現在の国会では集団的自衛権についての議論が佳境を迎えています。
野党はここぞと集団的自衛権はアメリカの戦争に巻き込まれる法案だ、
という一点に絞ってそこをオールスター()でついてきているわけですが、
たまたまわたしはそのオールスターの質疑のうち、民主党代表の岡田克也氏と、
共産党の志位和夫氏のをリアルタイムで聞きました。
んーーー。
志位さんの質疑はわたしはあまり聞いた記憶がありません。
さすがに法案が法案なので、共産党もラスボスを投入してきたみたいなんですが、
失礼だけどわたし、思いましたね。
志位さんってこんなに頭悪かったんだ。って。
お父さんが陸軍軍人でご本人も東京大学を出てるはずだし、性格も
勝手に温厚な人だと思っていたんだけど、どうやらそれは単なる買いかぶりで、
所詮は「普通のサヨクの親玉」にすぎなかったんだと。
内容を簡単にまとめると、
アメリカは昔から侵略を繰り返してきた。
例えばトンキン湾事件ではマクナマラ長官の指示によって米艦艇が攻撃されたことにし、
それをきっかけにベトナム戦争に突入した。
イラク戦争も、大量破壊兵器を持っていると事実でない決めつけのうえ攻撃を開始した。
その間自民党はアメリカを一言も非難しなかった。
陰謀によって侵略をするアメリカを非難したことのない自民党、自民党もアメリカと同類だ!
ベトナム戦争の時、日本は後方基地となった。
イラク戦争でも自衛隊を派遣して治安維持を行い、アメリカに協力した。
今後アメリカが行うかもしれない侵略戦争で、日本は集団的自衛権によって
派兵してアメリカの戦争を支援するつもりか!
まあ、こういう面から見たらそうとも言える、としかわたしには言えませんが。
集団的自衛権でアメリカの戦争にまきこまれる、というのはもはや定番の反対意見ですが、
安倍首相が懇切丁寧に、それについては我が国の平和と安全が侵される時に限る、
と繰り返して実証をあげ説明しているので、この部分の反論についてはそれを見ていただくとして。
じゃ、世界はその時アメリカを非難して制裁決議でもしたのか、
国連はベトナム戦争に介入してたのか、って話なんですがね。
非人道的な侵攻を非難しなかった=与している
という二元論は、この「複雑怪奇な」世界情勢においてあまりにも
物事を単純化してませんか?
じゃ、日本はかつて公式に天安門事件を非難したか?
現在進行形で行われているチベットへの弾圧を非難したか?
南沙諸島でまさに今行われている中国の侵略を非難したか?
とまず志位さんにはそのことに対するご意見を聞いてみたいものです。
さて本題。
先日、「沖縄県民かく戦ヘり」という最後の電文を残して自決した、
沖縄の陸戦隊司令官だった大田實海軍少将についてのエントリをまとめました。
大田少将については以前から書きたくて仕方がなかったのですが、
やっとのことで6月13日の大田少将の命日に合わせてアップすることができます。
このエントリ製作のために各種検索していて、偶然、大田少将の息子であり、
戦後海上自衛隊でペルシャ湾掃海派遣部隊を指揮した、落合(たおさ)氏が、
新聞のインタビューに答える形で憲法改正について語っている記事を発見しました。
まず写真を見て、そこに在りし日の写真に残る大田少将そっくりの面影を認め、
大田少将について調べるために読んだ本に載っていた家族全員の写真では、
幼い子供だということを考えても全く父に似ているとは思えなかった落合氏が、
かつて沖縄県民を守るために立ち上がった戦いに敗れ、この世を去った父と
同じ年代になってこれほど同じ雰囲気を湛えているのに驚きました。
日本にとって国際貢献第一号となるペルシャ湾掃海部隊を出すにあたって、
海上自衛隊の幕僚監部は、指揮官である落合さんの紹介パンフレットを作りました。
それにはこのように書かれていました。
「部隊の能力は指揮官の能力を超えることはないと言われる。
指揮官はあるときは十分に深い知識を持ったエキスパートであり、
あるいはどっしりとした山のような存在となって部下に安堵感を与える父でもある。
このような観点から、(略)総会派遣部隊指揮官として任命された1等海佐、
落合(たおさ)の人物像について触れてみたい。
落合1等海佐を語るには、まずその父、太田実中将について語らねばなるまい」
以下、陸戦隊の一人者である大田少将の「かく戦ヘり」が述べられるのですが、
これは6月13日の当ブログ記事で詳しくお読みいただければと思います。
今日は、大田中将の息子であり、国際派遣部隊の指揮官として、各方面から
その頼もしさを信頼され、人間性を慕われた落合元海将補が、
憲法改正と集団的自衛権についてどのように言及しているかをお話しします。
落合1佐が率いた掃海部隊が出されたとき、日本には自衛隊の海外派遣に関する
明確な根拠法は議論すらされていない状態でした。
1990年の湾岸戦争のとき、日本は90億ドルもの巨額の支援金を出しながら、
その「金は出すが人は出さない」という姿勢を「国際貢献していない」として
世界から非難されることになり、支援感謝の広告に名前を載せてもらえなかったのです。
このときには国名もよく知らないような小さな国でも、
たった一人か二人参加すれば十分国際貢献を認められていたということで、
日本のようにたとえ何億出しても人をよこさない、
つまり「汗をかかない国」はむしろ軽蔑の対象でした。
落合氏は、この待遇が不満でたまらず、総会に参加した9カ国の指揮官会議の二次会で、
「俺んとこだって90億ドル、日本人の大人一人が1万円ずつ払ってるんだ」
と悔し紛れに言ったところ、その場の皆がこう言ったのだそうです。
「大人一人が100ドル払えばペルシャ湾に来なくて済むんだったら世界中誰でも払う」
この国際貢献のために、自衛隊法99条「機雷等の除去」の範囲を広げて
自衛隊を派遣することを、国会で決定することになった時、
共産党、社民連が牛歩戦術(笑)で抵抗し、メディアは一様に
「日本が戦争に巻き込まれる」という「市民の声」だけを選んで報道しました。
(あれから13年ほど経つわけですが、日本は戦争に巻き込まれてなんかいませんね~棒)
いろいろあって派遣が実現したのですが、当時、湾岸戦争は休戦協定が成立してはいたものの、
現地は戦争でも平和でもない、混沌とした状態が続いていたため、
自衛隊は派遣中、ずっと米海軍に警護してもらっていました。
仮にも国際的には「軍」であるのに、なんとも情けないことではあります。
機雷の除去のため、という大義名分で、それでも紆余曲折の末海外に派遣された自衛隊ですから、
与えられていた権限は正当防衛と緊急避難だけでした。
信じられないことですが、自衛隊は丸腰で行ったのです。
共同で任務に当たった8カ国からは「非武装で来たのか」と驚愕されました。
しかし、この初めての国際派遣を決めたことは、戦後日本におけるターニングポイントとなりました。
とにもかくにも、国会の場で、それまでタブーとされていた自衛隊のこと、あるいは
軍備についてを議論のテーブルに乗せることができるきっかけとなったのです。
その範囲は今日に至るまでじわじわと拡大し、ようやく集団的自衛権行使の成立にまでたどり着きました。
この掃海部隊派遣以降、国連平和維持活動(PKO)への参加や周辺事態法の制定、イラク戦争。
憲法との整合性を問われ続けながらも、自衛隊の活動範囲は広がってきました。
それでも自衛隊は創設以来、他国の人を殺さず、戦闘で死亡した隊員は一人もいません。
落合氏は今その時の任務を振り返り、現場では落合氏だけでなく皆が、
自分たちの任務だから、攻撃に遭う可能性があるとしても覚悟を持って臨んでいた、と言います。
その覚悟は、国家、国民に奉仕することを誇りに思う気持ちから生まれてきたものだったと。
自衛隊は軍隊でないし、隊員は軍人ではなく国家公務員という立場で、
これは今も変わることはありません。
ただ、国際社会では実質、軍隊に等しいと受け止められているし、落合氏も軍隊だと明言します。
そして、部隊が派遣先で力を発揮できるようにするには、必要な法整備をして
自衛隊員の精神的な基盤となる身分と権限をはっきりさせるべきだといいます。
何かあるたびにその場しのぎで関連法案を作るなどということをするから、
国会を震源地にマスコミが煽って結果大騒ぎにるのであって、
大きな枠組みとしての法的基盤を作らなければ、今後もそれが繰り返されるだけです。
これはとりもなおさず、憲法の改正につながっていくとわたしは見るのですが、
どっこい憲法9条を「守る」ことが平和への道であると信じている人々は、
改正イコール「戦争のできる道」と短絡的に直結して拒否反応を起こすわけです。
いつぞや、カタログハウスの某通販生活という左翼系オルグ型通販雑誌の読み物で、
「血を流すべきという人は本当にその意味を考えたことがあるのでしょうか」
「集団的自衛権を決める人は、自分が行くわけではないからですよ(^◇^)」
などという香ばしい対談を読んで、げっそりした話をしたことがありますが、
こちらの落合(恵子)さんのそれのように、集団的自衛権の行使を認めれば、
日本がかつて来た道を歩き、戦争するのではないかという意見に対しては、
落合氏はわたしと全く同じ考えをお持ちのようでした。
集団的自衛権は、戦争が起きないようにするための抑止力になる
というものです。
これについては、先日、元海幕長の講演会について書いたエントリで、
”国家間の話し合いに、我が国が戦争という手段を取ることはありえない。
ゆえに日本が集団的自衛権を行使するとき、それはどこかが攻めてきたときである”
という趣旨のことを書いたのですが、落合氏は別の言葉でこのように言っています。
日本が攻めてくると思っている国があるだろうか。
そして、わたしが、
「集団的自衛権とは双務的、つまり対等に行使されるべきである」
とした部分についての氏の考えはこうです。
「日本が攻撃されたら助けてほしい。
しかし、あなたたちの国が攻められても、日本は助けることはできません」。
今の状況ではこうなるが、とても世界で通じない。
日本と同盟関係を結ぶ米国は、よく我慢していると思う。
現在の国際社会は、特に安全保障分野では多くの国々が互いに補完し合っている。
「平和憲法があるから」と言われても、となるのではないか。
抑止力についてもですが、現状、実際に懸念すべき国が隣にあること、
そして日本もまた国際社会の一員であるということを論点からすっぽりと外してしまって、
ただひたすら、
「集団的自衛権で戦争のできる国になる」
「憲法改正したら徴兵制になる」
「アメリカの戦争に参加させられる」
というような極端な仮定におののいている(ふりをしている?)志位さんをはじめとする人々は、
日本という国が、国際社会において戦争という最悪の問題解決の手段を回避するだけの
知性や理性の類を一切持ち合わせていない、と固く信じているようです。
そして実際にも戦後70年の間一人も死なせず、一人も犠牲になっていない平和国家である自国より、
現在進行形で覇権拡大を実行しつつある国や、我が国と価値観を共有できない国の方を
信頼しているらしいというのは、どうにも解せないのですが・・・。
自身が国際貢献活動の現場で、かつての、”金だけ出す国日本”の孤立を肌で知った者として、
むしろ落合氏は、
太平洋戦争の時のように国際社会で孤立してしまうことの方が心配だ。
と考えています。
落合氏は、沖縄で自決した父のことを、今でも
「親父は軍人として本当に最も良い死に場所を得た」
と考えており、自分自身、父の死に様に「指揮官先頭」を学びとったといいます。
そしてペルシャ湾掃海の任務に就くにあたって、落合1左は何より「父に負けまい」と思いました。
「覚悟を持って臨む」ということです。
その覚悟から、最初に母艦「はやせ」に乗り込んだ時、
「ようしッ、一番最初に俺が”故・海将補”になる!」
と言ったところ、とたんに皆の
「やめてくれ」「やめてくれーッ」
という叫びが一斉に起こったそうです(笑)
参考:憲法 解釈変更を問う 元海上自衛隊ペルシャ湾掃海派遣部隊指揮官・落合さん
中國新聞 広島平和メディアセンター
「沖縄県民斯ク戦ヘリ」太田實海軍中将一家の昭和史 田村陽三 光人社NF文庫
海上自衛隊 苦心の足跡 「掃海」 財団法人水交会