく、しかもほとんどの人々が
内部に入ることができるようになったのです。
現在は外に展示していた時の逆で、
下士官室から入って電気室から出ていくという通路になりました。
それではU-505に入っていきます。
見学者用の出入り口はスロープに続いて全く段差なく、
艦内に入っていくことができます。
さりげなく船殻と内部圧力室の間をライトアップして
構造を観察しやすいようにしてあるのがさすが。
■ 今ある姿に至るまでの「存続の危機」
U-505は戦後初期から何度も廃艦の危機に瀕していました。
以前も書きましたが、彼女が救われたのは、ダン・ギャラリー提督と
ジョン・E・フロバーグ海軍次官補の尽力によるものでした。
しかしながら、その過程でいろんな部品が内部から持ち出され、
オリジナルの形が損なわれていったのも事実です。
まず、U-505 の対空甲板砲は、ボートがバミューダに到着してから、
テストと評価のためにアメリカ海軍によって早々に取り外されていました。
いつボートに戻されたのかは不明ですが、一つのバレルを除いて、
すべての甲板銃はU-505 のオリジナルであることは間違いありません。
足りなかったバレルは、終戦時にアメリカ海軍に降伏した
最初の U ボート、U-858 (Type IXC/40) のものが設置されました。
海外に送られて帰ってこなかった部品もあります。
ラジオと音響装置と潜望鏡が取り外され、スペアパーツとして、
降伏したドイツの潜水艦を使用していた他の海軍に送られましたが、
中でもフランス海軍は、没収したUボートを運用するために
スペアパーツを含むU-505の装備の多くを持っていきました。
ボートには、ディーゼルエンジンコンパートメントの
メイン・ベンチレーター・モーターなど、様々な機器が散らかされ、
ラジオ室と音響室全体は早々に解体されました。
受信機を備えていて、万が一U-505がアメリカ本土にあることが
それから察知されたら、という可能性をなくすため、
通信機器の解体はいち早く行われたものと思われます。
無線室は今艦外の見学フロアに再現されている
すべてU-505オリジナル
さらに、ボートの極秘コードブックを保管していた金庫が、
無線室、船長室、士官室からなくなっていました。
U-505がシカゴに運ばれる計画が立てられてから、
牽引時のボートの重量を軽減するために、
ウイングダウン・デッキプレートの下に収容されていた
重いバッテリー (約 80 トン) も取り外されていました。
U-505を博物艦展示する準備にかかったMSIは、可能な限りオリジナル通りのボートを復元するために、
海軍に対し、評価やテストのために持ち去った装備を返却すること、
そして、オリジナルが見つからなければ、他の押収されたボートから
同様の部品を代替品として提供して欲しいと依頼しました。
そんなおり、MSIスタッフは、大変ラッキーなことに、
ポーツマス海軍基地の海軍海底音響研究所で働いていた
カール T. ミルナーという人物とコンタクトを取ることができました。
U-505は利用されるだけされた後、ポーツマスで終戦からずっと放置され、
案の定、ラジオと音響機器は、すべて基地のゴミ箱に捨てられていました。
電子機器いじりが趣味だったミルナーは、
これらのお宝をゴミ箱から回収し、地下室に保管していました。
その後、シカゴでのU-505の展示セレモニーに出席し、
ボートの内部を見学した彼は、訪問後、博物館の職員に連絡を取り、
地下室の「コレクション」に興味があるかどうか尋ねました.。
博物館が彼の申し出に狂喜乱舞したのは言うまでもありません。
その後、ミルナーは自費でお宝の全てを送り、
ギアはU-505にインストールされました。
ただし彼は不足しているものすべてを持っていたわけではなく、
一部はU-505のものでしたが、他のアイテムは
戦争の後半に運用された他のボートからのものでした。
■ Uボートの下士官
(ドイツ型IXC潜水艦、1941年)1944年6月14日、
USS「ガダルカナル」(CVE-60)のカメラマンが撮影した下士官の部屋。
写真中央に取り付けられている大きなクランクが、
U-505の乗員が総員退艦の際、自沈させるために解放した
Flutklappe(浸水フラップ)のレバーであると書かれています。
U-505に潜入した「ボーディングメンバー」は、まず
自爆装置の解除と自沈フラップを閉めることを真っ先に行いました。
【Uボート乗組の下士官】
Uボートの水兵を率いる下士官のさらに上に立つのが
チーフ・ペティ・オフィサーです。
航海;Obersteuermann /航海と物資の補給
運用;Oberbootsmann/ 乗員の規律など統制
ディーゼル;Diesel/ 機関長 Obermaschinist Leitender Ingenieur
=LIの下でディーゼルを担当
モーター;Electro Obermaschinist /LI下で電気モーターとバッテリー担当
下士官の数はボートによりますが、一般的には乗員3人に対して2人で、
様々な種類の専門家によって構成されていました。
ペティ・オフィサー(Unteroffiziere)
ヘルムスマン;Steuermann 操舵
トルピードマン;Mechaniker 魚雷
モーターマン;Maschinisten モーター
レイディオマン;Funkmaat 音響、通信
ボースン;Bootsmanner 乗組員の規律監督
■ 下士官寝室
さて、軍作戦上取り外された機器以外にも、
取り外されてそのまま紛失してしまったものは多数ありました。
これは、たびたびこのブログでも触れているところの
『アメリカ兵の戦利品コレクション癖』
のせいというのが大であるとわたしは見ています。
もちろんそれだけではなく、単に扱いが雑だったと言うこともあります。
たとえば、乗員寝室ではバンクのフレームは全て取り外され、
前後の区画に散らばって、マットレスもなくなっていました。
これは、ボートが拿捕された直後、アメリカ軍のクルーが、
ドイツの馬の毛を詰めたマットレスが不快
という理由でそれらを捨ててしまったからです。
一度はアメリカ海軍支給のマットレスに置き換えられたのですが、
これすらもボートがポーツマスで保管されたときに姿を消しました。
オリジナルだったギンガムシートは、最終的にボートに戻されました。
U-505に乗組員が乗り組み、生活していたときの状態で展示することが、
あくまでも博物館の目標だったのです。
低く改装された下士官寝室の床ですが、
画面下のスロープを上ると元の高さ(オリジナルの床)に戻ります。
手前にあるのが自沈フラップのクランクですが、
当時の写真と比べると、違うレバーが取り付けられているのがわかります。
前部魚雷室の後方にある下士官とチーフ(先任下士官)の居室には、
両側に 6 つずつ、計 12 の寝台が設置されていました。
上級下士官は、個人の寝台を利用する権限を持っていたということですが、
ご存知のように兵は寝台を互いにローテーションしていました。
「ホットバンク」はアメリカ海軍の言葉ですが、ドイツ海軍も意味は同じ。
写真をご覧になればわかるように、Uボートの内部は木が多用されていて、
必要最小限しか木製のものが見られないアメリカの潜水艦とは
設計思想が違うのかなと思わされます。
木を使うのは重量の軽減のためだと思うのですが。
上段は隔壁(ボート内の壁)に沿って折りたたむことができ、
下段は中央通路に配置された折りたたみ式の食器テーブルに向かう時、
座席として使用されていました。
ベッド脇には個人の私物を入れる木のロッカーがあります。
ここには缶詰や食料も詰め込まれていました。
天井に通るパイプには肉(多分ソーセージとかハム)とか
パンを入れた網のカゴやネットが所狭しと吊られていました。
この写真では、床が「低くされている」のがよくわかります。
この隣にギャレー、その向こうには士官ワードルームがありますが、
下士官&チーフのコンパートメントは、士官用とほとんど変わりなく、
彼らの待遇がかなり良かったらしいことがわかります。
なお、枕カバーのブルーのギンガムチェックですが、
どうもこれがUボートの標準仕様だったのではないかと思われます。
ギンガムは子供服とか子供部屋のカーテンのイメージですが、
ドイツ海軍がなぜこの柄を選んだのか理由があればそれを知りたいものです。
さて、1990年代に、戦時中アメリカ軍によって作成された
U ボートの機密文書が公開されたため、これを元に、
博物館は何が欠けているかを特定する作業を続けました。
しかし現在でもU-505から散逸したものは全て戻ってきていません。
いつかそれらのアイテムをすべて回収して、
元の状態の部屋を表示できるようになることを、
MSIは今も現在進行形で願っているとのことでした。
■ 余談:潜水艦スラング
今回の検索過程で、アメリカ海軍の潜水艦のスラング集を見つけました。
Uボートとは潜水艦つながりというだけですが、
これをちょっとずつご紹介しておこうと思います。
ちなみに冒頭にはこう書かれています。
もしあなたが気分を害しやすい人なら、今すぐ読むのをやめてください!
用語やフレーズの多くは非常に露骨ですが、多くは
ポリティカル・コレクトネス以前に使用されていたことをご了承ください。
「12 mile limit 」
国際的な12マイルの境界線を指す。
水兵がこれを言う時は「制限外なので何でもあり」の意
「120人の潜水艦水兵が上陸すると60のカップルになって帰ってくる」
"120 sailors go down, 60 couples come back"
嫉妬深い水上艦水兵が、面白いと思って使う、潜水艦をバカにする言葉
「20ノット」
潜水艦関係者以外に教えても許される潜水艦の最高速度
「400フィート」潜水艦関係者以外に言っても許される 潜水艦の最大深度
「7 P's(セブンピーズ)」 Proper Prior Planning Prevents Piss Poor Performance.
=「適切な事前計画により、小便が出るようなパフォーマンスは防げる」
トレーニング施設などでよく見かけるフレーズ
「ADCAP」
ADvanced CAPability
マーク48魚雷の最新版
「Air in the banks, shit in the tanks,ready to submerge below...
sound the diving alarm!」"バンクに空気、タンクにShit、下に潜る準備完了...潜水警報鳴らせ!"
潜水艦が潜航準備に入ったことを報告するための、省略された非公式の掛け声
「ファミリーグラムとダイエットコークさえあれば、潜航中も幸せだ」
通常、潮気まみれの老潜水艦乗りが資格をとっていない新人に言う言葉で、
自分たちがいかに熱心であるかを自慢している
ファミリーグラムとは、米&英海軍潜水艦に勤務する乗組員に
その家族が送る個人的なメッセージのこと
“All hands desiring to do so lay to the do so locker and do so”
「希望するものは全員ロッカーを横にしてそのようにしてください」
あほな1MCアナウンスを嘲笑する以外の意味は全くない言葉
1MC(1メインサーキット)とは、アメリカ海軍における艦内放送のこと。
「アングルとダングル (Dangles)」
潜水艦が深度を急激に変化させる時のこと
通常、海上試験や配備前の潜航期間中に行われ、
すべてのものが適切に収納されていることを確認する。
「Ass○oles and elbows」
甲板員が手と膝をついてウッドデッキを掃除している時、
後ろにいる艇務員に見える光景(のすべて)
陸でも皆が掃除すべきとかふざけてはいけないという意味で使われる
「A.T.F.Q. 」
Answer The ●ucking Question.
この質問に答えなさいという意味
(もし不評でなければ次回はBより)
続く。