さて、丘の上から軍港佐世保を見下ろすために取った
今回の佐世保のホテル「弓張の丘」でございますが、
シングルルームなどございませんので、ツインルームのシングルユースです。
最近のホテルには珍しく、外のバルコニーに出ることができます。
館内にはこの絶景を望める天然温泉もあり、他に誰もいなかったので、
のびのびと湯船でくつろぎ、ついでに隣のエステルームで
明日に備えて脚と背中のアロママッサージもしてもらいました。
三脚がないため結構苦労して撮ったボノムリシャールとアシュランド。
「ボノム」の後部はあかあかと照明がついて何やら作業中!
今度一度、尖閣への模擬上陸でも演習でやってはくれまいか。
というわけでこの日はぐっすりと眠り、夜が開けました。
今日最初の太陽の光が佐世保の軍港街を明るく照らしていきます。
自衛艦は6時に起床ラッパだそうですので、わたしも同時に目覚ましをセットしました。
「あまくさ」は支援艦なのでこういう警備のゆるいところに停泊しているのかな。
日米海軍の皆さんの朝も始まっているはず。
米海軍の人たちが正確には何時に起きるのか知りませんが。
せっかくの機会なので、「ボノム・リシャール」の後ろ部分を拡大してみました。
引き出しのように右舷からテラスが突き出していますが、
収納可能な作業用の台なのだと思われます。
艦橋と前部。
「いずも」より9m長くて幅は4m細い甲板です。
「いずも」と違って甲板が四角く、こちらの方がずっと空母っぽい。
ところで「ロナルド・レーガン」の艦載機部隊の根拠地は厚木基地ですが、
「ボノム」の飛行隊はどこに駐留しているんだろう・・・。
こちらは「アシュランド」の甲板。
こちらもさりげに揚陸艦だったりするわけで・・・
アメリカさん、本気だね?
ここから見る限りはそうでもないですが、2005年にギリシャ航行中の
彼女を見ると、遠目にも錆が浮きまくりで日本ならば
標的艦になるのを待っている状態、みたいな佇まいです。
まあ、アメリカさんは基本軍艦の錆とか気にしないですからね。
しかし、これが
「アメリカ人は車でも皆錆びてても平気な人種だから軍艦も」
というのは、アメリカに住んだ経験から、なんか違う気がしています。
一般的にアメリカの中流層以上は皆日本車なんかをこぎれいにして乗っていて、
錆を放置したり窓が壊れた車に乗るのは貧民層の証とされています。
(そしてそれは黒人やヒスパニックが多いという印象)
というよりこれは、彼らの受けた教育に関係している気がしますね。
アメリカの学校は日本と違って生徒が掃除せず業者を入れるのが普通です。
つまり彼らが掃除を当たり前のこととして「教育」されていないから、
という方が近い気がします。
覆いをかけている部分は、おそらく武器関係の補修で、
こういう高いところから中国人に見られるからでしょう。
今日これからお世話になる「あきづき」の甲板には
もうすでに人影が見えています。
もう護衛艦の一日は始まっているのです。
現地まではホテルの前からタクシーに乗ったのですが、
この運転手が「俺語り」する人でねえ・・。
なんで朝っぱらから全く縁もゆかりもない他人から
自分の結婚式には六百人を招待したとか、
30歳で部長だったけど後進に道を譲るためにやめたとか、
(なぜタクシーの運転手をしているのかについては説明なし)
東京でアパレルの仕事をしていたから未だにファッション雑誌を見るとか、
マイレージで海外旅行したとか、そんな話を聞かされないといけないのか。
最初は相槌を打っていたけど、だんだん面倒になって
憮然としていたら倉島岸壁にやっと到着。
おまけにこっちがいうまで後ろのトランク開けないしさ。
そして、車から降りて入り口で名前を申告していたら、
自衛艦旗掲揚のラッパが聞こえてきました。
入り口からキャリーを引っ張って歩いている呑気な人
(にしか見えない)はわたし一人。
もう旗の掲揚が終わってしまったので、 急いでも仕方ない、
と写真を撮りながら歩きました。
なんだか猛烈に湯気の出ている謎の一角とか。
「あきづき」後甲板には人が整列しています。
乗艦時間は7時半から8時半の間なので、遅刻ではありませんが、
学校時代教室に入ったらもうホームルームが始まっていたみたいな気分。
しかもその時、わたしは後ろにあの艦の姿を見つけてしまったのでした。
「く、くらまさん・・・・・」
ちなみにわたしがいただいた大量の海上自衛隊カレンダーのうちの一つは
二月に「くらま」の観艦式における勇姿をあしらっています。
「これが最後の勇姿であった」
なんて説明があるのですが、ここで退役する日を待っていたのね。
カレンダー情報によると、彼女の引退は今年三月。
つまり、おそらくわたしが見る最後の彼女の現役の姿です。
急いでいたものの、逆光のその姿をカメラに収めました。
ちなみに、彼女の後、観艦式で観閲艦を務めるのは・・・
誰だと思います?
これは中の人に聞いたので間違いないと思うのですが、なんと
「いせ」なんだそうです。
首相が参拝する「伊勢神宮」とのご縁で選ばれたのかしら。
だとするとどこに総理観閲の「お立ち台」を作るんだろうと不思議ですが、
そういう計画を進める部署ももう立ち上がってるのかもしれませんね。
さて、「くらま」の写真を撮り終わって、「あきづき」の舷門に急ぎます。
朝礼でもしてるのかな?
おお、陸軍軍人が敬礼してるー!
出席していなかったのでわかりませんでしたが、どうやら
昔で言うところの善行章授与みたいなことをしているようです。
一佐から賞状を受けるのはWAVEさん。
こんな変な角度からの写真ですみませぬ・・・。
PCを落ち運びするため どこに行くにも引っ張っていくキャリーを
護衛艦の中で特に階段をどうやって持って上がろう、と不安だったのですが、
こちらがよいしょっとバッグを持ち上げた途端、
「お持ちします」
と乗員の方が運んでくださいました。
そこで改めて山の上を眺めると、さっきまでいた弓張の丘ホテルが。
わたしの部屋だったのは一番右の上から三番目です。
遅ればせながら格納庫に到着して鉄火お嬢さんと合流。
知人の「泊まりんさい」というお誘いを軍艦旗掲揚を見届けるために断り
現地入りしたと言う彼女には、開口一番、
「エリス中尉ともあろう人があの時間にいなかったなんて」
と言われてしまいましたが、全くその通り。
そう見えないかもしれないけど、痛恨の遅刻だったんだよ!
その後、二人でお誘いくださった高田艦長にご挨拶をしてから
今日の控え室である士官室に案内してもらいました。
「士官室」。
海自はいまだこういうところに海軍残渣であるはずの
「士官」という言葉を堂々と残していて、嬉しくなってしまいます。
こんなところにまで気を遣って「幹部室」とかにして、英語では
「wardroom」
としれっというのはナシね、とわたしは思っておりますので。
余談ですが、
「ワードルームの住人」=「ワードルーム」
つまり候補生以上の士官をメタノミーで「ワードルーム」と呼ぶこともあるそうです。
士官室のファブリックは圧倒的にブルーが多いという印象ですが、
特にそうと決まっているわけではなく、姉妹艦の「てるづき」 は
床もテーブルクロスも椅子もディープレッドを使用しています。
カーテンで覆われている壁の向こうにはホワイトボードがあり、
一般人が入ってくるときにはこうやって閉めて機密保全を行います。
写真を見ていてあっと気づいたのは、士官室の天井に無影灯があること。
これ、いざという時にここが手術室にもなるということですよね。
「つき」型の士官室の絨毯は赤が基本のようです。
腰板は天然木ですし、軍艦の中でありながら士官室は
応接間も兼ねているのでインテリアには気を遣っています。
「平成壬辰歳弥生月」
みづのえ辰とは2012年、「あきづき」が就役した年です。
揮毫者名は、「〇〇庵◯月」 としか読み取れませんでした。
「人員確認」
人員の確認は航泊を問わず確実に実施すること。
※空報告はしない。
※面倒くさがらない。
先任伍長
積み残してたー!とか海に落ちてたー!とかいう事故を
未然に防ぐための先任伍長の厳しくもありがたいお言葉です。
「面倒くさがらない」がリアルです。
そういうときに限って・・・という事故は昔から後を絶たないのでしょう。
に活用されているようには見えませんが、とりあえず必要そうな書籍一式。
「あきづき」の内規、守則、防御処置の手引きや
佐世保地方隊の何やら分厚い本、指導指針やハンドブックなどなど。
陶板のミミズクが立派な額に入って飾られていました。
ちなみに英語ではミミズクとフクロウはどっちも「OWL」(アウル)といいます。
どうでもいい話ですが。
出港準備が始まるまでの間、コーヒーを出していただきました。
出港作業は0800から始まり、0900が出港です。
ここで一息ついた後、鉄火お嬢さんに
「出航の時には艦橋行きますよね?」
「もちろんです!」(力強く)
ということで、いざ艦橋。
続く。