バッファロー・ネイバル・パークの展示艦ツァーは、
まず岸壁に係留してある「フレッチャー」級駆逐艦、
USS「ザ・サリヴァンズI」DD-537から始まります。
コロナ蔓延中で展示が中止されていた時にここを訪れ、
岸壁から写真を撮ってここでも紹介しましたが、
今日こそは展示艦の内部全てを見学できるのです。
内部だけでなく、今日の冒頭写真のように、
潜水艦の甲板からしか撮れないような角度の写真も撮れるというわけです。
さて、ミサイル駆逐艦「ザ・サリヴァンズ」については、
その外からしか見られなかった時にも一応説明しているわけですが、
あらためてもう一度命名の由来について話します。
「ザ」サリヴァン「ズ」となっているのは、「サリヴァン家」だからで、
さらにこの艦については「サリヴァン家の兄弟」を意味します。
ガダルカナル沖夜戦で沈没した巡洋艦「ジュノー」の乗組員であり、
同時に戦死した五人兄弟のファミリーネームが駆逐艦につけられました。
■ サリヴァン五兄弟
ジョージ・トーマス・サリバン二等軍曹
(12/14/1914 - 11/13/1942)
操舵手 - フランシス・ヘンリー・サリバン
(02/18/1916 - 11/13/1942)
二等水兵 - ジョセフ・ユージン・サリバン
(08/28/1918 - 11/13/1942)
二等水兵 - マディソン・エイベル・サリバン
(11/08/1919 - 11/13/1942)
二等水兵 - アルバート・レオ・サリバン
(07/08/1922 - 11/13/1942)
長男のジョージと末っ子アルバートの年齢差は7歳。
サリヴァン家の母はほとんど2年おきに一人ずつ男児を生みました。
昔、日本でもアメリカでも、世界中で子沢山の家庭が多かったのは、
産んだからといって必ずしも子供が無事に育つとは限らなかったからですが、
(医療技術が未発達だったせいで乳幼児が育たなかった)それより
当時は子供は労働力の担い手であり、多少?減ってもいいように、
できる限りたくさん産んでおくという親が特に労働階級には多かったのです。
サリヴァン兄弟の出身はアイオワ州ウォータールーです。
1937年、長男のジョージ、次男フランシスは一緒に海軍に入隊し、
一緒に駆逐艦「ホビー」(DD-208)に乗り組みました。
当時海軍は、兄弟で入隊すると同じ艦に乗り組ませるのが普通だったのです。
二人は1941年の6月に無事に海軍の任期を終えましたが、
同じ年の12月、真珠湾攻撃が起こりました。
二人は、この時撃沈された戦艦「アリゾナ」BB-39に
アイオワの友人ウィリアム・V・ボール(Ball)一等水兵
が乗っていて戦死したことを知り、ショックを受けます。
seaman 1st class William V. Ball
(ボールの遺体は現在も艦内に残されている)
「アリゾナ」には彼の兄であるマスティンも乗り組んでいましたが、
彼はなんとか難を逃れ、生き残ることができました。
友人ウィリアムの死に奮い立ったジョージとフランシスは、
海軍に再入隊することを決め、その時ついでに
ジョセフ、マディソン、アルバートの弟三人を誘ったことで、
当時でも珍しい、海軍五人兄弟サリヴァンズが誕生したのです。
彼らは誓い合いました。
「五人で力を合わせてウィリアムの仇をとってやろう!」
イリノイ州グレート・レイクスにある海軍訓練学校で教練を受けた後、5人の兄弟は全員、1942年2月3日にニューヨーク海軍工廠で
軽巡洋艦「ジュノー」(CL-52)に乗り組むことが決まりました。
このとき兄弟の一人は
“We will make a team together that can’t be beat,”
(負けないチームを作ろう)
と何かに書いています。
■ サリヴァンズに乗艦
見学ツァー通路は「ザ・サリヴァンズ」から始まります。
ラッタルを上っていくと、そこは後甲板。
隣の巡洋艦「リトル・ロック」が映り込んでわかりにくいので、
写真を加工して「リトル・ロック」をボケさせてみました。
右手に写っているのはMk12の5インチ砲で、1934年に制式化され、
第二次世界大戦中のほとんどの駆逐艦はもちろん、
戦後の原子力ミサイル巡洋艦にも搭載されました。
戦後日本に貸与された「リヴァモア」級の「あさかぜ」型、
「フレッチャー」級の「ありあけ」型、そして
戦後初の日本製駆逐艦「はるかぜ」型でも運用されています。
白い幕がかかっているのは、見学用の入り口かな?
かな?と書いたのは、結局この日「ザ・サリヴァンズ」は、
2022年に見舞われた着底事故(上)から完全に修復できておらず、内部の見学には至らなかったからです。
わたしが岸壁から見学したのは確か12月下旬でしたが、
それから2ヶ月後に老朽化と天候のダブルパンチで沈み始めたようです。
幸い、海深が浅く、着底したことでほとんどの部分が海面に出ており、
その後の修復作業を経て、2022年に浮く状態に戻りました。
つまりわたしがここを訪れたときは、再オープンしたばかりだったのです。
わたしたちが乗艦すると、なぜかここに人がいて、
「ザ・サリヴァンズ」の説明をしてくれました。
しかし、それはどちらかというと機械的なもので、すぐに終了。
私が基本知識として知っていたことだけです。
甲板の床には「シャムロック」がペイントされています。
サリヴァン家のルーツはアイルランドです。
(アイルランドではオサリヴァンO'Sullivanとなる)
これにちなんで、「ザ・サリヴァンズ」の艦マークには、
アイルランドの伝統的なシンボルであるシャムロックが採用されました。
何年か前見学したボストンのバトルシップコーブで展示されていた、
JFKの兄の名前を持つUSS「ジョセフ・P・ケネディJr.」の艦体にも、
ケネディ家のルーツ、アイルランドのこの象徴が描かれていたと記憶します。
そしてこのパッチに刻まれた「We Stick Together」ですが、
スティックという言葉が「くっつく」であることから、特に
災害や大問題が発生した際、団結しようとか助け合おう、
ひいては一緒にいようという意味で使われる言葉です。
ちなみに写真に軍人さんの下半身が写っていますが、
この時点ではまだ艦内の修復は全く(かどうか知りませんが)
終わっておらず、ここから観光客が入っていくのを阻止する係です。
こんなことに現役の軍人を使うなよと思いますが。
現役の軍人といえば、モノホンの軍人さんが二人、ここで何か行われるのか
飲み物(スプライト)持参で乗艦しているのを見ました。
いかにも軍曹っぽいのと、いかにもルーキーらしいのの二人組。今日は何かここで宣伝を兼ねた活動があるのかもしれません。
彼らの左側に見えているのは(デプスチャージ・トラック)
爆雷投下軌条ですが、このトラックも、艦尾の砲も、
かつては太平洋、台湾沖、そして硫黄島、沖縄で日本軍と戦い、
朝鮮戦争でもバリバリ戦闘任務で稼働していたものです。
続く。