在日米海軍基地見学記、続きです。
滑走路で航空機を見学し終わり、「エア・ターミナル」と名付けられた棟を
司令官の敬礼に送られて後にしたわたしたちは、車で基地内を移動しました。
明かり取りの三角屋根がついたこの建物が、基地のレストランです。
広い基地なのでレストランはいくつかあるのだと思われますが、
ここは隣にゴルフコースがあるので、クラブハウスのように使われているようです。
大きな岩には字だけでなく基地のマークまで彫り込まれております。
最近できたように真新しい感じのするスチール製のベンチにもマーク。
富士山に鳥居、そして航空隊を表す翼が盛り込まれたデザインです。
この基地は、かつて帝国海軍が、主に帝都防衛の拠点として1938年に着工、
1942年に完成したものです。
完成が戦時中であったとはいえ、石灯籠があり松の木を築山に植えた
池を作る余裕はあったのに違いありません。
しかし、この松の剪定方法は、いわゆる普通の日本庭園にある松とは
シェイプが微妙に違うという気がしないでもありません。
そういえば、カリフォルニアの富豪の造った庭の木が、
こんな感じに刈り込まれていたような記憶があります。
戦時中、ここは東京に最も近い海軍の航空拠点となっていました。
厚木海軍航空隊、大東亜戦争後期には防空隊である302空が開隊し、
このブログで一度取り上げたこともある森岡寛大尉がF6Fとの戦いを行い、
終戦時には有名な小園少佐の「厚木事件」が起こったところでもあります。
まるでゴルフコース付きのホテルのショップみたい。
わたしは全くゴルフには不案内なので通り過ぎただけでしたが、
お店に入り、基地のオリジナルデザインのティーやゴルフボールを
たくさん買い込んでいた同行の方もおられました。
支払いはドルでなければカード、日本円はお釣りが出せない(ので使うな)
ということでした。
レストランの入り口には今月のメニューが掲示されています。
フランクとは牛のわき腹から切り取った切り身のこと。
その下のソールズベリーステーキとは、我々日本人が「ハンバーグ」と呼ぶ
ひき肉を寄せて焼くあの料理とほとんど同じようなものです。
発祥がはっきりしていて、ソールズベリー博士という医師が、
炭水化物をカットするダイエットのために考案したとかなんとか。
「adobo」も「caldereta」もタガログ語で、アドボはマリネした肉を焼いたもの、
カルデレータはルソン島の料理で、フィリピン風のビーフシチューといったところ。
アメリカにはフィリピン人の労働者がヒスパニックほどではありませんが多く、
ここのキッチンにもフィリピンからの労働者が多く働いているのでしょう。
そういえば山口の海兵隊基地のレストランのウェイトレスもフィリピーナでした。
英語が喋れる彼らにとって、在日米軍基地は魅力的な職場なのでしょう。
食堂の一番奥には会席用の別室があり、わたしたちはそこに通されました。
白地に赤いランナー、青いナプキンで星条旗カラーの食卓が用意されています。
ここでランチをいただくんですね。
いくつかみたことのある自衛隊基地とは装飾の点で段違いにお金がかかっていて
かつ飾っているものも一味違っているといいますか。
この大きな額にはアイヌの民族衣装(年代物)がプレスされて入っています。
「アットゥシ」 と説明がありますが、これはアイヌ語で
オヒョウニレ(att)の木の皮(rusi)
という意味だそうです。
北海道のアイヌが作っていた樹の皮でできた衣です。
ちなみにアイヌは部族によってはサケなどの魚皮をなめしたものも
衣服にして着ていたそうです。
窓の外はまさにゴルフコース。
ここが軍基地であることが信じられない眺めです。
グーグルアースの基地をこうやって見てみると、飛行場に沿って
住宅地と基地を隔てるようにゴルフコースが作られています。
結構広大なコースで、昔は森林であったところを切り開いて
全てゴルフ場にしてしまったらしいことがわかるのですが、在日米海軍としても、
異国で暮らす在留軍人の気晴らしのために必要な施設だと考えてのことだったのかも。
在日米軍内にはレストラン、バー、ショッピングセンターはもちろんのこと、
映画館、ボウリング場などの遊技場を備えているのが普通です。
その気になれば基地を一歩も出なくてもすむのです。
テーブルセッティングはされているものの、食事はみなさんと同じようにバッフェ式で
自分の好きなものを好きなだけとることになっていました。
前述のメニュー表によると、この日のメインはレモンチキンステーキと例の
ソールズベリーステーキとなっていましたが、あくまでもそれは「メイン」で、
肉と言ってもビーフ、チキン、ポークと選択肢があります。
ランチバッフェは大人が8ドル95セント、子供が4ドル25セント。
食べ放題でスープ、サラダ、デザートも種類がふんだんにあるランチが
1000円くらいで毎日食べられるのだからなかなかリーズナブルです。
個室の外側もインテリアは普通のレストランと全く変わりません。
いくつか見たことがある自衛隊の隊員食堂とは随分趣が違います。
敷地内はどの施設も利用可らしく、海自の自衛官がご飯を食べに来ていました。
アメリカの街角にある、コインを入れるとドアが開けられる仕組みの
ニュースペーパースタンドの中にはスターズアンドストライプスが。
どちらもここでは無料となっています。
昼ごはんを食べたら移動です。
次の予定は、海上自衛隊の資料室を見学させてもらうことになっています。
歩いて行く途中に黄緑色の消防車が停まっていました。
アメリカでは消防車は絶対に赤でなくてはいけないというわけではないようです。
大抵は赤ですが、都市によって赤以外の色を採用する消防署もあり、
特に空港では夜間でも目立つ蛍光ライムグリーンの車体を使うこともあります。
ここには普通に赤い消防車とライムグリーンがどちらもあります。
米軍施設内には当然のように結構な規模の消防署があります。
下総の海自航空隊基地には海自組織の一つである消防部門がありました。
ここに勤務する消防士たちの身分は海軍の軍属ということになるのでしょうか。
それとも自衛隊のように海軍軍人?
海上自衛隊のビルディングも「エアターミナル」でした。
この入り口で案内をしてくれる自衛官が出迎えてくれました。
全般的な案内は米軍との連絡係をしているという士官で、
内部についての歴史を含めた説明をしてくれたのが年配の自衛官です。
同友会というのは自衛隊協力会の一つだったと記憶します。
その会長が作ったという戦艦「三笠」のフルハルモデル。
自衛隊資料館はこのターミナル内にあり、大変充実したものでした。
あの「ポセイドンの涙」、そして「永遠の0」 のポスターがあります。
ポスターがあるということは、自衛隊が撮影協力をしたのでしょうか。
ちなみに、テレビ版の「永遠の0」撮影には、水交会を通じて
実際に零戦に乗っていた搭乗員が取材協力を行なったそうです。
ターミナルの二階はガラス窓を通して滑走路がよく見えました。
面白かったのは、米軍側にいた時には、
「ここから自衛隊機は撮らないでください。米軍機なら構いません」
だったのに、自衛隊側に来ると、
「ここから米軍機を撮らないでください。自衛隊機なら構いません」
と言われたことです。
誰かがそれを指摘すると、
「そこは大人の事情で・・・」
ということでした。
どっちもダメってことなのか、どっちもいいってことなのか・・・
大人って、難しい(笑)
続く。