10月17日に行われた潜水艦救難艦「ちよだ」の進水式。
無事に支綱切断は行われ、巨大な艦体は音を立てて滑って行きました。
「ふゆづき」のときに出席された方が、「ものすごい音だった」
と言っていたのでちょっと身構えていたのですが、実際は
騒音についても考慮されているのか、意外なほど静かなものです。
切断をする台が下から見えたわけではないので、どのような部分を
どうカットするのかわかりませんでしたが、槌が降ろされると
同時にあれよあれよとくす玉が開き、そこからシャンペンの瓶が
自動的に舳先に叩きつけられ割れる仕組みになっているようでした。
たった一枚とった写真を最大活用(笑)
これはシャンパンを破るためだけに考案された仕掛け。
切断とともに紐が切れ、紅白の布で包まれたシャンパンの瓶は
振り子のように振り下ろされて、舳先に付けられた
「シャンパン割り場所」ともいうべき部分に当たります。
人間の手でやるのと違って、まずこれだと失敗することはありえません。
シャンパンが割れた瞬間、艦体に叩きつけられたように見えましたが、
ちゃんと瓶を受ける場所があったのをこれで知りました。
シャンパンの瓶のかけらも布で包んであるので飛び散ることはありません。
昔は進水のときに艦体に叩きつける酒は赤ワインでした。
これは「いけにえの血」を意味していたのだそうです。
いつの間にかめでたい酒であるシャンパンを用いるようになりましたが、
この瓶が割れなければ不吉、とは大昔から言われていたことです。
「ちよだ」の進水を寿ぐ儀式についてのブログでなんですが、
その吉兆を占う儀式に失敗した進水式というのも過去ありました。
シャンパンの瓶を破るのに失敗し、そのせいか不運ばかりが続いた、
というので有名な例はなんといってもロシアの原潜K-19ですね。
映画「K-19 ウィドウメーカー」では進水式でこの失敗をしたのが
女性だったことになっていましたが、実際は男性が行ったそうです。
K-19が不運だったのは、本来女性がやることになっている洗礼を
このときに限って男性が行ったからではないか、と後々まで言われたそうです。
あの映画では原子力事故だけしか描かれませんでしたが、
実際のK-19が「ウィドウメーカー」(後家作り)と言われたのは、
原子力事故(1961年)の後、米潜との衝突事故(69’)、さらには
火災事故(72’)と次々と大事故を起こしたからでした。
最後は91年にもう一度原子炉のトラブルを起こし退役していますが、
よくまあこんな潜水艦を30年も使い続けたものです。
結局「原子炉事故では8名が被曝して1週間以内に全員死亡、
火災事故では28人も亡くなった」というのに・・・。
最近ではミシェル・オバマが潜水艦「イリノイ」の進水のときに
艦体にボトルを叩きつけても割れず、やっと3度目に
自分自身がびしょびしょになって破ることができた、
というアクシデントが起こったばかりです。
First lady Michelle Obama christens Navy submarine
named after her home state of Illinois
「イリノイ」に今後何か起こったら「あの失敗のせいだ」
なんて言われてしまいますから、ぜひ無事故でいって欲しいものですね。
さて、今回の支綱切断からシャンパンが割れるまでの見事な
「ピタゴラ装置」を見る限り、日本の進水式では
あまり失敗というか事故は起こらなさそうなのですが、
この日同行した方は、進水式の失敗を目撃したことがあるそうです。
石原慎太郎が都知事であった時代、小笠原への交通手段として
高速客船「テクノスーパーライナー」が就航することになりました。
進水式ではその船には石原夫人が
「スーパーライナーオガサワラ」
と自ら名付け、テープカットも彼女が行ったということです。
おそらく、石原夫人は「こういうこと」をやってみたかったんでしょうね。
本来銀行や企業(つまり船会社のスポンサー)の妻か娘か姪が
行うことになっている進水式の命名&支綱切断。
夫がその決定者である都知事なら、自分にはこれをする権利がある!
とばかりに夫の職権を濫用したという批判もあったようです。
(週刊ゲンダイとかゲンダイとかゲンダイとかで)
まあわたしも自分がそういう立場になったとしたら、嬉々として
やらかさずにすむ自信はまったくありませんから、ここで
石原夫人を非難するつもりはありませんが、問題は本番です。
ここからはどこを探してもそういう記事が出てこないので、
現場でで見ていた方の目撃談となるのですが、とにかく、
このときのテープカット、1度目は失敗してしまいました。
とたんに、
「造船会社の社長が顔色を変えてすっ飛んできました」
オバマ夫人の失敗は周りのみんながニコニコと見守っており、
三回目の成功したことで終わりよければ全てよし、という感じですが、
縁起を担ぐ日本の企業としては顔色を変えてしまったわけですね。
「そのせいかどうかわかりませんがね。
この客船、結局就航しないまま船はドックに繋留してあるそうです」
「それはどこの・・・」
「玉野ですよ」
え、ということはその進水式が行われたのはここだったのね。
実際は、この運用にあたり10億〜20億の赤字が見込まれることになり、
しかも都はその援助を行わないことになったので、
船会社としてはとてもそんな事業に手を出せないまま計画は頓挫。
鳴り物入りで進水させた船も、ドックで無聊をかこつだけの存在になりました。
ところがそんなある日、東日本大震災が起こります。
彼女はこのとき進水以来初めての実質稼働となる航海を行い、そればかりか
宮城県石巻市の石巻港に停泊し、被災者に無料で1回当たり最大181人、
延べ2,400人程度を受け入れ、1泊2日でバイキング形式の夕食、
およびシャワーなどを提供する支援活動を行って人々の役に立ったのでした。
わたしにこの話をしてくれた方は「まだ玉野にいる」
とおっしゃっていましたが、調べたところ彼女はその後
江田島の解体業者に身柄を引き取られて現在内部から解体中だそうです。
まあ、とにかく一度は役目を果たし、有終の美を飾れてよかったですね。
建造費115億円がほとんど還元されなかったのは勿体無かったですが。
玉野では皇太子殿下のご臨席を賜り、進水式を行ったこともあります。
うーん、雅子妃殿下の姿がお見えにならないようですが(棒)
このとき進水した船は「大成丸」といい、 東京海洋大学海洋工学部
(旧東京商船大学)、神戸大学海事科学部(旧神戸商船大学)、海技大学校、
商船高等専門学校及び海員学校の学生・生徒の航海実習訓練を目的として
建造された練習船です。
さて、あっという間に終わってしまった進水式。
沖を見ると、滑り出した艦体は、タグボートが二隻寄り添って向きを変え、
艤装のためのドックに運んでいくところでした。
(こういうシーンを撮りたかったんですけどね)
あとはここまで乗ってきたバスに乗って元来たところに。
控え室となった建物に隣接したこちらが祝賀会場となります。
ところで控え室の建物は昭和初期にできただけあって、
当時から内装を変えただけで使い続けている大変風格のあるものです。
階段の向こうをふと覗いてみると、そこはまるで昔の学校の
宿直室のようなコンロのある台所があったりしました。
入ってすぐのところに飾ってあったディーゼル機関の模型。
海上自衛隊の駆潜艇のエンジンとして採用され、昭和31年に
初号機が完成した
Mitsui B&W 635VBU-45 ディーゼルエンジン
です。
「かもめ」「つばめ」「みさご」などのかもめ型駆潜艇、
「うみたか」「おおたか」「わかたか」「くまたか」
などのうみたか型駆潜艇などに搭載されました。
この二階には前回来た時に写真を撮って皆さんにお見せした
三井造船の資料室もあります。
待ち時間に少し開けてくださったのですが、わたしは
靴を脱がなければいけないと知って(紐靴だったため)
脱いだり履いたりが面倒なのでパスしました。
というわけで、次回は祝賀会の様子などについてお話しします。
さすがは造船会社の祝賀会、しかも海上自衛隊が執行者となっての進水式。
出されたお料理はどれも大変美味しかったですよ。
続く。