「つのしま」見学の前に、どうしても時事ネタで買いておきたいことがあります。
みなさん、助成金不正受給の疑いが森友学園の籠池理事長が、
「昭恵さんにいただいた100万円をお返しする!」
というパホーマンス(笑)のために、なぜか彼女の経営する居酒屋に、
マスコミ陣を引き連れ、昔の「部長刑事」でも使わない
雑な小道具を持って突撃した映像なり画像、ご覧になりました?
外側を1万円で挟んだ明らかに色の違う紙束、それをあろうことか
カメラの前で出して見せて瞬間偽であることがわかってしまいました。
総ツッコミされて、わざわざ次の日取材をやり直しして、
今度は一晩でかき集めた本物を見せてこっちも持っていたと言ったそうですが、
じゃなんでわざわざ偽物のを方を見せるのよと。
まあそんなことはどうでもよろしい。
わたしがわざわざここに書かなければならなかったことはそんなことではなく、
お札をめくってみせる手元のアップの時に、籠池氏のネクタイピンが写りますが、
それに注目していただきたいのです。
これ・・・・自衛隊からもらったネクタイピンですよね?
わたしは同じブルーに金色の錨マークの入ったピンブローチ、
TOもこれと全く同じタイピンとカフスのセットを持っているのですが、
自衛隊基地の売店で売っているグッズとは違います。
まあ、呉地方総監部からの推薦を受けて防衛省が感謝状を出したこともあり、
籠池氏はおそらくこのタイピンを当時の呉監からもらったのでしょうが、
テレビカメラが入ることも、自分が大写しになることもわかった上で
この人はこの日ネクタイやタイピンを選んできているはずなのです。
結果として籠池氏は事件後、自衛隊も安倍夫人との繋がりも、
畏れ多くも天皇陛下ですら、利用して自分の箔づけにしていたに過ぎないと
全方位から非難されることになったわけですが、この後に及んでもまだ
自衛隊に感謝されていた自分=保守をアピールしたいのかと、
わたしはなにやらこの人物を哀れにすら思えてきたのでした。
逆にいうと、自衛隊もこういう人、自衛隊に感謝されているという
「実績」が欲しくて近づいてくる人が山ほどいることになり、偉い人ほど
「ああまたか」「またこの手の人か」
みたいに感じるものがあったりするのかなとふと思ってみたりします。
さて、掃海艇「つのしま」の艦橋と甲板のバルカン20ミリ砲の見学が終わりました。
続いて後甲板に移動です。
掃海具がある後甲板より一段高いデッキには、ゴムボートが二段重ねであります。
このボートには、 EODと呼ばれる水中処分員が乗り込みます。
水中処分員はおそらく海自で一二を争う過酷な任務と言われています。
どこかで「海猿」の海自版という説明を見ましたが、この日 EOD出身の
掃海隊司令とお話ししていて聞いたところによると、
「EODはダイバーではない。爆発物処理が主任務である」
ということなので、海猿というよりは爆発物処理員(潜水可)というのが
彼らの立ち位置としては正しいような気がします。
上から後甲板を見下ろすと、そこには掃討具である PAPが。
「いずしま」型の甲板は岸壁よりかなり低い位置になります。
PAPはフランス製の機雷掃討具です。
昨年の冬、伊勢湾で行われた掃海隊訓練において、わたしは「いずしま」に座乗して
このPAP-104 Mk.5機雷処分具を投入し、それが海中でダミーの機雷を発見するのを
モニターで確かめるという経験をしています。
あの時にみた掃海具とこれが全く同じものだというのはもちろん頭ではわかりますが、
海上の波の上に投下され、それが回収されたあの一連の作業の時と、
岸壁に繋留されている掃海艇の甲板の上で見るのとは、全く別物にすら思えてきます。
おそらく、実際の訓練を見ずしては掃海艇のことなどほぼ何も見ていないに等しいと
わたしは神戸湾の埠頭に静かに漂う「つのしま」の後甲板で思うのでした。
掃海艇の下に「ダミー」とわざわざ記された爆雷があります。
これは、このPAPが機体の下に取り付け、牽引して運びます。
ここに説明されているように、掃海艇が搭載している機雷探知機で機雷を探し、
PAP つまり機雷掃討具で爆雷を機雷の近くに設置し、それを爆発させて機雷を誘爆させます。
ダミーはその訓練に使用するための爆雷というわけです。
オロペサ型係維掃海具。
白いロケット状のものは掃海浮標という名の「浮き」で、簡単にいうと
係維型機雷と言って、紐で繋がれて海中にある機雷の紐をカッターで切断し、
浮き上がらせてそれを20ミリ銃で撃つなりして掃討させるものです。
原始的といえばもっとも古くからあるタイプの掃海具といえましょう。
最初に開発したのはイギリス海軍で、「オロペサ」というのはこの掃海具を
初めて試験的に用いたトロール船の名前をとっているそうです。
他の国の掃海艇を知っているわけではないので比較はできませんが、
古くから使っているはずなのに、白い浮標はメンテが行き届いて綺麗です。
さすがは我が日本国海上自衛隊であるといえましょう。
さて、二手に分かれて行われた見学が終了しました。
わたしたちは案内されて建物の中の懇親会場にやってきました。
「KOBEカレー食堂」という看板がわざわざ隊員用の食堂にかかっていますが、
これにはわけがあります。
地元との融和を図る意味で、降べき地帯では金曜の隊員食堂を解放し、
海自名物「金曜カレー」を市民の皆さんに食べていただこうという企画をしました。
隊員が食べるのと同じ金属トレーにカレーと副菜などをとっていただくもので、
例えばこの神戸新聞の記事では
「カレーは1908年海軍が軍用糧食として”割烹術参考書”に掲載して普及させた。
現在でも海自では毎週金曜の昼食に、地上、洋上を問わず全ての部隊で
カレーライスが配食される風習がある」
として、阪神基地隊が
「伊丹などの陸自駐屯地に対して知名度の低い海自の基地である
阪神基地隊を皆に知ってもらうためにこの企画を始めた」
と説明されています。
ちなみにオープンしているのは金曜日の1100より1300まで。
カレーのみなら400円、ドリンクもついたデラックスメニューは800円。
予約不要でただ基地に行けば誰でもいただけるということです。
昨年春から始めたこの企画、好評らしく今でもやっているとのこと。
もしかしたら、近隣の工場の方なんかも来るのかもしれませんね。
「おれ・・・」「私・・・」「自衛官になる」
のポスターの横に掲げてあった看板には、訳すと
「穏やかな海からは決して熟練の船乗りは生まれない」
とごもっともなことが書かれております。
荒海に揉まれてこそ一人前の船乗りっちうわけですな。
懇親会が行われるというので、全員ではありませんが掃海隊の方達が、
わざわざちゃんとした制服着用で食堂に待機してくださっていました。
せっかくのお休みの中、ありがたいことです。
EOD出身の掃海隊司令からは水中処分員のご苦労などを伺いました。
ウェットスーツとドライスーツの違い、海中の作業の時には腰にウェイトをつけること、
この仕事が好きでやっている人が多いので、中には40代の処分員もいること・・。
冷たい海に潜る時のために、スーツの厚さは平常時より分厚いものもあるのだそうですが、
分厚いと浮力がついて潜りにくいということなど。
別の士官の方とは、先の伊勢湾での訓練の後、掃海艇から転落して
そのまま未だに行方不明になっている掃海隊員の話をさせていただきました。
産経WESTニュース「20代の海自隊員、掃海艇から転落 高知・室戸沖」
掃海艇から転落した直後は手を振っていたらしいのですが、
救命ブイを打ち込んだ時にはすでに海に引き込まれてしまっており、
それからの必死の捜索にもついに行方不明のままであるということです。
「このようなことが2度と起こってはならない、と上から厳命がきています」
こういう事故が起こると、特に彼を失った艇の乗員たちは
どうして助けられなかったのだろうというショックも含め、メンタルダウンは
甚だしく避けられないものだと推察します。
どうか、再発防止のために全群をあげて努めていただきたいものです。
懇親会の合間に隣の売店を見学させていただきました。
お休みなのでお店の人はいませんが、店を閉めるでもなく商品は放ったからかしです。
「防衛省ケーキ」「隊員さんのリングケーキ」「隊員さんのバームクーヘン」・・・
何でも適当に頭につけて自衛隊オリジナルにするんじゃねー、
と思わず突っ込んでしまうくらい安直なネーミングの商品群です。
(でももしお店が開いていたらバームクーヘン買ってたかも)
コンパクトな基地なので、食堂、売店と並んで体育館があります。
ここで式典なんかも行われるんでしょうか。
呉の「大和ミュージアム」のお知らせポスターがありました。
呉の人々と戦艦大和の記憶。
お、これは次に呉に行った時には見られるかな?
と思って日付を確かめたら、去年の夏から今年の1月までの企画でした。
つまり、わたしはこの展示を見たことがあります(笑)
阪神基地隊の人ー、もうこれ終わってますよー。
ロビーの一隅には模型の展示コーナーがありました。
棉で細かい水煙を表現した力作、US2の着水。
民間の模型クラブの会員が作って寄贈したようです。
辛坊治郎の救助の時のシーンかな?(棒)
「いせ」の模型。
この時、「いせ」が呉から転籍するのを見送って帰ってきたばかりでした。
余談ですが、「いせ」艦長からは丁寧にお礼の手紙をいただき、呉出港後
「いせ」が急遽フランス海軍との訓練に駆り出されたこと、
連休明けには慣熟訓練で洋上に出たことなどのご報告をいただきました。
「はたかぜ」の模型も。
「はたかぜ」は旧軍の「神風」型駆逐艦「旗風」から名前を受け継ぎ三代目です。
ロビーの一隅には、専門の帽子置きらしいカウンターがありました。
帽子掛がないので、このカウンターを常設してあるんですね。
ちなみに、喫煙所というものはないようで、タバコを吸われる方は皆
ロビー外の階段の踊り場で一服やっておられました。
飛行機の時間があったので、タクシーを呼んでいただき、
写真を撮りながら外で待つことにしました。
掃海隊がここにあるのは、神戸湾などで浚渫作業をした時に
機雷が発見されるという可能性を踏まえてのことのようです。
水交会が設置にあたって出資したらしい機雷。本物です。
昭和27年と新しく創設した基地なので、呉や舞鶴のように旧軍から伝わる
重厚な空気やもちろん古い建造物は一切ありませんが、なぜかポツンと
大変年代を経ているらしい灯篭がありました。
近づいて見なかったのでその由来はわかりません。
あの阪神大震災の時、阪神基地隊は基地機能が全面停止する程の壊滅的な被害を受けましたが、
震災直後から約100日間に及ぶ災害派遣に従事しながら、
岸壁、地盤及び建物等の全面復旧成し遂げました。
平成9年12月、基地は完全に復旧し、現在に至ります。
この詳細につきましては、前回のエントリにお節介船屋さんがくださったコメントをご覧ください。
阪神基地隊、掃海隊の後援という形で、これからはしばしば訪れることになりそうです。