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Channel: ネイビーブルーに恋をして
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「ぶんご」艦上レセプション~第65回 掃海殉職者追悼式

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さて、呉地方総監乗艦後、車を無事に埠頭に停めることができ、
ここでわたしは招待券を持っている地球防衛会長と落ち合い、
さらに少し開場を待つことになりました。

 

「ぶんご」の後ろには掃海艇が2隻。
690の「みやじま」(すがしま型10番艇)と730の「くめじま」(うわじま型5番艇)です。
どちらも木製で、「くめじま」は退役が間近ということでした。



さすがは海上自衛隊、時間きっちりでないと発動いたしません。
皆この位置から乗艦の許可が出るのを待ちました。
周りを見回すと、レセプションの招待客だけでなく、明らかにマニアの類に属すると
思しき人、たまたま通りかかった観光客などもいました。

招待者は青いテントで受付をして名札を付けるのですが、
大勢に紛れて招待されていない人が忍び込んだりできそうです。
(でもちゃんとチェックしていると思うので変な考えを起こさないように)
 


ラッタルの下の一団の海士くんたちは、 偉い人が来たとき
全員でお迎えの列(と列という)を作るために集合している模様。



というわけで、開場になったのでさっそく乗艦を行いました。
まだ食べ物には覆いがかけられたままです。



格納庫の中がいわゆる「上座」にあたり、市長や国会議員などの名前が
立食なのにテーブルに書いてあります。



偉い人テーブルに近づいてみました。
なんかすごく気合の入った飾りがある~。
人参をカットした「掃海隊群」と海上自衛隊のマーク。
一体どうやってカットしたのかいぶかしむレベルです。



かぼちゃを半分に切って太鼓橋とキュウリの欄干。



人参を丸々一本飾り彫りした塔の飾り。
なんと、かぼちゃで作った塔の屋根には小さな人参のランタンがぶら下がっています。
「ぶんご」のキッチンには、この飾りのためのマニュアルが受け継がれているのでしょうか。
ただ一夕の宴に何時間か人の目を楽しませるだけのために、どれだけの労力が
このかぼちゃと人参の「風景画」に込められているのか・・・。

わたしは激しく感動し、この偉業を後世に伝えるために写真を撮り、
ここに発表することにしました。

それにしても、宴会が終わった後、この野菜は一体どうなるのだろうか。



わたしがかぼちゃと人参の飾り彫りに大いに感動しているうち、宴会が始まり、
まず呉地方総監が挨拶を行いました。

わたしは一緒にいた人がこの辺にいる偉い人に軒並み挨拶を行ったため、
ついでというかおまけという形で名刺をまるで手裏剣のように配りました。



開場で振る舞われている日本酒はおなじみ「千福」。
練習艦隊の艦上レセプションではお土産に紙パックの千福がもらえました。

先日、海軍食生活研究家の高森直文氏のお話を聞く機会がありまして、
そのときに氏の新著である「海軍と酒」を購入したのですが、それによると、
遠洋航海(練習艦隊)で日本酒を積んで赤道を越えたとしても品質に変化のないように
海軍が呉にある千福酒造に

「西洋に日本酒のうまさを紹介しようとしているのに腐るようでは具合が悪い」

と依頼して、明治末期には遠洋航海にも全く劣化しない保存法を編み出し、
遠洋航海先の友好行事(このような艦上レセプション)にも

「芳醇ヨク品質優良ニシテイササカモ変化ヲミトメズ」

と海軍を感謝せしめたという歴史を持っているということを知りました。

わたしの同行した方は日本酒を愛でる会の全国組織会長だったりして、
紙パックの酒はあまり認めない、という厳しい舌をお持ちのうえ、
千福は「甘すぎる」ということであまりお好きではないということでした。



そして、海上自衛隊といえばカレー。
カレーは大小二種類のお椀が用意されていて、好みで量を選ぶことができます。



こちら小さい方のお椀。
福神漬け好きなんですが、あまりにも真っ赤だったのでらっきょうだけにしました。
で、これをごらんになればお分かりかと思いますが「ぶんご」オリジナルは
なんとひき肉のカレーなんですねー。

ひき肉の大きさに全ての野菜類も細かく刻まれており、さすがの美味しさでした。
「かしま」のカレーもそうでしたが、艦艇カレーは決してその期待を裏切りません。



呉海自カレーとして出品したようですね。
カレー皿をあしらった「呉」という字の横のSH60が可愛い(笑)



らっきょうの横に海自の装備であるカメラはけーん。
なんとレンズフードとスピードライトに自衛隊マークが。

海自はNIKONが多いと言っている中の人もいましたが、カメラマンの好みで
Canon派もそれなりにいるようです。
しかしこんなところにカメラ置いて大丈夫なのか。



屋台の焼き鳥屋。
さりげなく「味自慢」「うまい!」などと書いてあります。
焼き鳥、なぜか食べるのを忘れました。



そんなおり、港には「第1こくさい丸」という船が入ってきました。
国際フェリーという会社ですが、航路は小豆島と高松を往復しているだけです。
ちなみに、同じ航路を就航している第32こくさい丸は、キリンが屹立しています。

アップにしてみましたが、従業員しかいないように見えます。
そもそも小豆島と高松間に1日8便の船が必要なのか?という気もしますが、
小豆島って2万8千人も住んでいるらしいので通勤通学の足が必要なんでしょう。



自衛艦旗降納が行われるため、皆が艦尾に集まりました。
かなり前から用意して、身じろぎもせず発動を待ちます。

 

掃海艇などなら一人で足りるのかもしれませんが、「ぶんご」ともなると
5人のラッパ隊が必要です。

瀬戸内海に浮かぶ島々は夕靄に霞み、 たった今落ちた陽の名残が
薄暮の空を薄く紅色に染めています。



「♪ど~そ~ど~ど~み~ ど~そ~ど~ど~み~ 
み~み~そ~ み~み~そ~ み~どみそ~そ~み~どどど~
そ~そそそ~そ~み~ど~み~ど そ~そそそ~そ~み~ど~み~ど以下略」

喇叭譜「君が代」が吹鳴されます。
5人の合奏であるせいか、息継ぎが必要なせいか、フレーズの切れ目を
必要以上に長く取っていたのがとても印象的でした。






ちなみに、谷村政次郎氏の著「海の軍歌と禮式曲」によると、
この「君カ代」は明治18年に制定された喇叭譜の第1号で、
昭和29年の海上自衛隊発足に際し、軍艦旗と同じ図柄の自衛艦旗が採用されたとき
同時に復活したものです。

ちなみに海上自衛隊は幸運にも海軍の「君カ代」を受け継ぐことができたのですが、
陸空では、警視庁音楽隊(しかも陸軍出身者)が”急遽”作曲した喇叭譜を使用しています。
しかもこの「戦後喇叭譜君が代」、作った本人が

「お座なりで今でも気がとがめる。あれは作り直すべきだった」

と言っていたという・・・。




後甲板には掃海具を使った機雷掃海のジオラマが展示してあります。
機雷の繋留を曳航した掃海具で切断し浮かせて処分する係維掃海。


 
こちらは「総合掃海」とあります。



いくつもの凹みがあるのがリアル。
係維式係維式触発機雷といって、糸で海中をふわふわしており、
船にぶつかって角のような部分が当たると炸薬が衝撃で爆発します。



沈底式機雷といって海底に沈めておけば、船が通った時の音、磁気、
そして水圧の変化を感知して爆発するというものです。

これが爆発した時の船への影響はすさまじいもので、船体には
大きな力とともにねじれの力がかかるので、場合によっては
瞬時にして船体が真っ二つになることもあるということです。



艦尾から後ろにいるくめじまとみやじまを望む。
電飾の灯が点灯されました。
掃海艇はどうやら今日一般公開されていたようです。



基本立食ですがすっかりテーブルに落ち着いて飲み食いする人もあり。
パーティ文化のあるアメリカなら皆が歩き回っていろんな人と会話するのですが、
日本人のパーティはどうも知っている人と話し込む傾向にあります。

そんな中、掃海隊群司令になったばかりの湯浅海将補は副官とともに
会場をくまなく歩いて皆にまんべんなく話しかけておられました。



自分の若いときの話を熱心に語るご老人と、相槌を打ちながら
それを聞いてあげている若い自衛官の図。
「僕は復員省にいて」という言葉を小耳に挟み、近づいて内容を聞こうとしましたが、
それ以上は残念ながら解読不可能でした。



このころすっかり日は沈みましたが、まだ少し雲が朱く染まっています。



屋台はもう一つ、てんぷらがありました。
わたしは実は昨年のお正月に山の上ホテルのてんぷらコースをいただいて
あまりのヘビーさに直後からまるまる一日気持ちが悪くなったということがあって、
それ以来てんぷらというものを避けてきたのですが、これを見て
ふと食べてみたくなり、エビとさつまいもをいただいてみたところ、
無事トラウマを払拭することができました。

やはりてんぷらは揚げたてに限ります。

それを言うなら山の上ホテルは目の前で揚げたのをすぐ食べたわけですが、
とにかく量が多すぎ、しかも最後までてんぷらしかでてこないという
「てんぷら地獄」でした。

後から聞くと、ごま油は結構体に負担が大きいそうです。 




すっかり日が落ちて大変いいムードです。
宴会もそろそろ終わりが近づいてきました。



てんぷら屋さんも店じまいモード。



気がつけばいつの間にか「蛍の光」が流れていました。
ふりかけさんが

「去年はあったのに今年は呉音楽隊の生演奏がなかった」

となんども残念そうに言っていたのですが、後から聞くと
これもまた熊本の地震に配慮した自粛であったということのようです。

さて、というわけで「最後の最後に、写真を撮りながら退場する」
というふりかけさんに先立って、「ぶんご」を降りることにしました。
おなじみ、龍が機雷をむんずと掴んでいる掃海隊群のマークのマットを踏んで。



退出するお客さんに手など握られちゃったりしている湯浅掃海隊群司令。
わたしが艦上レセプションに呼んでいただいたときの練習艦隊司令は
ほかでもないこの湯浅海将補でした。

海上自衛隊の人事の不思議なところで、(あくまでも素人視線で)
前々群司令の徳丸海将補もご自身から「わたしは艦艇出身で」と聞きましたし、
この方も掃海畑の方ではありません。

全くその世界(掃海というのは本当に特殊だと感じます)について
知らずに海自での経歴を重ねてきた自衛官が、ある日突然
群のトップになる、というのもなんだか解せないものです。(素人視線で)

素人にはわからない理由あってのことなのでしょうけど。



皆が一度にラッタルを降りると、妙な振動があってとっても妙な感覚です。
その振動に揺られながら降りていくと、ラッタルの最後の段は結構地面から高くて、
レセプションのために昼間とは違うサンダルを履いていたわたしは
飛び降りるのに少し怖い思いをしました。

一番下で危険がないか見張っている海曹の方に

「ちょっと危なかったですね」

とさわやかに声をかけられながら「ぶんご」 を後にします。



車まで戻ると、「みやじま」「くめじま」が電飾で闇の中に
その姿を仲良く浮かび上がらせていました。
停泊中には体験航海も行われたと聞いた気がします。



「ぶんご」と舫杭にかけられたもやい。
カップルがデートらしい風情でやってきて、男性の方が女性に

「あの後ろのハッチが開くんだよ」

と指差して教えてあげていました。



明日の朝の集合時間と場所を打ち合わせてふりかけさんをホテルに送り、
わたしも部屋に帰ってきました。
「ぶんご」と掃海艇たちの電飾が形作る大小3つの三角形が埠頭の闇に浮かんでいます。

さあ、明日はいよいよ掃海殉職者追悼式本番です。


続く。





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