皆様は海軍兵学校の卒業式で、「行進曲軍艦」の調べに乗せて
在校生と参列者、学校関係者の前を卒業していく少尉候補生たちが
敬礼しながら通り過ぎるシーンを映画などでご覧になったことがあるでしょうか。
以前ここでお話しした映画「海兵四号生徒」や「あゝ海軍」にもありましたし、
兵学校時代の白黒の写真にもその様子が残されています。
海軍の伝統を色濃く残す江田島、という言葉は、今回の卒業式の訓示や祝辞での
挨拶の中でも何度か使われた言葉ですが、江田島の旧海軍兵学校で行われる
第一術科学校の卒業式は、形式において昔のやり方そのままを踏襲しています。
大講堂での式次第に始まり、赤煉瓦から出て来る卒業生が「正面玄関」である
港まで一列になって行進していくのはまさに昔のままなのです。
式の後の午餐会が終われば、いよいよ行進、そして艀に分乗して
練習艦に乗り込むというのがこの日のクライマックスです。
それまでのわずかな時間、来賓はもう一度赤煉瓦の控え室に戻ることになりました。
普段この入り口は使われることがなく、この日は異例だと聞いています。
ご存知かもしれませんが、ここには扉がありません。
最初に建てられた時から、 ある意図のもとにそうなっているのです。
正面玄関から入ったホールの右手。
大きな姿見があります。
この鏡は昭和の頃に海軍兵学校卒業生の会が贈呈したもので、
反対側の鏡には74期の期数が金文字で刻まれていました。
ホール左側。
ここにも、廊下の突き当たりにも扉なし。
正面玄関も廊下の出入り口も、開けっ放しのまま。
風が吹けば風が、雨が降れば雨が吹き込んできます。
これには理由があります。
生徒館の建物は横に長いですが、これは兵学校がこれを
フネ(艦)に見立てているからであり、
「どんな気候状態にあっても常に対処できる」つまり、
「海の上でどんな気候にあっても心身が翻弄されない」
対処と心構えを教育機関の段階から身体に叩き込むためです。
なるほど、たとえ入り口から風が吹き込んでも、埃や塵が舞うことなど
床が常日頃からピカピカに磨き上げられていれば、ありえません。
というのは当ブログの過去ログからのコピーです(笑)
普段なら正面玄関から階段を登っていくということはあり得ませんが、
今日は特別なので、バスの到着が一緒になってしまった
自衛隊の偉い人と一緒に階段まで上ってしまったり・・・。
最初の踊り場で右と左の二手に分かれるという昔の形式の階段。
手すりは昔のままで、かつて海軍軍人たちがここで身だしなみを
チェックした鏡は、今でも自衛官たちの点検に使われています。
控え室の前の廊下から中庭に何かの記念樹があるので撮ってみました。
説明の看板足元にまで目立てをしたばかりの箒の跡があります。
拡大して読んで見たら、
日米安全保障条約改定50周年記念
〈平成22年度日米候補生交換見学行事〉
2010・6・11
とありました。
安保条約改定からもう58年になるんですね・・。
当時安保で戦争になるとか言っていた人って、今息してる?
さて、時間になったので、担当の自衛官が迎えにきてくれ、
マイクロバスに乗り込んで埠頭に向かいました。
実質煉瓦館から歩いても大した距離ではないのですが、
来賓を歩かせるわけにはいかない!という自衛隊の気遣いでしょう。
兵学校の同期会の時に陸奥の砲塔などを見学した時と同じコースで
グラウンドの南側を回っていくようです。
江田内の海に面した古い校舎。
同期会で来た時もすでに使用されなくなって随分経っているようでしたが、
未だに放置されているようです。
わたしは古い建物ならなんでも保存してほしいと思いますが、
歴史的な価値がないと判断されたものは維持費も出ないので、
取り壊しを待っている状態なのかもしれません。
アメリカ人なら、そういう価値とは関係なく、一旦建てたものは
手を加えてずっと使い続けるものですが、日本はねえ・・。
修復するより立て替えた方が安くて早い、とかいう理由なんだったら嫌だなあ。
バスは陸奥の砲塔の前を通り過ぎ、ストップしました。
よく見ると、地面に名札が置かれ、立つ位置が指定されています。
おそるべし自衛隊。
来賓がここに並ぶのに混乱をきたさないように、立つ位置まで・・。
画面右のほうに飾緒をつけた何人かがいますが、
彼らは車でやって来る偉い人たちの副官です。
まさかと思ったら、わたしの立つところにも名札が置かれ、
位置についたらいつの間にか取り除けてありました。
立つ人の邪魔にならないように。
なんどもいうけど、おそるべし自衛隊。
隊員家族の方々はこのラインの一番左、その右に見送りの自衛官、
来賓、そして自衛隊高級幹部などの順番に並びます。
わたしはこの場所からお見送りをすることになりました。
軍楽隊・・・じゃなくって、呉音楽隊の位置も、おそらく
昔からここと決まっているのに違いありません。
指揮者はタクトを振り下ろす瞬間を逃すまいと、
ずっとこの姿勢で後ろをうかがっていました。
あー、なんかこの構図、見覚えがあるなあ。
イメージが白黒ではないので、映画のシーンだったかも・・・。
卒業生を見送る立ち位置には、向こうまで足元にラインが引かれていて、
自衛官の立っているところは特にぴしりと美しい直線になっています。
儀仗隊の服装に身を固めた隊員が持つ海将旗を従えて、
村川海幕長が車から降りてこられました。
カッターのデリックの向こうには練習艦のシルエットが見えます。
そして、いよいよ行進曲「軍艦」の演奏が始まりました。
それにしてもこの日の天気の良かったこと。
ネタで取り上げましたが、「呉とわたし」の取り合わせには雨が多く、
もし今回わたしのせいでこの晴れの日に雨が降ったらどうしよう、
と内心気にしていたのですが、さすがにこの旅立ちの日には、
人々の希望とあつい思いが雨雲を遠ざけるようです。
卒業生が出て来たのは赤煉瓦と白い術科学校校舎の間からでした。
てっきり赤煉瓦から出て来るものと思っていたのですが・・・。
グラウンドと術科学校の間の砂の道。
ここはまっすぐ船着場へと歩いていけるように、芝がカットされています。
海軍兵学校時代から卒業生たちが行進し、海へと旅立って行った同じ道です。
ふと気づくと、グラウンドの南側を、四人の自衛官が歩いていました。
卒業行進とは全く関係なく移動しているだけなのですが、
四人の足取りは完璧に行進曲と合っていました(笑)
自衛官が何人かで歩くと行進のテンポでいつのまにか歩調が揃っている、
という噂は本当なのだろうなとこれを見て確信しました。
卒業生の列は国旗の前を通り過ぎていきます。
敬礼しつつ、まず家族の前を行く卒業生たち。
全く列に並んでいない一般人もいるのですが、どういう人たちでしょうか。
左手にはネイビーブルーの卒業証書の筒を持ち、右手で敬礼。
在校生の前をゆく卒業生。
敬礼で見送る列の中に知り合いを見つけて思わず頬が緩みます。
今見送っている在校生は、来月には同じようにここを旅立ってゆく
防衛大卒の候補生たちのはずです。
一人一人の目を見ながら通り過ぎることを、卒業生は義務付けられているようです。
ところで、この写真を見てわたしはあることに気がつきました。
制服が違う在校生がいます。(左から二人目も?)
三月には防大と一般大を卒業した候補生の卒業式が行われるのですが、
「その時には留学生もいるので来賓の数は今日より多い」
と聞いたばかりでした。
なるほど、彼がその留学生の一人なのかもしれません。
卒業生の隊列がいよいよ近づいて来ました。
わたしはこの写真を最後に撮影するのをやめ、カメラを下ろして
拍手でお見送りに専念することにしました。
そしてできるだけ皆の顔をしっかりと見て、激励の気持ちを込めました。
敬礼をしながら歩く卒業生の何人かはほんのりと眼を赤くしています。
ただでさえ「行進する海軍軍人」に滅法弱いわたし、これを見て
ついつい涙腺が決壊しそうになりました。
列の最後に歩いて来たのは、三人の女子候補生たちでした。
彼女たちの眼も潤んでいます。
「がんばって」
思わず口をついて出た言葉に、最後尾の候補生は
小さな声で、しかしはっきりと
「はい」
と返事をして前を往き過ぎました。
続く。