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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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護衛艦「ふゆづき」出航〜「海のさきもり」

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何日もかけて3月13日に行われた護衛艦「ふゆづき」引渡式、ならび自衛艦旗授与式、
そして出航の様子をお伝えしてきましたが、今日で最後となります。 



さて、「帽ふれ」も済み、「ふゆづき」は滑るように岸壁を離れていきます。
三井造船の社員が持つ激励の幟は、この何分間かのためだけに準備されたもの。
たかがそれだけのために、ではない社員の熱い気持ちがこめられていると見た。

昨日今日、たまたままた用事で岡山に行っていたのですが、そのとき事情を知る方が

「商売だけでいうと造船工場自体は護衛艦の建造はあまり大きな利益ではない」

というようなことをおっしゃっていました。
フネそのものがいろいろな近代装備を搭載するための「入れ物」であり、
ステルス性やらなんやらでボリュームを減らすことが命題みたいになっているから?
とわたしは考えてみたのですが、それが正しいかどうかはともかく、
簡単にいうと、「時代が変わった」ということのようです。



しかしそんなうら寂しい事情とは全く関係なく、護衛艦が旅立つ儀式は
おそらく明治以降海外から取り入れたり国内で制定したりして、
大鑑巨砲の時代には形となったものを踏襲し続けて今日に至るのでしょう。

このような行事ひとつとっても、それは海軍創立の昔から積み上げられて来た
長く重い伝統のうえに成り立っているのです。
あらためて、海上自衛隊がその末裔であることの証左を目の当たりにした気がしました。


ところで、また思いついたので護衛艦のディティール紹介を。

見送りをしている社員たちのあいだに「ふゆづき」の艦尾部分が見えていますが、
左の方に見えている四角く切られた部分は、

TASS(Towed Array Sonar System)

と呼ばれる曳航式のアレイソナーがここに装備されています。
何を曳航するかというと、多数の聴音器を並べた長いケーブル。
潜水艦の音を探査し、位置や方角をそれで特定します。
なぜ多数なのかというと、水中での潜水艦からの音の伝わり方。
これが同心円状に伝播するため、その拾い方に差異が生じます。

そこで、長さの違うソナーを多数曳航し、おのおのの結果を処理することで
音源までの距離や方向を算出することができるというわけです。

100mから500m の深さを、4000〜5000mに亘って曳航されるそうです。





帽ふれも終わり、全員が起立したまま静かに「ふゆづき」は出航していきます。

ところで、今日やはりこのとき出席していた方とお話をしたのですが、
その方の近くにはリタイアした元海自自衛官がおられたそうで、その方によると
雨の中に2時間立っていて全身びしょぬれになった自衛官たちは、
乗艦から出航行事までの1時間の間に着替えをしているはず、とのことです。
ただし、

「下着まで変えるかどうかはわからない」

とのこと。
でも、あれで下のものを変えなかったら、せっかく乾いた上着もすぐに濡れてくる、
というレベルだったですからね。
ちゃんと全身着替えをしたのではないでしょうか。
したと言ってくれ。



ところで皆様、この「ふゆづき」に揚げられていた信号旗に注目された方はおられますか?

エリス中尉、一番上のは回答旗であろうと予想する、という程度しか知識がありませんが、
この下三種の組み合わせはわかります。

これは、UWIで、その意味は

「あなたの協力を感謝する」

何に対する回答かというと・・・やはり直接は造船社員の激励ではないでしょうか。
慣例的に出航のときに揚げられる信号旗であるとわかっていても、
どうしてもそういう風に考えたくなります。





さて、じつはこのとき、今日お会いした方はわたしとI氏を埠頭で探していたのだそうです。
しかしなぜかわたしは帰りを急ぐI氏に急かされるように(というか急かされて)
「ふゆづき」が岸壁を離れるなり埠頭を後にし、なぜか

「バスを待つより歩いた方が早い」

といいつつすたすたと歩き出したI氏のあとを小走りに(すごい早足の人だったので)
出口に向かって歩いていたのです。(号泣)

「だから最後まで見たいと言うておろうがあ〜〜!」

などとここまでつきあってくださった上、身分を三階級偽装していただいた
恩人であるI氏にこんなこと、わたしの性格上言えることではありません。
性格関係ないですか。常識の問題ですね。

とにかく仕方なく歩き出したものの、未練がましく立ち止まってはシャッターを切り、
また立ち止まってはシャッターを切りの繰り返し。
おかげでろくな写真が撮れませんでした。

Iさんのばかー!

写真は、歩きながら仕方なく撮った海保のフネ。
しかし、こうして見ると海保の白い船というのもかっこいいですよね。
コーストガードと描かれた青のペインティングも美しい。

三井造船ではこのとき海保艦艇を二隻ドック入りさせていました。




「ふゆづき」は艦首をいつのまにか岸壁から垂直に向けていました。
ここでもう一度、こんどは右舷に立っていた乗組員が「帽ふれ」をした模様。
左舷側はもう誰もいません。



初めて右舷側を見たわけだが。

こちらから見ると、ボートダビットに設置されている作業艇が見えます。
「あきづき」型はこの作業艇が一隻だけの搭載となります。



飛行甲板。



彼らが立っているのは第2煙突の前。
「あきづき」型はガスタービン4基を主機としているため、
煙突の壁面にはそのために換気口がたくさん設けられています。
画面左上の巨大な換気口がそれ。

6個の俵状のものは自動膨張式いかだ。
どのように膨張するのか見てみたいけど、乗組員はしょっちゅう訓練で展開させているんでしょうか。



格納庫の上にあたる部分に立っています。
後部にもCIWS(前々回直訳してみましたが、正しくは近接防御システムですよ皆さん)
が一基あり、それがここに見えていますが、こちらを22番砲と呼びます。
20mmの2番砲だからだそうです。
ということはこの勢いで行くと、前のCIWSは21番砲と呼ばれていることになります。

「ひゅうが」もたしかそうだったと記憶しますが、「むらさめ」「たかなみ」型は、
これは左舷寄りに設置されていました。

「あきづき」型は、艦の中心線上にあります。



歩きながらだったのでカメラを交換することができず(泣)、
どんなに引いても艦全体が写りませんでした。





なので、ここで初めてタグボートが「ふゆづき」を押していたことを知りました。
岸壁の前方からこれを撮りたかったのに・・・・・・(怨)

「ひゅうが」「くにさき」の出航・帰港は確か二隻のタグボートが出動していましたが、
今回は一隻でやっていました。





あれ?
全員が岸壁ではなく艦首を向いている。
誰に帽ふれしているんだろう。


向こうに艦船の陰が見えるので、もしかしたらタグボートにお礼を言っている?




この期に及んで最後に説明しておくと、「ふゆづき」と描かれた右側に
喇叭のような穴が二つありますが、これは

デコイランチャー。

デコイ、つまりおとりのことです。
ホーミング魚雷の攻撃を受けたとき、艦艇の推進音そっくりの音を出し、
魚雷にターゲットを誤認させて目標を外させるためのものです。

ここから魚雷によく似た自走式デコイを発射、デコイは迫り来る敵の魚雷に対して
音響的欺瞞を実施しながら自走することで誘引、誤爆を誘います。


ところで皆さん、この発射孔が喇叭型をしているのを見て、

「なるほど、ここから音を出すかららっぱの形をしているのか」

と当初一瞬でも考えたエリス中尉のことを思う存分笑ってくれたまえ。
ここから音を出してたらそもそも偽装にならないっつの。




ところで、当ブログと同じ写真が使われていることからお気づきかと思いますが、
冒頭のYouTubeは何を隠そう、わたくしことエリス中尉ことグーグルネームRaffaella Santiが
(画家のラファエッロの本名を女性形にしてみました) 初めてアップしたものでございます。

なぜ今までしたことのないYouTubeアップロードをいきなり思いついたか。
それは自衛隊儀礼歌「海のさきもり」がインターネット上どこを探してもなかったからです。


当初「海のさきもり」の譜面を製作してアップするにあたり、わたしも自分なりに
インターネットでこの曲がどこかで聴けないか検索してみました。
たとえ譜面が読めても、あの楽譜だけではこの曲の良さが全く伝わらないからです。


その後、coralさんが自衛艦旗授与式でこの曲が流れているYouTubeと、
またこの曲が収録されているCDを教えてくださったのですが、
それを見て、なんとわたし自身、それを所持していたことが判明しました。
そこで


「せっかくCDを持っているのだから、今回の画像を使ってYouTubeに投稿してみよう」

と考え、今までの写真の中から隊員の表情を捉えたものを中心に制作してみました。
いかがなものでしょうか。
(といいながら悪評価がつくのが怖いのでコメントも評価もできないようにした小心者である)



この曲は元々、ご縁を得て交流を戴いている現役海上自衛官から教えていただきました。
その方は、儀礼歌として自衛艦旗の授与並びに返納にも必ず演奏される曲でありながら、
歌詞があることを自衛隊員すら知る者が少ない、とそのときに書いておられました。

そして、

「行進曲『軍艦』と並ぶ海上自衛隊の歌として歌い継いでいかなければならないと思う」

と、いかにこの曲が海自の、とくに船乗りに取って象徴的な曲であるかが窺い知れる、
こんな一行が添えられていたのです。

しかしながら世間の関心はあまりこの曲に無いらしく、インターネット上では
ほぼ資料は皆無という状況。

「ならばそれをわたしがやる」

と、エリス中尉恒例の無駄な侠気を起こした結果が、この投稿となりました。

ところでこの話には後日談があります。
それは、今回の式典参加にご尽力下さった方とわたしを取り持った海軍の縁、
そして、その方にとって人生の師とも言える存在であった一人の元海軍士官が
この曲の作詞者である「江島鷹夫」そのひとであった、というという少し不思議な話です。



次回「ふゆづき」のお話の締めくくりとして、そのことを書いてみたいと思います。



続く





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