航空母艦「ホーネット」の第二次世界大戦中にどんな戦歴を残したのか、
あまり認識してこの博物館に行ったというわけではなかったのですが、
前項でお見せした対日戦の成績をわざわざ巨大なボードに仕立てた力作を見て、
あらためてこの空母の恐るべき実績と、日本人が持たずにはいられない一種の感慨を
同時に感じ取ったエリス中尉でございます。
アイランドツァーの解説員は元海軍軍人で「ホーネット」 の乗員だったという
「特別」感を漂わせる人物でしたが、この解説員がせいぜい70歳くらいで、
少なくとも「マリアナの七面鳥撃ちのときのことだが」などと言い出しそうにないのは
わたしたちにとってラッキーなことだったのかもしれません。
どこの区画も、丸くくり抜かれた舷窓以外はスピーカーと計器の類、
そして何十本単位でまとめられているコードが壁を張っています。
プラスチックの壁のようなところに書かれた駆逐艦らしい艦名。
調べてみたのですが、
オブライエン(DD-725)、
アルフレッド・A・カニンガム(DD-752)
ウォーク(DD-723)
フランク・E・エヴァンズ(DD-754)
これらはいずれも第二次世界大戦中の駆逐艦の名前です。
「チェリーツリー」「ビッグ・リーグ」「ストロー・ボス」
駆逐艦にこういったあだ名をつけるのは洋の東西を問わずやっていたようですが、
日本人の我々にはいかなるイメージからつけられたかの見当さえつきません。
「フラッグオフィサーのコマンドをアナウンスするシステム」
と円形のマイク?の上に書いてあります。
フラッグオフィサー、すなわち海軍将官が発令する専用の放送システムであると。
各送信スイッチには
「パイロットハウス&オープンブリッジ」
「メインコマンダーステーション」「ソナーコンテナ」
などの部署名が書かれています。
これを見た頃には大して興味を持たなかった艦隊配置図、
その後連合艦隊についてかなり勉強することになったので、
この度あらためてこれをじっくり見てみることにしました。
「ホーネット」は旗艦です。
皆が汚い手で「ホーネット」のところを指差すもので、そこだけ黒ずんでいます(笑)
「ホーネット」の左前方を、
「ベニントン」(CV20)
という空母がまず固めています。
先代の「ホーネット」CV-8はヨークタウン級の正規空母でしたが、建造中の
「キアサージ」を急遽日本軍に沈められた後釜に据えるという決定を認め、
この「ホーネット」は旗艦であっても正規空母の中でも短船体型の空母です。
「ベニントン」については先日その生涯について詳しく語ったばかりですね。
そして、
「サン・ジャシント」(CVL-30)「ベローウッド」(CVL-24)
という2隻の軽空母と共に旗艦の周りをぐるりと囲むように配置されています。
「サン・ジャシント」には若き日のパパブッシュ、ジョージ・W・ブッシュが
艦載雷撃機のアベンジャーのパイロットであったときに機が被弾してパラシュート降下し、
九死に一生を得たということがありました。
このときも一人のパイロットを救うため、アメリカ軍は航空機によって彼の着水位置を確認、
それを潜水艦に打電して現場に急行させる間、周りの日本艦船を銃撃で追い払い、
大変な努力を払っています。
艦隊の一番外には駆逐艦ばかりが16隻、まるで時計の文字盤のようにきっちりと
縁を形作るように配置されており、円の最前端と最後尾には
「ブラッシュ」(DD-715)と「コラハン」(DD-658)
が固めています。
円の中ほどには
「ミズーリ」(BB-63)「インディアナ」(BB-58)『ニュージャージー」(BB-62)
「マサチューセッツ」(BB-59)「ウィスコンシン」(BB-64)
などの戦艦が配され、その間を埋めるように
「ボルチモア」(CA-68)「ピッツバーグ」(CA-22)『インディアナポリス」(CA-35)
などの重巡洋艦群、そしてさらに
「マイアミ」(CL-83) 「ヴィックスバーグ」(CL-83)
などの軽巡洋艦が配置されます。
ここまでは十分素人にも理解するに易い構成だったのですが、
上の図で言うところの円の外側をごらんください。
「レーダーピケット」「50マイル外」
これらは米海軍が定めた
「レーダーピケット艦」
の役割を担っている駆逐艦です。
レーダーは第二次世界大戦中に急速に発達しました。
大戦終盤、日本の「神風特別攻撃隊」などの特攻攻撃が行われるようになってから、
米海軍機動部隊は駆逐艦などの自衛能力に優れた小型戦闘艦に大型レーダーを搭載し、
「レーダーピケット艦」として早期航空警戒と迎撃戦闘隊の誘導に使用しました。
この配置図に「50マイル外」と書かれているように、レーダーピケット艦は
機動部隊本隊から遠く航行し、敵空母艦隊が存在すると予想される方向に展開します。
ここでレーダーによる情報収集を行い、敵の攻撃隊を探知し次第、
味方機動部隊本隊にその情報を送信する役目を行います。
この情報を受け、艦隊旗艦は迎撃戦闘機隊に迎撃を命じ、
必要に応じて追加の戦闘機を発進させるなどの指令を下します。
もし、戦闘機による迎撃をくぐり抜けた敵の攻撃隊があったら、空母を護衛する艦艇が対空射撃を行い、
さらにその対空射撃を突破した敵航空機には空母自身による対空射撃が待っているという次第。
アメリカ海軍はレーダーピケット艦を駆使した
「戦闘機による迎撃」「護衛艦の対空射撃」「空母の対空射撃」
といった三段構えのシステムで敵攻撃機を迎撃していたのです。
「ホーネット」を旗艦とする艦隊の作る巨大な円の四方外に配置された駆逐艦4隻、
「カッシング」(DD-550)、「マッドックス」(DD-73)、
「シュローダー」(DD-50)、「フランクス」(DD-554)、
これらのレーダーピケット艦に指名されたフネはいずれも精鋭艦だったはずで、
というのは このレーダーピケット艦は敵を長距離から感知できるだけあって、
敵からも感知され、攻撃されやすい艦位であったからです。
そこでアメリカ海軍は第二次世界大戦直前に、レーダーピケットの役割を
駆逐艦ではなく潜水艦に負わせることにしました。
潜水艦ならとりあえず潜行することによって駆逐艦より生存率は上がります。
しかし、この図面によると、艦隊のレーダーピケットは従来通り駆逐艦が行っているわけで、
はて、どうしてだろう?従前の艦隊配置図ってことかな?
「レーダーピケット」を艦船に役目を負わす戦法は、原子力潜水艦が運用されるようになった
1959年を最後に完全に不要のものとなり、廃止されました。
性能が向上したレーダーによって探知距離も増大し、わざわざ専用の艦艇を先行させなくても
敵の攻撃に対応できるようになった ためです。
そしてこちらが現代の艦隊の配置図となります。
空母が中心であることは同じですが、ずっとコンパクトな構成となっています。
昔と大きく違うのは、E-2Cホークアイ(あのお皿を背負った飛行機)などを早期警戒機として
飛ばすようになったことです。
図の上には
「空母戦隊の指令は空母に座乗しているリア・アドミラル(少将)によって下される」
と書いてあります。
補給艦、給油艦、ammuiition shipという、弾薬を補給する船までいますね。
艦船の機能が大きく変わり、艦隊戦の考え方も変遷してくると、
こういう戦略も当然のように変わってくるわけですが、
日本にはこういうことを”学問”として一般人が学ぶことのできる機関が全くないらしいですね。
軍事学の範疇となるわけですが、軍事学は実質防衛大学ぐらいでしか学べないようです。
インテリゲンチャとは軍事に無知であるべき、というのが戦前からの傾向でもあったわが国では、
これも極めて当然のことに思われます。
しかし軍事学は戦術学などだけではなく、防衛や安全保障という一面を持つものなのですから、
他国のように一般教養として軍事学を(なんなら”軍”を使わない別の名前で)
学べるようになっていくべきである、とわたしなど思ったりもしますが・・・。
まあ当分わが国では、夢のまた夢みたいな話でしょうね。
続く。