先日表敬訪問した海上自衛隊地方総監部の新総監の経歴は
海幕指揮通信情報部長←情報本部情報官←海幕情報課長
←海幕総務課広報室長←潜水艦隊司令
と、潜水艦を降りてから(上がってから?)は情報畑一筋です。
その時代の話を色々と伺っていると、
「『男たちの大和』の、特典映像見られましたか?」
「映画は観ましたが・・(特典映像は覚えがない・・)」
「あれに僕出てるんですよ。映画に海自が協力したのでその解説で」
「うちにDVDがあるので、帰ったら観直します」
ところが観ようと思って探してもDVDが見つかりません。
もしかしたらレンタルだったのかと思ってAmazonの記録を見たら
確かに購入していました。
しかし海将に観ますと言った以上、何が何でも観なければ。
いや、観たい。
というわけで、もう一回「男たちの大和」を購入したわたしです。
因みに、DVDを探していて気づいたのですが、夏に感想を書いた
「浮沈艦撃沈」もなぜか2枚ありました。
どうやら買ったことを忘れてまた買っていたようです。
わたしはボケ老人か。
二つあっても仕方がないので、もし「浮沈艦撃沈」のDVDを欲しい、
と言う方がございましたら、第2弾読者プレゼントとします。
ご希望の方はコメント欄でお申し込み下さい(T_T)
今日はその特典映像で海将が説明しておられたことを
取り上げたいと思います。
冒頭写真は、2005年に公開された映画の制作中ということで
おそらく今からちょうど10年前の海将のお姿。
ヘアスタイルなどに大変こだわっておられる様子が窺える、
なんともスマートな海軍さんぶりです。
参考までに、これが10年後。
最後にTOと3人で海将を真ん中に写真を撮ったのですが、
そのときに
「顔がマズくてすみませんね^^」
などと、どう突っ込んでいいのかわからない冗談を言われました。
しかしわたしにははっきりいって顔がマズいとかマズくないとか、そもそも
そういう評価をする必要もない堂々たる男ぶりにお見受けしました。
冒頭の1佐時代はおそらく45~6歳といった歳だと思われますが、
脂の乗った男の働き盛り、といった感じで実にかっこいい。
大和はかくして蘇った
ー海上自衛隊全面協力ー
これが映像特典のタイトルです。
「全面」がなぜ必要なのだろうと言う気もしますが、
この辺りが映画製作前、「軍国主義礼賛!」と反対する左巻きの
突っ込みどころとなったのかもしれません。
しかし実際の映画は
決して戦争を美化している訳ではなく、
艦内で懲罰として振るわれる暴力や、愛する人を失った女性の悲しみ、
労働力である成人男性を徴兵されて疲弊していく農漁村の姿も強く描かれており、
当時の日本の精神主義偏重を批判する台詞が多く登場し、
大東亜戦争肯定論とは一線を画している。(wiki)
という内容となっています。
わたしなどはむしろこちらに主張の重きを置きすぎて、
実際に戦いにあった人々の覚悟や国を護るという挟持については
ほとんど「なかったこと」にしてないか?などと思ったくらいです。
わたしは前にも書いたように、取ってつけたようなご都合主義の
この人間関係に全く必然性を感じないので、やはりwikiの
要所要所に現在の敦の視点が挿入され、過去のできごとが
今の大人たちの記憶だけに偏らないよう配慮がなされており、
この映画をより秀逸な重厚味ある作品に仕上げている。
敦が船を操縦するシーンでラストとなり、完成度の高いエンディングとなった。
というような手放しの共感は得られなかったのですが、
この海将の出演している「海自協力の記録」を観た今は、
「現代」を描くことは映画のスタッフに取って「全面協力」の
自衛隊への謝意を表わす意味でも不可欠だったのかという気がしています。
そう感じたのは映画冒頭、海上自衛隊の補給艦「ましゅう」が
舞鶴地方総監部の港に入港して来る一連のシーケンスです。
「ましゅう」は、2004年から2005年にかけての
「対テロ作戦支援任務によるインド洋派遣」
を終えて母港である舞鶴基地に帰還した際、出迎えの様子が
撮影され、それが映画の最初のシーンとなりました。
このときに「ましゅう」の帰還の様子が映画に取り入れられたのは、
撮影の時期と帰国がたまたま同時期であったという理由によるものですが、
この「ましゅう」と大和は大きさがほぼ同じで、
「何か因縁めいたものがあるのかなと」
思う、と海将(当時1佐)は映像で述べています。
これが撮影された素材部分。
音楽隊の演奏に始まりましたが、音楽隊のシーンは
映画には採用されていませんでした。
「ましゅう」入港シーン。
こちらは映画のシーンです。
なぜかそれを見ている内田二曹(中村獅童)の養女(鈴木京香)。
繰り返しますが
ここは舞鶴です。
鈴木京香はまず呉の「大和ミュージアム」を見学し、
同じ洋服を着て舞鶴で「ましゅう」の帰国行事に立ち会い、
それから大和沈没点まで行く船を依頼するため、
瞬時にして鹿児島県枕崎漁業組合に現れます。
このフットワークの軽さにはエリス中尉も真っ青です。
「ましゅう」の舷側に整列する自衛官たち。
行進しながらラッタルを降りて来るのは、映画の主人公が
おもに若年兵であったことからでしょうか、若い海士たちです。
隊司令の挨拶も映画ではカットでした。
海幕長と司令が敬礼を交わす瞬間だけが採用されています。
素材の方でとても目立っていたカップル。
人目がなければ、お互い抱き合いたかったに違いありません。
女性は恋人の制服の袖をつかみ、彼は彼女の頭をなでなでしています。
日本人は一般に、こういうときの感情表現が控えめですが、
この二人の気持ちは観ているこちらにも痛いくらい伝わってきます。
実際映画で採用されていたのはその右側の、
紺の背広の男性の向こうに隠れている赤ちゃんを抱いた若夫婦でした。
このシーンはよく見ると、後ろに海曹と海士が、それぞれの
家族に出迎えを受けている様子が捉えられています。
この女の子も今は小学校高学年。
彼女はこのときのパパの抱っこを覚えているでしょうか。
波切りの部分をCG合成の素材として使うため、
護衛艦を実際に走らせるという協力もしています。
このときのインタビューはまだ制作の途中に行われたため、
1佐は
「ぜひそれで素晴らしい映像を作って頂きたいと思う」
と語っています。
艦上から見る巨大戦艦の起こす航跡も、
この「ひえい」を空撮した映像から取られました。
説明がなくて少し分からなかったのですが、どうやら
「みねゆき」も素材として撮影されたようです。
実際に「ひえい」の波切りがどのように「大和」に使われたか、
映像を並べてみました。
同じく「ひえい」から合成された大和航行シーン。
写真に残る大和の航跡を再現するために、実際に護衛艦を
蛇行させて航行するということまでやっています。
(今、ふと思ったのですが、まさか海自は無料で協力したのでは・・)
合戦のシーンで使われたはめ込み画像。
海上自衛隊の協力はそれだけではありません。
なんと、出演者にはエキストラも含め、体験入隊を行って、
敬礼や号令など、所作指導一般を行ったそうです。
これは特別年少兵たちの訓練シーンのリハーサル。
体験入隊ではなく、太秦撮影所での様子です。
えー・・・これ、誰でしたっけ?
とにかく、こういう本物の所作指導が行えるのは
帝国海軍の良き伝統の継承者である海自ならではである、
ということを1佐は強調しています。
そして、かつて海軍軍人として戦い、そして散華した人々に、
海上自衛隊がその精神を受け継いでいるということを
「わかっていただきたい」(原文ママ)と・・・。
乗組員を大和まで運ぶ内火艇のシーンも、
海上自衛隊の協力なしには実現しませんでした。
さらに、年少兵たちが最初に大和に到着するシーンには
掃海母艦「ぶんご」が使われました。
CG加工用に側面にはブルーシートが掛けられています。
これが加工後。
勿論呉でも撮影は行われました。
呉潜水艦基地で撮られたのは、大和が特攻に向かうときの乗艦シーンです。
ロケ地としてほとんどそのまま撮影できるくらい、
建物が往時のままに残されていることから選ばれたようです。
さすがに衛兵の立つ見張り所と掲示板はセットでしょう。
このシーンの主役、唐木二曹(山田純大)。
唐木の妻(みれいゆ)が「あんた!」と夫を呼び、
唐木は妻と子の名を呼びながら、狂ったように帽子を振ります。
ちなみにこのときのエキストラ赤さんは大泣き(笑)
そりゃ耳元であれだけ叫ばれたら怖かったでしょうとも。
冒頭の「ましゅう」の乗組員が、妻から愛児を受け取り抱き上げるシーンは、
まさにこのシーケンスの伏線として採用されたということがわかります。
わたしは恥ずかしながらこのシーンをもう一度観て、
それに気づいたとたんつい涙があふれてしまいました。
インタビューは制作の途中、呉地方総監部で行われました。
1佐が腰掛けているのは、尾道市の日立造船所跡に、6億円を掛け、
原寸大で再現された大和の甲板部分。
6億ですよ。6億。
これが一瞬しか映らないセットに掛ける金額として高いとか安いとか、
わたしは全く言及するつもりはありませんが、
富士総火演で消費された弾薬の総費用が3億5000万。
これはどう考えても後者が安すぎないか?と思ったことだけ言わせて下さい。
映画のセットよりも、大曲花火大会よりも安い、一国の規模最大実弾演習。
関係ないものを比べんな、といわれりゃそれまでですが(笑)
このセットはその後資料館として一般公開され、多くの人が訪れました。
造船所の再稼働のため、取り壊しの期限が来たときにも、
存続を望む声があったそうですが、結局惜しまれながら閉館したそうです。
かつて大和が建造された造船所のドック。
海将はこのインタビュー時市ヶ谷勤務だったはずですが、
「大和」の制作のために呉に詰めていたのかもしれません。
今回、呉に「戻ってきた」海将を表敬訪問したことは、
このインタビュー映像によって、より印象的なものとなりました。
特典映像の最後で海将はこんなことを述べています。
海上自衛官は、旧海軍の良き継承者であると自ら任じている。
その立場で「大和とは何か」を考えてみると、
当時造られた世界一の戦艦たる「大和」は、海軍の、
延いては日本の精神的なシンボルであったと思う。
「大和」から受け継がれた精神と伝統があってこそ、今の我々がある。
大和は我々にとっても「象徴」であるといえるのだ。