この3月、わたくしこと不肖エリス中尉は、岡山県にある
三井造船玉野造船所にて、護衛艦「ふゆづき」の引渡式を見学しました。
その際、同じテントのちょうど前の席に陸自の一佐が座っており、
周りが座っているのに、一人だけ立って自衛艦旗に敬礼していたり、
あるいは周りの人に傘を勧められて断ったりしている様子を
非常に興味深く観察させていただきました。
その後、祝賀会会場でも近くでお見かけし、さらにはその約2ヶ月後、
元陸幕長を囲む個人的な酒席が持たれた際には、この1佐が
なんと元陸幕長の元副官として出席されていたのにまたもや遭遇。
そのとき、
「お会いしていますよね?」
と聞くと、はい、と普通にお答えになったので、てっきりわたしは
向こうも引渡式でこちらを視界に認めていたのだろう、と
勝手に思い込んでいたのでした。
ところが。
岡山での宴席で名刺交換をし、「朝霞に転勤になったら遊びにきて下さい」
と言われたのを真に受けて、基地訪問の約束を取り付け、
手みやげなどを準備しながら楽しみにその日を待っていた頃のこと。
TOが
「赤☆さんの講演会のときに写真を撮っていた人がこれ送ってくれたよ」
とたくさんの写真を持って帰ってきました。
それを何気なく見ていたわたしは、なんと驚くべきことに、
その中にK1佐その人が写っているのを発見したのです。
「ちょっとちょっと!これ・・・・・Kさん?」
「・・・・・あ、Kさんだ」
「あのときに会ってたんだわたし・・」
つまり、引渡式のとき、わたしはK1佐とすでに初対面ではなかったのでした。
これは、もうなんというか運命の出会い。
今までのご縁はこういうブログをやっている関係上海自関係が主でしたが、
もしかしたらK1佐は、今まで未知だった陸自の中の世界にわたしを誘ってくれる、
迷彩服を着たガーディアンエンジェルかもしれない!
そんな過剰で突拍子もない期待を勝手に抱きつつ、6月のある午後、
わたしは愛車を駆って今しも朝霞駐屯地の門をくぐろうとしていました、
約束は朝霞門との連絡を受けています。
「ここってその朝霞門?」
「はて」
てなことをいいながら車を門のところに入れるような入れないような、
つまりいつでも離脱できるような中途半端な停め方をし、
中を窺う間もなく、光の速さで警備の隊員が飛んできました。
「あの〜、じんじ」
「ここに停めないで、中に車を入れて下さい♯」
取りあえず邪魔だってことですねわかります。
帰りにわかったのですが、ここは陸自の保有する、装甲車だのトラックだの、
場合に寄っては戦車や自走砲が列をなして出入りする門だったのです。
実は帰りにも脇に車を寄せてカーナビに入力していたら、
横をばんばん迷彩色のイカツい車両が通っていくなあと思う間もなく、
またしても光の速さで飛んできた警備の隊員が
「ここは邪魔になるのでもう一度中に入って下さい♯」
とにかく入り口付近に停まっちゃだめ!というのはよくわかりました。
しかし警備の隊員さんも内心
「あーもうこれだからパンピー(一般ピープル)は・・・」
とかイライラしてたんじゃないかしら。すみませんね。
車を受付の横にある駐車スペースに停めたところ、
年配の自衛官が近寄ってきました。
「お迎えにあがりました」
おお!陸上自衛隊、ちゃんとエスコートを用意している。
「すいませんが遠いので一緒に乗せてもらっていいいですか」
なんかわかんないけどエスコートが助手席に乗り込んできたぞ。
というか、それくらいK1佐のいる建物は遠いのね?
それにしてもこのエスコート隊員はここまでどうやって来たのかしら。
「えーそこのロータリーを曲がってー」
「はい」
「そこ左です」
「はい」
などとエスコートに指示されつつ車を運転し、
ビル近くの駐車場に到着。
ここに来て思い出したように初めて写真を撮るエリス中尉。
というか今まで運転していましたのでね。
それにしてもさすがは日本国自衛隊、お掃除しているのは現役自衛官です。
右側にTOが写っていますが、下げ持っている紙袋には
お土産の一升瓶が入っています。
うわばみのように宴席でお酒を吸引していた元陸幕長が
「もう最近はどこそこの何々(名前忘れた)しか飲まない」
とおっしゃっていた(というかTOがさり気なく聞き出した)
その名酒です。
元上司に遠慮してか、控えめとはいえよく飲んでいたので、
K1佐もかなりお好きであると判断してのお土産作戦です。
それにしてもこの陸自2人組、あとから、出席者同士で
「2人ともものすごい飲んでらっしゃいましたね〜」
と感嘆しあったくらいの酒量で、やはり陸自で出世するには
お酒が強いことも条件の一つなのでは?と思ったくらいでした。
現に元陸幕長もそんなことを言ってたしな。
もう一人のお掃除隊員がおもむろに担いでいる装備は、
アメリカ人がよく使う、吸い込むのではなく「吹きとばす掃除機」。
海自艦艇も「掃除ばかりしている」というだけあってどこもかしこも
舐められるくらい綺麗でしたが、この朝霞駐屯地内も広大な敷地の
どこを見ても清浄そのもの。
掃除するところもなさそうなのに毎日掃除しているという感じでした。
何しろ泥だらけで当たり前の戦車を毎回洗車する陸軍だからねえ・・。
エスコート隊員について建物に入っていきます。
そして・・・・・
ー1時間経過ー
あ、皆様すみません。
この間わたしたちは何をしていたかというと、K1佐の執務室で
コーヒーを戴きながら(カップには別に陸自マークとかは無し)
K1佐とすっかり話し込んでいたのです。
お会いして早速手みやげを渡したところ、
K1佐は社交辞令ではない喜びの表情を浮かべたので、
仕事上飲むというより本当にお酒好きなのだと確信しました。
それに、組織の長になったからにはそういう場で皆に振るまう、
ということもしょっちゅうあるでしょうし。
再会の挨拶に続き、話題はわたしたちの「出会い」に移りました。
「ふゆづきの半年前に元海幕長の講演会ですでにお会いしていたんですね」
「防衛協会の主催でしたので行かせていただいたのですが、
H社のH社長から(わたしの)お話は聞いていました」
な・・・・・なんだって?・・・・なんて?
「大変防衛問題に関心をお持ちの方だと・・・」
なんだ、その程度か。
変人扱いされてなかったらしくて良かった。
(掃海艇の元艦長とお会いしたとき、その奥方に
思いっきり『変わった人』扱いされた経験がありまして)
その後、話は途切れることなく弾みました。
わたしたちが晴海の「かしま」の艦上レセプションに参加したこと、
K1佐の副官時代の思い出・・・。
「ところで」
やっぱりここは疑問に思っていた点を明らかにしておきましょう。
「陸幕長の副官ってどうやって決まるんですか」
陸幕長は「名簿が回ってきたから一番右を指して適当に」
決めた、とおっしゃっていましたが?
「人事の決めることなので、としかいいようがありません」
ふむ、やっぱり人が人を選ぶのね。当たり前か。
でも勿論優秀な人間が選ばれるんだろうと思う。
ちなみに、海自の副官業務は、わたしもこのブログでお話ししたように
「練習艦隊」「幹部学校」など、「役職に付随する任務」であるため、
場合によっては一人の副官が任期中に2人、あるいはそれ以上の上官に
仕えると言う可能性もあるわけですが、
「陸自では陸幕長ならその陸幕長と言う人に付くので、
2人の上司をまたぐことはない」
とK1佐はおっしゃっていました。
逆に、副官を「2人またぐ」陸幕長はたまにいるそうです。
「そっ、・・・・・それはもしかして」
身を乗り出すエリス中尉。
やっぱりこいつどうしても気に入らんから変えてくれ、みたいな?
「そういう将官も・・・・まあいないわけではありません。
というかたまにはいますよ。
でも、逆に副官業務は1年やれば十分だから、と、
多くの幹部に経験を積ませるため、あえて副官を変えるという方もいます」
それってそういう表向きの理由なんじゃ・・・いやなんでもない。
いくら馬が合わなくても「合わんから変えてくれ」じゃ
言われた副官も傷つくからこう言っているのではないか。
と考えてしまうのはわたしの心が汚れているからでしょうか。
「門の近くの資料館はごらんになったことがありますか」
話が一区切りした頃、K1佐こう提案してくれました。
資料館と言えばレンホーの急襲で有名になった「りっくんランド」。
ここは一度来てみたいと思っていたんですよ。
しかも現役の1佐にご案内いただけるなんて光栄です。
「じゃ行きましょうか」
言われてあわてて部屋の写真を撮り出すエリス中尉。
といってもあまり撮るところもないのよね。
取りあえず面白そうな予定表を。
定期昇任(自衛官)
駐屯地朝礼
セキュリティフォーラム
定期異動(自衛官)
新着任者教育
援護担当者訓練
射撃検定
師団長等会議
このような、一般の会社には見られない予定が書き込まれています。
因みにこれで分かったのですが、7月16日(水)には駐屯地の納涼大会、
(盆踊りとか?)、翌日が予備日であるそうです。
あまり大々的に宣伝していないようですが、
自衛官との綱引き大会や音楽隊の演奏もあり。
日本にいたならぜひ参加したいところです。
ところでこのK1佐とここまで因縁があるとはつゆ知らぬ頃、
わたしは後ろの席から撮ったK1佐の写真を当ブログに挙げて
「陸将補」
などと階級を間違えて紹介するという無礼を働いたことがあります。
このときわたしは、海自の行事で陸自幹部がどのように振る舞っているか
興味深く観察し、皆様にもそれをご紹介させていただきました。
ご本人にこの日のことをお聞きすると、まず陸自の隊員が
このような行事に出席することは(将官にならない限り)あまりなく、
従って佐官であるK1佐にとっても滅多にない体験であったようです。
「陸自でたとえば戦車ができたって、いちいち式典やらないですからね。
それを海自は1隻船が出来るたびにやるんだなあ、と・・・。
まあ、戦車より護衛艦は作るのに時間も手間もかかるんですけど」
と、ものすごーく基本的なことに感心していたのにこちらが驚きました。
「海の文化だなあ、と・・・」
旧軍の昔から陸軍と海軍は違う成立をしてきて別の組織だったため
文化が違う、ということは言われてきたことでしたが、
同じ一つの自衛隊となって、士官学校である防衛大学では
共通の教育を施されてきた幹部が上に立つ組織であっても、
「海自の文化」と「陸自の文化」は全く違うものであるということですね。
何人かの陸上自衛官が
「海さんのことは本当に分からない」
と言っていたのを聞きましたが、これはたぶんに海上自衛隊が
旧海軍の体質を最も強く受け継ぐ組織であることから来ているようです。
戦後初めて組織された空自はどちらかというと機能的な部分は
陸の流れを汲み、気質的には海を引き継いでいる、
と言った人もいますが、こういった陸空海の「気質の違い」に
こだわって掘り下げていくのを本ブログのサブテーマにしてもいいかな、
とちらっと思わされたK1佐の一言でした。