マスキーゴン湖沿いに係留されている展示艦、
戦車揚陸艦US「LST-393」の艦内をご紹介しています。
ところで全く関係ない話を冒頭にぶち込みますが、
今LSTの「L」を打ったところ、なぜか候補として
🏳️🌈←これ
が出てきて、思わず、は?と声が出ました。
なんでLがいきなりLGBTなんだよと。
アメリカでは今あまりにメディアと左派のLGBT推しが酷すぎて、
ご存知のようにディズニー映画はえらいことになっているし、
それに文句を言ったら社会的に抹殺されかねない圧があるしで、
当然ながらこれに反発しながら、今まで黙るしかなかった保守層も
どんどんエスカレートするこのムーブメントに我慢しきれなくなって、
もうええかげんにしろ!という声がちらほら上がり出したように思います。
わたしはLGBTはもともと「個性」の範疇に収まることと考えていましたが、
アメリカのメディアや企業の昨今のあからさまなLGBT押し付けには
さすがにこれ変でしょ、と不快な気持ちを持たずにいられません。
これ、いったいどこからどういう指令が出てるんかしら。
閑話休題、LST-395の内部にはいってきました。
かつてフェリーの貨物として車両を搭載していた部分は、
いま展示艦のロビーのようになっていて、
その周りにはこれでもかと戦時資料の展示が行われています。
さすが戦車揚陸艦。それにしても広い、広すぎる。
指示の通りにまず階段を1階登ってみます。
そこでは洗濯板みたいな袖章をつけたCPO(上等兵曹)がお出迎え。
まるで鏡でものぞいているのかと思うくらい、長く続く廊下。
ここは「Berthing Deck」と呼ばれる乗組員の洗面所デッキです。
英語では
Supply Group Berthing(補給部隊洗面所)
となります。
潜水艦と違って、何しろ乗っている人数が多い(兵員最大115名)ですから、
水回りの設備もたくさんないと、朝など大変なことになります。
続いて兵員用バンク。
潜水艦ばかり見てきたので、廊下の広さにちょっと感動してしまいました。
バンクもこれくらい高さがあれば、起き上がっても頭打たずにすみますね。
しかし、もともと軍艦なので、舷窓はありませんし、
空気を取り入れているのはファンシステムのみ。
この大型ファンシステムは船内に 7 つあるうちの 1 つです。
空気の循環は特に熱帯地域では非常に重要でした。
そういう場所でこのコンパートメントは猛烈に暑くなりますから。
ユニットの中央には蒸気熱交換器があり、
ボイラーからの蒸気によってエネルギーが供給されると、
流れる空気が加熱され、それが寒冷時の船舶の暖房に使用されます。
しかし、ここマスキーゴンは冬場零下30度にはなる地域なので、
その間乗組員はかなり快適だったのではないでしょうか。
右側のハンドルのある機器は、換気用ブロワーのスイッチ。
冬場はこのユニットで艦内の空気を循環させていました。
この艦は空調がないそうですが、冬場はこれで十分だったということです。いかにボイラーなどの熱が艦内に篭るものかということですね。
シャワーブースも、潜水艦と比べると広すぎて怖いほど。
しかもこれ士官用ではなくて兵員用ですから。
さて、わたしはこの地図で言うところの「タンクデッキ」から階段を上って、
ベーシングデッキを歩き、突き当たりまでやってきました。
一番奥に行くと上に、この階段を降りると下に(当たり前)。
しかしさて、どちらから行くべきか。
「順路」というものが決まっていないだけに、迷います。
ふむ、「スターン・ラダー・ルーム」とな。
ではこれから攻略することにして、下に降りていきますか。
スターン・ラダーとは文字通り艦尾の舵があるところ。
艦首から入って、一番後ろまでやって来たことになります。
今は物置かな?
真ん中にダイナマイトの起爆装置みたいなのがありますが、
スプレーポンプと書いてありました。
ここがスターン・ラダールーム。
まず艦尾に向かって立ち、左舷側を向いた時に見える景色です。
右側の船殻からワイヤが来ていますが、
それいは手前の「クリーブランド」と書かれた機器に繋がります。
赤字で「イマージェンシー・ステアリング」とあります。
「クリーブランド」の左、艦尾に向かって左側。(右舷側)
奥に見えている黒い二つの機器はジェネレーターのようです。
ラダールームを出ると細い廊下。
■ノルマンディ上陸作戦
薬瓶や酸素マスクのある部屋に水兵さんが一人立っている部屋。
ここはどうやらファーマシーのようです。
ところで、マネキンの水兵さんが着ているセーラー服の袖に、
ドラゴンの刺繍が施されているのに気がつきました。
そういえば、戦争が終わってからアジア方面に寄港したフネの水兵の中で、
現地で軍服に刺繍を入れるのが流行ったことがありましたっけ。
もちろんこれは公式には禁止されていましたが、
何しろ戦争が終わった頃の開放感の中のことでしたから、
若い水兵のこの罪のないちょっとした違反は、大目に見られていたようです。
大きな木のトランクはファーストエイドキット、救急箱です。
中身を一応書き出しておきます。
アンモニア:気付用
消毒用アルコール:傷の消毒
キャスターオイル(ひまし油):下剤
サルファカイン:やけど
特別咳止め
メタフェン:傷口消毒
アプリケーター:消毒剤の塗布に使う
タンブレード:喉の検査、軟膏の塗布
エプソムソルト:下剤、感染症に
酸化亜鉛:擦過傷、炎症のための肌用軟膏
包帯
ガーゼ
三角巾
包帯鋏
スプリンター鉗子
バンドエイド
眼帯
喉の炎症のためのトローチ
アスピリン
点眼剤
安全ピン
が入っていると記されています。
こうやって書き出してみると、完璧なファーストエイドキットの内容です。
ところで、最初に説明したかどうか忘れましたが、
LST-393はDデイ、ノルマンディー上陸作戦に参加しています。
HPには作戦当時、実際に参加した乗組員が記した日記が掲載されています。
【1944年6月5日】
イギリス、ファルマス港に係留。
旗艦から0810に錨を降ろすよう信号を受けた。
0823年に錨を降ろし、サイ・フェリーを牽引して
作戦計画1-44を開始するために
タスクグループ126.4の船団を形成して航行中である。
LST-393は、1944年6月6日の夜、オマハビーチ地帯に到着しました。
シャーマン戦車やその他の戦争物資を積み込んだ後、
ノルマンディーの気まぐれな潮の流れに翻弄されながら、2日過ごしました。
「ノルマンディ上陸作戦」、別名オペレーションネプチューンの実施日は
1944年6月6日となっており、この日記にはその日だけの記述がありません。
【1944年6月7日】
イギリスのファルマスから、フランスのコルヴィルへ向かう。
陸軍車両と陸軍要員を乗せたLSTと他の様々な船舶の護衛艦で航行中。
1010、フランスのコルヴィル、
オマハビーチ沖の水深10ファゾムで船首錨を投下。
1,135人の負傷者を乗船させる。
彼女はオマハビーチまで30往復してさまざまな装備や物資をフランスに運び、
負傷した兵士や数千人のドイツ軍捕虜を乗せて帰還しました。
【1944年6月8日】
敵機が上空に現れたため、0115にG.Q.(ジェネラルクォターズ)。
我々は砲火を維持した。(迎撃を続けたの意?)
1515に錨を降ろし、ビーチに接近するために航行する。
1531に、コルベイユ沖のセーヌ湾の水深7ファゾムで船尾の錨を放した。
1532、輸送のためにLST75から人員を積む。
2025、負傷者が乗船。
2119、錨を下ろして北回りの船団停泊地に向かう。
2217、イギリスのポートランドに向かうLSTの船団に編入する。
【1944年6月13日】
イギリスのポートランドからフランスのコルヴィルへ向かう。
LST輸送船団で航行中。
1104、ユタ・ビーチのシュガー・レッド・セクションの沖合、
水深3ファゾムに停泊。
【1944年6月15日】
サウザンプトンへの輸送船団で航行中。
サザンプトン外部ドックのバース6に船首と右舷を係留。
1137負傷者を運び出す。
【1944年6月16日】
0017、輸送船団を編成し、コルヴィルのセーヌ湾ビーチに向け出航。
1352に水深8ファゾムで停泊した。
1523、海岸に近づくために進路をとる。
1530、オマハ、Fox Red Beachの沖合で停泊した。
1738、オマハビーチの上陸港の外に立っている防波堤を通過して航行中。
【1944年6月17日】
ヴィアヴィルのオマハ地区、ドッグホワイトの沖合に停泊。
0003年、赤色警報を受け、G.Q.を鳴らした。
0028、G.Q.解除。
0345に車両と人員の荷揚げを開始。
0400完了した。
HMS「セレス」から、LCT 210を牽引して
イギリスのポートランドに向かう命令を受けた。
1200、航行中。
1312、LCT 210の仮隔壁が破損し、LCTはビーチに戻るよう命じられた。
1345、10マイル先の輸送船団に合流するため、再び航行中である。
【1944年6月18日】
LST 355(F-S)、400、523、27、393、288、532の船団で、
南イングランドのポートランドから
フランスのセーヌ海岸のオマハとユタの侵攻海岸に向かう。
コース079度、速度6ノットで航行中。
1231、ユタ・ビーチの「S」レッド・セクションに接岸。
1438、車両と人員の浜辺への荷揚げを開始した。
1515、海岸から死傷者と生存者の収容を開始、
1635、荷揚げ船の運用を完了した。
【1944年6月20日】
更なる指示をHMS 「セレス」から受けるため、0745に出航した。
0910フランスのセーヌ湾のオマハビーチに停泊し、
0937嵐の中を操船。
サザンプトンに向かう輸送船団を形成するために航行中、
我々は輸送船団の旗艦として行動する。
【1944年6月21日】
0014、パイロットが乗艦。
0955、英国サザンプトン港のハード「S-3」に船首と右舷を係留。
艦首扉を開き、負傷者の荷揚げを開始、
負傷者の荷揚げ作業を終え、英国陸軍の車両と人員の船積み作業を開始した。417名の兵士と12名の将校、英国人、68台の様々なタイプの車両、
これらを引き受け、積み込み作業を完了した。
ここに飾ってある制服は、ここがファーマシーであることから、
Dデイに参加したファーマシスト、
ウィリアム・トバイアス・レーリング
Willian Tobias Rehling
が着用していた制服と、Dデイ並びにその後の
沖縄侵攻にあたって授与されたメダルです。
ファーマシーの一隅には看護師の写真(美人ばかり)と
1943年8月のカレンダーです。
ノルマンディ上陸作戦当時の日付ではないのがちょっと不思議。
続く。