鹿屋航空基地には波乱の生涯を送った二式大艇が、
静かにその余生を送っています。
実験のために米海軍に接収され、廃棄処分になるところを
アメリカの有志の請願によって延命し、さらに開発者の
新明和工業技術者、菊原静男博士が渡米の際、
「迎えに来るからそれまで保持してほしい」
と頼み、米海軍もそれを快く引き受けたのですが、
日本がそれを引き取るには輸送料を全て負担せねばならず、
そういったことに対し全く協力を仰げない政府のおかげで
引取りはもう絶望的、という状態のまま17年が経ちました。
その頃、岡部冬彦、斉藤茂太、おおば比呂司など飛行機好きの著名人が
二式を日本に返還するべく声を挙げ、米軍の返還への合意を得るとともに
それに必要な渡航費用を募金で集める運動を起こしますが、難航します。
そこに米軍が
「お前ら取りに来るっていうから待ってたけど、こっちだって
いつまでも維持費のかかるもんを保存してるわけにいかんから、
いついつまでに取りに来ないんだったらスクラップな」
と言ってきたのです。
エミリー、ピ〜ンチ!
しかし捨てる神あれば拾う神あり。
エミリーにとっての神とはこれすなわち、
戸締り用心火の用心、一日一度は善いことを。
一日一善がモットーの日本船舶振興会、笹川良一会長でした。
それにしても、こういう時系列をつらつら見て思うに、
この二式426号は稀なる強運の持ち主だったと言えましょう。
実際、派生型を含めて生産された167機のうち終戦時に残っており、
あるいは破壊を免れた機はこの機を含め三機しかなかったのですから。
そして三年後の昭和54年、日本を経ってから実に34年ぶりに
最後の二式大艇は故国日本に帰ってきました。
復元作業は旧川西航空機、現・新明和工業が請け負いました。
その過程の写真が集められたサイトを見つけたので紹介しておきます。
http://dansa.minim.ne.jp/CL-NisikiDaitei-1.htm
ここに掲載されている写真を観ると分かりますが、
アメリカから返還されてすぐの二式のボディには
日の丸の中にくっきりとアメリカ軍の星のマーク。
どうやらアメリカは、星の上からペンキを塗ったようですね。
世界のどこにもない、この不思議な機体のペイントは、
そのまま彼女の波乱の生涯を物語っています。
ところで、この返還から復元、公開にいたるまでにかかった
総費用は、およそ、一億二千万円と言われます。
当初、返還のために最低限必要であったとされる、募金の目標額は
4000万円であったということなので、笹川良一が船舶振興会を通じ、
いかに多額の出資をしたかということです。
大物ゆえにレッテルを貼られることも多く、「黒幕」「ドン」呼ばわりされましたが、
この一件だけとっても笹川の功績は純粋に称賛されるべきでしょう。
後藤新平もそうでしたが、このような人物に対して「善を為すためにおこなうための悪」
の面からのみ語ろうとする者(おもにメディア)はいつの時代もいるものです。
この後、二式大艇は1983年に一般公開されて以来20年間
「船の科学館」に展示されていました。
これも、笹川良一が船の科学館の初代館長であった関係です。
その後、2003年、平成15年に、二式は所有者の(財)日本財団
(2011年、日本船舶振興会から改称)から、海上自衛隊に譲渡されます。
その時に日本財団の会長であった作家の曽野綾子が、
譲渡の記念式典で声明を読み上げる姿が、
鹿屋の航空基地資料館に残されていました。
この譲渡の理由については、今回、何人かの読者の方から情報を戴いており、
そのなかにこのようなコメントがありました。
船の科学館がもてあましたこと、曾野綾子さんと海上自衛隊とのご縁などなど、
様々な理由があったと思いますが、
蓮 舫の仕分けにあって同館が開店休業に追い込まれ、
南極観測船宗谷などの実物展示物 の保管も危ぶまれる今となっては、
よくぞ早期に里帰りできたものだと思っています。
なるほど・・・・・・・・蓮舫・・・・・・許さん。
しかしながら、わたしも思うのですが、終戦直後からアメリカに渡り、
34年の年月を経てようやく祖国に帰ってきた二式大艇にとって、
海上自衛隊の所有になったというのは、
その生を与えられた海軍の懐に再び戻ったということでもあります。
彼女にとっては真の安住の地を得たということではなかったでしょうか。
ただ・・・、上記サイトの執筆者も書いておられましたが、
ここにある航空機群全てが雨ざらし、かつ火山灰を被るままで、
経年劣化が非常に進むことが懸念されます。
だいたい、歴史的航空機を展示公開するのに、恒常的に
屋外で風雨にさらされるがままにしている国って他にありますか?
大艇、エミリーも、37年間もの間アメリカに在った間、
ずっと屋内でコクーンに包まれ、空調設備のある格納庫で保存されていたと言います。
設置にあたってコーティングはしたようですし、わたしが行ったとき、
ちょうど一機を塗装しなおしていましたから、お金のない自衛隊なりに
保存の努力をしているのだとは思います。
・・・・思いますが、これらは、二式大艇に限らず
「二度と作られることのない航空機」なのですから、是非更なる対策をお願いしたいところです。
可能性からいうと、日本財団のもとにあったときの方が、
そういった声が聞きいれられたかもしれないのですが、
自衛隊に贈与されてしまったからには、あらゆる意味でそれらのことが
困難になってくるのは目に見えています。
鹿屋の資料館が保存のための寄付を募集してはどうでしょうか。
まずは告知宣伝のために「二式大艇」をテーマにした番組か映画を製作し・・・
やっぱり無理かなあ・・。