ニューヨークはハドソンリバーのピアにある「イントレピッド航空宇宙博物館」。
見学通路に沿って見たものについてお話ししています。
通信室に続いてはこの艦内図でいうと「CREW'S MESS」、兵員食堂です。
MESSという言葉は普通「部屋が散らかっている」などに使いますが、
どういうわけかアメリカ軍に限りこの言葉を食堂として用いています。
奥の説明板には「SCULLERY」(食器洗い台)とあります。
ここでは食器や鍋などを洗いました。
調理や食べ残しで出た残飯は船外にチューブごと排出されますが、
残飯が海に浮くと敵に存在を悟られるので、チューブには重りが付いていて
海面に浮かないようになっていたということです。
パンケーキなどの粉やソースを混ぜるためのミキサー。
この形にも何か合理的な理由があったに違いありません。
潜水艦の中で火は厳禁ですから、調理には電気プレートを使いました。
右側の鉄板のようなものはこの上がそのまま熱せられたものと思われます。
現在でもアメリカでは普通に使われているドリンクサーバー。
左の丸いのは「高い」「低い」の二段階調整しかないつまみ付きで、
どうやら熱で料理を保温しておくのに使ったように見えます。
いわゆる科員食堂兼娯楽室、といった感じでしょうか。
テーブルと椅子は作りつけで、いかにも狭そうです。
アメリカ人の規格からいうとお腹がつっかえる人の方が多そうですが、
海軍の潜水艦乗り、しかも若い水兵にデブはいなかったってことで。
テーブルにはゲーム盤を広げなくてもいつでも遊べるような模様入り。
続いて兵員寝室を通っていきます。
上の写真で言うところの「CREW'S QUARTERS」ですね。
一部屋にベッド一つの艦長室、天井まで手が届かない士官寝室と違い、
ここは普通に三段式になっています。
呉で見学した自衛隊の潜水艦もほとんどこんな感じでした。
海上自衛隊の人は「ガバッと起きる」のが習い性となっているわけですが、
「ガバッと」といっても決して体を起こさない(頭を打つから)という
基本姿勢が身についていそうですね。
一応鍵のついた引き出しなんかもあったりします。
が、各自の持ち物については、せいぜいロッカーにいれていただけで、
鍵を管理するなどということが果たして行われていたのかどうか・・・。
人の集まるところ必ず盗難する人というのが一定数に一人現れるものですが、
荷物の管理やプライバシー、そういう問題についてはどう解決していたのでしょうか。
兵員寝室にあった大きめのロッカー。
「グラウラー」のこのセクションには、全部で46のバンク(ベッド)と、
それぞれの小さなロッカーが設えられています。
またまた映画「Uボート」で、劇中、水兵がベッドが人数分ないことを
「後に寝るもののためにベッドを温めておくのさ」
と説明していましたが、これはアメリカ海軍の潜水艦でも同様で、
この慣習を「HOT BUNKING」と称したそうです。
階級が下のものや新兵は、ベッドをシェアしなければならないので、
自分が寝るときには前の者の温かみが残っているというわけです。
つまり、Uボートの水兵もそれが歓迎すべきこととは思っていませんが、
反語的にこのあまり嬉しくない「寝床温め」の慣習を新入りに説明したのでした。
「グラウラー」にこのようにベッドをシェアしなければならない習慣はなかった、
というのですが、それでは78名の兵員のうち、ここにベッドのない32名もの人は
一体どこに寝ていたのでしょうか。
クルーの浴室とトイレのあるゾーンです。
「Enlisted man」がこのトイレとシャワー室を使用できた、とあるので、
どんな特権階級だろうと思ったら、「Enlisted」というのは下士官のことでした。
なんでも「グラウラー」はエンジンルームやギャレーへの新鮮な蒸留水は
ふんだんに配給されるように設計されていたのですが、シャワーに関しては
海水というわけにいかなかったので、下士官にとってもこれはたまの贅沢でした。
アメリカ人というのは日本人と違って湯船につかれば満足する人種ではなく、
とにかく鼻歌歌いながらシャワーを出しっぱなしにして体を洗う人たちです。
自衛艦のように、海水のお風呂に浸かって体を洗うのと潮を落とすのだけ
洗面器いっぱいあれば十分、というわけではないので、どうしても
シャワーの制限そのものが規制されてしまうというわけです。
これも護衛艦のトイレと同じく、水を流すのはバルブ式。
いわゆる「コンテンツ」はある程度貯まったら海中にドバー、だったそうです。
昔はこんなもんだったんですね。
洗面所の下には髭剃りや歯ブラシを入れておくための引き出しあり。
これが噂のDISTILLERS、つまり蒸留水製造機。
海水をくみ上げてそれを沸騰させ、塩分を取り除いて使いました。
飲食、洗濯用だけでなく、エンジンの冷却と潜水艦のバッテリー水に使われました。
そしてその後方にあるのが、エンジンルーム。
開けられたハッチの下に、エンジンの部分が見えているのがお分かりでしょうか。
「グラウラー」の推進は、
3 Fairbanks-Morse Diesel engines, 2 Elliott electric motors
によるもの、と英語のウィキにはあります。
フェアバンクス・モースディーゼルエンジンは1930年に開発された2ストロークエンジンで、
ドイツの航空機ユンカースと酷似しており、オハイオ級原子力潜水艦にも採用されました。
博物館の資料には、
「グラウラーは三つの新型アルミニウムブロック・フェアバンクス-モース・ハイスピード
ディーゼルエンジンを搭載し、これは他艦船からの探索を避けるための静音性を備えていた」
と説明されています。
エンジンルーム・コントロールルームはrestricted area、制限区域。
当時は最新式であったレバー式の機器のいろいろ。
エンジンはジェネレーターに連結され、そのどちらもで「グラウラー」のモーターと
バッテリーのチャージャーを動かしていました。
ディーゼルエンジンは一般に新鮮な空気を取り入れるための換気を必要とします。
「この部屋では、グレイのディーゼルジェネレーターと、あなたの立っている
艦尾真下にあるエレクトリックモーターをご覧になることができます」
と言われましても、グレイのものが多すぎてどれがジェネレーターか分かりませんが・・。
マニューバリングルーム、という説明があります。
ここでは下士官兵が受け持って、コントロールルームから出される命令に従い、
艦のスピードを操作していました。
護衛艦ではマニューバーは指令を出す艦長なり航海長の真後ろで行いますが、
潜水艦となると全く別の区画で操作がされるということです。
ちなみに「グラウラー」の最大速度は潜行時12ノット(14mph/22kph)。
海上航行においては20ノット(23mph/37kph)でした。
上の艦内地図で言うところの最後尾、「AFT TORPEDO ROOM」、
艦尾魚雷発射室です。
21インチ魚雷がいまだに一基展示されています。
「グラウラー」の魚雷発射管は前後合わせて8門が装備されていました。
魚雷発射室にもそれなりに大きなベッドが幾つか備わっていて、当時のアメリカでも
「可愛い魚雷」(軍歌『轟沈』より)
を地で行っていた係がいたことを偲ばせます。
艦尾の魚雷発射管の上に外に出る階段が(もちろんハシゴではない)あり、
ガラスの出口を通って艦の外に出るようになっています。
本来はハッチだったのですが、それを取り去ってしまったので、
艦内に雨風が入り込まないように設えられたようです。
これをもって潜水艦「グラウラー」の見学は終わりましたが、
「イントレピッド」でまだ見ていない部分がまだたくさんあります。
続く。