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辛坊氏救出事件〜自衛隊は表彰されるべきか

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つい最近、二式大艇について集中的に記事を書き、
最後に「二式大艇物語〜The Descendants of Emily」(エミリーの系譜)
という、二式大艇の孫娘であるところのUS−2を盛大に讃えたところ、
ほどなくあの辛坊治郎氏のヨット遭難事故が起こりました。

当ブログは毎日エントリをアップしているということもあって、
大抵の記事は10日もすると閲覧記録のランキングから姿を消すのですが、
ある日突然この記事の閲覧数が上位に挙がってきたので、
辛坊氏らを救出した救難飛行艇US-2に皆の関心が集まっていることを知ったわけです。




youtubeに上がっていたドキュメンタリーより。

US-2の利点はこう言ったことに加え、波高計を自動にしたりグラスコクピット
(コンピュータ液晶画面)を採用したり、「姉」であるUS‐1Aより大幅に進化しています。

なかでもフライ・バイ・ワイヤ(操縦性能をコンピュータの介在によってアシストする)
の搭載によって、より安全に、負担を減らした着水が可能になっています。

また、機体をアルミ合金に頼っていたUS‐1と違い、新素材の炭素系複合素材にし、
軽量化したため、その分2トンもの燃料が増加されることになり、
航続距離もUS-1より700Km増え、4700Kmまで伸びました。



現在、海上自衛隊所属の5機のUS-2は、岩国と厚木基地にに配備されています。



乗り込むクルーの数は11名。

US-1は12名でしたが、この機体になって任務が簡略化され、
通信士が航法士を兼務することになっています。

コクピットにいるのは主操縦者である機長、整備員。
機体の後方には4人の見張り員、そしてレスキュー、メディックが配置されます。

探索はレーダーですが、基本的にこの4人が目視で行います。
「見張り能力」という話題がパイロットの話にはよく出てくるわけですが、
この4人こそ「昼間に星が見える」レベルの視力がないと務まらないでしょう。
おまけに、このうちの二人はスキューバで救助を行う隊員なのです。
潜水士の体力にパイロットの視力。
どんな超人だよ、と思ってしまうわけですが。

しかも海上の船を探すのではなく、小さなラフト、場合によっては人一人を、
文字通り太平洋の(日本海かもしれませんが)広大な海原の中から見つけ出すのです。

そして4人の見張り員が救助対象を補足したら、その情報は即座に
「スポット」と言われるヘッドギアのような装置で捕捉され、装着者全員の
視界に共有されます。



この眼鏡の十字中央でターゲットを補足し、手許の送信機でキャプチャー。

これ、便利ですね。

「海上」「全員が持ち場についている」「飛行機の轟音」
そんなハードシチュエーションの中も伝達は一瞬です。

そしてこの情報はSARC(救難航空士)に即座に送られます。
そして、他の見張り員にはターゲットの方向が矢印で示されるのです。

スポットとは、目標位置指示装置。
Survivor Position On Target、でスポットです。

皆さん、このスポット、どこが作っていると思いますか?
日露戦争でも海軍の通信技術を支える鉛蓄電池の開発に成功し
大いにその勝利に貢献した島津製作所なんですよ。



その情報はこのようにディスプレイに表示されます。

このように遭難者を捜索するとき、通常の飛行機では速すぎて
目視で対象を見つけることができなかったりしますが、
このUS-2は時速90mの「低速走行」が可能です。

これは世界で唯一実用化された
BLC(Boundary Layer Control:境界層制御)
と呼ばれる動力式高揚力装置の採用によって実現した特殊技術です。


見張り員はこののち目標海域に近づいても、あくまで目視で対象を探します。

(しかし、最近は捜索装備として、新たに三菱製の前方監視赤外線
(FLIR) 装置が設置されることになりました。
これは前部胴体左舷のドアに、引き込み式ターレットで装着されており、
ドアを開けて外に出し、ターレットを回転させて探査する仕組みです)


見張り員はターゲットが視認できたら

「遭難者インサイト(視認)」

とコール。
同時に再びスポットで情報を送信します。
そののち、着色マーカーと発煙筒を海面に投下。

そして着水のために波高の計測を行います。


この着水というのが困難な危険を伴うもので、20年以上経験のある
ベテランパイロットでも、着水のときにはいつも緊張がマックスになるそうです。

いくらそのための安全性が高まったと言っても、相手は自然の作る波。
いわば波打つ地面にヘリで降りるようなもので、失敗すれば機体損傷の可能性もあります。

辛坊氏救助に出動したUS-2は、4発あるエンジンの一つが停止して帰ってきたそうですが、
それほどこの機体で救難活動するということは難易度が高く、
練度の高い海自であるからこそ運用していけると言えるのです。



着水のとき、機長は自動操縦装置と飛行経路制御 (FPC) オートスロットルによって
態勢を保持することに集中することができるようになりました。



見張りをしていたレスキュースキューバの隊員たちが準備を始めます。
耐水スーツを着用し、救助ボートを素早く組立て、それに乗って揚収に向かいます。
そして収容した遭難者は、機内に待機していたメディック(医療班)にすぐさま応急手当を受けます。

このドキュメンタリーは訓練の様子を撮影していたのですが、
訓練に際しては実際に一人で海面に浮き輪だけで漂って、
救助されるのを待つ役目の隊員がいるんですよね。

いかに日頃鍛えている自衛官でも、「太平洋一人ぼっち」状態で波間に漂っている間、
ちゃんと無事に見つけてくれるだろうかとか、鱶が出ないだろうかとか、
いくら同僚の技量を信用していてもさすがに心細く、不安でたまらないのではないかと思うのです。

こういう役目の隊員さんも含めて、自衛隊の日頃のたゆまぬ訓練に本当に頭が下がります。




今回、US-2が注目を浴びたことで

「海自と新明和のいい宣伝になった」

などという声もあります。

確かにそういう面もあるのかもしれませんが、たとえばこれが「宣伝」になったとして、
US-2を今後何機も増やして誰でも運用できるような生易しい飛行艇かというと、
決してそうではないことを我々は知っておいた方がいいでしょう。



この前段階であるPS-1について書いたときに、開発段階から運用まで、
事故によるあまりの殉職隊員の多さに、暗然とする思いでした。

このPS-1が制式になった1970年から84年までの間に、
23機製作されたうちの6機が事故で失われ、37名の自衛官が殉職しています。

(ちなみにウィキペディアでは殉職者が30名となっていますが、これは
他の事故資料と合わせて考えても間違いであると思われます)

とにかくその後のUS-1を含めて殉職隊員の総数は40人に上ります。


おりしも海上自衛隊が新しく導入した哨戒機P1のエンジントラブルが、
案の定厳しい論調でマスコミに取り上げられていました。
現在のP1の姿は、その昔、あまりにも事故を多く出し「欠陥機ではないか」と
国会で取り上げられたPS-1の姿に重なります。



今回の辛坊氏の救出海保が断念し、二機出動したUS-2のうち一機は
波の高さに救出は無理と判断し、帰投。
当時海域は着水限度波高に近いと推定される波高3〜4m、風速16〜18mでした。

決死の、と言いますが、文字通りクルーは覚悟を決めて臨んだのではなかったでしょうか。


ところで、このブログの読者の一人である婆沙羅大将が、少し前に、
ご自分の「救助体験」を描いたブログエントリを送ってきてくださっていました。
本題とは少し違う内容ですが、よろしければ読んでみてください。

http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/diary/200802280000/

http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/diary/200802280001/

http://plaza.rakuten.co.jp/vajra33/diary/200802290000/


別に表彰して欲しいとも 謝礼が欲しいとも思いませんが、
家族なり友人から「ありがとう」の一言は欲しかったかな。


壮絶な救助行をこのように締めくくっておられます。
このような思いをして、さらに感謝もされず、それでも黙々と人命を救う人々がいます。



事故直後、政府から「辛坊氏を救ったUS-2のクルーに表彰を」という話が出ました。
その後の経過が全く聞こえないので、やはり世間の辛坊氏たちに対する批判や、
また「有名人だから表彰するのか」などという声が出ることを憂慮したのかもしれません。

自衛隊の救難部隊の仕事は人命救助です。
そのために彼らは恒常的な厳しい訓練に耐え、事あれば命を張って現場に向かいます。
任務として当たり前と彼ら自身思っていても、やはり人間ですから
婆沙羅大将ではありませんが、「ありがとう」の一言は心に沁みるでしょう。


しかし、国からの表彰。
これはいかがなものでしょうか。

もし彼らだけが表彰されることになったとしたら、最初に救助を断念した海保や、
あるいは波が高くて救助をあきらめたもう一機のUS-2の隊員たちは、どう思うでしょうか。

そして、救助に成功した隊員たちもまた、救助に当たったのは自分たちだけではない、
とそのように思うでしょう。

今回の成功は、このUS-2にかかわった先人たちの努力と涙と、文字通りの血すなわち犠牲、
さらに自衛官たちの、厳しい日頃の訓練と現場でみせた勇気のうえに初めて成り立った、
いわば奇跡中の奇跡のようなものだったのだとわたしは思います。

成功の陰に斃れていった幾多の人々のことを思うとき、
このクルーたちの勇気と技量を誉めることにやぶさかではありませんが、
彼らだけを表彰することは決して自衛官たちの本意ではないような気がするのです。

辛坊氏が救出した隊員に名前を聞いたところ、その自衛官は
「チームでやっていることなので名前を教えることはできません」と答えたそうです。

この話を知ってからわたしはそう確信したのですが、皆さまはどうお考えですか。








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