さて、帆走フリゲート艦「コンスティチューション」見学1日目。
いよいよ内部を見学です。
前もって聞いていましたが、「コンスティチューション」は海軍の現役艦なので、
たとえ艦内を通り抜けるだけであっても手荷物検査とIDチェックを受けます。
金属探査機まであったのでそのものものしさにびっくりしました。
わたしはパスポートを持ち歩かないので、列の途中でIDをチェックしている
「コンスティチューション」の乗組員に、
「自分の国の免許書しかないんだけどこれでいいですか」
と聞くと、
「写真がついていればなんでもいいですよ」
皆並んでIDを見せ、カバンの中を全部見せてこの小屋の中を通りました。
こ、これはたしか帆船の横っ腹から突き出している大砲?
今補修中なので全部ここにおいているのでしょうか。
この手前の比較的短い砲は
カロネード砲
といい、1860年ごろまで軍艦に装備されていました。
「コンスティチューション」にはこれが20門搭載されています。
向こう側の砲はこちらより長いですが、こちらは長砲で、
こちらの方が多く30門ありました。
砲弾の重さはカロネード砲が15キロ、長砲が11キロです。
そして11kgの船首砲が2門。
これが「コンスティチューション」の武装です。
中に入ってまず船首側から一枚。
船首から突き出している白いマスト状のものは何なんだろう、
まさかこれが船首砲・・・・のわけないよね?
と思って画像を検索してみました。
う、うつくしい・・・・。
これは1997年、大改修後、40分の帆走を行った「コンスティチューション」ですが、
艦首の部分を見ていただくと、この白い部分の先に木造マストを指して
そのマストにも帆を張っているというのがわかりますね。
さて、ところで「コンスティチューション」が繋留してあるチャールズタウン、
ネイビーシップヤードの第1ドックですが、建設されたのは1800年。
この版画に描かれているころには、もう出来てから50年も経っていました。
ドックの前を海軍軍人らしい3人が歩く姿が見えますが、
バッスルスタイル(ドレスのスカートの後ろを膨らませる当時の流行)の
女性が日傘を持って優雅に散歩しているのでとてもここが海軍工廠に見えません。
こうして比べてみると、昔とは陸の部分の形が全く変わってしまっているのがわかります。
「コンスティチューション」は、1812年の米英戦争における英国艦との戦いで、
その堅牢なライブ・オーク製の船腹が砲弾を跳ね返したため、それ以降
「OLD IRONSIDES」(鉄の船腹)
の敬称を奉られることになりました。
(オールドは古いというより親しみを込めた呼び方のそれだと思う)
そう呼ばれるに至るまで、1933年以来、彼女はまさにこの第1ドックにおいて
幾たびかの修復を受け、それによって船体を強固にしていったのです。
彼女が「鉄」と呼ばれたのにはこんな仕掛けがありました。
リペアの際、彼女を手がけた船大工たちは、樹の特性を踏まえ、使う木材を
慎重に選定して「コンスティチューション」に使いました。
例えばデッキにはダイオウマツ、張り板にはホワイトオークといった風に。
木挽が用意した木材のチップで船大工が各部を作り上げ、さらに銅加工職人は
船底を銅板で全て覆い、「アイアンサイズ」に彼女を加工したのです。
超余談ですが、昔アメリカのテレビ番組に
「鬼警部 アイアンサイド」(原題”IRONSIDES")
という日本題のドラマがあったのをご存知でしょうか、
日本人にはピンと来ませんが、アメリカ人であればこのタイトルから
「コンスティチューション」のあだ名をすぐさま思い浮かべ、
主人公のイメージ(苗字がアイアンサイドというみたいですが)に
「打たれ強い」「パトリオット」などのイメージを重ねたのでしょう。
ところで、上の図ですが、黒い部品を”Ship's knee"といいます。
この部分は、さらに上の図に見られる樹の部分を選定してカットされました。
1800年代のライブオークは、今日のものより堅牢な樹質であったそうです。
ここがボストン海軍工廠の第1ドライドック。
1800年にチャールズタウン海軍工廠(その後ボストン海軍工廠に名前を変更)
が出来てから、最初の戦列艦「インディペンデンス」を建造して以来、
その後「コンスティチューション」を生んだドックです。
ちなみに、横須賀にフランスから招聘されたヴェルニー技師の設計による
日本初のドライドックが出来たのは、84年後の1884年のことです。
アメリカ人観光客は覗きもしないドックの細部を、
熱心に写真に撮る怪しい日本人(笑)
ドックの底には「1500」「1200」などの番号の書かれた木材がならべられています。
さらには「コンスティチューション」の船首の先に「あれ」がある!
これ、「ミスティック・シーポート」で飾ってあったのと同じですよね?
錨の形をしているんだけど、大きな横木が付いている・・。
二つを組み合わせて倒れないように置いてあります。
レンズを望遠に変えて後ろに戻って撮ってみました。
これがこの「正しい使い方」のような気がしますが、してその用途目的は。
ドックの底の木材は、縦横に組み木のように置かれています。
このドライドックの仕組みについてわかりやすく説明しています。
1、ドライドックの入り口には海水が少し入っており、
入り口は浮き扉で閉じられて海水の流入を防いでいる状態です。
このドックの「浮き扉」のことを「ケーソン」といいます。
海水はケーソンを通っているパイプを通じてドック内部に満たされます。
2、ケーソンを「浮き扉」というのは、それ自体が浮くからです。
ケーソン内部の海水を汲みだすと、ケーソンは浮き上がって入り口を離れます。
3、船が曳航されてキールブロックの上に浮かべられます。
4、水を満たされたケーソンがドライドックの入り口にもう一度置かれ、
ドライドック内部の海水はポンプで吸い出され、あとは
クレイドル(設置場)の上に船が乗った状態でドック内が「ドライ」になるのです。
ということは、これが「ケーソン」、つまり浮き扉ってことなんでしょうか。
この内部の海水が抜かれて船のように浮き、離れたところに曳航されて、
さらに船が設置されてから元の場所に戻されて「水密扉」の役目を果たすと。
どうやったらこの巨大なものをここにぴったりとはめるのか、
わたしはむしろその操作を是非見てみたい。
これは船尾からドックのハッチをみたところ。
ケーソンとその周辺の壁など、排水のための機構は最新式のものです。
「コンスティチューション」には一度解体の危機がありましたが、
大衆の支持によって保存が決まり、1931年、最就航しました。
1940年、議会で彼女の「永久就役」の身分が決まり、このときから
「コンスティチューション」は「国と海軍の象徴」となったのです。
ベトナム戦争の後、閉鎖されていたこのドックですが、再利用の案が流れ、
結局は歴史保存のためそのままここでは歴史的艦艇の修復のみが行われることになりました。
この第1ドックのハッチがいつできたのかは、海軍工廠のHPが閉鎖中で
見ることができなかったのでわかりませんが、かなり近年のことに思われます。
これは排水ポンプに違いありません。
左側に4本、右側に2本の、直径40センチくらいのポンプが、
ドック内の海水を汲み出すためにドック底につけて設置してあります。
船体を導入するときにパイプを傷つけないように、その手前の
船形のコンクリートの壁がパイプを守る形になっています。
なかなか内部に入っていくことができませんが(笑)、次回、
さんざんドックの写真を撮りまくってから見た「コンスティチューション 」の
甲板についてお話しします。
続く。