お正月明けに映画「ハワイ・マレー沖海戦」について集中してエントリを上げたため、
いつの間にか空母に詳しくなってしまった(当社比)エリス中尉です。
空母と言えば、わたしは昨年夏、アメリカで実際に空母に乗って来たんだったわ。
映画の空母について書くときに、一度たりともこのことを思い出さなかったのは残念。
このときに参加した艦橋ツァーでも、結構色んな話を聞いたような覚えがあるのだけど、
いかんせん早く記事にしなかったせいで記憶も薄れがち。
というわけで、一念発起してまたホーネットについてお話しようと思うのです。
というわけで久しぶりなので、フネに入っていくところからもう一度。
通路の扉が閉まっていても金網にしがみついて忍び込む輩防止。
そんなやつ、いるか?と言う気もしますが、ここはアメリカですから。
高校生が幽霊が出るという噂のホーネットに夜中入り込んで
「肝試し」したりするかもしれないですしね。アメリカですし。
空母の広大さは、艦橋がこんなに小さく見えることからもお分かりいただけますでしょうか。
飛行甲板に上がっていこうと思えば、皆がこのエスカレーターに乗ります。
展示にあたって作られたのか、あるいは元からあったのかはわかりませんでした。
Lockheed S-3B Viking
以前、飛行甲板のことを書こうとしたら、ヴォート社の社運をかけた「クルセイダー」、
F−8につい入れ込んで(笑)一項を割いてしまったわけですが、
今日は我慢してさくっと紹介するだけにします。
ロッキードS−3Bバイキングは、4席の双発ジェット機で、
海軍の対潜追跡用として開発されました。
イラク戦争のとき、ブッシュ大統領がUSSアブラハム・リンカーンに着艦した
VS−35バイキングのCOパイロット席から降り立ち、
イラク戦争の主要な戦闘の終了を宣言する言葉として
”ミッション・コンプリート”(任務完了)
と言う声明を出しています。
軍用機がこのように使用されるとき、アメリカ海軍では慣習的に大統領のコールサイン、
「NAVY 1」
を使用します。
「ネイビー1」。なんか映画になりそうですね。
ブッシュはおそらく自分のこの演説が歴史に残ると踏んで色々考えたのでしょうが、
そもそもイラク戦争はブッシュと愉快な仲間たちによって仕掛けられた「やらせ」
であったという印象があまりにも強く、この言葉もアメリカではともかく、
歴史に残ると言うほどのインパクトを持たなかったのはざまあ、いやお気の毒です。
お、テキサンか?
と思ったら違いました。
これは
T-28 TROJAN North American
テキサンに似ていると思ったら、初等練習機として後継型であるとわかりました。
空軍だけでなく海軍も導入していたようです。
トロージャンは「トロイ人」の意。
トロージャンの後ろからアラメダの埠頭を臨む。
こちらが艦首方向になります。
海上に見えるのは高速道路です。
この埠頭は昔は海軍基地があったので、要所要所に施設らしき建物が放置されているのですが、
全く壊してその後に何か作ろうという気がないようで、地域一帯がゴーストタウンみたいでした。
施設しか無かったので人の住むような環境とはいえず、再利用のしようがないのでしょう。
バス停も無く、車でないと移動は不可能で、舗道を歩いている人間など一人も見ません。
こんなところでも土地に余裕のある国は違うなあと感心してしまいます。
SH-2 Seasprite
Anti-submarine & anti-surface threat Helicopterつまり、
対潜&対艦ヘリとして生まれたのですが、そのうち、
哨戒&救助ヘリとして使用されました。
艦内の航空機は全て定期的にメンテナンスが行なわれていますが、
破れた窓まで修理することはご予算の関係でしない模様。
大きな透明のテープを貼って雨風をしのぐつもりが、
あっという間に破れてしまっております。
これは・・・・ファ、ファントム?
メンテナンスの途中かと思ったら、ネットで見つけた三年前の他ブログ記事写真でも全く同じ状態でした。
どうも全く何かをしようというつもりもないままにここにあるようです。
F−4 Phantom II
この飛行機が開発された頃、アメリカは宇宙計画のみならず航空に於いても
ソ連と張り合ってあれやこれやと新記録を出そうと躍起になっていました。
映画「ライトスタッフ」についてもかなり入れ込んで書いたのですが、
このときに映画で語られた「宇宙計画」並びに「テストパイロットの挑戦」は、
いずれもアメリカの「国威発揚」としての事業であったと言えましょう。
競争の構図というのは国内にもありました。
これも「ライトスタッフ」で仄めかされていたことですが、
空軍と海軍も当時お互いこの記録競争にしのぎを削っていたのです。
制動性能の優れたファントム IIはそのテストに引っ張りだこだったそうです。
このころ行なわれていたテスト(つまり空海対決)にはこんな名称までがついていました。
● トップ・フライト・・・高度記録。
このときに出た最高高度は31,513km。
● LANA計画・・・・アメリカ大陸最速横断記録。
最短時間は2時間47分。
● セージバーナー・・・3マイルの区間をマッハ1以上の平均時速で飛ぶ。
●ハイジャンプ・・・指定された高度までの上昇による到達時間を競う。
こんなことを一生懸命やる民族って、世界でもアメリカ人だけじゃないかしら。
日本人はこういう「性能への挑戦」より、技術の昇華を極める方に向かうように思います。
これらの計画で、両軍ともにテストパイロットの殉職も出しているわけですが、
「にもかかわらず挑戦する」
というのが彼らアメリカ人のフロンティアスピリッツみたいなのをくすぐるんでしょうか。
ちなみに、ファントムII はブルーエンジェルスの機体に使用され、
これで日本にも一度来ています。
しかし、付近住民の騒音に対する苦情が殺到したため(おい・・・・)
メンバーは激怒し、
「二度とこんなS●●Tな国になんか来てやるか!」
と言ったとか言わなかったとか。
おそらくそのせいで、ブルーエンジェルスの演技はその後一度も日本に来たことはありません。
住民のクレームなんかわざわざパイロットに伝えるなよ、と思うのですが、
日本の組織ってそういうところは律儀だからなあ・・・融通が利かないというのか。
ブルーのシャツを着ている子供たちは、幼稚園の「フィールドトリップ」、
小遠足で、男女二人は一人は先生、一人は親の付き添いでしょう。
(アメリカの幼稚園や小学校では、こういうとき親の付き添いを募ることがある)
アメリカの幼稚園で制服のあるところはおそらく存在しませんが、
園外にお出かけするときだけは、園児であることが目立つように、こういうお揃いの
Tシャツやバンダナを身につけさせ、それには幼稚園の名前が書いてあったりします。
ネイビー色のトレーナーに黄色いシャツの男性はここの解説員。
団体で来る見学者には、申し込んでおけば解説員がついて案内してくれます。
向こうには以前熱く語ったクルセイダーが。
というか、幼稚園の遠足で軍艦を見ちゃったりするのねアメリカっていうところは。
この日、学校の遠足らしき子供の団体を他にも見ましたし、
(日系アメリカ人部隊のトリビュートされた部屋で会った)
こういうことに目を見張ってしまうのって、わたしも日本人なんですね。
ふと上を見ると、艦橋に人影。
一日に何度か行なわれる艦橋ツァーの人々です。
ちょうど見えているベースボールキャップの男性は、これもボランティアの解説員。
このツァーには、この次の日参加したので、また別のエントリでお話しします。
USAと書かれたTシャツ、ショートパンツに大きなお腹。
ある意味、典型的ともいえるアメリカ人のスタイルです。
彼が眺めているのはアイランドへの通路のある壁にかかれた
「空母に於ける最初の、そして最後の注意事項」。
「ジェット噴射と回転翼に注意」
アイランドにはこのようなカラフルな洋服が干してあります。
レインボーカラーってことは、あの手の趣味の旁(かたがた)への配慮?
ではなく、ホーネットでは、勤務する部署によって「カラー」が決まっていました。
ひと目で役職を認識するための配慮です。
青・・・・プレーン・ハンドラー、航空機用エレベーターの操作員、
トラクターのドライバー、メッセンジャー、電話交換手
緑・・・・カタパルト操作員 航空機メンテナンス 貨物操作、
着艦ロープのフックを渡す係、写真班のアテンド ヘリ着陸誘導係
黄・・・・航空機操作士官 カタパルト操作士官 航空管制官
赤・・・・砲手 墜落機サルベージ係 爆薬処理班
茶・・・・航空士官と着艦誘導下士官
紫・・・・航空燃料係
白・・・・飛行中隊監査 航空機移動士官 安全確認係 医療班 着艦合図士官
紫の燃料係は「グレープス」と呼ばれていたそうです。
茶色、すなわち着艦誘導士官のヘルメットには大きなイヤフォンがついています。
勿論轟音から耳を守るためなのですが、日本軍の整備員がこのようなものを
しているのを見たことがありません。
彼らはかなりの確率で難聴になったのではないかと心配になりますが、
・・・・それどころではなかった、ってことでしょうか。
サンフランシスコのダウンタウンを一望。
手前に見えているのがベイブリッジです。
ツァーの始まるのを待っている間、身を乗り出してホーネットの砲座を撮りました。
この砲座は両舷に位置し甲板より一階下にありますが、ここに行くのにはさらにもう一階下から。
のんびりしたこの光景からは想像し難いのですが、実はこの砲座は、
そしてホーネットは、我々日本人に取って複雑な思いを抱かせる「戦果」を上げています。
1944年6月、マリアナ沖海戦で、のちに「マリアナ沖の七面鳥撃ち」という屈辱的な名で呼ばれる
日本軍機の多数撃墜、それを補助したのが何を隠そうこの5インチ砲でした。
6月11日、このときホーネットはテニアンとサイパンへの攻撃をまず行ないました。
翌12日にはグアム及びロタ島への爆撃。
6月15、16日には硫黄島および父島日本軍基地への攻撃を行っています。
マリアナ沖海戦でまたホーネットの艦載機は、日本の空母艦載機が到来する前に
地上基地の航空機をできる限り破壊するための攻撃を行いました。
ベテランが次々と失われていた日本軍において、その殆どのパイロットは若く経験不足でした。
対するアメリカ空母艦載機のパイロットはベテランばかり。
というわけで日本機はほとんどが撃墜され、後に
「 The Marianas Turkey Shoot」と語られたのです。
しかし、このホーネット自身名前をついで8代目となりますが、
先代ホーネット(CV-8)は、1942年10月、南太平洋沖海戦で戦没しているのです。
このフネは当初「キアサージ」として作られていましたが、
ホーネットが沈んだため、急いで「ホーネット」に名称を変えられました。
着艦誘導のためのマーカー塔(と言うのかどうか知りません)
かつてわたしは、この左に見えている丘陵地帯の向こうの市に住んでいました。
着艦誘導のための「うちわのようなもの」(元母艦パイロットによる表現)。
たかがうちわのくせにすごく凝った造りなんですが、これは
風の強い甲板で振るので動きに支障がないように、風が抜ける造りになっているようです。
ここまで気配りされているとは・・・。
日頃大雑把なアメリカ人ですが、こういうところは神経質なくらい工夫をします。
良くも悪くも極端なんでしょうね。
アイランドツァーのときの写真ですが、入ったところにこんなポスターが。
空母の艦載機がどのように甲板に出され、離着艦するのか図解で説明しています。
そういえばこんなものも展示されていました。
航空機が甲板に着艦するときに機体のフックを引っ掛けて行き脚を止めるロープです。
前述の旧海軍の母艦パイロットは、確か日本の航空母艦では、着艦ロープは張られていて、
ロープの端の器具を両端で立てることでフックに引っかかり易くなる、
と言っていたように思われますが、やはりアメリカとは若干システムが違うようです。
緑のジャケットを着た「フックランナーズ」という係が、その都度ロープを両側からコネクトさせています。
実はこれらの写真を撮っていたのは、アイランド・ツァーが中々始まらないため、
時間潰しをしていたのでした。
同じツァー参加者の人たちが甲板を歩き回る元気もなく座り込むようになった頃、
悠々というかんじで、というかもったいつけて解説員登場。
どうしてこの解説員がこんなに偉そうに遅れてくるのかというと、
おそらく彼がホーネットのベテラン、つまり実際にここで勤務していたからであろうと思われます。
さて、彼が集合場所に向かっているので、わたしたちもそちらに向かいましょう。