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「騒乱の」卒業生入場〜大学卒業式@ベイエリア

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MKの大学で行われた卒業式レポート、続きです。
■ 大学新聞一面は「学内政治闘争」
朝の7時半開場とともに卒業式会場に入り、
2時間もの間開始を待つ間、正面のモニターは何人かの卒業生の紹介や、
非常口の案内などを繰り返し放映して飽きさせないようにしていました。


待っている人はプログラムを見たり、
入り口で配られていた大学新聞部の「卒業式特集」新聞を読んだり。

ところで、この第一面、卒業式特集ではあるのですが、タイトルは

「騒乱のキャンパス」
「歴史的な『大量虐殺を阻止するための座り込み』の立場をとる」

「親パレスチナ抗議団体が学長執務室を占拠」

「親イスラエル集会が『人々の』大学とホワイトプラザで対決」

説明するまでもなく、パレスチナとイスラエルの紛争について
学内でも割れてお互いが活発に活動しているというニュースです。

ホワイトプラザといえば、例の撮影ツァーの時、ホワイト噴水の横に



こんな場所が用意されていて、親イスラエル学生の集会所だったようです。


椅子の背中に貼られている写真は、すべて捕虜になっている人で、
「BRING HIM HOME」(彼を家に帰せ)という文字が見えます。
方や、新聞記事の「座り込み」とは、
ハマスが奇襲攻撃によってイスラエル民間人1400人を殺害し、
人質240人以上をとったことに対抗して、イスラエルがガザ地区への爆撃をエスカレートさせたのをきっかけに始まりました。

学長室を占拠した抗議者は、学校当局によって拘束され、
即時停学処分、卒業予定者はそれを取り消すという
厳しい対応を大学側がしたことが書かれています。
抗議者たちは、学長室占拠のみならず、選挙時に学校警察の係を負傷させ、キャンパス中庭の、わたしたちが撮影ツァーを行った、
あの美しい歴史的な砂岩の建物や柱に赤いペンキで
「フリー・パレスチナ」などの落書きをしたことで当局の怒りを買いました。

方やわたしが写真を撮った親イスラエル集会は、
それらの親パレスチナ抗議者の行動に対する抗議が目的で、
親パレスチナ学生に対して道を挟んでシュプレヒコールを浴びせるなど、
文字通り「騒乱のキャンパス」となったことが報じられています。

さすが70カ国から学生が集まっている大学だけあって、
あっちがいればこっちもいるんだなと当たり前のことに感心させられますが、
全くの第三者から見ると、言い方はアレですがどっちもどっち?
というか、戦争なんだから争っているどちら側にも被害者は出るものを、
そのことを互いに詰りあっても仕方なくね?と思ってしまいます。
しかし、当事者には揺るがすことのできないことなんだろうな。
この問題は、この日の卒業式で思わぬ形となって現れることになります。

アメリカは多民族国家ですが、こういう問題は避けられません。

さて、話を卒業式会場に戻しましょう。


開始を待つ間、上空に小型機が飛来し、ユダヤ系学生のために
MAZEL TOV=ヘブライ語のおめでとうというメッセージを運びました。
また、AM YSRL CHAIはヘブライ語で「イスラエルの民は生きる」、
♡の後のHILLELはユダヤ教の宗教創始者であり、
世界最大とも言われるユダヤ教の大学生組織の名称です。

この組織は、北米を中心に世界中のカレッジやコミニュティで活動しており、

「ユダヤ人学生の生活を豊かにすることで引いては世界を豊かにする」

を目標に、半イスラエル、反ユダヤ主義と戦う姿勢を掲げています。おそらく前述の集会もHILLELの学生が主導したものと思われます。

■ 卒業生入場


もうこの頃になると暑さは容赦なくジリジリと身を焼く感覚でした。

なのにああ、我々の前列のおばあ様、お母様、お父様、
そして妹の卒業生家族ったら、帽子なし、女性陣は揃って肩むき出し。

長年の習慣の結果、おばあ様のお肌はダメージで世紀末の様相を呈し、
お母様のお肌ももうすでにやばい感じでしたが、アメリカ人女性の多くは
肌を直射日光にさらすことに全く危険性を感じていないらしいんですよね。

しかしさすがにこの異常なまでの日差しには我慢できなくなったと見え、
困りはてたお父様(多分会社の社長かなんか)がプロブラムを破いて、
即席で日除けの帽子を制作し、その場を凌ぎました(娘は着用拒否)。

お父様ったら、頭いい〜!きっとできるビジネスマンなんだろうな。

ちなみにおばあさまはギリギリまで我慢していたのですが、
息子の入場までは保たなかったらしく、いつのまにかいなくなりました。
おそらく日陰の席に移動されたのでしょう。

可愛い孫の晴れ姿を近くで見ることを諦めるなんて、
よっぽどこたえたに違いありません。

それにしても彼女らの紫外線に対する警戒心のなさには驚きます。10代の妹の今は輝くような肌も、母祖母と同じ運命を辿ることでしょう。


アメリカには、こういう時のために?
応援する人の顔を大きくプリントしてくれる業者がいます。

遠くから本人がスタジアム席の家族を見つけることもでき、
応援してまっせ!という気合いを周りにもアピールすることができますね。



しかも、本番までは日よけとしても役に立つという優れもの。
ちなみに裏には宣伝のため会社名がデカデカと書かれています。



教授陣の入場が終わると、音楽は「威風堂々」から、
ステージ上の生バンドの演奏するジャズに変わりました。
このバンドがさすがアメリカというか安定の上手さで、
スタンダード中心に学生が入場し終わる長時間演奏を続けていました。

そして、まずは「上級学位学生」、博士課程と大学院卒業者の入場です。


モニターに写っている旗は、スクールオブエンジニアリング、
工学部の学位授与者を表し、彼らが一番最初に入場してきます。
MKもこの中にいるのですが、見つけられませんでした。



席に着くなり自分の家族と携帯で連絡を取り合って、
自分がどこに座っているのか教える卒業生多数。

MKに「どこに座ってる?」とテキストしてみると、写真が来ました。



これは暑そうだ・・・。
卒業生の帽子って、全く日差しを防がないもんなあ。

工学部は全学生の一番最初に席に着いて待ち時間が一番長かったので、
後でMKは「鼻が日焼けした」と言ってローションを買ったほどです。

アピクレオスの杖があしらわれている旗はスクールオブメディシン、
医学・看護学科で学位取得卒業者は少数です。大学卒業後すぐに実務に入る職種だからでしょうか。

手前のブルーのフードは法学部です。

卒業生席の両ウイングがグラデュエイトで埋まったとき、司会が

「さあみなさん、まだ入場していないのは誰ですか?」
みたいなことを言って、観衆がわあっと沸き立ちます。
いよいよ大学卒業生が入場してきました。

■学士入場


最初に入場してきたのは人文科学部。ちなみにバチェラーは「学士」という意味です。


先頭にいるのは「木」。
さすが木がマスコットで、

「Fear The Tree !」

が対抗試合の合言葉なだけはあります。
この木の人、大学公式のカメラに映り込もうとして阻止されてました。

それにしてもそれに続くチアガール、ベール被った男性・・・
当大学卒業式は仮装大会なのか?

日本では京都大学がこの慣習を一部受け入れて話題になっていますが、
この大学では、全体的にすごいことになっていました。


各種着ぐるみは標準。
卒業式で思い切り楽しんでしまおうの精神。

浮き輪集団、パンプキン集団。

IN-N-OUT(ハンバーガーのファストショップ)店員がいるぞ!


かと思えばシェフもいます。
左下の学生は、パレスチナの旗を持ってますね。



水泳部?は彼らのユニフォームで入場。


それを壇上から冷たい目で見る女性教授(コロンビア大学卒)。
彼女の出身大学ではこんな卒業生は決していなかったと思う。

ちなみに後ろのジャズバンドのギタリストは、当大学博士課程出身者で、
音楽学部の教授かつ大学ジャズワークショップのディレクターです。


とにかく着ぐるみ率高し。


この辺全て「クラブ」=カニ軍団。プラカードには「Holy Crab !」(こりゃ驚いた!)というメッセージ。

この集団、実は神経系の発達と癌における
エピジェネティックメカニズムを研究するラボ、通称

The Crabtree Lab☜クリック

で講義を受けた卒業生らしいのですが、見たところただの陽キャ集団。


カニなので泡を吹きながら行進。この頃になると、音楽はラテン系のサンバとかになり、ノリノリでした。

永遠に続くかと思われた彼らの入場がやっと終わり、
ここでようやくプログラムが進行します。



同大学コーラスによる「アメリカ・ザ・ビューティフル」合唱。
指揮は音楽学部教授、ステファン・サノ博士。

遠目には分かりませんでしたが、サノ博士は日系アメリカ人3世で、
2世の父親は日本軍人としてシベリアで捕虜になった経験があります。

合唱指導だけでなくピアノ、ギターの演奏者としても有名で、
バイオグラフィを見ると、グラミー賞はじめ様々な賞を受賞しています。

Stepen M. Sano

Steve Sano plays Bill Evans' "Peace Piece"
「アメリカ・ザ・ビューティフル」は米国の愛国歌の一つで、
スーパーボウルの前に斉唱されることで有名です。America the Beautiful
ネイビーバンドの美人ヴォーカリストバージョン


続いて、我々日本人には全く未知の儀式が行われました。

Invocation&Stanford University Indigenous Land Acknowledgement
招請&大学先住民の土地への謝辞

どういうことかというと、この大学が、かつて先住民族、
ムウェクマ・オロネ族の先祖伝来の土地であったことから、
大学としては、先住民族との関係を認識し、尊重し、
目に見える形で示す責任を持っているという認識なのです。

したがって、このような式典の際は、先住民に対し、

「あなたたたちの土地を使わせてくれてありがとう」

と感謝を述べることになっているのでした。
土地の承認

ベイエリアには、スペイン植民地時代以前、
先住民が数百人からなる多文化コミュニティで定住していましたが、アメリカ統治時代になって、彼らはメキシコ人の土地に避難しました。
ありていにいえば追い出されたってことですね。
当大学の土地からもムウェクマ・オロネ族らが移動していったわけですが、
現在では、先住民族コミュニティは当大学と密接な協力関係にあり、
土地を提供してもらっている立場の大学側は、
彼らについてその物語を広めるための活動を継続しているのです。



大学側が謝辞を述べた後、少数民族代表として、
ユロック族出身の卒業生(2017年人類学部卒、今年博士課程卒)、
メリッサ・アイデマン博士がスピーチを行いました。

部族の象徴なのか、動物の毛皮で作ったストールを着用しています。
「部族にとってこの土地は今も昔も非常に重要なものです。
私たちは大学と先住民族の関係を認め尊重し、可視化する責任があります」
こういう、宣言のような短い言葉でした。こちらも、要するに

「かつて先住部族を土地から追い出したあなたたちではあるが、
我々の歴史を尊重するならばこれからもここを使わせてやって良い」
という許可を意味していると考えていいでしょう。


わたしは、卒業式で行われたこの行事のおかげで、
これまで全く知らなかったこの地域の成り立ちや歴史の側面を
ほんの少しですが、垣間知ることができました。

多民族国家アメリカ、本当に色々と問題がありますが、それを解決していこうとするパワーと工夫が、
今日のアメリカを大国に押し上げた原動力となっているのでしょう。

続く。


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