桜の花が満開の庁舎と、当時は「軍艦旗」と称したこの旗が掲げられている光景は。
おそらく百年前からほとんど変わらぬ眺めなのに違いありません。
桜の季節とともにこの庁舎を一般公開なんて、粋なことをするねえ海自さん、
とおもわず呟いてしまいそうです。
雷蔵さんのご報告によると、この少し前に観桜会が行われたようですね。
わたしがいった時にはほぼ満開でしたが、観桜会の時は8分咲きくらいだったでしょうか。
現在、この田戸台分庁舎は横須賀地方総監部によって管理されており、
自衛隊で賓客を招待しての会合やこの観桜会、一般公開以外にも、
申し込みによってコンサートなどが行えるスペースとして利用できます。
つまり自衛隊関係者以外にもそんなに敷居の高い設備ではないということですね。
さて、この写真を見ていただければ、この建築物の作りが
「洋風と和風のフュージョン」であるというのがよくわかるかと思います。
応接室などパブリックスペースは海軍の施設らしく完璧に洋風、しかし
長官の寝泊まりにはやはり和室で行うことを目的にした作りで、
呉の旧海軍長官庁舎と全く同じです。
同じ建築家(桜井小太郎)が造っているので当たり前かもしれませんが。
このとき、サンルームを開け放っていたため出入り口は二箇所ありましたが、
こちらが正規の玄関となります。
みたところ、昔のままのエクステリアは全く残されていません。
腰板というか、土台部分は洗浄したようですが。
建造されてから100年の節目である2013年に取り付けられたプレート。
全面改装は平成5年といいますから、もう22年も前に行われています。
この時の大改装で、外装はタイル張りになり、
管理人食堂とそれに続く和室が全部配膳室になりました。
今立っているのは、この図で言うと図左側の矢印の部分です。
正面に玄関ホールがあり、パブリックスペースは
そこを中心として配されています。
玄関ホールに立って左側を眺めた状態だと思われます。
この写真にも写っている左の「記念館」に行ってみますと、
まるで書斎のようなスペースとなります。
一般公開で土足の人たちが上がってくるため、床には保護シートが貼られています。
暖炉が右に見えているので、これが昔のこの部屋だと思われます。
イギリス風に壁には壁紙が貼られているのがわかります。
小さな椅子がアトランダムに置かれて、談話室のようにも見えますね。
これがおそらく昔のままの焚き口を残した暖炉。
鏡に映った写真を撮っている人()の後ろにあるのは、
建築家の桜井小太郎氏の胸像ではないかと思われます。
(写真を撮り忘れたのですが、瓜生外吉中将の可能性もあり)
この部分は昔装飾だったのですが、米軍進駐時代に鏡に変えられたそうです。
ダイニングルームに行ってみましょう。
一般公開に際しては、ダイニングルーム横の「サンルーム」を開け放ち、
そこから出入りできるようになっているので、最初にここから見学する人もいます。
こうしてみるとかなりモダンな形の椅子が導入されているようですね。
同じ部屋を、上の画面の左手から見るとこうなります。
右側の窓からの逆行が強くて分かりにくい写真ですが、
右側に、現在もそのまま残されているステンドグラスが写っています。
左の、今は東郷元帥の額がかかっているところになんと鹿の首があります。
この鹿の首を暖炉の上に飾る(昔は暖炉だったと思われる)というセンスは、
建築家がイギリスで勉強してきたことと関係があると思います。
我が家は友人であるアメリカ在住のイギリス人カップルが結婚式をした時に
築1000年という古城でのパーティに呼ばれたことがあるのですが、
その暗くて窓のないお城の壁には、これでもかと鹿の首が飾ってありました。
暖炉は床に掘られた掘られたものも(掘りごたつならぬ堀暖炉)あったと記憶します。
続いて、パンフの間取り図で言うところの「リビングルーム」へと。
旭日旗がたくさんまとめて置いてありますが、観桜会のときに使われたからでしょうか。
この暖炉の部分は昔どうだったかというと、
これですよ。なんでこんなに変えてしまうかな。
ちなみに暖炉の煙突は閉じてしまっているらしく、
マキは電気式ストーブのの偽木となっていました。
まあ実際に暖炉として使っているだけましか・・・・。
ここでもう一度外からの写真。
この、外に張り出した多角形の部分は、「ベイ・ウィンドウ」といいます。
壁より外に突き出して、一階とその上の階が同じ形をしている形式のことですが、
その内側がどうなっているかというと、
こうです。
四面の窓ガラスのうち右側の一面だけが室内(サンルーム)に
向いていて、ほぼ半円のような印象になっています。
この邸宅の中でも最も美しいコーナーであると思います。
観桜会でビュッフェの食べ物が置かれたあとなのか、楕円形のテーブルに
ビニールのクロスがかけられているのが、激しく興を削いでおります(笑)
ここがダイニングルーム全体に光を取り込んでかなり明るくなります。
上のダイニングルームの写真で逆光となっているのがこの部分です。
さて、ここまでが洋風建築の部分。
これらの後ろ側に廊下があり、和風建築の建物に接続しています。
その廊下の窓から坪庭のようなのが見えているのですが、なにやら謎のオブジェのようなものが。
昔は本当に坪庭のようになっていて小さな池でもあったのかなあという気がします。
廊下を渡っていくと、二階に続く階段がありましたが、
そこから先は非公開で上がることはできませんでした。
レンズに埃がついていてすみません。
二階の「ベイ・ウィンドウ」の部分は、なんと倉庫だったようです。
ちゃんとした部屋ではなく、屋根裏なんですね。
横須賀鎮守府長官はベッドで寝ていたのか?と思ったのですが、
よく見るとこの写真は「米軍進駐時のもの」と説明があります。
この建物は大正の関東大震災の時にもビクともしなかったわけですが、
空襲などの戦災にも遭いませんでした。
というのは、米軍はここにそのような建物があることを知っており、
西欧建築はできるだけ破壊しないというポリシーに沿ったこともあり、
また戦争が終わった暁には進駐軍の司令部の居場所が必要となるので、
先を見越して絶対に爆弾を落とさない地域が決められていたからです。
そして案の定、この鎮守府長官庁舎には、昭和21年の4月から
在日米海軍の司令官が9人、昭和37年の引き揚げまでの間住みました。
なぜ無傷だった庁舎建物なのに住むのに半年も間があったかというと、
その間、米軍はアメリカ人が住むための大幅な改装を施したからです。
彼らはすべての部分に土足で上がるため、畳の部分に絨毯を敷き詰め、
和室にはこのようにベッドを置きました。
それだけでなく、たしか呉の長官庁舎も同じようにされたと記憶しますが、
外壁と内壁をすべて白く塗り替えてしまったといいます。
呉鎮守府の内壁には、金唐紙という特殊な壁紙が使われていたのですが、
彼らは芸術的価値など全く認めませんでしたから、真っ白に塗り潰しました。
ちなみに、呉鎮守府に駐在したオーストラリア軍の司令官たちは、
建物を改装しまくり、(組み木の床にリノリウムを被せたり欄間を外したり)
和室であろうが畳であろうがどこでも土足で歩いただけでなく、帰国時には
一切合切家具を持って帰った、という香ばしいエピソードまでありました。
もともと鎮守府庁舎は、司令長官の執務、軍政会議、迎賓施設でもあったのですが、
米海軍の居住者はここをすべてプライヴェートな公邸として住み、
南側を接客部分にし、北側(中庭より向こう)を日常部分に使っていたそうです。
一階の和室部分は、よく温泉旅館にあるのと全く同じような作りです。
もし音楽イベントなどでここを借りる時には、ここが出演者の控え室として使えるそうです。
旧横須賀鎮守府長官庁舎、現田戸台分庁舎の一般公開は、この火曜まで行われています。
もしお時間が許せば、近隣の方は桜を見に気軽に出かけられてはいかがでしょうか。
続く。