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浜松エアパーク〜F2開発

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今日はすこし手を抜いて?昨日説明したF−2の開発について、
浜松エアパークの展示パネルをアップします。
空自の製作したものだけあって、非常に分かりやすくまとめられているので、
そのままお読みいただければ下手な解説を付けずともよっぽどよく
その経緯がお分かりいただけると思います。
それではどうぞ。



F-2開発の経緯。

それは前回お話ししたように、国産派と輸入派の政治的な駆け引きに、
「日米経済摩擦」という当時の国際問題が絡まり、まさにカオス状態のまま
「国産派」の不満含みで進められたといってもいいのですが、
ここではただ、

「日本が独自に開発するか、外国から買うのか、あるいは既存の機体を基にして
日本で改良を加えるのか、長年にわたって検討と議論が重ねられた」

と、穏当な表現に終始しているのが興味深いですね。
まあ、ここでそれを書くのも野暮ってことだと思いますが。








冒頭写真はここに展示されているフルスケールのモックアップです。
確かめていませんが、どうも木製である模様。

ロールアウトの写真をご覧くださいませ。
ちゃんと、当然のように日米国旗が共同開発の証しとして並べられています。

開発における比率がどうだったのかは、今回調べることはできませんでしたが、
(米国側の要求によるとワークシェアは米国40%)
少なくとも日本側が「日本産」と言ってもいいくらいにその開発に対し
実質心血を注いだらしいことは確かのようです。

しかし、どんな形で進められたとしても、あくまでも建前を重んじる日本、
ちゃんとこのように共同開発の相手を尊重しているわけです。

え?

当たり前だろ、そんなこと、って?
あなたは、

日本のロケット、「H2A」21号機が昨年種子島宇宙センターから発射されたとき、
韓国の観測衛星「アリラン3号」を搭載していたが、
打ち上げた「H2A」の韓国でのニュース映像からは
日本の国旗「日の丸」と、「NIPPON」の文字が消され、
なぜか「KOREA」の大きな文字が入った「H2A」と似たロケットも現れた。

というような国もあることをご存知ですよね。
そういうことを「当たり前」とできる、
そんな民度の国民に、わたしはなりたい。いや、そんな国民でよかった。




右下は

「前後のフラップを除く主翼内側の骨組みと下面外板一体成型。
上面外板はこれにファスナ留めされています」



拡大しにくいモニターで見ておられる方のために、
右下の部分を拡大します。





アビオニクス、とは

「AVIATION」+「ELECTRONICS」

の造語で「航空電子工学」を意味します。

F-2が複眼でトンボと同じだということと同時に、初めて知りました。
勉強になるなあ。



「ゴールキーパーもフォワードもできる!」

サッカーなど好きな少年に向けてわかりやすく説明していますが、
何のことはない、

「これだけ搭載兵器があるので攻撃はばっちりOK!」

と言いたいわけです。
間違ってませんよね?

ここのところも、なんとなしに「支援戦闘機」という無理無理のネーミングに
通じる「それを言っちゃおしまいよ」というか「不文律」というか、
そういった「気遣い」を感じてしまうのは、やたらそういう「欺瞞」
(あ、言っちゃった)
に敏感なエリス中尉ならではのうがった見方でありましょうか。




これも右側部分を拡大しました。
興味のある方も多いと存じますのでね。

ところで、真ん中へんにガムテで消されている部分ですが、
そこにはいったいどんな間違いがあったのか、そっちの方が気になります。




これ!

これを見ていただきたかった(涙)

前回、F-16を製作のベースにしながら、「空自の要求にこたえた」という形で、
実は三菱の研究陣がここぞとオリジナリティを発揮し、

「ガワは言われたから同じものにしてやっけど、誰がそのまま
中身までアメさんの押し付け技術なんぞ使うかよ!」

みたいな(三菱の方すみません)男の意気地を見せた、
そのこだわりと執念があらわれてい(ると思い)ます。

エアインテークの形さえゼロからの設計にこだわった、というこの仕様。
バイパー・ゼロというあだ名は、いったい誰がつけたのでしょうか・・・・・。


「フェイク・ファルコン」って呼んでるのはどこのどいつだかはっきりしてるがなっ!




大きな事故はテスト飛行中の一度だけで、失われたことのないこのF-2ですが、
ご存知の通り、2011年3月11日の東日本大震災にて、松山基地所属のF-2B、18機が水没しました。

このとき、地震の揺れの後津波が襲ってくると知っていたら、
たとえどんな無茶と言われようがパイロットは機に飛び乗って離陸し、
避難したのではないかなあと、思っても仕方がないことをつい考えてしまいます。

ファイル:Matsushima Airfield March 18, 2011.jpg

ウィキペディアより。U.S. Air Force photo/Osakabe Yasuo

2011年3月18日、着陸した松島基地に救援物資を降ろした後、
破損したF-2支援戦闘機を見る Ramon Mortensen 空軍兵長
この戦闘機は東北日本を揺るがした地震と津波により損傷を負った。
Mortensen 兵長は第17特殊作戦飛行隊に配属された機上輸送係。



18機の内、7機が修理可能ということですが、すべての修理が終わるのには
三年かかると言われています。
ただ震災後一か月の2011年4月には修理に入っていますから、
来年中には復活したバイパー・ゼロが日本の空を飛ぶ姿を見ることができそうです。


因みに、ご存知かもしれませんが、松島基地所属のブルー・インパルスは、
その日九州に展示飛行のため出かけていて難を逃れました。





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