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潜水艦「せきりゅう」引き渡し式〜花束贈呈

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川崎重工業株式会社本社での祝賀会が終わり、
バス三台で移動した一行はもう一度岸壁に戻りました。

パイプ椅子がひな壇のようにテントの下に並べられていた観覧席からは
椅子が取り払われ、ここからあとは立っての見学となります。

「せきりゅう」の後ろには、まるで壁のような大型船の艦腹がそびえ、
そこに記された川崎重工のロゴが式典の背景になって見えます。

これは、他のドックや建造中の艦船を一般人の目とカメラから隠すため、
意図的に大型の艦船をここに繋留したのではないかと推測されます。

もしかしたら、もう就役していない船を目隠しがわりに置いているのかも・・。

式典の間は、この船の舷側から海自の女性カメラマンが動画を撮っていました。 

来客が揃い、式執行者や防衛副大臣が入場してくるまでは
艦上起立して待っている乗組員たちの様子も「普通な感じ」が漂います。
姿勢は崩しませんが、会話をしているらしく顔がほころんでいたり。

この日は式典が始まった時からしばらく小雨がぱらついていたのですが、
彼らは岸壁で客が入る前から起立して待機しており、
その後も乗艦に至るまで身じろぎもせずにいたわけですから、 
こんな様子を見ると ホッとします。

フィンの上、セイルの頂上にも乗員がすでに待機。

おそらく副長と思われる人と一緒に立っているのは川重の社員。
進水から海上公試、そして今日の竣工に至るまで、
おそらく乗組員と造船会社の技術者は密接な関係を築いてきたのに違いありません。

副長は何もつけずに立っていますが、川重の人はハーネスに命綱をつけています。 

艦首側の甲板にも9名人がいます。
前回書き忘れましたが、「総員乗艦」の時にラッタルを渡る人数を数えたら
艦長を入れて63名でした。
「そうりゅう」型の乗員は定員65名となっていますから、式典の間艦内は
全くの無人ではなく、艦内に2名が残っていたことになります。 
(『せきりゅう』の乗員が63名である可能性もありますが) 

岸壁でも川重の関係者が出港のための準備に余念がありません。

 

午前中にはおそらく隊員の家族が座っていたテント席には、
作業服を着た工事関係者が集まっています。

彼らにとっても今日は手塩にかけて創り上げた潜水艦が
晴れて巣立っていく記念すべき日。
おそらくこの方達も今朝は送り出す我が子にしっかりやれよと声をかけ、
お昼にはちょっとした祝いの席を持ってこの場にいるのではないでしょうか。

会場全体図。
こちらにカメラを向けている方は、カメラマンではなく来賓の対応をする係。

「式典の間写真は禁止ですが、そのぶんわたしが皆さんの写真をお撮りしますので」

と言ったからにはこうやって式典の間中写真を撮りまくるのがお仕事です。

それはそうと、岸壁と艦体を繋ぐラッタルが上からクレーンで吊られているのに注意。
クレーンは左に見えている緑のが本体です。 

最初は普通に会話もしていた乗組員たちは、客入れが終わり、
式典の開始時間が近づくにつれてお仕事モードに切り替え中。

ところで一番左にいる、多分海曹長は左に「せきりゅう」と書いた赤い浮き輪と
蛍光色のロープをずっと持っています。

潜水艦の上から人が落ちた時のため?

潜水艦の艦体はほぼ円形なので、乗員はカーブの上に立っているということになるわけですが、
いかに滑り止めが施されているとはいえ、手すりはもちろん、揺れを防ぐための
ビルジキールもない潜水艦の艦上が不安定であることには違いありません。 

 

 

ところで、潜水艦の艦体が丸いのは、当たり前ですが水圧に耐えるためです。
「そうりゅう」型は、原子力潜水艦よりも可能潜水深度が深く、
400−600mと言われています。
(最大で600前後は確実という噂もあるが、公表されていないのであくまで状況証拠) 

潜水艦の重要な情報蒐集活動に、海水の温度を測ることがあるのをご存知でしょうか。

これは、水温のの変わる部分が「サウンドレイヤー」と呼ばれる層になっていて、
それが水中音響機器の性能に大きく影響してくるからです。

海中の音波は圧力、水温、塩分、そして海水の密度によって伝播速度が異なりますが、
サウンドレイヤーがあればそれに反射が加わってきます。 

つまり単純にいうと、深く潜れるほど探査されにくいということで、
その点、海底深く潜って潜むことのできる「そうりゅう」型は、
さくっと「被探知防御性に優れている」ということができるのです。

 

深く潜るためには深海の水圧に耐えるだけの構造が不可欠となります。

「そうりゅう」型がこれに優れているというのはまさに
製鋼技術が優れているからこそで、つまり鋼板が強いのです。
補強のために円筒部には「T型フレーム」という補強を施しますが、
その際耐圧殻はほぼ真円でなければいけないのだそうです。 

 

その点日本の艦体を真円に作る技術は大変優れていて、潜水艦ほどの大きな
円に対し、誤差が数ミリしかない耐圧殻を作ることができるのです。

一般に鉄の塊を溶接で組み立てた後は、仕上げに「焼鈍」(しょうどん・焼きなまし)
と言って、鋼を適当な温度に加熱して、その温度に一定時間保持した後、
除冷していく処理を行わなければなりません。

溶接の際の内部応力の除去、硬さの低下、加工性の向上のための行程ですが、
潜水艦の場合、これを行うほどの大きな炉がありません。

そこでどうするかというと、公試運転の際に、実際に設計時に計画された
最大安全潜行深度までとりあえず潜ってみるのです。 

これを行うのが艤装艦長率いる潜水艦乗組(予定)者なのですが、
その時には造船所の設計責任者と工事責任者も一緒に乗艦します。

先ほどの写真でセイルの上に立っていたのは、おそらくですが
この工事責任者であろうと思われます。

自分が設計し、工事の責任を負う潜水艦なので何かあっても自己責任ってこと?

などと素人は考えてしまいますが、もちろんのこと真円度の厳密なチェックと
非破壊検査を行い、安全であることをチェックしてから行うので無問題。

とはいえ、やはり初潜行、初スノーケル航走、初深々度潜行など
「初」の際にはどんなベテランでも緊張が走るのだそうです。

 

世界の潜水艦の歴史を見ても、この段階での事故は起こっていませんが、
たった一例、原子力潜水艦「スレッシャー」のドック入り後の整調試験で 、
造船会社の技術者ら民間人を含む乗員全員が死亡したという事故があります。

原因は設計ミスで、 海水配管システムが溶接ではなく銀によるろう付けで、
そこが破損したことによるものといわれています。
 

一旦事故が起こると全ての人員が失われる潜水艦の安全対策は
どこまでも完璧なものでなくてはいけません。 

その点は、日本の戦後潜水艦は「冗長性(redundancy)」を持たせ、
重要なシステムに二重三重のバックアップがなされているのです。

さらにはその先の最悪の場合にも備え、潜水艦救難艦と救難装置は
自衛隊が最初に「くろしお」をアメリカから貸与された頃から
早々と研究されてきました。

今では海上自衛隊の救難技術は世界でもトップクラスです。


単なる私見ですが、海軍時代の第6潜水艦沈没事故のトラウマが
日本の潜水艦思想における安全性のたゆまぬ追求への原動力となっている気がします。

来客のエスコート&アテンドは広報が行うことが多いようです。
この広報の二佐も終始大変お忙しそうでした。 

出港は1430ということになっております。
出港時間が近づくと、右手後方にいた川重の工事関係者と自衛官家族の団体が
前に出てきました。

さりげなくこの団体の中に元海幕長も混じって立っておられます。 

会場には早くから花束贈呈のために川重の花束三人娘と、
受け取る「せきりゅう」代表がこんな態勢で待たされていました(笑) 
これってなんとなく気まずい状態ですよね。 

そこは最先任の艦長が率先して場を和ませている様子。
さすがは潜水艦艦長、全てに気が効くというか。 

しかし、偉い人たちが入場してくると喋るわけにもいかず、
またこのような向かい合って立ったままの気まずい時間に・・。

お節介ながらさぞお互い目のやり場に困ったのではないかと思われます。 

あれ?海曹長の浮き輪は一体どこへ?
・・・ってことは転落した人用じゃなかったのか・・・。 

いつのまにか潜水艦の向こうに曳船が到着していました。
潜水艦の出港作業・・・上に人が乗ってるから艦体を押したりはしないと思われますが。

わたし「あ、曳船きた」

TO「なぜ三菱の船が」

わたし「あ、ほんとだ。三菱だ。借りてきたとか?」

さて、1420までに再び若宮副大臣が入来し、時間ちょうどに式が始まりました。
若宮副大臣の左は本日の執行者である呉地方総監です。 

早くからお見合い状態で待機させられていた6人は
やっとこの瞬間を迎えることができてホッとしたことでしょう。

自衛艦の引き渡し式の後の出港に当たっては、必ず
艦長、先任伍長、先任士長が会社の綺麗どころから花束を贈呈されます。

川崎重工が「せきりゅう」にちなんだ赤を基調とした花束が
今「せきりゅう」の乗員代表に手渡されました。

受け取った花束を先任伍長に渡して、艦長が出港を報告する敬礼を行います。

そして、出港に向けて挨拶。
最新鋭の「せきりゅう」を生み出した川崎重工への感謝と、
その潜水艦で国土防衛の任につく責任を感じている、というようなことを
力強く、会場に訪れた人々をを見渡しながら語りました。 

「せきりゅう」初代艦長は渡邉正裕二佐。
「せきりゅう」引き渡し式のお知らせには、45歳であると書かれています。 

若宮氏に敬礼をすると、艦長はラッタルを渡り、これでいよいよ出港です。

先ほどの「艦長乗艦」の儀式より心もち早足で、
自分が全ての責任において指揮を執る潜水艦へと向かいます。

いつのまにか、フィンの上に立っている二人はラッパを構えていました。

 

 

続きます。

 

 


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