さて、呉地方音楽隊の演奏会によって感動的な終わりを告げた
海軍兵学校同期会@江田島。
演奏会が終わり、わたしたちが席を立ち会場を後にする間、
音楽隊は普通のコンサートのように楽器を片付けたりせず、
ただじっと微笑みを浮かべつつその様子を見ていました。
始まるときにもすでにステージにスタンバイしていましたし、
普通の音楽会と比べるとその様子は少々異質に感じられます。
ここでは自衛隊はあくまでも「お迎えし、歓迎する立場」
であろうとしていることをこんなところからも感じました。
会場を出て左手に見える建物はこれも生徒館。
あの赤煉瓦の生徒館の後ろに並行して建っているものですが
・・・・・なんというか思いっきり「普通」。
出身高校の校舎もこんなだったなーという感じです。
もっとも、真継不二夫カメラマンの写真集にも
これとそっくりの建物があるので、もしかしたらこれも
昔の雰囲気を残して復刻した建物かもしれません。
そのあと我々はスタンバイしていた帰りのバスに乗り込みます。
TOはそのまま仕事で現地に残ったので、わたしは一人で
夜の飛行機に乗るグループのバスに座っていました。
すると、バスの窓越しに、演奏を終えた音楽隊員たちが楽器を手に手に引き上げてきます。
この後ろに停まっているバスは「KURE BAND」と書いてあり、
彼らも練習場までこれで帰るのですが、なぜかバスに乗り込みません。
そこにM海曹発見。
当ブログでは音楽まつりで彼がソロを歌ったときに実名で写真を挙げたことがあるのですが、
結構たくさんの方が彼の名前を検索してやって来られます。
おそらく「国防男子」以降、増えたと思われる全国のファンのために、
彼を中心に写真を撮っておきました。
はいどうぞ。
いつ見ても笑顔がさわやかですね。
ところで今気づいたのですが、向こうで手を腰にしているのって音楽隊長ですよね?
さて、 わたしが音楽隊員の写真を撮りまくっていると、
このツァーに参加するきっかけを作ってくださった方が、
息急き切って?バスに乗り込んできました。
ん?確かこの方は新幹線で帰るコースのため、別のバスのはず。
「赤煉瓦の中、入れますよ!」
ハアハア言いながらその方がわたしに教えてくれたのは、
演奏会場からバスの駐留しているところの間に、
赤煉瓦校舎の中庭を臨む場所にあるお手洗いがあり、
バスに乗り込む前にトイレに行きたい人をそこに案内している、というのです。
「横にあるんですよ、あの『同期の桜』が!」
ご存知、「同期の桜」は、元々「戦友の歌」といい、
西條八十が最初に書いた詩は
君と僕とは二輪の桜
積んだ土壌の陰に咲く
どうせ花なら散らなきゃならぬ
見事散りましょ皇国のため
というものだったそうですが、このメロディに兵学校71期の
帖佐裕生徒がいわば「替え歌」として
「貴様と俺とは同期の桜」
という歌詞をつけて兵学校関係者に爆発的に広まり、
いつの間にかこちらが有名になってしまった、という経緯があります。
つまり、西條八十はこの曲に関しては後塵を拝すというか、
「貴様と俺」「同期の桜」というインパクトに完全に
お株を奪われた状態であるわけですが、それはともかく、
その「同期の桜」と名付けられた桜が中庭にあると。
「今なら間に合いますよ!見て来られたらどうですか」
「行ってきます!」
その方の言葉が終わるか終わらないうちにわたしは
カメラだけを持ってバスを飛び出しました。
飛び出しながら、これでお別れだったのにその方に
お礼どころかご挨拶すらしなかったことに気付きましたが、
今はそれどころではありません。m(_ _;)m
昨日も海軍墓地で全力疾走し、ここでもまた・・。
普段ぐーたらしている人間ですが、こんなときには
一体どこからこんな瞬発力が生まれるのだろうと我ながら
不思議なくらい動作が機敏になるものです。
言われたところに走り込み、とりあえずそこで走りながら
なぜか「女子便所」を撮るエリス中尉。
ああっ、わたし動揺してる?
トイレの前に立って不審そうにこちらを見ている女性は
ツァー客ではなく、何かの時のために配されている
学校関係者であったように思われます。
彼女が驚いたようにこちらを見ていますが、トイレに向かって
一直線に血相変えて走ってくる人がいたら、普通理由はひとつ。
今にしてこの写真を見たら
「よっぽど切羽詰まった状態の人が全力で走ってくる」
と思われていたらしいことが薄々というか良くわかるのですが、
そのときは全くそんなこと考えもしませんでした。
どこ?同期の桜はどこ~~~!
何かわからないけどここは紛れもなく、
あの数々の映画に登場し、写真でも見た生徒館中庭。
ああ、感激・・・している場合ではないのよ、今は。
どれが同期の桜かはわからないけど、とりあえず
桜の木みたいなのがあるからこれを撮っておこう!
後から「同期の桜」をググったところ、現物はこれではなくorz、
もう少し中央寄りに、根元に近づけないように煉瓦で円を描いてある木が
そうであったとわかりました。(T_T)
まあ、一般ツァーでは入れないここ中庭に入り、この写真を撮れただけでよしとしよう。
そう思ってふと振り返ると、なんと後ろには、
息急き切ってトイレに全力疾走していく参加者の身を案じて、
2~3人の自衛官が付いてきてこちらを見ているではありませんか。
・・・・・・・・・・・・・・。
しかしね。
そのときはなぜかそうは思わなかったのですよ。
振り向いて付いてきていた自衛官たちを見たときに、てっきり
「立ち入り禁止区域に入り込んで写真を撮ろうとしている
不審者に見られたので追跡された」
と思ってしまったのです。
まあ、そういう風に思われた可能性もゼロではありませんが、
後から考えて、この日の自衛隊側の参加者に対する細やかな、
そして万全の態勢で見学を恙なく楽しんでいただこうとする
気遣いと心配りの数々を慮れば、これはどう考えても
「心配してくれた」
というものでしょう。(だといいな)
しかし、後ろを振り向いてびっくりしたわたし、それ以上
「同期の桜」がどこにあるのかなど尋ねる勇気を持たず
「ああっすみませんでした用事は済みましたから戻ります」
とばかりにUターンし、そそくさとバスに戻ったのでございます。
あのとき聞けば、多分「同期の桜」の写真、撮らせてもらえたと思うんですけどね。
人員点呼に遅れることなく席に戻り、息を弾ませ、
(; ̄ー ̄A 汗を拭いていると、バスが動き出しました。
ふと車窓を見ると、音楽隊員が帽子を振っています。
おお、もしかしたら海上自衛隊は「帽触れ」でわたしたちをお見送りしてくれるのか!?
息を弾ませるのも忘れて?動くバスから写真を撮りました。
彼も音楽隊員です。
音楽隊員はバスに乗り込む前に我々が出発ということで、
手荷物を持ったまま見送ってくれている人もいます。
バスは一般見学客が知らない裏の門から出るらしく、
武道場の方に向かって動き出しました。
西生徒館の前の通路、側溝の蓋の上に()綺麗に勢ぞろいした自衛官が皆で「帽振れ」。
こういうときに並ぶのも、「序列」があるらしく、
だんだん右に行くにつれて金線の数が増えてきていました。
確か徳丸校長もいたと思うのですが、写真を撮りそこないました。
バスの窓からそれを認めたとき、車内の参加者は「おお!」
とめいめいが言葉にならない感激の様子を表しました。
窓際に座った人たちは皆手を振ったり、自分も帽振れをして
それに答えています。
この写真の真ん中辺にいるスキンヘッドの士官は、
わたしたちのグループを案内してくれた杉山1佐(仮定)です。
徳丸校長に前夜の懇親会でついてきていた副官もスキンヘッドだった記憶があるので、
もしかしたらこの人が、と思うのですが、それなら校長の近くに立つかもしれませんね。
海軍のOBだからこそ、自衛隊側は海軍伝統の帽振れで見送って、
最後の最後までこうやって敬意を表してくれたのでしょう。
今回「海軍OB」の一行の一員としてこのツァーに参加したことを、
わたしは身にあまる光栄として、一生の思い出にしたいと思いました。
バスは武道場の前を通りかかります。
手を振っていた幹部たちの列はとうに視界から消え、
警衛のために要所に立っている海曹が、
やはり最後の一台が通り過ぎるまで帽振れしているのが見えました。
5台のバスのうち、わたしの乗った空港行き以外の4台は、
そのまま島を左回りして、元来た切串港からフェリーに乗ります。
わたしたちは飛行機が夜の7時と時間を持て余すので、
地道を通って車上観光をしながら広島空港まで向かうことになりました。
ところで本稿の「同期の桜」の部分を書くために検索したのですが、
兵学校の時代から、この校内には大変桜の木がたくさんあるのに、
そのうちの一本だけを「同期の桜」としたのか、その撰定の理由は
どこを探しても載っていませんでした。
どなたかこの事情をご存知の方はおられませんでしょうか。
続きます。(えっ?)