本日画像の平田一郎さんが海兵64期である、という説明ですが、
65期の間違いです。
本文より先に画像を作成するもので、適当に書いたら一年間違っていました。
訂正しようにも元画像を縮小してしまったのでできなくなりそのまま掲載します。
さて、この映画にはいわゆる「軍人俳優」、戦争映画と言えば顔を出している役者が
お馴染みの顔をそろえていますが、中村吉右衛門はご存知のように歌舞伎役者で
この映画以外で軍人役をやったという記録は見つかりませんでした。
つまりこれが吉右衛門の「唯一の戦争映画出演作」であるようです。
しかしそういう映画に出慣れて、所作もすっかり身についている他の俳優と比しても、
たとえば恩賜の短剣を卒業式で拝受する一連の動きや、敬礼、遥拝、
どの所作を取っても引けを取らないどころか傑出してそれらが板についています。
それだけでなく、主人公の平田が、海軍軍人として立志の末、戦い、そして若者を導き、
最後には再び戦場に帰っていくという時間の経過につれ、見事に
「筋金入りの海軍軍人」
と変貌していく様は、全く見事としか言うほかありません。
しかし、この起用に、実はとんでもない?裏の話があり、今回資料をみる段階で
そのことを知ってしまいました。
それについてはおいおい触れるとして、映画の続きと参ります。
遠洋航海から帰り、郷里岩手の母の墓に参った平田。
なぜか平田が昔カテキョしていた地主のお嬢様が母の看病をしたそうで、
「あの子はお国に捧げた子だから呼び寄せないように言っていました」
と言った端から彼女は
「どうして帰ってきてくださらなかったんですか!」
となぜか平田を責めます。
それをいうなら「どうして帰ってあげなかったんですか」だろ。
平田も赤の他人に実の母を看病させて挨拶一言だけというのがありえません。
という矛盾を突き出すときりがないのがこの手の映画の特徴ですので、
適度にスルーしながら参ります。
村の護国神社に参ると、そこでばったり陸軍士官となった級友の本多が。
「俺は今麻布の第三聯隊にいる。226で決起した部隊だ。
先輩将校は国賊の汚名を着せられて死んだが、俺はやるぞ!」
「気持ちはわかるがなー・・・」
いつの間にか平田、諌める側になっています。
自分がいわれたことをそっくりそのまま本多に言っているのがおかしい。
平田が赴任になるのは大村航空隊。
それはいいとして、なんなのこの模型はorz
この映画は1969年大映制作ですが、 大映はこの頃田宮次郎の解雇問題など、
スターシステムの崩壊に繋がる御家騒動で社内はごたごたしていた頃で、
正直特撮の技術などに注意を払っている場合ではなかったようです。
映画の最初に出る吉右衛門のタイトルには(東宝)と但し書きがあります。
この頃大映はやはり歌舞伎の市川雷蔵をスター俳優として戴いていたのに、
なぜ市川でなくわざわざ他の会社から吉右衛門を借りてきたのかというと・・・。
実はこのころ雷蔵は癌を発症していました。
しかし彼は大映の頼みの綱というべき立場であることを自負していたため、
かなり無理をして療養もそこそこに現場復帰しようとしたそうです。
この「あゝ海軍」の平田一郎役は、当初市川雷蔵に決まっていました。
雷蔵はこの映画で海軍士官の役を演じることに大変意欲を見せ、
すでに関係者との打ち合わせも行っていたのですが、復帰がクランクインに間に合わず、
大映はそのため代役に中村吉右衛門を立てて撮影することを決定したのです。
そのことを新聞を読んで知って以来、雷蔵は仕事の話を一切しなくなったそうです。
彼が38歳で亡くなったのは、映画公開と同じ年の1969年7月のことでした。
映画に戻りましょう。
平田の赴任した海軍省の航空本部にて。
着任早々荒木大尉から、あの鬼の伍長、
森下が飛行機事故で殉職したと知らされます。
藤巻潤。
この海軍軍令部でのシーンには戦争映画でおなじみのスターが揃います。
左・荒木大尉(本郷功次郎)右・小西中尉(川口浩)。
彼ら若手将校たちは、アメリカが石油の禁輸したことを受けて
日米開戦の危険を憂うのですが、それでも
「手を出すのは陸軍だ。陸軍を止めるのが海軍の役割だ」
などとお花畑なことを言っております。
そして平田を呼び寄せた航空本部長の井口清美。
もちろん、井上成美がモデルです。
この森雅之がシブい。
元々わたしは森雅之、大変好きな俳優のひとりなんですが、
ここで井上大将を演じてくれてもうありがとうございました!って感じです。
井上成美がモデルですから、史実通り、
三国同盟を反対する井上に推進派が文句を付けに来ております。
「アメリカと戦争になったら負けるとは何事か!
閣下がそんなお考えなら死んでもらわねばならん」
井上じゃなくて井口本部長すっくと立ち上がって、
「わたしは軍人になったときから死ぬべきときは心得ておる!」
赴任一日目、井口本部長のお供でレスに行くことになった平田。
戦争映画ではよくレスでも軍服を着ている将校が出てきますが、
実際海軍軍人はほとんどがプライベートは背広に着替えたそうです。
この映画も、ちゃんとその辺をわかっております。
井口少佐がどこかに行ってしまい、暇を持て余した平田中尉が
箸袋を飛行機に折って遊んでいると・・・
いきなりエス(芸者)登場。
「ネイビーエス」(海軍芸者)っていうんでしょうか、やたら海軍事情に詳しく、
「山本長官も上京なさってご一緒で・・・それに米内閣下も。
皆さん身辺を狙われているのにまるで平気なご様子で」
と客のことをペラペラしゃべりまくります。
それはだめだろー、客商売として。
おまけに平田までが
「米内、山本、井内・・・・三国同盟反対トリオか」
おいおい、エス相手に何を言っとるんだ君は。
映画「連合艦隊」で、呉の芸者が「ミッドウェイミッドウェイ」と歌うように言うので
「なんでレスの芸者がミッドウェイなんぞ知っとるんだ」
と海軍士官が思ったという話は実話(わたしはその当人から聞いた)ですが、
ここのネイビーエスは単に口が軽かったってことでいいですか?
とかなんとかやっていたら、トイレから出て来て手を拭きながら入ってくる人が。
はっ!と固まる平田。
山本五十六司令長官ではありませんか。
ちなみに長官の胸ポケットから出ているのは、
たった今手を拭いていたハンカチです。
ポケットチーフでトイレに行った手を拭くんじゃねー山本五十六。
おまけに
「平田中尉、女を心底モノにするのは敵を倒すより難しいぞ」
ここは女関係で色々とあった五十六をちらりと匂わせる演出。
最近の五十六映画「聯合艦隊司令長官山本五十六-太平洋戦争70年目の真実-」
(長いんだよこのタイトル)では全く触れられなかった部分です。
「反戦軍人司令長官山本五十六」というタイトルの方が相応しかったのではないか?
というくらい、あの映画に於ける五十六像は、たとえば
自衛隊の海幕長ならこういう人物もありだろうけどなあ、というような、つまり
現代基準の好ましい軍人像に置き換えられていたと思うのですが、
とくにこの手の表現では「良き父よき夫」を強調しすぎて本人が見たら
「おいこりゃあ誰のことだ」
と言うこと必至の山本五十六になってしまっています。
別に、公認の?愛人がいたことわざわざ描かなくてもいいかとは思いますが、
あまりにも聖人みたいな五十六もどうなのよ、と。
というわけで五十六去りし後、
「ふう、緊張したー」とため息をつく平田。
そこに千客万来、飛び込んで来たグラサンの怪しい男。
なんと、本多勇陸軍中尉じゃないですか。
本多を演じる峰岸徹は、この映画では「峰岸隆之介」となっています。
峰岸は末期の大映がこの前年度1968年に得た希望の星で、
ごたごたが原因で辞めた田宮次郎に代わる看板スターとして期待がかけられました。
今見てもこの映画での峰岸の扱いにそれが現れていると思いますが、
いかんせんデビューしたばかりのスターでは、映画会社の崩壊を防ぐことはできず、
(他社のような多角経営化に舵を切らなかったという理由もありますが)
二年後に大映は空前の大型倒産をすることになります。
なぜか本多は憲兵隊に追われている様子。
「陸軍の不逞の輩を捕まえに来たのですが一名足りんのであります」
この際本多が不逞の輩の一味ってことでいいですかね。
もしかして三国同盟反対派を狙う刺客だった・・・・とか?
そしてこの憲兵、ぞんざいに
「あんたは?」
「平田中尉だ」
と平田が一言いっただけで憲兵はエビのようにしゃちほこばって
「失礼いたしましたッ!」
いや、あんたたちの探しているその不逞の輩とやらも、陸士卒の中尉のはずなんですけど。
平田もですが、映画も実にいい加減で、このとき本多がなぜ追いかけられていたのか、
全く説明せずにこのときの本多の行為の理由をスルーします。
なんで陸軍士官が不逞の輩なのか、もう少しわかるように説明してくれるかな。
「おう、ここ行こうここ!」
すべてをスルーして二人が飲み歩くうち本多が立ち止まったのは、場末の待合。
ところが丁度そのとき客を見送りに出て来た女が・・、
幼なじみで本多と婚約をしていたのぶ代さんじゃないですかー。
「なんでこんなところに?」
追いつめて彼女をなじる本多。
「こんな商売しているなんて!どうして死ななかった!
こんな商売するくらいならどうして首をくくって死ななかった!」
罵られたのぶ代は、その場で三階から飛び降りて自殺してしまいます。
本多に「死ね」と言われたからですね。
合掌。
片や平田の元にはいきなり地主のお嬢様出現。
「結婚しろと親に言われているのだけど」
などと見え見えの相談をしにわざわざやってきます。
ビンボーな学生の頃はともかく、今や恩賜の短剣で出世頭の海軍さん、
お嬢様のわたしにだって十分釣り合うわよね、とばかりに
脈があるか探りに来たのですが、本多とのぶ代のことがあったばかりで、
平田は冷たーく彼女の下心を見て見ぬ振りします。
そして、昭和16年12月8日がやってきました。
この映画は珍しく、真珠湾攻撃のシーンを航空機ではなく、
特殊潜航艇の攻撃を特撮で描いております。
この理由は「飛行機より特撮が簡単だったから」だと思うのですがどうでしょう。
そして、実写のつなぎでトントン拍子に戦況は進み(笑)、
勝ち戦だった当初からミッドウェー海戦を経て戦局は完全に逆転するというわけです。
平田は今や飛行隊長としてラバウル戦線におります。
平田部隊の予科練出身飛行兵曹、山下(露口茂)。
後の山さんですがこの映画でも山さんです。
絵描きになりたいと思って勉強していたのですが、
それどころではないと予科練を志願したそうです。
「しかし、最近また無性に描きたくなりました。
きっと靖国神社行きが近づいているのかもしれません」
うーん。
失礼だけど絵描きになるのはこれではちょっと無理だと思う。
芸術を甘く見てはいかんよ。
「燃ゆる大空」のメロディに乗って飛行隊長の平田大尉の戦闘ぶりが。
零戦五二型に乗って、グラマンを次々叩き落としていきます。
しかし、次々とやられていく僚機。
戦死する戦友も日を追うに連れ増えてきました。
隊長の平田は本部に訴えます。
「なんとか飛行機の補充をお願いします!」
「貴様の基地は避退基地であるからして」
「空母の艦載機を引き取ってはどうでしょうか」
「空母の戦闘力を半減させる訳にいかん」
「しかし空母が狙われたら戦闘力は削がれます!
ミッドウェイがいい例です」
「とにかく飛行機が足りんのだ!」
そんな折、ジャングルの中の指揮所にひょっこり現れる旧友の本多。
驚く平田。この人たちバッティング率高杉。
なるほど、陸海軍人を戦地で会わせるためのラバウル設定ですね。
本多はガ島作戦の打ち合わせで参謀のお供をしてきたとのこと。
さっそく一夜の同窓会が持たれ、平田は旧友に海軍の潤沢な食料を振る舞います。
がっつく本多。
しかし、我に返り、しばし箸を止めて涙ぐみ、
「こんなにうまい米の飯、みんなに食べさせてやりたい・・・・」
「指揮官が力をつけなくてどうするんだ!」
平田は彼を慰め、一緒に昔よく歌った「元寇」を歌います。
【軍歌】元寇
陸軍軍楽隊長だった永井健子が明治25年に作曲したもので、
サビなしA部分だけの行進曲ですが、その時代の作曲とは考えられないくらい
明るく伸びやかなメロディは、同じ作曲者による「歩兵の本領」と並んで
陸軍軍歌の傑作だとわたしは個人的に思っております。
この映画は音楽をすべて既存の軍歌ですませています。
JASRACの取り立ては今より厳しくなかったのでしょうか。
音楽担当は、「あゝ陸軍加藤隼戦闘隊」で独特のセンスを見せてくれた大森盛太郎。
本作品では、全編軍歌を適当に当てはめるだけの簡単なお仕事なのですが、
最も重要な場面でこの曲を使うセンスは評価したいと思います。
この曲は映画冒頭、岩手の 中学生だった彼らが行軍の際歌っていたもので、
それから10余年後、岩手から遠くはなれたラバウルで二人は
今生の別にこの同じ歌を歌うのでした。
「昼間は土に隠れて、夜斬り込むんだ。
しかしこれでもう思い残すことはない」
本多の座っていたテーブルには彼が形見に置いていった万年筆が。
このシーンにはインストで「元寇」のメロディが流れます。゜゜(´□`。)°゜。
そして、かわいい部下の山下兵曹を空戦に失う日がやってきます。
指揮官は梅本少尉(成田三樹夫)。
特務士官という設定だと思うのですが、成田三樹夫の貫禄あり過ぎ。
当時この人34歳ですからねえ。
ちなみにこのとき吉右衛門はまだ25歳。
平田を演じるにはちょうど良い年齢だと思われますが、元々のキャスティングで
もし市川雷蔵だったら38歳でこの役をやっていたことになります。
いかに「化粧で何にでも変われる」と変幻自在の役者ぶりを讃えられていても、
38歳の兵学校生徒役はいくらなんでも無理だった気がしますが・・・。
ヘアスタイルがドクター・スポックな成田三樹夫。
激しい空戦を終えて帰ってきますが、山下兵曹の行方を見失ったと報告します。
夜の滑走路、山下の帰りを待ち続ける二人。
その後山下兵曹の遺品を持って来た整備兵小松が
「8人兄弟なので私が死んでも親の面倒は誰かが見ます。
心配いりません!」
と誇らしげにいうのを聞いて思わずぶち切れる平田。
そのころ、本多の隊も全滅したらしいという話を聞いたばかりです。
「馬鹿者!戦争は生き残った者が勝ちだ!」
この映画には、海軍甲事件も登場します。
平田の航空隊がブーゲンビルに赴く山本五十六の護衛をするという設定です。
レスで会ったことを長官が覚えていてくれたので感激の平田。
ですが、日本側の暗号は
ので、山本長官は戦死するというおなじみの展開です。
山本五十六役は島田省吾。
役者の鬼のような俳優で、現役最高齢の役者として96歳になるまで演技を続け、
2005年に98歳で亡くなっています。
この山本五十六、良かったです。少なくとも最近の映画の五十六役よりずっと。
平田は銃撃で負傷しましたが、飛行機を失わせないため、
「恥を忍んで」帰還します。
しかし、むざむざ長官を死なせた自責の念から、
自決しようと銃の引き金を引いたところ、
意外な人間が彼の自殺を止めます。
小松整備兵でした。
「隊長は嘘つきです!
勝つためには生き抜くんだっていったのは隊長です!」
そりゃそうだ。
これが本当の負うた子に教えられってやつですか。
小松整備兵を演じる酒井修は大変な熱演をしていますが、この役者、
大映の他の俳優に共通の(市川雷蔵、田宮次郎、川口浩)不幸体質を受け継いだのか、
その後お薬関係で身を持ち崩し、誰かの紐な人になってしまったそうです。
合掌。(って死んでなかったらごめんなさい)
それにしても、38歳の市川雷蔵、もし癌にならずにこの映画に出ていたら、
どんな平田一郎を演じてくれたのか・・・。
出演した映画、その数159本。
中にはあたり役の「眠狂四郎」「陸軍中野学校シリーズ」などもあり、
たとえ初めてでも、吉右衛門とはまた違う海軍軍人を見せてくれたと思うのですが。
そのおかげで我々は吉右衛門の軍人役を見ることができたとはいえ、本当に残念です。
(続く)