フィナーレの花火、じゃなくて発煙弾の投射も無事終わり、
平成29年度富士総合火力演習は無事に終了しました。
毎年、自衛隊はこの演習にキャッチーなコピーをつけるのですが、
今年のそれは、
「日本を防衛力(まもる)」。
去年は
「日本の本気」
であったと記憶します。
にしても、防衛力と書いてまもると読ませるのにはいささか無理というか、
「日本を防衛力」という文章が文章として成り立たないだけに、
イマイチな感じは否定できません。(ごめんね広報の人)
なんで今年がこうなのに昨年が
「日本の本気(マジ)」
でなかったのか、と個人的には思うものです。
どうしても防衛力を使いたければ、わたしなら
「日本の防衛力(まもり)」
にするな(提案)
さて、演習最後の頃の90式戦車の砲塔を、こんなこともあろうかと
アップで撮っておきました。
砲塔右側に、4つのノズルみたいなのが確認できますが、
最後の発煙弾はここから打ち出されます。
フィールドにいた装備が全て引き上げて行った後、
装備展示のための準備が始まります。
まずはヘリコプターが所定位置に着陸。
Cー47チヌークが他の装備に先駆けてグラウンドに降り立ちます。
続いて AH-64D戦闘ヘリ、アパッチ。
多用途ヘリコプター、 UH-60。
「ブラックホークダウン」という映画でダウンしていたブラックホークですが、
日本では単に「ロクマル」と呼ばれているようです。
海自も救難用に同じ形のものを保持しており、塗装はオレンジと白です。
今回事故を起こして脚を折ってしまったという対戦車ヘリAH-1S。
自他共に「コブラ」と呼ばれており、演習の時にも
「こちらコブラ」
とコールしていました。
アパッチよりたくさんあって、順次退役していく装備であることは
今回初めて知りました。
多用途ヘリコプター、UH-1、愛称ヒューイ。
「ヒューイ」になった経緯というのが最初の型番であった「HU-1」の
「1」を「I」に見立てて
「HUI」→「ヒューイ(HUEY)」
と読んだことに始まるそうです。
ただし我が自衛隊では単に「ユーワン」と呼んでいるとのこと。
何かに引っかかった時のためのワイヤーカッターが、
ツノのように突き出しているのがUH-1Jという現行タイプです。
しかしいつも思うのですが、このワイヤーカッター、役に立ったことあるの?
会場では施設科の隊員が、各装備の前に説明のための看板を置いていってます。
フライングエッグ、観測ヘリOH-6D、オスカー。
総火演に同じ観測ヘリであるOH-1ニンジャが来たこともありますが、
今日はオスカーくんだけでした。
OH-6は順次OH-1に置き換わっていくということなので、
できるだけ総火演で活躍させてあげようという親心?でしょうか。
後段演習には活躍しないけれど、展示には登場する装備もあります。
91式戦車橋。
これがまるでトランスフォーマーのようにあっという間に変身して
橋になってしまう動画は、みなさん一度見て損はないです。
91式戦車橋による架橋
特に4:00から後、橋を地面にどーんと置いちゃうんだよう。
74式戦車。
今日は特に後段演習では大活躍でした。
OH-6と同じ理屈で、花を持たせてもらってる可能性高し。(個人的見解)
せっかくなので車上の隊員さんをアップにしてみました。
そういえば、会場で流れていた自衛隊の広報ビデオで、
「顔を出して戦車に乗っている時、風を感じるのがたまらなく好きです」
というようなことを言ってる戦車隊所属の詩人がいました。
FV小隊も実は後段演習の殊勲賞というくらい出番が多かった気がします。
89式装甲戦闘車。
FVって、「ファイティング・ヴィークル」の頭文字なんですってね。
「戦う車」って漠然としすぎてませんかって感じですが、
英語圏ではこれを普通歩兵戦闘車、つまり
IFV:Infantry Fighting Vehicle
とか
ICV:Infantry Combat Vehicle
とか呼んでいるわけです。
ところが我が国に終戦後から蔓延する軍事アレルギーの空気を忖度した
(と思われる)防衛省が、「歩兵」はよろしくなかろう、と考え、
「Infantry」を外してしまったのでした。
こういうのを悪い忖度っていうんですよ?(個人的見解)
10式戦車の上の人。
10式戦車の部隊は正式には戦車教導隊第1中隊といいます。
ハクトウワシとその蹴爪が第1中隊のマーク。
90式戦車は戦車教導隊の第3中隊、マークはハチ。
流星のマークの90式を見たことがあるかもしれませんが、
90式の部隊は二つあり、こちらは第2中隊となります。
74式戦車は第4中隊で、ペガサスのシルエットがマークです。
96式装輪装甲車は普通科教導連隊第1中隊の所属。
こんなところに顔を出すハッチがあったんだ・・・・。
中距離多目的誘導弾、MMPM(ミドルレンジマルチパーパスミサイル)。
こうして見るとただのトラックぽいですが・・・・、
後ろの弾体射出機を持ち上げれば、おなじみの形に。
今回初お披露目となった水陸両用車AAVと16式機動戦闘車が並んでいます。
その向こう、隊員さんがヘアブラシみたいなのでお掃除しているのが
輸送防護車(ブッシュマスター)。
見たことない車だと思ったら、2014年に4両だけオーストラリアから購入し、
主に邦人救出を目的として中央即応連隊に配備されているのだそうです。
で、この検索をしていたら
「陸自が導入した輸送防護車は使えない」
として、
「この輸送防護車だけを導入しても邦人救出作戦は実行できない。
無理をすれば多大な犠牲を出して失敗する。
●子供や病人の輸送をどうするのか
輸送防護車は邦人保護に関する法改正に伴い、邦人救護輸送に関して
車輛が使用可能となったために調達されたものだ。
だが前回の調達分と、今回要求分の輸送防護車はすべてAPC(装甲兵員輸送車)型である。
回収車や輸送型、野戦救急車型は調達されていない。
耐地雷装甲車でも触雷やIED(即席爆発装置)の被害を受ければ無傷では済まない。」
という、何がいいたいんだお前は、と思わずツッコンでしまうヨタ記事があって、
しかもなんかすごいデジャビュ感があったのですが、それもそのはず、
今回の朝日記事と前回のAAV7の記事、どちらも例の戦争平和学者の筆によるものでした。
もう笑っちゃったよ。
このヒトの仕事って、防衛省の装備にとにかくケチをつけることなの?
装甲兵員輸送車で邦人を輸送するのは危ないからやめとけってこと?
回収車や輸送型、夜戦救急車はじゃあ地雷を受けないor受けても大丈夫だと?
全ての機能を備えた戦車並みの丈夫なスーパー装備が開発されるまで
邦人輸送のための備えはしてはいけないとでも?
要は邦人保護のために自衛隊が海外に派遣されること自体が気に入らないんでしょうけどね。
朝日とこの学者は。
これは木曜予行の、つまりE席スタンドから撮った写真です。
自走砲など高射部隊の装備が一番向こうの方にあります。
装備展示の準備が整い、待っていた人がグラウンドになだれ込みました。
わたしは去年と全く同じ、下まで行くのが面倒だったので、
スタンドから写真を撮りつつ皆の荷物番をしていました。
まっすぐに戦車の前に向かって行くのはほとんどが男性。
戦車の前でVサインする男の子。
早めに到着するとこんな写真も撮れます。
地面がぬかるんでいるらしいのも、わたしが下に降りなかった理由。
あっという間に戦車の前は人多すぎになりました。
74式戦車と俺。👍(いえーい)みたいな?
92式地雷原処理車。
処理弾を投射するときにはほとんど姿を見せないので、
実際に見ると投射機が大きいのに驚きます。
装備展示が始まるとシートには誰もいなくなります。
青少年のグループは未来の自衛官候補でしょうか。
ここまでが木曜予行の写真です。
日曜の本番の日、わたしと連れは後半が始まるまでに
「今日はどの段階で会場を抜けようか」
と謀議していました。
木曜日は装備展示を見たいとわたし以外の全員が言い張ったため、
その後引き上げるとバスまではともかく、御殿場インターに向かう道が
ギチギチにこんでしまって、大変でした。
しかもこの日は東名高速が大渋滞していて、昼過ぎに終わったはずのイベントなのに
家に着いたのは夕方の6時という大惨事となってしまいました。
前日夜中に家を出ているので、途中で仮眠をとったこともありますが。
そこで、ベテランである連れが、
「後段演習が終わる直前に会場を出ます」
ときっぱり。
発煙弾の写真を撮り終わった瞬間、わたしたちは脱兎のごとく会場を出て
同じように早めに会場を出た人々の驚くほどたくさんの人の列に加わり、
しかしながらあまり待つこともなくバスに乗り込みました。
バスの車窓から外を見ると、すでに帰宅の混乱が始まっている様子。
E席にいる人たちが手を振っています。
戦車などが退場するとき敬礼してくれているのに答えているのでしょう。
左手に会場となった黒の台やモニターなどが見えてきました。
驚いたのは、多くの人が側道を歩いていることでした。
ここから先は延々と舗装していない山道です。
武士の情けで?写真は挙げませんが、その中に
ひらひらのワンピース、麦わら帽子に10センチヒールのコルクサンダル、
しかも生足という高原の避暑に来たお嬢さんみたいな人がいてビビりました。
彼女が転けもせず、足に豆も作らずに数キロ歩き通すことができたことを
心の底から祈ってやみません(嘘)
朝は下の公園の無料駐車場に車を止め、トランクから自転車を出して
会場まで移動している人を目撃しました。
みんなすごいなあ・・・(と人ごとのように言ってみる)
いつもここを通るたびに気になって仕方がない慰霊碑。
調べてもこれに相当する慰霊碑についての詳細はわかりませんでした。
ここで亡くなった自衛隊殉職者の御霊を慰めるものであろうと思われますが・・。
歩いて帰る途中にラブと遭遇し、記念写真を撮る人。
蛇足ですが、わたしは同行者の的確な判断と行動のおかげで、
3時には自宅に到着していました。
あまりにも早く帰って来たので家族がびっくりしていたくらいです。
さて、こうして総火演の終わりとともにわたしの2017年夏も終わりました。
毎年同じようなことをしているようでも来るたびにいろんな発見があり、
故にどんな大変でも足を向けずにいられないのが総火演ですが、
今年はわたしにとっては今まででベストというくらい、
いただいたチケットから始まって予行と本番の席、本番の気候、そして
最後の帰宅まで全てがうまくいき、心から楽しめました。
日本を防衛力(まもる)自衛隊への知識もブログ製作と皆様のコメントによって
毎年少しずつでとはいえ、深まっていくのを感じます。
イベント運営には大変なご苦労もあると思いますが、広報の一環として
演習を公開してくれるのは国民の一人として実にありがたいことだと思います。
自衛隊の皆さん、そして今回東富士演習場に来られた全てのみなさん、お疲れ様でした。
また来年もお会いできることを心より祈りつつ。
終わり。