バトルシップコーブの「ジョーイP」ことギアリング型駆逐艦、
「ジョセフ・P・ケネディ・Jr.」続きです。
アメリカズカップをケネディ夫妻がこの甲板から見たということを
教えてくれたアメリカ人男性に
「いい写真たくさん撮ってね」
と言われて別れ、艦内に入っていくことにしました。
ドローンを収納する格納庫より艦首側の舷側はご覧の通り。
第二次世界大戦のために大量生産が続くはずだったのですが、
戦争が終わったため建造が中止された「ギアリング」型駆逐艦。
同じように終戦前大量生産されて中止になった帝国海軍の「松型」よりは
よくできていて、戦後も長生きした、と前にもお話ししました。
JFKの兄ジョセフが29歳で亡くなったのが1944年の8月12日、
彼の名前をとった「ジョーイP」が起工したのは翌45年4月2日、
そしてわずか3ヶ月後の7月26日に進水式。
ここまでは猛スピードで建造が進んでいたのですが、
「ジョーイP」が艤装中に戦争は終わってしまいました。
戦争遂行のために大量建造していた駆逐艦なので、以降新たな建造は
ストップされましたが、とりあえず終戦までに進水を終えていた艦だけは
最後まで完成させる、ということになったようです。
まあ、戦死者(大物ではなく戦死状況によっては一兵卒のことも)
の名前が命名基準のフネですから、戦争が終わったらもう必要もなくなり、
生産はストップされるのは当然ですが、作りかけの船を中止するわけにはいきませんし。
というわけで「ジョーイP」が就役したのは同じ年の12月15日。
戦争が終わったので急ぐ必要もなくなったということで、
艤装には5ヶ月「も」かけたことになります。
艦橋はガラスで遮られていて中に入ることができませんでした。
今まで見てきたアメリカの軍艦で最も護衛艦に似ているかもしれません。
正面にはモニターがあって、かつてここで操舵を行なっていた
人がその時の思い出を語っています。
音声は、この部屋のドアの前に立っていると聞くことができました。
検索していたら中に入ることもたまにはできるらしく、
動画で中の映像をyoutubeにアップされたものがありました。
Bridge of the USS Joseph P. Kennedy Jr DD850
モニターの元乗員が話している音声も少し聞こえ、
今回撮れなかった部屋の反対側も見ることができます。
「マサチューセッツ」の時に知ったことによると、これは
タクティカルステイタスを状況ごとに書き込んでいくボード。
「スカンク」「ボギーズ」などという謎の言葉が見えます。
CICは基本外が見えない部屋にあったりしますが、ここもそうです。
理由はモニターが見やすいからです。
しかも照明が赤でした。
なぜ潜水艦はもちろん軍艦護衛艦の照明が赤なのかは、
人間の視力は赤い照明の中にいたら暗闇でも視力が失われない、
という理由によるもののようです。
「パワフル・エレクトリック・スイート」強力な電子機器によって収集されたデータは
ここ、コンバットインフォメーションセンターに集まってきます。
乗員はここでラジオ、レーダー、ナビゲーションなどをモニタリングし、
敵艦や敵機の位置、搭載武器の種類、そしてその威力を特定します。
ジョーイPの搭載していた対空レーダーは、また敵のガイダンスシステムを
混乱させることもできました。
さあ、それではラッタルを降りていくことにします。
チャートルームです。
製図のためのテーブル、ストップウォッチ、椅子の背にかけられたのは
ペティオフィサー、一等兵曹(Petty Officer First Class(PO1)
の制服の上着。
ちょっと仕事中に席を外したという演出ですね。
ファイルケースの前とロッカーに
ADVANCE CLOCK ONE HOUR(時計を1時間進めよ)
と書かれたボードが一枚ずつあります。
アメリカではサマータイムになると時間が1時間進みます。
その際、あまねく広報が行き渡るので、勘違いする人は
よほどのうっかりさんか世捨て人みたいな世間と関わらないで
生きている人ぐらいででしょうが、こと軍艦ではサマータイムの
時間の修正はワッチの時間などに関わってくるので重要な問題。
というわけで、サマータイム用にわざわざこんなプレートが
皆の集まるところにかけられたのでしょう。
ちなみにわたしたち家族は、ちょうどフランス旅行中にサマータイムになり、
全くそれを認識しないままホテルのチェックアウト時間を過ぎて
フロントの人から電話がかかってきたということがあります。
こういう時に教えてくれないのがフランス人・・・・。
ヘルメットには「ナビゲーション」を表す『NAV』のステンシル。
ケースの六分儀がわざわざ出しておいてあります。
後ろの表には
「WATCH, QUARTER AND STATION BILL」
とあります。
ワッチは自衛隊でもそう言っているところの「見張り」ですね。
DIVISION COMMANDER'S STATEROOM
ディビジョン・コマンダーで調べると「師団長」となるのですが、
それだと陸軍になってしまうので、海軍だと隊司令でしょうか。
こちらに吊ってある軍服の袖は大佐(キャプテン)です。
もちろん艦長が使うこともあったようです。
アメリカの駆逐艦は一般的に隊ごとに4隻で構成され、
そのうちの1隻は旗艦として設計されていて、
司令官が座乗することになっていました。
この際、司令官は隊を指揮し、艦長は船を指揮します。
なんと、ラジオの上にタバコと灰皿があります。
今はアメリカは完璧なスモークフリー社会なので、
室内でタバコを吸うことは何人たりとも許されていません。
自衛艦でも基本禁煙ですが、甲板の後ろに灰皿があるのを
見たことがありますし、結構いろんなところにスペースがあるようです。
自衛官(特に船乗り)には喫煙者が案外多いようですね。
通常この部屋は艦長室として使われていましたが、旗艦として
司令官が乗ってくると艦長はここを追い出されてしまい、
いちいち別の部屋に移動することになっていました。
で、そうなるとその下も全てがベッドを移動せねばならず、
結局は全員が階級に従ってランクを一つづつ下げることになりました。
ジョーイPは頻繁に隊司令が座乗したので、大移動を避けるため、
艦長の部屋はワードルーム、上級士官室の正面にありました。
司令官用の予備の部屋を置いておくという考えはなかったのね(笑)
急いで写真を撮ったので文字が読めません。(涙)
なんとか左のキャプションだけ苦心して(目を細めて)読んだところ、
艦隊司令だった大佐が任務を終えて艦を降りるところだそうです。
大佐の敬礼の仕方がいかにも!というか絵に描いたごとき海軍風。
この時、ジョーイPの艦長は内心また引越しか・・と憂鬱になっている。
に10シャムロック。
その「艦長が頻繁に移動することになったキャプテンズ・シーキャビン」。
艦橋の極近いところに位置していました。
一人用のベッドもデスクも持ち上げて収納できるタイプ。
椅子は簡易ながら肘掛付きで革張りです。
帝国海軍でも、士官の椅子はたとえ戦地のキャンバス製であろうと、
差異化をはかるために肘掛がついているものでした。
それではまた移動。
リノリウムの床はケネディ家を意味するシャムロックのグリーンです。
このギアリング型駆逐艦は完成度が高く、第二次世界大戦で
「究極のステージに達した究極のデザイン」
という評価を得たタイプです。
「アレン・M・サムナー」級の航続性能を改良により強化し、
「フレッチャー」級の最終発展型でもあったこの駆逐艦は、
戦後も余剰の(笑)分を世界各国の海軍で再就役し、そのどれもが
1970年代を通して元気に稼働していたことからも、
優秀な艦であったことがなんとなくわかります。
ところで冒頭、このギアリング型の建造について、
「戦争が終わって大量に建造する必要がなくなったとはいえ、
”戦死した海軍軍人の名前”という命名基準であることを考えると、
一旦建造する計画になったものを無下に中止するのはなんだから、
とりあえず進水まで済ませたものは最後まで造ったのではないか」
という意図で書いてみましたが、調べてみたところ、なんと艤装中に
建造中止になってしまったのが厳密には3隻あったことがわかりました。
まずその1隻はホーエル (USS Hoel DD-768) 。
サンフランシスコのベスレヘム・スチールで1944年4月に起工しました。
これはジョーイPと同じ時期であったことに留意してください。
その頃にはアメリカは硫黄島を奪取し勝利を確信していたので、
駆逐艦の整備計画も大幅に縮小されることとなり、「ホーエル」は
建造を中断して進水前の状態のまま終戦を迎えました。
結局終戦から1年を経た1946年9月、ようやく正式に建造中止になったのですが、
造船会社の建造のペースの関係で放置されていたのではないかと言われています。
もう一隻の「アブナー・リード」 (USS Abner Read, DD-769) も
1945年5月起工したまま作業中止となり、同じベスレヘム社の船台に
置きっぱにされていたのですが、同時に中止が決まり、2隻とも
レイドダウンした船台の上で解体されて、その短い生涯を終えました。
・・・いや、進水する前だから生まれてもないか。
同じ時期に起工したものであってもジョーイPやいくつかの同型艦は
ちゃんと完成してもらっているのですが、なぜ彼女らが
こんな目にあったかというと、それは艦名に理由があります。(たぶんね)
「ホーエル」の艦名は南北戦争中のビックスバーグの包囲戦で戦功を挙げた
ウィリアム・R・ホーエル中佐にちなんでおり、その名を持つ艦としては、
レイテ沖海戦で戦没したホーエル (DD-533)に続いて2隻目でした。
さらに「アブナー・リード」も艦名は南北戦争で活躍し戦死した
アブナー・リード中佐にちなみ、やはりこれも2隻目となります。
おわかりいただけただろうか。
つまり、この戦争の戦死者の名前をつけることに決まっていた艦と違い、
南北戦争の英雄でしかも2隻目ならどこからも文句が出ないからですね。
たった一つ、戦死した本人もきっと不満に思っているに違いない
建造中止となったギアリング型の駆逐艦で、
「USS シーモア・D・オーウェンズ(DD-767)」
というのがあります。
オーウェンズという人は駆逐艦「ノーマン・スコット」 DD-690の艦長で、
テニアンで日本軍と交戦中、艦橋で被弾して戦死しています。
その名に因んだ駆逐艦の起工は1944年の4月には既に始まっていたのですが、
どういうわけか終戦時にもまだ完成していなかったので、
そのままその艦体は他の駆逐艦の補修などに流用され、1958年になって
ようやくその名前が海軍籍から抹消されるという扱いを受けています。
てかこれ、いくらオーウェンズ大佐がそんな’大物’でなかったとしても、
一旦名前をつけておいて・・・英霊に対してあまりに失礼じゃないか?
続く。