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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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海軍兵学校同期会ふたたび~「長門」が運んだスタインウェイ

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水交会で行われた海軍兵学校クラス会に出席した時の話をしています。

冒頭画像は水交会の廊下に飾られていた写真なんですが、わたしがこの写真を撮っていると、
付き添いできたらしい女性が、

「これ、なんなんですか」

と話しかけてきました。
航行中の潜水艦の前に見えるのは・・・・これ、イルカの群れですよね!

皆さんは海面を縦横無尽にイルカが飛翔しているのをご覧になったことがありますか。
わたしはモルジブでクルーズをしたとき、見渡す限り海面を埋め尽くしたイルカが
トビウオのように跳ねながら泳ぎ回っているのを見たことがあり、おそらくこのとき見たイルカの数は
人生でそれまで見たイルカの頭数を上回っていたというくらいなのですが、
彼らが跳ねながら移動する速さは大変なもので、それこそ潜水艦の航行する速さであれば
一緒に泳ぐのにちょうどだったのではないかと思われます。

そしてイルカが遊び好きで、人がいると近寄ってくるというのはよく知られた話です。

ラナイ島のフォーシーズンズホテルは海岸線に建っているのですが、
前面の海はイルカの遊びに来るスポットで、彼らが群れでやってくるとホテルに館内放送がかかり、
海にいる人たちはわざわざボディボードなどでイルカたちに近づいていくのでした。

わたしは部屋から眺めていたのですが、イルカたちは人間が近くにやってくると、
明らかに彼らに見せるために、盛んにジャンプしたりしてくれるのです。

おかしかったのは、遠目で見ていても明らかにあまりお上手でないジャンパーがいることで、
たいてい体が一回り小さかったりするのですが、そういう「ジャク」が飛ぶと、必ず次には大人の、
熟練ジャンパーが見事なジャンプ(回転あり)を見せ、指導しているように見えたことです。

ハウスキーパーがそのときちょうど掃除に来ていたので彼女に聞いたのですが、
ホテルは彼らを呼び寄せるための餌撒きなどは一切していないとのこと。
ただ、イルカたちは「人間と楽しむためだけにここに来ている」ということでした。
つい、

「遊び」をせむとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
遊ぶイルカの声聞けば、我が身さえこそ動がるれ

などと心に吟じてしまったものです。

で、この写真ですが、おそらく潜水艦の前を航行している船の後甲板から撮られたのでしょう。
イルカは賢いので、これがクジラだと思っていたわけでもないと思いますが、
大きな潜水艦が波を切って進むのを面白がってでもいるのか、潜水艦を先導するようにジャンプをしています。

これを発見した先行の護衛艦は、潜水艦にイルカのことを伝えたでしょうか。
というか、潜水艦からイルカは見えていたのかが気になります。




イルカ、じゃなくて潜水艦の横にあった96式陸攻の写真・・・・・ではなく、
これは写真に見えましたが仔細に見ると線描画のようです。
人間爆弾と呼ばれた「桜花」を牽引して飛ぶ96式陸攻。

贈呈者は江副隆愛(たかよし)、という方ですが、調べてみたところ、江副氏はかつて
第十四期海軍飛行専修予備学生で終戦時少尉であった方とわかりました。
上智大学から学徒士官として艦爆乗りになった江副氏は、特攻にも志願していますが、

「昨日まで馬鹿話していた戦友が次の日いなくなるというような毎日を送るうち」

終戦になり、結局生き残って、戦後は新宿に日本語学校を設立しています。

元特攻隊員だけど何か質問ある?特攻隊員江副隆愛さんの場合




さて、講演会が行われた後パイプ椅子を片付け、中央にビュッフェ台が並べられた
元の会場に皆に続いて入ったわたしは、思わず少し笑ってしまいました。
部屋の三方壁際にずらりと並べられたパイプ椅子には、入っていた順にぎっちりと
元生徒さんたちがお行儀よく?並んで座っており、立食だというのに立っている人は、
後から入ってきて椅子のない人たちばかり。

「Sさん、大丈夫ですか(立ったままで)」

「だから立食、嫌なんだよね・・・」

同行の元生徒Sさんも、やはり座っていたい様子です。
Sさんは、同期のクラスメートの中でもずっと親交のある仲間で定期的に集まっているのですが、
必ずそういうときには席について食事ができるような集まりにしている、と言いました。



しかし、会が始まって乾杯の発声が終わり、食事をすることになると、
立ち上がって食べ物を取らなくてはいけないので普通にこんな感じに。

 
ところでわたしは会食の準備をロビーで待っている間、近くの元生徒同士の
「千葉だか群馬だかの朝市にいった」という会話を聞くともなく聞いていたのですが、
この会食会場でも、そのじいちゃんは別の元生徒にまったく同じ内容の話をしていました。

「朝市に行ったらね、新鮮な伊勢海老!鯛!貝がいっぱいあってね!」

どこの出身なのか、しんしぇんないしぇえび!という言い方と海産物の順番まで一緒で、
微笑ましく聞いていたのですが、宴たけなわになり、マイクの前に立ってスピーチをした人が
その「いしぇえび」のじいちゃんでした。

さすがは海軍兵学校に行っただけのことはあって、戦後は京大に進まれたようです。
スピーチでなぜか京大の先生が死んだということと(´・ω・`)、

「皆さんはこの歳になると、やはり足腰が弱ってくるから是非訓練だと思って歩いてほしい」

みたいなことを言っていたかと思ったら、私事ですが、と断ってから、

「わたしは先日茨城(だか千葉) の朝市に行ってきたんですが!」

と始まったので、あ、さっきから朝市の話をしていたのはこのじいちゃんだったのか、
と思う間もなく、

「しんしぇんないしぇえび!鯛!貝がいっぱいあありましてね!」

と全く同じ話が始まりました。
こんなことをいったらお年を召した方に失礼かもしれませんが、可愛いなあ、と思いました。

すると、よこでSさんが、例の「座って食べる少人数クラス会」の話を始め、

「あいつ(いしぇえびのじいちゃん)うるさいから呼ばなかったら、
『なんでこの間呼ばないんだ』 『今度いつやるんだ』って電話がかかってきて、
(ハブったのが)ばれちゃったから、来月来ることになっちゃった」

などとおっしゃいます。
此の期に及んで仲間外れしないで、元生徒同士仲良くしてください(´・ω・`)



そのとき、窓際に座っていた一人の元生徒さんがわたしを見つけて手招きしました。

「あなた、どこかでおあいしたことありますな」

「去年の江田島です。同じテーブルを囲んでご挨拶させていただいています」

「あああ、そうでしたそうでした。またお会いできて嬉しいですよ」

この方は現役のお医者様で、殿様分隊だった学習院卒の「セレブリティ生徒」です。
戦後も皇室とは縁が深くていらっしゃった模様でした。
わたしの手を両手で握り実に嬉しそうにおっしゃいました。

先生の肩越しに窓ガラスの外を見ると、ここに住み着いているらしいネコが
気持ちよさそうに昼寝をしているので後で一枚。



アップでも一枚。
実に気持ちが良さそうだにゃ。



そして、一通り食べ物をお腹に入れてしまうと、潮がひくように皆、
椅子に座ってしまうのだった(笑)

軍艦旗の隣では元海幕長が、次々と前に来る元生徒の話し相手をつとめています。
司会の生徒が「最初の10分くらいはゆっくり食べさせてあげてください」と言ったのですが、
すぐに誰彼となく話かけてしまい、結局ろくに食べられなかったのではないでしょうか。

わたしも前が空いたらご挨拶しようと思って様子を伺っていたのですが、
一向にお一人にならなかったので、結局この日はご挨拶できずに会が終わってしまいました。



宴たけなわとなったとき、去年の江田島で

「軍歌演習を行う!」

と音頭を取った元生徒さんが前に立ちました。

「どうするんですか」

答えはわかっていましたが、笑いを含んでわたしが尋ねると、

「ロビーでタバコ吸ってきます」

とSさんはそそくさと部屋から出て行くのでした(笑)
そのとき、他の元生徒がSさんに、

「あ、また逃げ出してる」

と声をかけました。
どうもSさんの「軍歌嫌い」はクラスには周知のことのようです。
おかしいのは、これだけ徹底してこういうことから逃げ回っているくせに、
Sさんは海軍兵学校にいたことを、やはり自分の中で大切にしているらしいことです。

自分がかつて海軍に籍を置いたということを片時も忘れたことがないばかりか、
二十歳の時にわずか1年半一緒にいただけの仲間と、90歳を目の前にする今日まで
生涯にわたる厚誼を結び続けるというのは、自身のいうところの

「軍が嫌い」

というのと矛盾するようですが、おそらくSさんの中では折り合いがついているのでしょう。
本当に海軍が嫌いで話をするのも嫌なら、そもそもわたしと会ってなんかくれないでしょうしね。


軍歌で思い出しましたが、Sさんは前にも言ったように音楽通です。
あまりにもピアノが好きすぎて、ピアノを弾く人まで好きになってしまい、
今では有名になってしまったあるピアニスト(クラシック界に詳しければ誰でも知っている人)
の駆け出し時代パトロンをしていたり、二度目の奥さんはピアニストだったりと(; ̄ー ̄)

なぜそこまでピアノが好きになったかというと、S家の応接間には、なんと!
スタインウェイのピアノがあって、姉妹が弾いていたからだということでした。

「スタインウェイが、昭和初期の家庭に?!」

わたしがびっくりして聞き返すと、さらに驚くべき返事が。

「親父がね、上海か青島か、外地で買って軍艦で運ばせたんですよ。
当時はいいかげんだったから、そんなことも艦長ならできたんだろう」

ぐ、軍艦て、もしかして「長門」ですか。

「長門」がスタインウェイのピアノを運んだということなんですか。


自衛隊員が引越し荷物を飛行機に載せて運んだとか運ばなかったで
大騒ぎになった、という話を昔このコメント欄でしてくれた方がいましたが、
確かにそれが本当なら、さすがは海軍、そのころはゆるゆるだったってことなんですね。


Sさんは、応接間の美しいピアノが弾けるようになりたくてたまらず、
こっそり練習していたところ、父上の中将にある日それを見つけられ、

「男がピアノなんぞ弾くもんじゃない」

と言われたため、止めざるを得なかったということです。

「そんなものを弾くのなら大きくなったら尺八を教えてやる、っていってましたが、
教えてもらったことは結局ありませんでしたね」

「ピアノはその後どうなったんですか」

「空襲で焼けてしまいました」

「勿体無い・・・・・」


もったいないといえば、戦後困窮のなかで、S家は勲章を売ってお金に変えたのですが、
金鵄勲章は取っておいたのに、満州皇帝溥儀にもらった勲章(!)は、

「満州なんてもう無くなったから、この勲章にもあまり価値はないだろう」

などという独自の解釈(−_−;)で売ってしまい、今になって

「金鵄勲章なんて世の中にいくらでもあるのに、満州国皇帝からもらった勲章なんて、
歴史的にも価値のあるものを、二束三文で売ってしまってもったいなかったなあ」

とおっしゃっています。
たしかにそれは勿体無いですが、当時は色々としかたないですよね。


S中将の自宅(実に立派な門構えの写真を見せてくれた)は戦災で焼けましたが、
ちょうど隣の一角から向こうにはB-29は全く焼夷弾を撒かず、無事だったそうです。
やはり自宅を焼かれてしまった近所の奥さんに、

「御宅が軍人さんだからこの地域が狙われて焼かれた」

と母親が文句を言われたらしい、とSさんは話してくれました。



軍歌演習はまず、「江田島健児の歌」。
スマホに海軍シールを貼っている元生徒さんは皆の歌っているのを撮影中です。

しかし、去年江田島で、元海軍兵学校生徒と一緒にこの歌を歌うなど
おそらく最初で最後だろうと思い、ここでもそのように書いたのですが、
あまり日を分かたぬうちに、再びその機会が来てしまいました。



江田島健児が出たら、ちゃんと機関学校の校歌もやります。
この白髪を後ろで束ねた陶芸家みたいな生徒さんは機関学校卒である模様。

ちなみに機関学校の校歌は

「暁映ゆる青葉山 野は紫に山青く 

綾羅の色に染めなして 天地こむる朝ぼらけ

みよ舞鶴の湾頭に 我らが根城はそそりたつ」

というものなのですが、この冒頭の「青葉山」が、前にもお話しした、

江田島の「古鷹山」→重巡「古鷹」

横須賀の「衣笠山」→重巡「衣笠」

に同じ、命名基準は「海軍軍人に馴染みの深い山シリーズ」の

重巡洋艦の「青葉」に命名された舞鶴の青葉山です。



そして、最後に「同期の桜」が・・。

わたしはちょうどこのとき、こうなることを予想して廊下でイルカの写真を
撮っていたのですが(笑)案の定廊下から部屋を覗くと、みなさんこのように
肩を組みあって「同期の桜」熱唱が始まりました。

Sさんがこういうときにいつも逃げ出してしまうのも、わからないでもありません。
思想以前に、どうにもこういうのが面映いというか、照れくさくもあるのでしょう。
わたしも、Sさんが肩を組んで同期の桜を歌っているのが想像できません。

もしSさんが逃げ出していなければ、わたしもSさんと肩を組んで「同期の桜」を歌うことになるわけで、
なんだかそれもなあ、という構図に思われるので、正直、Sさんがそんな人で助かりました(笑)


 
さて、というわけで終了した海軍兵学校クラス会。

実は今回、わたしはクラス会の世話人会長さんとご挨拶をしたついでに、
兵学校とはなんの関係もないのに、このクラス会の会員にしていただきました。
もちろんわたしが頼んだわけではありませんが、なんとなく話の流れで・・。

これ、名刺に書いてもいいのかな?

「また何かあったら来てください。皆も喜ぶので」

そう言っていただき、恐縮しながら水交会を辞したわたしでした。





 


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