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「ゲダンク」の鉄則とリサイクル事情〜戦艦「マサチューセッツ」

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「マサチューセッツ」の艦内探訪、続きです。

先に艦内を最後までご紹介して、展示品については後日、
他の艦艇などをご紹介し終わってから(いつになるかわかりませんが)
取り上げていこうと思っていたのですが、PTボートとケネディの話に
食いついてしまい、中断してしまったのを<(_ _)>します。

さて、今日は調理場からです。
1日目の見学で、広い艦内の半分しか見られなかったため潔く撤退し、
次の日にまた続きとして見始めたのがここからでした。

ちょうどメインデッキの 一階下にメモリアルルームがあります。
わたしはアップルのキャップを昨日脱帽してベンチに置き忘れたのを思い出し、
真っ先にメモリアルルームに駆け込んでみたら、ビデオのプロジェクタの前に
昨日置いたままの状態で見つかりました。
思わず「あったー」と独り言。
ありがたく回収して昨日の続きから始めました。

メインギャレーと呼ばれる兵員食堂です。



ここの展示でマネキンに出会ったのはこれが初めてでした。
不自然に首が長いけど男前の水兵が一人でぼーっと
シンクに手を突っ込んでおります。
調理係であれば帽子やエプロンを身につけるはずなのですが。

彼が立っているのは大量にシチューなどを煮込む道具か、
上部で食べ物を温めておくテーブルではないかと思われます。

本日のメニューは、ハンバーガー、マッシュドポテト、そしてトマトスープ。



向こうの方にある金属トレイは、自衛隊でもおなじみ。
懇切丁寧な自衛隊の食堂では、「盛り付け例」を写真で解説し、
さらにはどこを指で持つといい、などと教えてくれますが。

にんじんのグラッセとグレービーソースらしきものも出ています。
食堂のキッチンは夜昼なく稼働しているものなので、調理係たちは、
時として天井から吊ったハンモックで寝なければならなかったそうです。

帝国海軍の兵員は基本ハンモックを吊って寝ていましたが、米海軍では
「よっぽどの場合」しか使われることがありませんでしたから、
厨房の仕事とは「よっぽど」が多かったということなのでしょう。




左手奥には大きなバスタブのような釜がずらりと並んでいます。


あえてクラムを散らして「いかにも今誰かがとっていった風」。
デザートはチョコレートブラウニー。

ここでは「マサチューセッツ」の2000人の男たちの胃袋が賄われます。
食事時になると「チャウ・ライン」(Chow line)という列がカウンターにでき、
それは右舷と左舷の通路まで延々と伸びて、食べ物を取った後も、
「バーベット」の周りのカウンターの椅子やベンチ、艦尾にある共同部屋まで続きます。



これがバーベット。
バーカウンターみたいだから”バー”ベット?とオモタのですが、
バーベット(Barbette)というのは旋回砲塔下部の装甲円塔をいいます。

16インチ砲の砲塔に弾薬装填を行うための鋼鉄で装甲された巨大なシリンダーは
砲塔からセカンドデッキまで、そしてその先甲板の下5階まで繋がっています。

ターレットはバーベットの上部に当たる部分にあるベアリングにそって動きます。
バーベットの内部には、発射体、トレイ、マガジンから弾薬を持ち上げる
ホイスト(巻上機)などがあります。

16インチ砲を稼働させるのには125名の人間が必要であり、
バーベットそのものの重量だけで駆逐艦1隻分に相当するそうです。
バーベットの壁面の厚さは12インチ(約30cm)。
この分厚い装甲が敵の砲弾や航空機の爆撃から砲を守ります。


で、そのバーベットのカーブ、またカウンターにぴったりなんだこれが。
というわけで、ここにも備え付けのチェアをつけてしまいました。
ついでに、このカウンター部分も「バーベット」と呼んでいたようです。



さて、それではここはなんでしょうか。



「米軍アイスクリーム事情 ハルゼー提督とアイスクリーム艦」という
項のためにマンガを描いたわたしとしては、あれを描く前にここに来ていたら、
と大変残念に思ったものです。

「アイスクリームによってアメリカ軍人は士気を鼓舞された」

という驚くべき事実について(笑)語るついでに、

「アイスクリームの元には階級なく皆平等」

という不文律にしたがいアイスの列に並んでいたハルゼー提督が
順番抜かしした若い士官を一喝したというあのお話を漫画化してみましたが、
いまいちどんなところに彼らが並んでいたのかがわからなかったのです。
まあ実際に見て、描いたものと差はない気がしましたが。

艦の「ソーダファウンテン」(ソーダファウンテンから出る清涼飲料水を
アイスクリームや軽食などと共に提供する店のこと)を

 GEDUNK(ゲダンク)

といいました。
アメリカ海軍内の「俗語」で語源はよくわかっていないのですが、
ベンディングマシーンの操作音が「GEE-DANK」と聞こえるという説、
もう一つは当時のマンガ「ハロルド・ティーン」の主人公ハロルドが、
地元のパーラーで「ゲダンク・サンデー」を食べていたからという説、
さらには、中国語で ”Place of Idleness" (怠惰の場所?)という言葉を
そう発音するからという説まであるということです。

艦内のソーダファウンテンは、兵士たちに故郷のグロッサリーストアや
薬局などを思い出させる懐かしい場所でもありました。
当時はそんなところにソーダファウンテンのカウンターがあったのです。

ゲダンクバーは1日に数回だけしか開けませんでした。
ハルゼーの座乗した艦でアイスクリームに行列ができた理由は
おそらくこれだったのでしょう。



ゲダンクのメニュはソーダファウンテンから出るソーダ、アイスクリーム、
そしてソーダアイスクリーム(案外ゲダンクが発祥だったりして)、
コークにグリルドサンドウィッチなどといったものが定番でした。

後ろのモニターではかつてゲダンクで働いた人が思い出を語っています。

後方に二酸化炭素のボンベがありますが、これはもちろんのこと、
ソーダファウンテンで炭酸飲料を作るためのでしょう。

アイスクリームのバーにはディッシャーを水につけておく部分があって
現代のものと全く変わりません。





ハルゼーのエピソードですっかり有名になってしまった話ですが、
ゲダンクにおいては階級にかかわりなく全員が平等でした。
これは絶対で、どんな艦においても存在した黄金のルールでした。

なぜならば、ゲダンクはどんなに大きな戦艦でも空母でも、
艦内に一つしかなかったからです。



C.P.O.チーフ・ペティ・オフィサーつまり上等兵曹のための調理場。
上等兵曹は「E-7」、シニア・エンリステッド・マン、下士官の一番上位です。
彼らには専用の食堂や専用のベッドコーナーでの居住が許されていました。

ところで、その他の下士官兵の食事の列を「チャウライン」といいましたが、
この「チャウ」と言う言葉、東京裁判で裁判の間収監されていた巣鴨拘置所で、
戦犯とされた元軍人らは食事のたびに


「チャウ」「チャウ」

と言いながら米軍兵が食べ物のトレイをおいて行ったことを皆が覚えています。

「”めし”という意味で、なんでもあまり上等な言葉ではないらしい」

と誰かが書き残していたそうですが、そんなに下賎な意味はなく、
兵隊のランクが食事のことを普通にこう言っていたにすぎません。

もっとも拘置所で出される食事は、囚人用をわざわざ分けて調理しなかったため、
ひもじい思いをしている国民に「申し訳ないくらい」豪華なもので、
海軍の嶋田大将などぷくぷくと太り始めたぐらいだったそうです。 




おしゃれなイラストで「ボタンを押す」とあります。
もうすでにそのボタンは無くなってしまっていますが、
中の人に用事があるときにはボタンを押したのかもしれません。



その他大勢の下士官兵だと、「チャウライン」を作らなければならないのですが、
上等兵曹になると、専用キッチンで作られた食事を、
自分の寝床から薄い壁で仕切られた「メス・コーナー」で食べることができました。

ギャレーで用意されたスナックなども「mess man」という専用の係に
運んできてもらうことができたといいます。



こうしてみるとその他大勢とあまり代わり映えしないメニューって気もしますが、
長い列を作るのと運んできてもらえるのは大きな違いだったでしょう。

ところで巣鴨拘置所で収監されている戦犯容疑者たちに食事を配る係が
もう少し上のランクならば、普通にミール、とか
ブレックファーストなどと言ったのかもしれません。
少なくともオフィサーの食事は「チャウ」ではなかったはずです。

それでは違うキッチンで専用の係が調理を行っていた
上等兵曹たちは食事のことを何と呼んでいたのでしょうか。
答えは

1、「ちゃう」

2、「ちゃうとちゃう」

さあどっち?





たしか「フードプリパレーションスペース」となっていました。
野菜の下ごしらえなどをする部屋のようです。
野菜、といってもとくにじゃがいもを大量に剥いたり洗ったりは大変。
というわけで、ちゃんと専用の機械を作ってしまったのです。

奥の機械はおそらくじゃがいもや果菜の洗浄機。
右はじゃがいもの・・・皮むき器だったりしたらすごいけど多分違う。



とにかく皮むきが必要なものがあるようです。



レモンのブランドがなぜか「カッター」。
沿岸警備隊向け商品だったのかな。



さて、そんな風にして人はゴミを出しながら生きていくわけですが、
そのゴミをいかに処理するかも船では結構な問題になってくるのです。

食品準備室と同じ階に巨大なゴミ捨て場がありました。
グラインダーと呼ばれる大きな桶でいわゆる生ゴミを粉砕し、
そのあとポンプで艦外ににどばーっと排出してしまいます。
この作業は通常日没以降に行われました。

また、ビルジ(淦水、船内に溜まる汚水や垢)が排出されると同時に
取り込まれる空気がススを煙突から吹き出す役目をしました。

これらの作業は夜明け前に行うことによって漂流物から
敵に艦隊の位置を特定されることを防止していました。



ゴミといえば(笑)本当に人間ってゴミを出しながら生きているものですよね。

アメリカではリサイクルとそれ以外、という大まかな分け方で捨てるだけです。
「ダーティジョブ」でやってましたが、業者が処理場で仕分けするんですね。
ところが日本はゴミを出す人が全ての仕分けを済ませる仕組み。
日本に帰ってきた途端牛乳パックや納豆のプラスティックを洗いながら、

♪ ぼくらはみんな生きている 生きているからゴミを出す
僕らはみんな生きている 生きているからゴミが出る
ゴミ袋を太陽に透かしてみれば 自治体・推奨・半透明
資源だって 普通だって 生ゴミだって
みんなみんな 捨てていくんだゴミの日なんだ ♪

とついつい自作の替歌を口ずさんでしまうわたしです。

それではビッグマミーが現役だった戦時中、リサイクルという概念はあったのか。

我が帝国では残念ながら金属が不足していたので、仏像や銅像も溶かして
リサイクルして砲弾なんかを作っていましたし、ガソリンも「血の一滴」として
大事に使ったり、代用燃料のために松の根を乾溜したりしておりました。

ネカチモ国アメリカはそんな必要なかっただろうと思いきや、
やはりリサイクルの概念はあまねく国民に行き渡っていたようです。

鉄、金属、アルミニウム、銅、金銀などの金属類。

廃油、ゴム、絹、石油製品、そして布類。

これらは全て戦時下でのリサイクル対象でした。
まず金属、これはもうリサイクルの基本です。

そもそも、現在アメリカの博物館や公園などで見られる
第二次大戦中の銃や大砲のほとんどが、南北戦争、米西戦争、
そして第一次世界大戦の時の武器をリサイクルして使ったものです。

廃油は爆発物に使うためのグリセリンに加工され、絹はパラシュート、
兵士たちのスカーフ、あるいは天幕に利用されました。

ゴムは車両や航空機のタイヤ、救命筏などや医療器具の部品、雨具に。
古新聞古雑誌は製紙業者に回収され、リサイクル。(基本ですね)


リサイクルといえばまたしても余談ですが、
蓄音機時代のSPレコードが何でできているか知ってますか?
実はshellacといってカイガラムシの分泌する天然樹脂で、
酸化アルミニウムや硫酸バリウムなどの微粉末を固めて作りました。

アメリカはこのカイガラムシを東南アジアで採取していたのですが、
日本が仏印進駐でベトナムに、そしてビルマ攻略の時にタイにも侵攻したため、
このカイガラムシが取れなくなって国内に少なくなってしまったのです。

この結果カイガラムシの樹脂を使ったSPレコードは廃れましたが、
コーティングにプラスティックが使われたのは軍関係の装備だけで、
相変わらずコーティング剤としては必要とされていたそうです。

カイガラムシくらいあの広いアメリカのどこかにいなかったのか。




覗き込んで落ちないように、ちゃんとプラスチックの蓋をしてある気配り。
焼却炉を赤くするというのはちょっとイケてるセンスだと思います。



焼却炉前のスペースは以外と小さく、膝の高さの通路のある壁で区切られています。
扉のドッグ(レバーのことですよ。ここ試験に出ます)は赤く塗装され、
いざ!という時にはここを閉めてしまいなさい的な雰囲気が漂っております。



この日は週末でバトルシップ・コーブ全体でみるとそこそこの
観光客がいましたが、わたしのように隅から隅まで見逃すまいと、
あちらにもぐりこんだり登っていったり降りたりと言うような見学を
している見学者は皆無でした。

というわけで、ここから先、さらにディープな部分へを
一人っきりで進んでいきます。

続く。


 


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