真珠湾攻撃で特殊潜航艇に乗ってハワイに出撃し、
九軍神と呼ばれた軍人たちがいました。
その死に様に感銘を受け、一人の小説家が朝日新聞に
彼らのうち一人をモデルに連載を始めました。
それが岩田豊雄作「海軍」です。
連載と同時に人気となり、朝日文化賞を受賞したこの作品は、作者曰く
「伝記ではなく、軍神を生んだ海軍をテーマとする方が適当だと思った」
ということで、もっとも海軍に縁の深い鹿児島出身だった
67期の横山正治少佐がモデルに選ばれました。
今回わたしは戦時中に制作された作品、そして戦後18年経ってから
もう一度リメイクされた作品を両方見比べてみました。
今日ご紹介するのは、 昭和18年、海軍省の後援で制作されたものです。
戦意高揚のための作品だったため、終戦と同時にGHQに接収され、
戻ってきたものの、最後がカットされていて、
真珠湾攻撃で特殊潜航艇が攻撃をするシーンからあとは逸失してしまっています。
タイトルと「英霊に捧ぐ」などの部分はなんと木彫りです。
この時代ですからおそらく本当に木彫したのだろうと思われます。
主人公、谷真人のうちは横山正治少佐と同じ精米店を営んでいます。
父親を亡くし、兄と姉、母と真人の四人で店を切り盛りしています。
真人の学校は横山少佐と同じ、鹿児島二中という設定ですが、
戦後ここは鹿児島県立甲南高校という名前に変わっています。
甲南高校のHPを見ると、この写真のドームがまだ健在なのに驚きます。
体操しているのは当時の鹿児島二中の生徒たち。
真人の学校の英語の先生。
のちの水戸黄門、東野英治郎です。
真人の親友、牟田口は大の海軍好き。
絵が得意な牟田口は、軍艦の絵を描いて部屋に飾っています。
今でいうミリオタですね。
牟田口の妹、エダ。
幼馴染の真人に実は心を寄せているのですが、それを知られないように
つんけんして憎まれ口をきく素直でない娘。
憎まれ口を叩いて兄に怒られると・・・。
実際の横山はいわゆる女嫌いだったと旧友は証言しており、故に
小説でエダという女性を横山の恋愛の相手に設定したのには
本人はきっと不本意だろうという声もあったそうです。
しかし、同じ作者の岩田豊雄が67期卒の軍人に聞いたところによると、
遠洋航海で訪問したハワイ日系の富豪の『ナイスな』娘が、
居並ぶ少尉候補生の中でなぜか横山にご執心で、彼にだけ親切で、
露骨に好意を見せたので一同をクサらせた、と証言しているので、
おそらく横山少佐本人は女性を惹きつける何かがあったのでしょう。
牟田口のお母さん。
このころの俳優さんは顔は綺麗でも歯並びは悪い人が多いです。
矯正という技術がなかったし、歯並びの悪さはマイナスにならなかったんですね。
お父さんはあの小沢栄太郎です。
「皇国の荒廃この一戦にあり!」
「天気晴朗なれども波高し!」
当時の軍国少年にとって、東郷元帥はまるでアイドル。
二人で熱く東郷さんの偉大さを語り合います。
「お前も海兵受けんか」
牟田口に誘われるのですが、家業を継ぐつもりの真人は暗い顔で俯いて・・。
しかし、牟田口の説得で母の許しを得、海軍兵学校見学ツァーに参加することに。
陸軍から来ている中学の軍事訓練の教官、これ誰だと思います?
なんと笠智衆なんですよ。
おじいさんのイメージしかなかったのでこれを見て驚きました。
そして海軍兵学校到着。
この「裏門」の表札文字は勝海舟の筆跡です。
海軍兵学校についてまず説明を受ける一同。
「海軍軍人は天皇の海軍に命を捧げ祀る武人であります。
そして海軍兵学校はその軍人を鍛え上げる道場であります」
「だからこそ生徒館正面には燦然とご紋章が輝いているのであります」
そして、これでもかと学校内の威容を湛える建築物が
厳かな音楽とともに映し出されます。
いやー、これは当時の青少年の憧れを誘ったでしょうねえ。
おそらく、現在一番海寄りにある、改築された建物の裏側だと思われます。
すっかり夢中になった牟田口は、夏の海軍兵学校の制服に身を包んだ自分が
大講堂をバックに颯爽と歩く夢を見(冒頭画)、真人をより熱心に海兵に誘います。
ついに気持ちが抑えられなくなった真人、母に海兵を受けさせてくれと頼みます。
「私は・・・私は軍人になりたいです」
息子の言葉を一瞬呆然とした顔で聞く母。
数秒後、笑い顔を作って
「お前がそう決めなんなら・・それでよか」
しかし彼女の笑いはまた引っ込んで、一瞬ですが絶望的な色を見せます。
この滝花久子という女優さん、すっかりお婆さんの役ですが、
この時まだ実際の年齢はなんと37歳です。
今なら恋愛もののヒロインだってやっている年ですよね。
二人は早速鹿児島の海軍遺跡巡りに出かけます。
大山巌生誕の地とか(加治屋町に現存)
東郷平八郎誕生の地( 同じく加治屋町)とか。
忘れちゃいけない西郷さんの銅像。
弾痕が壁に残っているのですが、西南の役の時のもので、今もあります。
西南戦争弾痕跡
岩田豊雄の原作にもあった「軍人組」。
陸士、海兵を受験する生徒たちを集めて集中講義を行うことになりました。
しかし、配属将校のお仕事はこれで終わりです。
「断じて行えば鬼神も之を避く」
この言葉を残して学校を去っていく笠智衆。
浜辺で「両舷前進ビソーーーク」などと大声を出して
すっかりその気の二人ですが、牟田口が不吉なことを・・・
「月が三つにも四つにも見える・・・」
そう、牟田口は目が悪くなっていたのでした。
あれだけ海軍に入ることを熱望したのに、視力ではねられてしまったのです。
合格した軍人組「・・・・・・・・・」
そして真人にいよいよ待ちに待った合格通知が・・・!
「お母さん、私は海兵に合格しました!」
「・・・・・・・・・・」
もうこの反応ええっちゅうに(笑)
真人は喜び勇んで親友の牟田口に報告に行きますが、妹のエダが憎まれ口。
「自分一人海軍に入って威張ってる」
この娘、自分が好かれようという気全くなし。
というわけで真人は入学を果たし、場面はいきなり兵学校のグラウンド。
なんと、あの軍歌演習を俯瞰で(多分ビルの最上階から)撮っています。
映画製作時、つまり昭和18年に兵学校に在籍していたのは
兵学校72期、73期、74期。
74期は兵学校最後の卒業生となった期で、大世帯でした。
この画像を見てお分かりかと思いますが、軍歌演習の向こう側の白い部分は
校舎の間の部分までみっちりと人が立っている状態。
横山少佐をモデルにしているのでこれは67期という設定ですが、
67期在学中にはこれほどの大人数ではありませんでした。
この生徒たちは本物の海兵生徒ということになります。
「江田島健児の歌」が歌われているという設定なのですが、
本物の映像を使っているせいか、口と歌詞が全く合っていません(笑)
というわけであっという間に夏休みになり、海兵の制服で帰郷する真人。
これを着ていると皆の注目の的となり、特に若い女性には
憧憬の眼差しで見られるので、合格した生徒はこの時ほぼ初めて
「海兵に受かってよかった」
と喜びを感じるのが常だったそうです。
そして、この姿に憧れた後輩男子が自分も海兵を目指すと・・。
しかし、あれだけ海兵を熱望していた牟田口は今年も体格で不合格でした。
っていうか、いっぺん視力で不合格になった人がなぜ翌年も受けるのか。
帰校した真人は、一人静かに教育参考館に足を向けました。
当時は大理石の床に絨毯はなく、全ての人が靴を脱いで入ることになっていました。
昔は正面に東郷元帥の立像が掲げられていたようです。
遺髪のある聖堂で深々ともう一度礼。
「ハワイ・マレー沖海戦」でも同じシーケンスがありましたね。
主人公の同郷の憧れの海兵生徒が教育参考館を訪れるシーンです。
兵学校生徒となったのちの「軍神」、谷真人が教育参考館を見学します。
真人が粛然とその前で首を垂れたのは軍神広瀬中佐の遺書と
第6潜水艇事故で佐久間艦長が最後に記した遺書。
「部下の身を案じてその結果戦死した広瀬中佐」
「事故潜の中で部下とともに従容と死出の旅についた佐久間大尉」
これは、主人公である谷が、その後部下とともに決死の作戦に出撃し、
自らが「軍神」となる未来を暗示しています。
後半からは、真人の海兵生活、そしていよいよ海軍軍人としての
彼の最後の姿が描かれることになります。
後半に続く。