戦艦「マサチューセッツ」の展示がとても優れているというのは、
大抵の博物艦が、維持するのが精一杯で手入れすら疎かなのに、
ここだけは現状維持だけでなく、解説が本物の博物館並みに丁寧であることでしょう。
たとえば、 甲板から2階上の艦橋に上がって見える景色がこれです。
ちょうどわたしが立っているところに、冒頭の当時の写真があり、
YOU ARE HERE
ここにあなたは今いるのですよ、と教えてくれるのです。
これはわたしのような、今残る”もの”から往時を偲ぶことに熱心な人間には
なんともツボを押さえた、嬉しい解説となります。
この同じ場所で60年前にこの景色が、としみじみするわけですね。
その優れた展示には、かつての乗組員の協力がありました。
ってことで、左から、
起業家となったベンジャミン・シュルマン少佐。
ナビゲーションブリッジ、提督の居室、幾つかのボフォース機関砲のマウントの
再現に協力(つまり出資)しました。
「マサチューセッツ」時代は甲板士官としてブリッジにいました。
真ん中、ブルックリン生まれのダニエル・クライン一等水兵。
かつては1番から3番までのガンマウントのポインター&トレイナーでした。
(つまり日本砲撃の時に砲の狙いを定めていた人です)
退役後カリフォルニアでパン屋を営んでいたクラインさんは、
2006年、ビッグマミーに『探索』のために帰ってきました。
孫、曾孫、そして玄孫(やしゃご)を伴って。
右、ジョン・オニール・Jr.大尉。
ビッグマミーでルソン、レイテ沖、沖縄の戦闘を体験した大尉は、
冷戦時代軍籍を置いたままタフツ大学で化学、ローウェル工科大で
エンジニアリングを学び、その後は化学薬品会社の副社長を務めていました。
オニール大尉はまた、当バトルシップコーブの設立メンバーでもありました。
さて、この1階下にもう一度もどりまして。
ここには「バトル・ドレッシング・ステーション」があります。
ドレッシングというと我々はサラダにかけるものとしか思いつきませんが、
「身につける」ことから、包帯、塗り薬などの医薬品を指すこともあります。
つまりここは、怪我の手当てをするところ、ファーストエイドステーションです。
ただし、普段は使われることはなく、ここが機能するのは戦闘中のみ。
下のシック・ベイ(医務室など)に戦闘中怪我人を運んでいる場合ではないので、
とりあえずここで手当てをしたり、怪我人を放り込んでおいて、
戦闘後に担いで医務室に連れて行くのです。
ずいぶん酷いように見えますが、実際に海戦というのは何時間もかかりません。
特に航空機の攻撃はせいぜい分単位で終わるものなので、
戦闘中は最低限の手当てしか行われないのです。
このスペースは戦闘中以外は全く使われませんでした。
アクリル板でカバーされて中に入れなかった「チャートハウス」。
フネを安全に航行させるための機能を備えたコンパートメントです。
DRT(Dead Reckoning Tracer)は推測航法装置、と訳すのでしょうか。
ここには艦位をリアルタイムで表示するこの機械や、 深度インジケーター、
風力風向インジケーター、 そして艦の進路を表すジャイロコンパスがありました。
チャートを置くデスクのうえにあった『何か』。
インジケーターの目盛りであると思われます。
ここでのキーパーソンは、航法の全てに責任を持つ「ナビゲーション・オフィサー」。
ちなみに自衛隊では「オフィサー」はつかず、「ナビゲーター」で航海長を意味します。
副長は「エグゼクティブ・オフィサー」、船務長は「オペレーションズ・オフィサー」、
士官の役職には全て「オフィサー」がつくのに、なぜか航海長だけナビゲーターです。
この謎についてどなたかご存知の方おられませんでしょうか。
さて、この知的な風貌の老人は、かつてのここのキーパーソン。
展示艦「マサチューセッツ」は、見学者のために、要所に備え付けられたモニターで、
かつてそこを持ち場にしていた乗員が任務について語っているビデオを
説明のために繰り返し流していました。
ここには”QUARTER MASTERS” もいました。
この単語を辞書で引くと「需品課」などという意味が出てくるわけですが、
普通に需品課なら、何もチャートルームにいることはないわけで・・。
実は、アメリカ海軍独特の言い方で、クウォーターマスターズとは、
ウォッチ-トゥ-ウォッチ・ナビゲーション(視認?)を行ったり、
海洋地図やナビゲーション機材の準備や手入れを行う役目の下士官で、
『QM』がそのランクの略語となります。
ちなみに、潜水艦のQMは、エレクトロニクスナビの資格者でなければならず、
大気モニタリングや艦内のコミュニケーション、エンターテイメントも担当します。
ということは、映画の放映とかも行う係なんでしょうかね。
チャートルームから出て艦首側に、こんなドアのある一角がありました。
まるで日銀の金庫のような(見たことはありませんが)分厚い壁。
コンパートメントというよりほとんど「カプセル」といった感じです。
ここを”CONNING STATION" といいます。
CONNは操舵なので、普通に操舵室ですね。
ここには操舵装置のほか、艦内外の通信装置、レーダーのインジケーター、
小さな無線室、そして二つのペリスコープ(潜水艦ではないので展望鏡)があります。
戦闘状態になるとこの分厚いドアは中から完璧に閉じられ、
艦にとっての重要人物である艦長と舵手、THE LEE HELMSMAN、
つまり デッキ階下のエンジニアリング担当に速度を指令する係を守るのです。
我が帝国海軍の戦艦艦橋に、こんな金庫みたいな部分はありませんでしたよね。
戦闘の際、艦橋への一撃で艦長以下幹部全員戦死、という例が結構ありましたし。
こんなとんでもない部屋を作ることができるアメリカとは、海戦に対する
思想もですが、そもそも国力というのがまるで違ったんだと思わずにいられません。
これはその「金庫」のさらに艦首寄りの部分。
平常時は艦長はこの椅子に座って航海を見守ったのでしょう。
ここにもジャイロかナビかなにかがあったと思われますが、
取り払われてしまって跡だけが残されています。
艦長椅子の横にあったインジケーター。
右から速度、角度、速度。
このうしろの「金庫」からは、こんなスリットから外を見ていたようです。
「マサチューセッツ」は実際に何度も戦闘を経験しており、つまり
ここから艦長などが前方を窺ったということも何度もあったはずです。
さて、チャートハウスと操舵室のあったこの階この階が、
戦艦「マサチューセッツ」で見学者が立ち入ることのできる「最上階」となります。
ここから上に登るラッタルがありましたが、塞がれていました。
おそらく、マストやレーダーのある部分に続いているものと思われます。
全部見てしまったので降りるしかありません。
最近わたしは軍艦の見学をするときには、必ず階段の上り下りの前に
こうやって写真を撮る癖がつきました。
後から写真を見たとき、こうしておかないと、いつ階層を移動したのか
全くわからなくなってしまうことがあるからです。
このラッタルの降り口には、手でつかんで素早く降りられるように手すりが付いています。
ここは先ほどボートがデリックに付けられていた階層です。
ボートの向こう側に通路が見えたので、写真手前から通り抜けてみました。
アメリカ人の10人に一人くらいはここを抜けられないというくらい細い通路でした。
まあそんな体型の人は、こんなところであちこちウロウロしないと思いますが。
この階の艦尾側には、ここにもボフォース機関砲のマウントが両舷にに2基。
この真下には艦尾側の主砲が3門あるところです。
この部分には
Mark 37 Gun Director
と解説されていました。
これらは二次バッテリーとして砲や銃、サーチライトに使われるもので、
「マサチューセッツ」は4つのMk.37ガン・ディレクターを搭載していました。
一般的に戦艦ではこのように箱型のシールドで保護されていました。
ただの電池ではなく、レーダーを搭載しており、目標を追跡することもでき、
Mk.12のディレクターは”Friend or Foe" 、つまり敵味方認識も行うことができました。
そして例えばMK.22などは、
「海面ギリギリを飛んでくる飛行機をトラッキングする」
ということもできたといいます。
下から見ると、体を乗り出せば主砲が見えそうでしたが、全く無理でした。
40mm、つまりボフォース機関砲のローディングマシーンです。
どうやって使うのか全く想像もできなかったのですが、
これを見て納得しました。
つまりいま上を向いている方向から手動で弾をこめるんでしょう。
でも、説明を読んでみたら、ここにあるのはガン・クルーの練習用だったそうです。
あと、この階にあったのは、これも練習用のローディング・マシーン。
説明によると『5” 二次バッテリー』のローディング、とありますから、
つまりMk.37のためのものみたいですね。
練習ではダミーの弾丸と火薬のカートリッジが使われたそうです。
ところで、ボフォース機関砲は、アメリカ海軍の艦艇に搭載された対空兵器の中で
最も多くの航空機を撃墜したと言われているのだそうです。
おそらくは本土を防衛するために立ち向かっていった多くの日本軍の戦闘機も、
この甲板から放たれた砲弾によって撃墜されたのに違いありません。
ロープを巻きつけている縦置きキャプスタン?が三つ。
上からカバーをして保護しています。
主砲、45口径40.6cm砲を横から見る位置。
主砲と艦橋の間は決して広くありません。
しかし、海軍の、特に船乗りは運動量が半端ではないので
太った人などだれもいないはず・・・・・・ん?
大変苦労して艦橋から出てくる偉い人、キター。
「ザ・フラッグ」として1945年夏「マサチューセッツ」に座乗していた
(ということは、彼女が日本を攻撃した一連の作戦の指揮をしたということです)
ジョン・シャフロス中将は、ご覧の通り大変な百貫デ、いや巨漢でした。
なんでも「海軍史上最も大きな提督」と言われたシャフロス中将の身長は
6フィート(182cm)、体重260パウンド(120キロ)。
テレビでしょっちゅうやっているその手の番組に出る人なら痩せている方ですが、
何と言ってもこの人のお仕事は狭い艦橋をいったりきたりすることなのです。
中将は必ず一欠片の石鹸かチョークを持って艦内を視察し、
自分が体を折り曲げないと通り抜けられないところに印をつけて
後から工事や修繕を行う部署(自衛隊なら営繕班)に、
それを何とかして直すように申し渡したと言われています。
軍艦の中なので、そんな簡単に削ったり広げたりできるところは
ほとんどないのでは?と誰でも眉に唾をつけてしまいそうです。
しかし、これが単なる噂でなかったことは、少将のために作られたシャワー室の
パイプを見ればわかった、ということです。
なんたる傍迷惑な。
艦を直させる前に自分が痩せろよとか、こんなデ、じゃなくて提督を戦艦に乗せるな、
とか、いろいろと突っ込みどころはありますが、 それを押してこの人を
出世させたからには、戦艦に乗せなければならない大人の事情ってやつがあったのでしょう。
いや、単に優秀だったので仕方なく、ってことかな。
いずれにしてもこれが本当の「The Greatest Admiral」ってやつですか。
続く。