金髪にハンチングを被った若いハンサムなこの青年は、まるで
「華麗なるギャツビー」を思わせる雰囲気に満ちています。
飛行家、リンカーン・J・ビーチェイ。
日本人である我々には殆ど馴染みのない名前ですが、
飛行機操縦の歴史における先駆者として当時大変な名声を獲得した人物です。
映画「頭上の敵機」では米陸軍の実機が数多く登場しましたが、
このとき、降着装置を出せずに強行着陸するシーンのために操縦した
有名なスタントパイロット、ポール・マンツは、1915年、12歳のときに
このビーチェイが初めて単葉機を飛行させるのを見てパイロットを志しました。
この名前が日本ではwikiにも見当たらないくらい無名なのは
不思議というしかありません。(ポール・マンツはあるのに・・)
しかし、皆さんも、彼の偉業を端的に表すこのタイトルを見れば
彼が航空界の偉人であるということに同意下さるでしょうか。
「人類で初めて飛行機で宙に弧を描いた(Loop the loops)男 ”
サンフランシスコ空港から南に車で10分ほど国道を下ったところに、
このヒラー航空博物館はあります。
いつぞや、この名前の元となったヘリコプター開発の早熟の天才ヒラーについて、
その業績をお話ししたことがあるのですが、この博物館のすごいところは、
このような航空黎明期の「人力」「風力」飛行機も展示されていて、
一通り見終われば1800年代からの航空史を立体的にも学ぶことができることです。
飛行機の時間(フライトの待ち時間と興味の両方)があるなら、
ぜひ一度訪れてみてください。
今回シリーズは、ビーチェイについてお話しする前に、かれが発明した
「スタント飛行」以前の、つまり人類に於ける直立歩行以前の飛行機について、
ここの展示をもとにご紹介します。
羽につけられた一本の横木にまたがり、自分の脚で滑走して、やはり脚で着地する。
これってハングライダーそのものですよね。
なぜネクタイをしているのかと言う気もしますが、それはともかく、
この飛行機の仕組み・・・。
木の棒にまたがってるだけって・・・。
魔女の帚じゃあるまいし、こんなものでもし地面に激突したらどうなるのか。
何かあればすぐに体は機体から放り出されるわけだけど、それで命の危険は?
こういうのを見ると、つくづく人間と言う動物は命を失う危険を冒してまでも
何としてでも空を飛びたかったのだとあらためて呆れるというか感心すると言うか。
しかしながらこの無茶を顧みず探求する情熱あらばこそ、
百年後には人類は宇宙に行くことをも可能にしたのであり、
つまりスペースシャトルもステルスも、
この無謀なる飛行機馬鹿たちの死屍累々の上にあるのだと言わざるを得ません。
死屍累々といえば、先ほど紹介したポール・マンツも、
本日の主人公ビーチェイも、飛行中の事故で亡くなっています。
この飛行機は、1858年にジョン・ジョセフ・モントゴメリーという、
アメリカにおける正真正銘航空の先駆者によって開発されました。
見物に25セント(子供1セント)徴収することが書かれていたり
「翼のある人間が空を一掃する!」
「鳥にレッスン受けました」
こんなことが書かれたポスターを見ると、どう見てもサーカスとか見せ物の類いですが、
当時の飛行機と言うものはそもそも「乗るもの」ではなく文字通りの
「見せ物」でしたからそれも致し方ないことかと思います。
しかしモントゴメリー自身は決して怪しい人物ではなく、
それどころかサンタクララ・カレッジで航空工学の研究をしていた人物、
自作のこの飛行機で、アメリカ航空史上初めてグライダー飛行を行なった、
というまごうかたなき先駆者、パイオニアです。
さらにポスターを見て下さい。
飛行機の下に胃のような形の巨大な袋がありますが、
これはこの興行のとき、熱気球で上昇したのち気球を切り離し、
約900メートルの高さからグライダーを操縦して着陸する、
ということを行なったことを示しています。
この状態で上昇していき、高度が上がったところで気球を切り、
あとはグライダーで地上へ・・・・。
そんな無謀な、と思われた方、あなたは正しい。
真ん中がモントゴメリー教授で、この写真は彼の勤務先である
サンタクララ・カレッジの近くで撮られたものだそうですが、
教授の右側のタイツ男にご注目。
このグライダー飛行によるショーを行ったダニエル・J・マロニー(Daniel J. Maloney )。
元々こちらは正真正銘のサーカス芸人で、パラシュート降下を見せ物にしていました。
博士は自分のグライダーの興行のために彼を雇い、グライダーの訓練をさせました。
1905年のことです。
動画もありましたが、これがいつ撮られたものかまではわかりませんでした。
よ!ってかんじで手を上げて、なかなかなごやかな雰囲気ではあります。
初回は3月、このときは18分間の飛行に成功しました。
二回目の実験は4月で、このときはさらに高度を1200メートルに上げることに成功。
こんな原始的なもので高度1000以上から飛ぶなんて、
考えただけでお尻がぞわぞわしますね。
今の感覚で見るとその無謀さに、もしかしたら馬鹿?とすら思ってしまうのですが、
実際飛行機馬鹿なんですからしかたありません。
ライト兄弟だって、初代飛行機馬鹿のオットー・リリエンタールが
自作のグライダーで墜落して死亡したからこそ、動力飛行機の研究を始めたのです。
このグライダーは翼を見てもお分かりのように「サンタクララ」と名付けられました。
そして皆さんの嫌な予感はやっぱりあたり、三回目の飛行となる7月に、
マロニーはこのサンタクララで墜落し、死亡してしまいます。
合掌。
モントゴメリーはこれに懲りず(?)あちこちの航空顧問などを務め、
このグライダーを改良した飛行機を開発します。
1000メートルの高度から降下するのに人間の脚ではやはり無理がある、
とどうやら博士はマロニーの事故で悟ったようですね。
着陸を4輪で受け止め、さらに操舵できるようにしたもので、これを
エバーグリーン号、と名付けました。
その初飛行の写真が残されています。
まあ、高度もこれくらいならせいぜい脚の骨を折るくらいですむかもしれません。
カリフォルニアというのはこういう丘陵地形のなだらかな場所が多くあり、
高い木や森も沿岸地域には無いことが多いので、こういった実験には
もってこいの地域だと思われます。
アメリカの航空機や飛行士が殆ど最初はサンフランシスコを中心とした
地域の誕生であることはこの辺からきているようです。
操縦しているのもモントゴメリー本人。
地面に線路のようなものがあるような気がするのですが・・・。
写真でもそうですが、モントゴメリー教授、こんな格好で実験していたんですね。
落ちたら危ないちゅうに。
などと言っていたら、案の定教授はマロニー死亡事故から6年後、1911年に、
このエバーグリーン号で飛行中、墜落して死亡してしまいました。
合掌。
この頃にはすでに
この、カーティス・ブラックダイヤモンドなどという飛行機も登場していますし、
ライト兄弟はこの何年も前に動力飛行機の飛行を成功させていますから、
はっきりいってモントゴメリーの「エバーグリーン」での死は、
自分の過去の栄光に拘って最新科学を無視した末の無謀が招いたものであった、
というのはいささか先駆者に対し厳し過ぎるでしょうか。
マロニーに死をもたらしたのと同じ理由でエバーグリーンと彼の身に
遅かれ早かれ事故が起こることを、彼は予測できなかった・・・・・、
というかそのころは「アメリカ航空界の重鎮」となっていて、
新しい技術を認めたくなかったのかもしれません。
せめてこのタイプなら・・・・。
ソリのような先端がまだしも事故を防ぐかもしれません。
(1910年ごろのグライダー)
ところで、ここにある最古の飛行体は、モントゴメリーのグライダーではありません。
現在、これが空を飛ぶとは何人たりとも思わないと思うのですが、
当時はどうもこれが垂直に飛び上がることを期待して作ったようです。
この滑車でうちわをぐるぐる回すことによって方向を制御し、
あわよくばまっすぐ飛翔していく飛行体を。
考えついても実際に作ってしまうというのが信じられませんが。
これは「Platens」と名付けられたエアロサイクロイドです。
パイロットがレバーを操作することによって上部の「プレート」が傾き、
(あ、それでPlatensっていうのか)それによってサイクロイドは
前、あるいは後ろに動きます。
こんなもの、飛んだのか?いやその前に動いたのか?と思われるでしょう。
このエアロサイクロイド、7馬力のバイク用エンジンを積んでいたんですね。
発明者のJ・C・アーバイン博士。
この人もサンフランシスコの大学教授です。
せっかくなので顔のアップ。目がありません。こわい。
ついでにモントゴメリーのグライダーにまたがっている人アップ。
もみ上げが情熱的なラテンの雰囲気を醸し出しています。
きっと女性の弟子がヒゲをつけてコスプレしているに違いない。
アーバイン博士の助手。
こんなもの飛ぶわけないじゃない、って顔をしています。
そしてこの助手の懸念は大当たり。
7馬力のパワーではこの巨大なものを垂直に持ち上げるには十分ではなく、
この「クラフト」はびくともしませんでした。
しかし、これと全く同じ機械を、第二次世界大戦中にドイツの科学者が
もっと大きなパワーのエンジンを使って上昇させることに成功しているそうです。
「リミテッドサクセス」
という説明しか無いので、どの程度の成功だったかは分かりませんでしたが。
アーバイン博士は勿論、ドイツの科学者たちも、こんなものを飛ばせて
一体何の役に立てるつもりだったのか・・・・・。
ヘリコブターの原型みたいなものとはいえ、謎は深まるばかりです。
ともあれ、冒頭のビーチェイが自作の飛行機「リトル・ルーパー」で
人類初の曲芸飛行を行なったのは、このときからわずか6年後のことでした。
(続く)