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掃海隊殉職者追悼式〜海上安全祈願奉納の社

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掃海隊の殉職者慰霊追悼式は、毎年5月の最終週週末に行われます。
わたしは今年の追悼式への招待状をいただいた時、あることに気づきました。

自衛隊員の殉職追悼は、一般的に自衛隊記念日に行われます。
金毘羅宮での慰霊碑建立に伴い、毎年ここで追悼式を挙行することになったとき、
昭和二十年まで存在した海軍記念日の5月27日の週に決められたのではないかと。

今年は5月27日の海軍記念日と追悼式が重なりました。
それは2006年以来のことです。
11年に一度の機会に立ち会うことができた光栄をわたしは一人で噛みしめました。

噛みしめながら空港に到着すると荷物台ではカツオがお出迎え。
ところで「オリーブカツオ」って何かしら。

香川県独特の丸い甘食みたいな山を見ながらいくこと小一時間。

金毘羅宮の座す裏の山道に入るとそこは鬱蒼とした竹林に囲まれ空気も違います。

なんたる疾走感(笑)

まずは金刀比羅神社の参道脇にある資生堂直営のカフェレストラン、
「神椿」の駐車場に車を停めました。

よくぞこのような場所をわざわざ切り開いたと思うくらいの鬱蒼とした斜面に、
カフェと駐車場からそこにいくためだけの橋があります。

鄙には稀な、という言葉がつい浮かんで来るくらい、おしゃれでセンスのいいカフェ。
さすがは東京・銀座資生堂パーラー直営であります。

車を停めさせていただくからにはと、まずここでお茶をゆっくりといただきました。

掃海隊慰霊碑はどちらかというと下から近いところにあり、
「神椿」からは結構な距離階段を降りていかねばなりません。

たてつけ前の会場には、呉地方総監と掃海隊幹部だけで執り行う
掃海部隊のための神事の用意がなされていました。

その様子を後ろから見ていたところによると、慰霊式とは別に、この度は
御祭神となられた掃海隊殉職者の御前に、現在の海上自衛隊掃海隊の安全を
祈願するのが目的ではないかと思われました。

慰霊碑前の広場には、後ろに道のある「門」があります。
搬入のためのトラックなどは、このギリギリ後ろまで入ることができます。

去年はたてつけ後にきたので気づきませんでした。

「海軍兵学校の櫻」と記された石碑が一本の桜の前に立っています。

これが海軍兵学校の桜です。
ここに掃海隊の慰霊碑が建った頃には海軍兵学校はなくなっていた訳ですが、
桜の由来については今回どこを探してもわかりませんでした。

現場で待っていると、海軍時代の第二種軍装、今の第1種夏服姿の
掃海隊幹部のみなさんが到着しました。

凛々しい純白の詰襟に身を包んだ幹部は、とてもこの後顔をあわせるなり

「そこで金箔ソフトクリーム食べたかったけど高かったのでやめました」

などといいだすようには見えません。

わたしは邪魔にならぬよう、この距離から見守ることにしました。

呉地方総監が到着し、斎竹を立てしめ縄をかけた祭場で
まずは修祓が行われます。

修祓(しゅばつ)とは神事の最初に穢れを払う儀式です。
神職の祓詞(はらえことば)によって祓い清めが行われています。

前列には呉地方総監、掃海隊群司令、副長に続き、
参加部隊の司令官、高松港に寄港している掃海艇の艇長が並びます。

この後は笙、篳篥、そして琴による(琴平だから?)奏楽とともに
降神、献饌、祝詞奏上、玉串拝礼、撤饌、昇神と式次第が進みました。

 

今回、祭礼開始前に権宮司から写真を撮っても構わない、という
お許しを頂いたのですが、神聖な行事でもありますので、
撮った写真の公開は控えさせていただくことにしました。

その後、幹部の皆さんは必ず昼食会を行う「神椿」へ。
もう昼食会は下の階で始まっています。

わたしたちはこの上の喫茶階でサンドイッチをお昼にいただきました。

サンドイッチはポーク、白身カツ、エビの三種類あったので、
エビと白身を二人で一皿ずつ取って半分こしました。
さすがは東京銀座パーラーの資生堂、ほんの少しだけ表面を焼いて
歯ごたえをカリッとさせたパンと具のマッチングは最高!

 

さて、ここで初めて今回の同行者をご紹介しますと、食べ物とインコの写真を撮ること
『でも』有名な?カメラマンのミカさん(仮名)であります。

掃海隊イベントに参加するときには毎回のようにご一緒させて頂いておりまして、
今回も追悼式と艦上レセプション以外の行程については、全て詳細を教えていただきました。

今回はふとその気になって、ここで売っていた金毘羅宮限定資生堂オリジナル、
「琴娘」というフレグランスを購入してみました。

昔お母さんの鏡台に置いてあった瓶のような懐かしい香りがします。



さて、例年この昼食会の後、幹部たちは本殿まで参拝に行くことになっています。

このこともわたしはミカさん(仮名)から伺いました。
彼女が参拝する呉地方総監を撮るために上で待っていたいというので、
神椿から本殿まで行ってわたしたちも参拝することにしました。

石段を登って行くと、まず穢れを祓う神様の祓戸社がありました。
ここは下から上がってくると595段目にあります。

「やっと着いた〜!」

と思ったら、実はここはまだ途中でした。
旭社と言いまして、天保8年(1837年)に竣工した社殿です。
ここは628段目。さっきからまだ30段くらいしか来てません。

ところどころにこのようなものがあったのですが、蜂のお家だそうです。
家を与えることで社殿や神木に巣を作らないように、という共存の知恵かと。

そういえば、慰霊式本番でも、蜂がね・・・・・。

鳥居の両脇にいた狛犬さん。
こちらは「阿吽」の「吽行」で口を閉じたタイプ。

狛犬さんのいる鳥居をくぐると本宮手水舎があります。
ここで口と手を清めました。

手を洗った後は改めて本殿への階段に臨みます。

真新しい金色のプレートには御本宮まで133段であることが書かれています。
観光キャンペーン「ゴールドプロジェクト」で階段の両側に一つづつ設置されました。

古来から信仰を集めた金刀比羅神宮の本宮近くには、当時の旅行デスクである「講」、
旅籠や米屋などが寄進した名残が残ります。

死後何年も半永久的に名前を残す方法として、大金を寄進した人だけで
こんなにいるということに想いを致すと、軽く思念が宇宙にトリップするのを感じます。

御前四段坂という階段の途中にあるお百度石。
願い事が叶うかどうかはともかく、少なくとも達成した暁には
足腰が鍛えられ健康になることは間違いありません。

四段坂を登りきり下を覗き込んでみる。
こちらは登り専門で、帰りは反対側にある下り階段を使います。

というわけで本宮に到達。
ちょっと嬉しかったのは、階段をこれだけ上がっても息一つ切れなかったこと。
今回に備えて走り込みをしようかと思っていたくらい自信なかったんですよね・・。

なんと、

「一般参拝者を装いデタラメな説明や案内をする不届き者がいるので気をつけてください」

という悲しいお知らせ。
自衛隊近辺のそういう人たちは、主に自衛官に絡んで嫌がられます。
今回も「ぶんご」でそれらしい人を見たなあ。

ちなみに神宮では神社全域でのポケモンGO禁止と(そりゃそーだ)
イノシシが出るので夜間の参拝はご遠慮ください、ということと、
「岩座(いわくら)」というパワーストーンの販売会社とは無関係である、
といったことがわざわざHPで断られています。

 

何をやった、岩座とやら・・。

わたしはここに修学旅行で来ているわけですが、境内の様子に全く記憶がありません。
石段を登っている時のことはなんとなく覚えているのですが。

そういえばここからの讃岐平野の眺めにかすかに記憶があるような・・・。
この時の宿で男子の部屋と女子の部屋の間にロープを渡し、カゴに乗せて
お菓子を交換した思い出なんかははっきりしてるんですけどね。

こんぴらと犬の関係は知りませんが、犬好きをターゲットにしたと思われる
「こんぴら狗みくじ」なるおみくじがありました。

南渡殿という長い廊下が本宮から三穂津姫社まで南北に渡っています。
長さは約40メートル、比較的最近の明治11年(1878)に建てられました。

祭典において本宮へ参進する祭員、舞人、巫女、本宮に進む参拝者が、この廊下を通ります。

樹齢何年だろうと思わず見上げてしまう巨大なご神木。

本宮の両側にある「金」に似た文字は、金毘羅宮の印です。

本宮のある一隅にこんなところがあります。
冒頭の写真も細部を見ていただくと、例えば大正8年の日付で

「帝国汽舩株式会社播磨造船所 造船部 職長・組長同志会 奉納」

というのがあったりします。


帝国汽船ははあの鈴木商店が拡充したもので、当初は播磨造船所という名前でしたが、
この前年度に「帝国汽舩株式会社播磨造船所」になっています。

その後帝国汽舩は播磨造船所と合併し、造船部は神戸製鉄所に営業を譲渡。
播磨造船所はその後石川島播磨重工となりました。
現在のJMU(ジャパンマリンユナイテッド)は、 IHI造船部門がユニバーサル造船と合併したものです。

この、忘れ物の帽子の置いてある舟形がなんなのかはわかりませんでした。

なんと、我が日本国海上自衛隊遠洋練習艦隊の奉納酒樽がこんなに。
「かしま」の他に「しらゆき」今はなき「くらま」の文字が見えます。

改めていうまでもないですが、金刀比羅宮は海の神様なのです。

三菱重工は昭和50年に開発した船舶用エンジンの発展を祈願して大きな額を奉納。

左から掃海艇「はつしま」、練習艦「せとゆき」、掃海艇「えのしま」、
そして練習艦「しらゆき」。

船の海上での安全を祈願する本宮は、海上自衛隊もその無事を祈って
ここで奉納を行なっていたことがわかりました。

 

続く。

 

 

 

 


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