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呉の造船ドックと「大和の大屋根」

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呉に行ったとき、所用の前日に同行者を誘い「歴史の見える丘」に行きました。
そこはただ、中途半端な空き地に呉ゆかりの碑をあつめただけ、と見たときにも思ったのですが、
これらの碑について知ることで一挙に呉の歴史を知ることになったとお話ししたかと思います。

その丘は、ただ碑が立っているだけでなく、そこにたたずめば
眼下にはかつて呉海軍工廠だった港湾が一望に広がり、現在も稼働しているドックのありさまが見渡せます。

海軍兵学校の同期会の後、ここを通りかかった時にバスの窓越しに
撮った写真よりもはるかに鮮明なものが撮れたので、ご紹介していこうと思います。

年末に「お節介船屋さん」にドックの写真はどの程度公開可であるか、ということを尋ね、

「オープンにして誰にでも見られるようにしている限りはSNSでの公開は構わないと考えても良い」

というお言葉をいただき安心して本エントリ製作にかかりました。
ちなみに「歴史の見える丘」について調べた時に朝日新聞が

「軍港の見える地域は立ち入りを禁止された」

と非難がましい論調で「観光案内に」書いていたわけですが、
昔は立ち入り禁止どころか軍港は地図にも書かれることがなかったのです。



昔海軍工廠のどこかの起工の碑。そして・・、



港湾を見下ろすところにこのような俯瞰図を発見。
現在と昔の呉を説明してあります。



現在見ている「大和のふるさと」と書かれた大屋根、戦艦大和建造ドックは、
産業文化遺産に指定され、大屋根は当時のまま保存されています。



これですね。
黒々とサビた鉄骨もそのままですが、戦後補強も行われたらしく、
それが入り口の白い鉄骨部分かもしれません。



中には巨大な鉄鋼板が見えていますが、ここは今でも使われていて、
船の本体である板を作る工場となっています。

いかにそれが大きなものかは、自転車で移動している人物と比べてみてください。



大屋根はなぜか半分だけ色が違うのですが、左の部分は元の部分、
右は戦後になってから葺き替えられた部分のようです。

地図の右のほうに「旧呉鎮守府」とありますが、これは現在
昨年訪問させていただいた呉地方総監部となっています。



多分この赤煉瓦の部分も旧呉鎮守府のものだと思われます。
呉にはいたるところにこのような赤煉瓦の建物が残っていて、そのことごとくが海軍関係の建築物でした。

このすぐ近くには防空壕に爆弾が直撃して亡くなった呉市民の慰霊碑などもあるというのに、
アメリカ軍は港湾施設を占領後に使用するということを踏まえて、あまり破壊しませんでした。

その分、思いっきり住宅地に爆弾を落としたわけですね。



港の向こう側には

旧火工部、旧光学工場、旧潜水学校

などがありました。
この部分は、今地図で調べたところ、海保大学があります。
やはりなんらかの関係のある施設となっているんですね。

旧軍需部の跡は、現在バブコック日立というボイラーの会社です。
海上自衛隊呉資料館、通称「てつのくじら館」があるのもここに軍需部があった関係かもしれません。



丘に立って左の方向を見てみると、旧潜水艦部、並びに旧潜水艦繋留桟橋のあった部分が、
現在も海上自衛隊によって使われているのが見えます。

いわゆる現在のアレイからす小島のあたりですね。
「男たちの大和」で、大和に乗艦する乗組員たちが内火艇に乗り込み、
家族がそれを見送るシーンがここで撮影されました。

その向こう側は

旧砲熕部、甲板工場、製鋼部、電気部など。

砲熕(ほうこう)という言葉に見覚えがなかったのですが、この

「熕」

という字は、「おおづつ」とも読むので、まあ見ての通りです。
つまり、鉄鋼関係の工廠工場が集まっていた部分なのですが、ここが面白いことに、現在、



この前写真を撮った、日新製鋼と淀川製鋼、そう、製鉄会社となっているわけですね。

海軍工廠の後の施設をそのまま引き継いだと考えられます。



さて、地図にはここで建造した船も示されていたのでついでに。

航空母艦、赤城、蒼龍、千歳、日進、葛城、阿蘇。



戦艦は安芸、摂津、扶桑、長門、大和。



巡洋艦は那智、愛宕、最上、大淀、二代目伊吹など11隻。



水上機母艦千代田、潜水艦は約60隻、駆逐艦22隻、
特殊潜航艇咬龍・・・・・・多数。

戦争が終わってからは巨大タンカー、日精丸が作られました。



さて、この辺でドックで建造中の船に目を転じ・・・。

うーん、これはどうやら船の艦首部分船底(手前)と、艦首部分デッキ?(向こう側)

本当にプラモの部品のようにそうとわかる形のものがあちこちに。
ブロック工法というのは日本のオリジナルと聞いたことがありますが、
本当に部分部分を作ってくっつけていくんですね。



アップにしてみました。
護衛艦の艦首と違って艦首なのにまあるいのがなんだか不思議。
まあ、大和だって丸かったしな。
・・・・艦首ですよね?

まだ組み立て前なので、面白いところに階段がついていますが、
この階段にはどうやって登るのかというと、下の梯子段をかけて登って行くみたいですね。
船ってこうやって作っていくんだ~、と新鮮な驚きです。



さらにアップ。(くどい?)
艦首のポールがもうすでにあるのに注目。



船底のようですが、もしかしたらこの上に向こう側の部分を
えいや!とクレーンで乗っけるのでしょうか。



さらにアップ。
まだ固定していないらしい板のようなものが並べられています。



これは、二つ上の画像の上部分ではないだろうか。
まるでパズルです。 
丘の上から見ていると、ちょいとつまんで部品を組み立てられそうです。

 

こちらに見えてるのはさっきの案内板によると第3ドック。
もうすでに艦体がある程度の形をして入っています。
手前に斜めのフェンスのようなものがあるのですが、
これは進水式の時には全部閉じられ、この向こうに海水が溜まるのでしょうか。



ところで前回の写真。
工事がここまで進んだってことなんですね。


 

船体部分さらにズーム。

大きく四角い穴が二つ空いていますが、ここがのちに艦橋になるんですね。

あっ、3つ上写真の部品はここに填めるのか!



よく見ると、組み立て前の部品は地面に置かず、このような柱の上に設置するようです。
白い作業服の人が写っていますが、それを見ると
この「支え棒」は人間の背より高く、2メートルくらいありそうです。



さて、こちらは現在補修ドックと呼ばれているはずですが、
前回写真を撮った時に写っていた船舶は作業が終わったのか、空になっていました。

ここには護衛艦が入ることもあるそうですが、もしかしたら、この空いた部分に入るのも・・・・?



手前の建物は前回工事中だったかな、と思って確かめてみたら、
補修ドックに大きな船が入っていて見えなかったのでした。



まるでクレーンカーがミニチュアみたい。



手前のこの、崩壊寸前みたいなプレハブ小屋と、その横の、いかにもこれも戦前からありそうな建物・・。
小屋の方はもうトタンの屋根が剥がれまくっているのですが、
これは下手に屋根の上に上がろうものなら危険なので放置してあるのではないでしょうか。



これもガラス窓だったりするんですよね。

間違いなく「大和建造」の頃からあったものだと思うのですが、
これも文化遺産に指定されてしまってもしかしたら建て替えられないのかな。

とにかくわたしのような「古いもの大好き人間」にはゾクゾクする眺めではあります。


この船は竣工のあかつきにはここから進水式を行うことになるわけですが、
ちょうどその時この丘に来れば、式典が見られるわけですよね。

うーん、見てみたい。 



 


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